「たばこ史研究」

(公益)たばこ総合研究センターから、「たばこ史研究」No.139が発行されました。

今回の研究論文の中に、昨年、坂城町の「玄古たばこ」の調査をされた、山本拓哉さんの論文が掲載されています。

山本さんは、坂城町の調査の後に、生坂村を訪れ、「生坂たばこ」についても調査されたそうです。

表紙には、千曲市戸倉の「坂井銘醸」さんで保管されている、「玄古たばこ」の写真と

目次として、

・阿部徳吉郎110回忌にあたって

・長野特集(1) 「生坂たばこ」と中央大学初代総長「加藤正治(犀水)」を生んだ在方荷主に関する考察

・長野特集(2) 坂城町に残る玄古和尚の墓と碑

などが特集されています。

本ブログで詳細を記述することはできませんが、ご興味のある方は、(公益)たばこ総合研究センター(〒105-0001 港区虎ノ門3-2-2 虎ノ門30森ビル Tel:03-3436-3771)へお問い合わせください。

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坂城町長 山村ひろし

「玄古たばこ」調査

「玄古たばこ」につきましては今までも何回か、ブログで取り上げました。

昨日(8月24日)、日本たばこ、JTクリエイティブサービスで、たばこ史の研究をされておられる、山本拓哉さんが坂城町役場へ来られました。

右から二人目が山本拓哉さん

目的は、坂城町町横尾にある玄古たばこに関する石碑の調査と、戸倉の「萱」に保管されている140年前の玄古たばこの葉の調査です。

かつて、江戸期を通して、坂城町でも盛んに作られていた「玄古たばこ」は、江戸の初期に武蔵国児玉郡今井町(現埼玉県本庄市)の出身の往海玄古和尚が、諸国を遍歴した後に埴科郡に到来し、南条に庵をくみ薩摩から持ち寄った煙草の種を移植したことにより始まったといわれています。

往海玄古の石碑を見る山本さん

往海玄古の墓を調査する山本さん

往海玄古の墓の右におられるのは町横尾区長の小林善道さん、玄古の墓の屋根は小林さんが作られたものです。

戸倉の「萱」に保管されている、140年前の玄古葉。今でもたばこの香りを残していました。

今回の調査で明らかになったのは、町横尾に残されている、往海玄古に関する石碑は江戸時代のもので、たばこに関する碑としては日本最古のものであろうということです。

玄古たばこの地元の町横尾の皆さんが大切に保存されてこられた歴史的遺産です。これからも大切に保存していきたいと思います。

また、今回の山本さんの調査結果は、JTの機関紙「たばこ史研究」に掲載される予定です。

坂城町長 山村ひろし

「玄古たばこ」追加資料 その2

「玄古たばこ」の続きです。

「玄古たばこ」 について、その後、いろいろな方からご連絡をいただきましたが、最大のものは、坂城町宮下副町長の情報です。

戸倉にある蕎麦料理の専門店で坂井銘醸が経営されている「萱」という店の展示室に 「玄古たばこ」 があったような気がするという話でした。

早速、お邪魔すると酒に関する展示室の片隅に 「玄古たばこ」 の現物と説明資料が展示されていました。

展示ケースを指さす宮下副町長

「葉たばこ」についての説明(以下、全文を掲載します)

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葉たばこ

明治八年南条村横尾小滝 吾より

買入れた 南条金井は有名な玄古

煙草の名産地 この品は日本最古

の葉たばこです

タバコは明治三七年専売制となる

明治八年(一八七五)戸倉村戸長 酒井賎雄

また小滝 吾も南条村戸長勤務

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昭和57年のニュース

坂井銘醸さん(代表取締役専務:村尾ふみさん)が戸倉で酒造りを止めるため土蔵の整理をしていたところ、中から100年前の玄古たばこが出てきたとのことで、それを展示することになったというニュースです。

130年前の「玄古たばこ」  しっかりと原型をとどめています。

このように、「玄古たばこ」の現物が展示されているのは他にないのでは。

坂城町のかつての特産品で南条では江戸期を通して主要産業であり、最近ではほとんど忘れ去られていた 「玄古たばこ」 の存在が急に身近なものになってきました。

大いに、往海玄古の再評価をしたいと思います。

今回、いろいろと情報を提供してくださった方に感謝いたします。

坂城町長 山村ひろし

「玄古たばこ」の追加資料

先日、往海玄古と「玄古たばこ」について書きました。

坂城の100人 第27回目は「往海玄古」

その後、関連する貴重な資料が坂城町文化財センターに保存されていることがわかりました。

昭和5年に編纂された「南條郷土研究」の61ページから74ページにわたり、詳細に「玄古たばこ」について記載されていました。

概ね先日ご紹介した内容と違いはありませんが、以下のように図入りで説明しています。

江戸末まで横尾村の村民の約半数が「玄古たばこ」の生産に関与していたそうです。

上図にもある、「玄古たばこ」 用の 「たばこ包丁」(約20cm)

最近まで南条小学校で保管されていました。

今後とも、坂城町内に残されている貴重な文化財の修復、保存、閲覧などできるよう整備をしてまいります。

坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第16回目は甘利八右衛門

「生きながら神と祀られた甘利さん」
以前、「生きながら祀られた稲玉徳兵衞翁」のお話をしました。
  https://yamamurahiroshi.sakura.ne.jp/archives/3799                      
もう一人の「生きながら祀られた」のが甘利八右衛門です。
               
甘利といえば上田原の戦いで武田晴信を守り村上義清のために討ち死にした甘利虎泰(あまり とらやす)が有名ですが、この甘利八右衛門にどのようにつながるのか不明です。 どなたか教えていただければ幸いです。
                  
尚、甘利明 経済再生担当大臣のプロフィールには:                  

「先祖は武田信玄の末裔です (本当)。信玄の親戚であり、重臣 No2 甘利虎泰 (あまりとらやす) が我が先祖です。」 と記されています。

           
さて、甘利八右衛門さんですが、坂城町中之条にある葛尾霊園の真中に位置する老松の根本に「甘利社」という祠があります。
              
       
「甘利之社」
                  
甘利社に祀られている甘利さんは、江戸時代の末、中之条陣屋の第二十四代の代官、甘利八右衛門のことで、名代官の一人として知られています。
                  
甘利代官の在任は、文久3年(1863)から慶応2年(1866)の足かけ4年でした。
                       
甘利代官は、領内の産業を振興するために中之条牧の内一帯の開拓を進めたこと、中山道岩村田宿・小田井宿への助郷(手伝いの人足)の減免を幕府に働きかけて実現したことで大いに領民から感謝され慕われました。
そして、住民から神として祀られました。
                     
中之条の人々は甘利さんのお宮の前で毎年お祭りをしてきました。
お祭りには、重箱に煮しめを入れて持参し、村人総出でというほど盛大であったといいます。
                     
                  
甘利八右衛門はその後も異動を繰り返し、慶応3年7月には出雲崎代官に転出し、江戸幕府最後の出雲崎代官となりました。
                
また、『続徳川実紀』「昭徳院殿御在坂日次記」慶応2年2月23日の記録によれば、八右衛門の次男で別手組出役の甘利謙次郎が、孟子ならびに孫子について徳川家茂の御前で講釈をしたことが記されています。(大阪で、年齢は十三歳。別手組とは日本に在留する外国行使などを警護する組織)
なお、兄の徳太郎も別手組に属し、後に北海道開拓使となったそうです。
激動の江戸末期の時代を生きた、甘利八右衛門、徳太郎、謙次郎、親子のその後の消息は詳しくはわかりませんが、甘利徳太郎(後知)がエトロフ島を測量をしたという記録と地図が北海道大学の資料にあります
                     
                             
                          
これには「大日本開拓使所轄」とあり、「明治七年九月十四日、駿州、甘利後知識」と記されており、エトロフ島を描いた墨書図です。凡例によると甘利後知が自らこの島を踏査して作製したとあります。(北海道大学資料)
                       
甘利一家のその後についても興味はありますが、今回は 坂城町中之条で大切にされてきた ”生きながら祀られた行政官 甘利さん” の存在を記しました。
                 
                             
 坂城町長 山村ひろし

野中郁次郎先生来訪

昨日(11月15日)、一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生が坂城町で講演をされました。

野中先生とは30年近くお付き合いいただいておりますが、お忙しいスケジュールをご都合いただき、「坂城敬学会」の第一回公開講座としてご講演いただいたものです。

日本を代表する経営思想家の野中先生に坂城町でご講演していただくことが実現したことについて、正に感無量です。

野中先生は、ナレッジマネジメント(知識創造理論)の権威で、経営学の第一人者として国内外で幅広く活躍されており、今回の講座では、「モノづくりからコトづくりへ ~イノベーションのリーダーシップ~」を演題にご講演をいただきました。

講座では、文脈や状況によって「モノ」に意味的な価値をつける「コトづくり」や、個人が持っている暗黙知(言語や文章で表現しがたく、主観的・身体的な経験から個人が暗黙のうちに持っている知識)を形式知(言葉や文章で表現できる客観的・理性的な概念や論理)に変換することにより組織で知識を共有して、より高い知識を生み出し利益に変換すること、リーダーシップに必要なことなどについてお話いただき、会場に集まった町内企業の経営者など約160名の聴講者の皆さんは深く聞き入りました。

▼講演される野中郁次郎先生

坂城町長 山村ひろし