トルコ在住の 財津吉光 さんからメッセージ

先日、私がハワイ赴任中(25年も前)にお付き合いのあった方々数人と坂城でお会いする機会がありました。(ただし、その奥様方と)

そのうち、財津さんは、現在、トルコで建設関係の仕事をされておられますが、ご主人から以下のメッセージをいただきました。

以前、このブログにも書きました、「エルトゥールル号」に関わるものです。

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財津です。

ただ今トルコのイスタンブールに於いてアジアーヨーロッパ大陸間に地下鉄建設を監理しています。3年が過ぎようとしていますが、ご指摘のように非常に日本に対して親日的であり、どこでもジャポンと協賛を受けますが、何時も何時完成するのと聞かれます。この様な交流に感激です、先日はエルツール号の犠牲者の為に植樹された桜を見てきました。これからも交流宜しくお願いいたします。

投稿者: 財津吉光 12/04/30 22:30

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(関連サイト)
トルコからゲスト(坂城小学校)

坂城町長 山村ひろし

第20回記念 坂城寄席

本日(4月28日)、第20回記念坂城寄席が坂城町文化センターで開催されました。(主催:坂城笑いの中楽校、坂城寄席実行委員会 後援:坂城町、坂城町教育委員会)

本寄席は1995年から実施され、年2回開催されたこともあることから、今回第20回目となりましたが、会場は280名を超える満員のお客で溢れんばかりの盛況でした。

また、今回は13年ぶりに橘家圓蔵師匠にもお出でいただきました。

   

橘家圓蔵師匠   

今回は、落語四席、講談一席に「大喜利」 という大サービスの寄席で一同大いに満喫して会場を後にしました。

大喜利:左から、神田陽子、橘家半蔵、橘家圓蔵、橘家富蔵、橘家圓十郎 の各師匠

長谷川事務局長さん、小宮山さん、川島さん、はじめ多くの運営スタッフの皆様方のご努力に感謝いたします。 

第20回記念坂城寄席」 と掛けて

                  「坂城のおしぼりうどん」 と解く。

その心は

めったに他では味わえません

坂城町長 山村ひろし

老子の続き(第45章)

この章もなかなか面白いですね。 大人物と言える人は案外少しずれていたり、ちょっと面白いところがある。 というふうに考えてみると面白いですね。

大成若缺、其用不弊。 大盈若冲、其用不窮。大直若詘、大巧若拙、大辯若訥。 躁勝寒、靜勝熱。 清靜爲天下正。

                       

 大成(たいせい)は缺(か)くるが若(ごと)くなれども、其の用は弊(つまづ)かず。 大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若くなれども、其の用は窮(きわ)まらず。 大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(せつ)なるが若く、大辯(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。 躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。 清静(せいせい)もて天下の正(せい)を爲せ。

                        

 大きく完成されたもの、あるいは人は、ちょっと見るとどこか欠けているように見えるものですがその働きはとどまることがありません。  真に充実しているものはどこか虚ろに見えることがあります。  本当にまっすぐなものはどこか曲がっているようにみえるし、素晴らしく技巧的なものはかえってどこか稚拙に見えることがあります。  また、素晴らしい演説は訥々としているものです。  うるさく立ちまわっていれば寒さしのぎにはなり、じっとしていれば暑さをしのぐこともできますが、静かに清らかに無為の状態でいれば世の中をさえ治めることが出来るのです。
                    
                        
 ぎりぎりの百点満点を目指すのではなく、少しのゆとり、あるいはバッファを持てということでしょうか。
 上記にある「冲(むな)しきが若く」について、伊藤若冲という有名な江戸期の画家(1716-1800)がいます。 この名は、禅の師であった大典顕常がこの老子の章からとり、与えたと言われています。
                                   
                            
 坂城町長 山村ひろし

南条小学校へ金管楽器等プレゼント

本日(4月26日)、テクノさかき工業団地組合(組合長:宮後睦雄さん)から南条小学校へ金管楽器12本、ビブラフォン、スピーカーなど151万円相当の寄付をいただきました。

宮後組合長から児玉校長へ目録の贈呈

山村からお礼のご挨拶

子供たちからお礼の演奏 指揮は七澤英里先生

10年前にも同組合から楽器のご寄付をいただき、子供たちの熱心な練習の成果もあり、全国大会出場の常連校となるほど素晴らしく育っています。

しかしながら、多くの楽器が大分傷んで音程も狂って来ている中で、誠に嬉しい申し出をいただき楽器をプレゼントしていただきました。

本日は、全校集会のなかで贈呈式の後、子供たちの演奏も披露されました。

今後の子供たちの活躍をお祈りするとともに、テクノさかき工業団地組合の各企業の皆様方に厚く御礼申し上げます。

坂城町長 山村ひろし

福沢諭吉の祖先の地はやはり坂城であった!

先日(4月22日)、坂城図書館で、坂城歴史同好会の講演があり、中世史研究の第一人者であられる、桜井松夫先生のお話を伺いました。

テーマは「村上氏分流の小野沢氏と福沢氏」です。

いくつかの新発見があり誠に興味深いお話を伺いました。

私は福沢諭吉の先祖は坂城に違いないと思っておりますが、今回のお話を伺っていよいよその事実を確認できました。

福沢諭吉の先祖がいつの時代に大分の中津に移ったかは諸説があり不明ですが、福沢氏そのものが村上氏の分流であり、福沢氏の故地が坂城であったことが有力になりました。

講演のポイントを坂城町学芸員の宮下修氏にまとめてもらいました。

以下、ご覧ください。

『桜井松夫先生講演「村上氏分流の小野沢氏と福沢氏」を聴講して』
                        
 坂城町鉄の展示館 宮下修
 
 
 4月22日(日)の桜井松夫先生の講演を要約すると大きく以下の4点にまとめられます。
 
1.信濃村上氏の祖とされてきた「源盛清」が寛治8年(1094)の白河上皇呪詛事件により信濃国村上郷へ配流後、再び京へ戻り、康和5年(1103)には後の鳥羽天皇となる第一皇子(宗仁)の宣旨で宗仁親王の庁を取り締まる「御監」の役を仰せつかっていた新事実が明らかとなった。
2.村上氏の一族である「小野沢氏」は、鎌倉時代を通じて御家人であるとともに、幕府の最高権力者執権北条氏の被官である御内人として幕府の要職に就き活躍していた。
3.福沢氏も村上氏の分流であり、坂城を故地として、室町時代の15世紀から16世紀にかけて、村上氏の所領である塩田庄の代官として、塩田城とその城下町を中心に庄内を支配し、信濃国内でも主家村上氏に次ぐほどの力を有していた。
4.福沢諭吉が自身の祖先について「福沢氏の先祖は信州福沢の人なり」と記しているなかで、福沢の地名は村上地区を含め長野県内で9か所存在し(実際は11か所)、全国を見渡せば13県18か所に及んでいる。これらから福沢諭吉の祖先発祥地を何処かに確定することは現状では難しい状況であるが、福澤氏が村上氏の分流であり、坂城を故地として居館を構えていたことが確実となった。
 
以上が講演の要旨です。
                      
 素晴らしい、驚きの講演を聞きました。
 坂城町としても引き続き研究を進めたいと思っております。
                              
          
 坂城町長 山村ひろし

ねずみ大根が 鎧塚さんのスイーツに

「味ロッジわくわくさかき」の高野美智子さんから連絡があり、明日(4月26日)渋谷でオープンする「渋谷ヒカリエ」内、「トシヨロイヅカ」さんのお店で坂城の食材を使ったスイートが準備されているそうです。(数点)

「トシヨロイヅカ」のホームページを見たら何と、坂城町のねずみ大根を使ったスイーツのケーキ、商品名は「坂城」が紹介されていました。

高野さんの説明によりますと、『カットされたねずみ大根のケーキの上に生クリームが乗って、その上になんと「切り干し大根」が2・3本トッピングされている。 味ロッジのケーキと云うより、坂城町のねずみ大根がスイーツになってる!と云う驚きを前面に押し出しているように感じます。』とのことです。

どんな味でしょうか、早く食べてみたい。

坂城町長 山村ひろし

「横吹八丁」を歩く

昨日(4月24日)、今までなかなか機会のなかった、旧北国街道横吹道跡を歩きました。

横吹道跡からの絶景 昔は下の国道まで千曲川

画面下は、横吹道跡踏破中の宮 教育長

旧北国街道横吹道跡:(坂城町教育委員会)

「坂木宿を抜けた所から苅屋原榎並木地籍までを結んで山腹の断崖を旧北国街道が通じていた、横吹八丁とも言われた所である、大部分当時の形跡を失い、坂城側からの登り道、それから山腹を西に進む横道の一部分が明らかな遺構として認められるだけである。 この道は中世においては極めて危険な細道であったが、慶長16年(1611年)北国街道全通に当たり道幅を広げて交通の便にした。 しかし十分な道幅がとれず往還の大名さえ籠からおりて通ったという北国街道最大の難所であった明治10年(1877年)1月山下の千曲川沿いに、新国道が開通し、以後往還の使用がなくなった。」

途中何箇所も道が崩落しており、大変な難所でした。  全通は難しいとして、部分的にでも開通できればと思っております。

「よこ吹や猪首に着なす蒲頭巾」(小林一茶)

「よこふきや駒もいななく雪あらし」(二夜庵 高桑蘭更)

「夏山やくたり終われは船わたし」(宮本虎杖)

坂城町長 山村ひろし

千曲川クリーンキャンペーン

本日(4月22日 朝7時から)、2012年 「千曲川クリーンキャンペーン」が開催されました。 (主催:坂城ライ オンズクラブ、坂城町  その他多くの団体のご協力をいただきました)

強風の吹く寒い朝でしたが、「埴科用水頭首工付近」、「大望橋付近」、「鼠マレットゴルフ場付近」の3か所に分かれ、800名以上の方に参加していただき実施されました。

私は大望橋グループに参加しました。                 

挨拶する山村

大勢の参加者

大奮闘の皆さん、 ストーブなど大きな不法投棄物も

分別中の宮下副町長

野草の手入れをされている、信州大学中村先生と子供たち

このクリーンキャンペーンは今年で12回目ですが、以前に比べると格段にきれいになってきたそうです。 (千曲川沿いでは坂城のエリアが格別にきれいだそうです)

皆様方の長年のご努力に敬意を表します。

本日は、3会場合計で、可燃物が約600kg、不燃物が約270kg、その他に粗大ゴミ多数が収集されました。

坂城町長 山村ひろし

老子の続き(第44章)

以前(第33章)に、「知足者富」(足るを知る者は富む)というのが出てきましたが、それに通ずるところですね。

名與身孰親。 身與貨孰多。 得與亡孰病。 甚愛必大費。 多藏必厚亡。 知足不辱、知止不殆。 可以長久。

                          

 名と身と孰(いず)れか親しき。 身と貨と孰れか多(まさ)れる。 得ると亡(うしな)うと孰れか病(くる)しき。 甚(はなは)だ愛(あい)すれば必ず大いに費(つひや)し、多く藏(ぞう)すれば必ず厚く亡ふ。 足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あやふ)からず。 以(も)って長久なる可(べ)し。

                            

 社会的な名声と命とでは自分にとってどちらが切実なものでしょうか。命と財産ではどちらが重要なものでしょうか。 ものを得るときと失う時とではどちらがつらいものなのでしょうか。 激しくものごとに執着すれば必ずそれを一切失ってしまうことがあるものなのです。 多く貯めこめば必ず大いに失ってしまうことがあります。 物事のこれでもう充分であるという「足るを知る」ことができれば辱めを受けるようなことはなく、一歩手前でとどまることを知っていれば危険なことはありません。このようにしていれば幸せに長く暮らすことが出来るのです。

                              

 外見ばかり重視していると自分の生命をも危うくするよ。 という老子の声が聞こえてくるようです。 常に「無為自然」「不争謙下」で有りたいものです。

                         

 坂城町長 山村ひろし

三重野康さん

元日本銀行総裁の三重野康さんが先日(4月15日)亡くなられました。

誠に大きな存在、正に国の宝を失った心持ちがいたします。

三重野さんはセントラルバンカーマンとしてのご活躍のほか、誠に多方面でご活躍された方ですが、特に教育面でも多大の貢献をされました。

私が昨年まで塾長をしておりました「杉並師範館」では長い間、理事として支えていただき、熟生にも大変素晴らしい講話を毎回していただきました。

特に、大連(中国)で過ごされた小学校時代の思い出、旧制高校時代のお話、相撲との関わりのお話、友人の作家の高木友之助氏、清岡卓行氏との関わりなど、平成の鬼平と言われた顔とは全く異なる側面をお聴きするなどその人生、生き様に大変感銘を受けました。

昨年、お会いした時にはまだまだ矍鑠とされておられましたのに誠に残念です。

正に、これからの日本にとって、まことに得がたい巨星を失いました。 衷心よりご冥福をお祈りいたします。

坂城町長 山村ひろし