坂城町 二十歳の集い 「令和7年。諸君はこの時代にどう生きるか。」

 本日(8月15日)、坂城町で「二十歳の集い」を開催しました。 以下、わたくしの主催者あいさつを掲載させていただきました。

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 二十歳の集いにご参加された皆さん、本日は誠におめでとうございます。元気いっぱいの皆さんに今日、お会いできることを何よりうれしく思います。
また、今日まで暖かい愛情を持ってお子さんを立派に育て上げられたご家族、保護者の皆様に心より、お祝いとお喜びを申し上げます。  
かさねて、本日、ご多用のところ本式典においで頂いた、中嶋議会議長殿をはじめ多くのご来賓の皆様に御礼申し上げます。
さて、坂城町ではかねてより、成人式を毎年、終戦記念日に開催しています。
また、昔は1月の成人の日に開催していたこともありますが、冬、雪の中での開催が難しい場合がありました。
 一方、8月の開催ですと、お盆の時期で皆さんが帰省しやすい時期であることと、8月15日の終戦の日にあたり、あらためて命の大切さ、平和の大切さ、国のあり方などを考える良い機会になることで、二十歳の集いとしても本日の開催としています。
さて、今年度の対象者数は 156名で、そのうち 68%にあたる 106名の皆さんにご参加いただきました。
 皆さんは今日の二十歳の集いを迎えられてどのような心境でしょうか。 
 皆様の中では、すでに社会に出て働かれておられる方、学生の方、働きながら勉強をされておられる方がおられます。
 また、坂城の中で家業を継がれておられる方、遠く坂城を出て活躍されておられる方々などいろいろな立場で本日おいでになっておられると思います。
久々に懐かしい方々との旧交を温められ、心躍る感傷に浸っておられる方々も多いかと思いますが、折角の節目でありますので、皆さんが成長されたこの20年間を、お世話になった方々への感謝の念をも抱きながら種々思いをはせていただきたいと思います。
 今年は坂城町で開催される、第70回目の式となります。また、本年は戦後80年目の年となりました。
 皆さんとともに大きな節目の年を迎えた感じがしますね。
そこで、本日は、二十歳の集いを迎えられたこの機会に、今、この時代にどう生きるかについて考えていただきたいと思います。
 皆さんとともに過ごしている、この時代は、まさに、近世の「大転換期の時代」と言われています。
 日本にとっての近世の大転換期と言えば、今まで、2つありました。まず、何といっても明治維新です。
 それに続くのは、第二次世界大戦での敗戦です。
 まず、1868年の明治維新からは今から約160年になりますね。
 また、明治維新から昭和22年、1945年の敗戦までが約80年、敗戦から今年までも約80年となります。
 明治維新から欧米に追い付け追い越せで結果的に太平洋戦争に突入し、敗戦をし、戦後の復興をし、現在に至るまでに見事に左右対称になったわけであります。
 そして、また、今、我々の暮らしているこの時代は、今までの価値観が一掃される大転換期と言わざるを得ません。
 ロシアがウクライナに対して侵略を始めて、早や、3年半、いよいよ、米国、ロシア、ウクライナの和平交渉が始まるようですが、どうなりますか。
 また、この3年半の間には、イスラエルとパレスティナの紛争など、かつての安定的な世界平和の維持が大変難しい厳しい状況となっています。
 このような混沌とした時代こそ、これからの皆さんの活躍が期待される時代となってきました。 
 この大転換期のなか、皆さまの大活躍を期待せざるをえません。
 さて、今年は令和7年です。
 一般的に公表はされておりませんが、この「令和」の命名者とも言われている、中西進さんによれば、この「令和」の和は単なる平和ではなく、大和の和だとおっしゃっています。 
 従って、令和の意味は厳かな平和と言うことだけでなく、「厳かな、立派な日本」と言う意味になります。この意味を皆さんともう一度、深く考えたいと思います。
 さて、私の大切にしている言葉に「意味のある偶然」という言葉があります。
 これは私が使い始めて、いろいろな機会にお話しています。
 人は毎日、毎日いろいろな人と「偶然的出会い」を続けています。
皆さんの多くは、この坂城町で生まれ、育ちました。
 そして、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、あるいはいろいろな職場で毎日、いろいろな人と「偶然的な出会い」を続けています。
 しかしながら、この「偶然」を単なる「偶然」として送りすごすか、自発的な能動的なアクションをとることにより「意味のある偶然」にするかどうかはその人の人生にとって大きく意味合いが違ってきます。
 毎日毎日、刻一刻と「偶然的な出会い」が皆さんの前に訪れます。
これからの人生にとって、この「偶然的な出会い」を「意味のある出会い」にするよう心がけていただければと思います。 
いくつか関連したお話をします。
 まず、皆さんよくご存知の、日野原重明さんが、8年前105歳でお亡くなりになりました。日野原先生は100歳を越えても現役の医者として活躍し、たくさんの本をお書きになったり、ミュージカルの脚本をお書きになったりしていました。
 日野原さんは生前「命」について、いろいろな講演会、著書で述べられていました。
 それは、「命」とは何かです。 
 日野原先生は常に、「皆さん、皆さんの命は見えますか。」という問いかけをされます。
 命は見えません。「命」とは皆さんの持っている「時間」のことだというのですね。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまうわけです。
 したがって、一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。 
 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい。ということです。 
 さきほど、私が申し上げた「意味のある偶然」も含めて、それを意味のある「時間」として使っていただければということですね。
 また、私は、毎年、二十歳の集いに際して、「命」の大切さについてお話をしています。これは毎年同じ話をしています。
 皆様方は、ご両親から頂いた「命」の大切さについてどう考えておられるでしょか。
 昨今、毎日のように悲惨なニュース、それも今までは考えられなかったような事件が発生しています。
 皆さん、私は、「命」は大自然からお借りした大切な「宝物」だと思っています。
 皆さんの命は皆さんのご両親が突然作り出したものではありません。皆さんのご両親、ご両親のご両親、どんどん遡れば地球誕生から約46億年、太陽系の起源から考えれば約130億年前から営々と皆様のDNAが脈々と続いてきているわけであります。
 大自然からお借りした「命」を立派に、立派に磨き上げ再び大自然にお返ししなくてはならないのです。
 仮に、皆さんが友人からゲーム機を借りたとします、これを傷つけたり、ベタベタに汚して返したら皆さんの友人は何と思うでしょう。
 借りた時以上に見事に磨き上げピカピカにして返したら皆さんの友人は何と喜ぶことでしょう。
皆さんの「命」もこのようにピカピカにして命を全うし、大自然にお返ししなくてはならないのです。
 今から80年以上前、戦時中では成人するということは即、戦場に行くということでありました。敵と戦うということでありました。見も知らぬ人間の命を奪う戦いをせざるを得ないということでもありました。
今日、この際にもう一度皆様方各々で皆さんの「命」の大切さについて考えていただきたいと思います。
 最後に、大人が子どもの命を救ったという話です。 
シベリアに置き去りになったポーランドの孤児を日本が救ったという話です。
昨年、10月に坂城町とポーランドのツェレスティヌフ郡と友好協定を締結するために、ポーランドへお邪魔しました。
以下お聞きください。
 新型コロナの流行する前でしたが、ポーランドのワルシャワで日本語学校を経営されておられる、坂本龍太朗さん経由で、ツェレスティヌフという郡のウィトルド・クウィトフスキーさんという郡長さんから、坂城町との間で「パートナーシップ協定」を結びませんかと言う申し入れをいただきました。 
 坂城町では10数年前から、ワルシャワ日本語学校の生徒さんのサマープログラムとして、ホームステイの皆さんを受け入れていました。 
 この学生さんたちはわずか2~3年日本語を勉強しただけなのですが、皆さん素晴らしい日本語を話しますし日本の文化、歴史など大変詳しい方々で、大の親日家です。
 これからお話しするのは、日本ではほとんど知られていない近現代史の秘話、「シベリアにいたポーランド孤児を日本が救った。」と言う物語です。
 これは、約100年以上前の1918年(大正7)から始まった当時の日本陸軍による「シベリア出兵」最中の出来事です。
 まず、なぜシベリアにポーランド人がいたのだろうかということですが、ポーランドは、ロシア・ドイツ・オーストリアという強大な隣国に分割され続け、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年)で形式上独立するも、ロシア皇帝が君臨するという実質上のロシア領であり続けたわけですが、ポーランド人は決して屈することはありませんでした。
 19世紀、ポーランド人は真の独立を勝ち取るべく二度にわたって帝政ロシアに対して独立戦争を挑みました。しかし、蜂起は鎮圧され、さらに蜂起に立ち上がった多くのポーランド人は政治犯としてシベリアに強制的に送られました。
 その後、第一次世界大戦で戦場となったポーランドの人々がシベリアに逃れ、シベリアのポーランド人は15万人から20万人に膨れ上がりました。そんな最中の1917年にロシア革命が起き、翌年1918年に第一次世界大戦が終結してようやくポーランドは独立を回復します。
 しかしながら、シベリアのポーランド人は、ロシアの内戦で祖国への帰還が困難となり、それどころか生活は困窮を極め、餓死者などが続出したのだった。
 そんな同胞の惨状を知ったウラジオストク在住のポーランド人が彼らを救済するため「ポーランド救済委員会」を立ち上げた。そして彼らは、せめて子供達だけでも救って祖国へ帰してやりたいと欧米各国と折衝をしましたがことごとく断られてしまいました。
 もはや万策尽きたなかで、ポーランド救済委員会はシベリアにいた日本軍ならびに日本政府に救援のお願いをしました。
 その申し入れを受けて、当時の外務省は、日本赤十字社に救済事業を要請し、7月5日に子供らの救護活動に入ることを決定します。
 ただちに日本陸軍が救援活動に動き出し、救援決定からわずか二週間後の7月20日に56名の児童とポーランド人の付き添い5名を乗せた日本陸軍の輸送船「筑前丸」が第一陣としてウラジオストクの港を出港した。
 3日後の7月23日、筑前丸が福井の敦賀港に入港し子供達が上陸するや、日本赤十字をはじめ軍や警察、役場、さらに一般の敦賀の市民までもが孤児たちを温かく迎え入れた。
 病気に罹っている子供を治療し、お腹を空かしている孤児らに食事や菓子を与え、そして入浴させて新しい衣服に着替えさせてやるなど、皆が孤児らを慈愛の心で包み込んだのです。
 そして手厚く看護されて元気を取り戻した子供達が横浜港から船でアメリカに向かうことになった。ところがそのとき、ちょっとしたハプニングがおきました。ポーランド孤児達が、泣きながら日本を離れたくないと言い出しましたのです。
 極寒のシベリアで極貧の生活を強いられ、親を亡くして人の愛情に触れることのなかった孤児達にとって、誰もが親切な日本はまさに天国でした。彼らにとって日本はもう“祖国”になっていたのです。
 横浜港から出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、ポーランドの付添人に抱かれて乗船することを泣いて嫌がりました。
 埠頭の孤児たちは「アリガトウ」を連発し、『君が代』の斉唱をして幼い感謝の気持ちを表して別れを惜しみました。
 だがそれでもまだシベリアにはおよそ2000名の孤児が救援を待っていた。
 再び日本に対し救援を求め、日本赤十字も最終的に急を要する孤児約400名を受け入れることを決定、再び陸軍が支援に乗り出しました。
 1922年8月、輸送船「明石丸」と「臺北丸」が3回にわけて孤児390名をウラジオストクから敦賀に運びました。もちろんこの第二陣の児童らも前年同様に敦賀の人々に温かく迎えられ、大阪の天王寺に建てられた大阪市立公民病院宿舎に収容されました。
 大阪での歓迎ぶりもまた、東京でのそれに勝るとも劣らぬものがありました。
神戸港からの離別風景も同じで、帰国児童一人一人にバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちも、涙でこの子たちの幸せを祈りながら船が見えなくなるまで手を振って別れを惜しみました。
 この8回にわたる救済活動で、合計765名の子どもたちが救われました。
 しかし、この物語はこれで終わりではありませんでした。
 平成7年(1995年)、阪神淡路大震災が起きました。この際に、ポーランドの人々は、この震災で孤児になった人々の救援に立ち上がります。
 平成7年と8年、ポーランド政府が阪神淡路大震災の被災児童らをポーランドに招待し、ワルシャワで4名のかつてのポーランドのシベリア孤児との対面などを通じて子供達らを温かく励ましました。
 その後も、ポーランド政府は、平成23年に発生した東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供達を2週間もポーランドに招いてくれました。
知られざる日本とポーランドの交流秘話~両国の絆は日露戦争にさかのぼり、その後のシベリア出兵で結果として、765名のポーランド孤児を救援することができた、両国の感謝の応酬は今も続いているのです。
 また、2018年11月20日には、このツェレスティヌフ郡に近い、スタラ・ヴェシに「ポーランド・シベリア孤児記念小学校」も設立されました。
2019年には、日本とヨーロッパ一の親日国家ポーランドとの国交樹立100年を迎えました。 
そして、数年前には、シベリア孤児来日100周年を経過しました。

最後に、命の危険にさらされながら、2014年に17歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタン出身のマララ・ユスフザイさんは、こう言っています。
“One Child, One Teacher, One Book and One Pen Can Change The World.”
「一人の子供、一人の教師、一冊の本、一本のペンが世界を変えることができる」です。
 さあ、本日は、皆様で二十歳の集いをお祝いするとともに、先ほどお話した内容なども含めて、世界の平和、命の大切さなどについて、皆様でディスカッションをしていただければと思います。
    
 令和7年8月15日  坂城町長 山村弘

(参考:「日本ポーランド国交樹立100周年記念誌」、「親日を巡る旅」(井上和彦著)など、多数の資料から引用させていただきました。)

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坂城町長 山村ひろし

坂城町で トランプ政権の政策に関するセミナー開催

 昨日(8月7日)、坂城町テクノセンターで「トランプ政権の政策と日系企業への影響見通し」というタイトルで講演会が開催されました。(主催「坂城国際産業研究推進協議会:依田穂積会長」と「さかき産学官連携研究会:吉満高広会長」)

 講師はジェトロ調査部米州課安東利華課長代理さんで、昨日から発令されたトランプ米政権による新たな関税について、タイミングよく、細かく説明していただきました。

 製造業の集積する坂城町の企業にとって極めて重要なテーマで、参加された各企業の皆さんは真剣に話に聞き入っていました。

 まだ、不明な点も多いのですが、本日、赤沢経済財政・再生相の米側との再交渉により、焦点となっていた負担軽減措置は、15%の相互関税率に上乗せしないということになり、いささかほっとしました。 しかしながら、引き続き注視する必要があります。

 いずれにしましても、昨日の講演の内容をよく吟味して対応策について検討してまいります。

 3枚目の写真は、本日(8月8日)の朝日新聞より引用させていただきました。

坂城町長 山村ひろし

新国道上田篠ノ井間建設促進期成同盟会要望活動

 昨日(8月4日)、新国道上田篠ノ井間建設促進期成同盟会(国道18号)(会長:小川千曲市長、副会長:山村坂城町長、理事に荻原長野市長、土屋上田市長)の要望活動で、栗林長野県建設部長さん、小田川長野国道事務所長さんらを訪問させていただきました。

 60年以上の間、建設促進のお願いをしてきましたが、少しずつ動きが出てきました。

 国道18号バイパスの建設促進に加え、坂城インター先線の建設促進に向けてもしっかりと要望活動を行ってきました。

 大変力強い説明もいただきました。これからも、国土交通省、財務省に対するよう要望活動もしっかりと行ってまいります。

坂城町長 山村ひろし

坂城町 セイコーエプソン株式会社様より環境学習用ノートと毎生紙を寄贈いただきました

 昨日(8月4日)、セイコーエプソン(株)の窪田美彦 人的資本・健康経営本部副本部長さんほか大勢の皆さんが坂城町役場へお出でになり、環境教育用ノートなど多数のご寄贈をいただきました。 会社のパーパス(目標)として、「省・小・精」を掲げられ長年、自然環境の保全に取り組まれてこられた、セイコーエプソン(株)さんのご尽力に心より経緯を表します。 以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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 8月4日(月)、セイコーエプソン株式会社様より、町内の小中学校に通う児童・生徒全員に行き渡るよう、環境教育用ノート900冊と、坂城町役場へ再生紙6,000枚を寄贈いただきました。
 寄附にあたり、セイコーエプソン株式会社 人的資本・健康経営本部 副本部長の窪田美彦様よりご挨拶と目録の贈呈をいただきました。窪田様からは、環境学習用ノートに込められた想いや、同社が目指す「姿」への取り組みについてもお話しいただきました。
 このノートは、子どもたちが環境保護について考えるきっかけとなる大切な教材として、有効に活用させていただきます。
 寄贈いただきましたセイコーエプソン株式会社様に、心より感謝申し上げます。

 ▼(左から)臼井副町長、佐藤様、古田様、山村町長、窪田副本部長、佐久間様、田吹様、塚田教育長

坂城町長 山村ひろし

第48回「町民まつり 坂城どんどん」が開催されました!

 8月2日(土)、坂城駅前・横町・立町通りを会場に、第48回「町民まつり 坂城どんどん」が開催されました。
 日中は体温を超えるような猛暑でしたが、「こども広場」や「ビアガーデン」など、まちなかの各会場は多くの人で賑わい、あちこちから笑い声や歓声が響いていました。
 ステージでは、出演者たちの熱のこもったパフォーマンスに、観客からは大きな拍手や声援が送られました。なかでも、kajiiさんの演奏は注目の的。茶碗や空き缶、お菓子の箱など、すべて手作りの楽器から生まれる軽快な音に、会場は手拍子や一緒に缶の楽器を鳴らして一体となりました。
 夜には、おどり流しに29連が参加。正調おどりの息の合った舞や、工夫を凝らしたパフォーマンスおどりが次々と披露され、横町・立町通りは熱気に包まれました。
 炎天下の中でご協力いただいた皆さん、そして足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。坂城の夏は、笑顔と熱気であふれていました。

坂城町長 山村ひろし

坂城町 陸上スポーツ少年団小中学生 陸上競技で堂々の成績!

 坂城町の子供たちが頑張っています。 県大会で優秀な成績を収め、上位大会へ進出です。 以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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 7月31日(木)、町陸上スポーツ少年団に所属する小中学生11名が陸上競技での活躍を報告するため役場に訪れました。

 来庁したのは、宮下舞子(みやした まいこ)さん、小出愛実(こいで あいみ)さん、吾妻丈優(あがつま ともまさ)さん、竹内優心(たけうち ゆうしん)さん、岩浅陽斗(いわあさ はると)さん、北原心雪(きたはら こゆき)さん、宮下慈生(みやした じう)さん、北原琴羽(きたはら ことは)さん、宮下季紗(みやした きさ)さん、吉和七海(よしわ ななみ)さん、吾妻啓志(あがつま たかゆき)さんです。

 皆さんは、長野県大会で堂々の成績を残し、8月に開催される上位大会に出場されます。表敬訪問では、1人ずつ上位大会への抱負を語っていただきました。

 あどけない笑顔の奥に日々の努力と強い意志が光る11人。それぞれの舞台で、存分に輝いてきてください!

それぞれの活躍

・宮下舞子さん、小出愛実さん、吾妻丈優さん、竹内優心さん

 第42回長野県小学生陸上競技大会で男女混合リレー第3位となり、8月に三重県で開催される第11回東海小学生陸上競技大会へ出場します。

・岩浅陽斗さん

 第42回長野県小学生陸上競技大会で6年生男子100m第5位となり、8月に三重県で開催される第11回東海小学生陸上競技大会へ出場します。

・北原心雪さん

 第42回長野県小学生陸上競技大会で5年生女子100m第4位となり、8月に三重県で開催される第11回東海小学生陸上競技大会へ出場します。

・宮下慈生さん、北原琴羽さん

 第78回長野県陸上競技選手権大会で走り幅跳び、宮下さん第5位、北原さん第8位となり、8月に三重県で開催される第68回東海陸上競技選手権大会へ出場します。

・宮下季紗さん、宮下慈生さん、北原琴羽さん、吉和七海さん

 第78回長野県陸上競技選手権大会で女子4000mリレー第7位となり、8月に三重県で開催される第68回東海陸上競技選手権大会へ出場します。

・吾妻啓志さん

 第64回長野県中学校総合体育大会陸上競技大会で男子200m第1位となり、8月に福井県で開催される第46回北信越中学校総合体育大会へ出場します。

・宮下慈生さん

 第64回長野県中学校総合体育大会陸上競技大会で女子走り幅跳び第2位となり、第46回北信越中学校総合体育大会へ出場します。

坂城町長 山村ひろし

U 演奏家協会創立10周年シリーズ 「サクソフォン5重奏」

 先日(7月26日)、U演奏家協会 設立10周年記念シリーズ 第2楽章〈サクソフォン5重奏〉の演奏会がサントミューゼの大スタジオで開催されました。

 サクソフォンの5重奏というめったにないプログラムであったのと、坂城町出身の川島亜子さんも出場するとあって、楽しみに伺いました。(ほかの皆さんもすべて長野県出身です。)

 プログラムは大変意欲的なもので、クラッシックから現代作曲家の作品など8曲+アンコールで、高度なテクニシャンぞろいの皆さんの演奏に圧倒され感激の演奏会でした。 これからの皆さんの益々のご活躍にご祈念します。

 以下、川島亜子さんのFacebookの写真など拝借し、掲載させていただきます。

▼以下、中央の5人の演奏者 左から:川島亜子さん(Sop.坂城町出身)、甘利美侑さん(Ten.軽井沢出身)、山本直哉さん(Bari.東御市出身)、藤澤聡子さん(Alto.長野市出身)、小林純菜さん(Sop.Alt.東御市出身)

坂城町長 山村ひろし

令和7年度 長野県議会危機管理建設委員会(委員長:竹内正美県議会議員)への陳情

 先日(7月23日)、県議会危機管理建設委員会(委員長:竹内正美議員)への陳情を行いました。(千曲市、坂城町、須坂市、小布施町、高山村、長野市、信濃町、飯綱町、小川村と合同で)

 坂城町としては、道路事業として、①坂城インター線の延伸、②国道18号バイパスの建設促進支援、③長野上田線の歩道新設。

 また、河川・砂防事業として、①砂防堰堤の新設、②土砂災害防止対策事業の推進、③砂防河川の護岸改修、④県管理一級河川の河床整理。などのお願いをいたしました。

 特に、坂城インター線の延伸については国道18号バイパスとの接続により坂城町の交通インフラが格段と向上することから格別のご配慮をお願いしました。

 また、当委員会では次の日(24日)に坂城インター先線の現地視察もしていただきました。 これにつきましては、竹内正美委員長のFacebookにも記載していただきましたので以下、シェアさせていただきました。

▼委員会への陳情の様子。左側に竹内正美委員長。

坂城町長 山村ひろし

坂城町 AC長野パルセイロレディース奥川選手と廣瀬監督が来庁!

 昨日(7月24日)、AC長野パルセイロレディースの奥川選手と廣瀬監督が坂城町役場までお出でいただきました。 来シーズンに向けた意気込みなど伺いました。 以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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 7月24日(木)AC長野パルセイロレディースの奥川選手と廣瀬監督が、WEリーグ2025-2026シーズンに向けて山村町長に表敬訪問をされました。

 AC長野パルセイロレディースは、長野市を中心とする北信の16市町村(坂城町を含む)をホームタウンとして活動する、日本女子サッカートップリーグのWEリーグに属するサッカーチームです。

 奥川選手と廣瀬監督からは、8月9日(土)の開幕戦に向けた意気込みや酷暑の中での戦い方などについてお話をいただきました。また、終わりには、坂城町にサインも贈呈いただきました。

 AC長野パルセイロレディースは、開幕戦で長野Uスタジアムにてアルビレックス新潟レディースと対戦します。

 皆さんで、熱いエールを送りましょう!

▼(左から順に)山村町長、奥川選手、廣瀬監督、塚田教育長

長野パルセイロ
長野パルセイロ
長野パルセイロ

坂城町長 山村ひろし

  

令和7年 坂城町 延喜式内坂城神社の祇園祭

 先日(7月13日)、坂城町の延喜式内坂城神社の祇園祭が執り行われました。

 わたくしも神事に参加させていただきましたが、今年は立町公民館の仮宮ではなく、坂城神社本宮で行われました。

 今年の祇園祭は通常の日程が参議院議員選挙の日にちと重なったため、一週間繰り上げての開催となりました。 ここにも参議院議員選挙の影響が現れました。

 また、今回は片岡宮司に加え、安曇野の住吉神社権禰宜の木村由布子さんにもご参加いただき花を添えていただきました。

 坂城神社での神事の後、大変な暑さの中ですが、皆さん元気に、「わっしょい わっしょい」や「よいと よいと」などのかけ声も大きく、町内巡行がスタートしました。

坂城町長 山村ひろし