令和8年 丙午 来年はどういう年

 世界中が大きな波乱・混乱の中に取り込まれた令和7年も、残り少なくなってまいりました。

 トランプ大統領の就任により、米国中心の関税至上主義が始まりました。 誰もがこの時代錯誤的な関税政策に唖然としましたが、力をもって強引に続けられています。 

 一方、ロシアによるウクライナ侵略も継続しており、イスラエルによるガザ地区の占領は続いており、停戦も不安定なままです。

 国内では、大阪・関西万博が開催されたり、坂口志文さん(生理学・医学賞)、北川進さん(化学賞)がノーベル賞を受賞されるという明るいニュースもありました。

 また、石破政権に続き日本の歴史上、初めての女性の総理大臣、高市早苗政権が誕生しました。 新総理による大きな変革に期待を寄せている日本人も多いのではないでしょうか。 

 さて、来年はどのような年になるのでしょうか。

 来年、令和8年、2026年は丙午(ひのえ・うま へいご)の年です。

 元来、「ひのえ・うま」は大きな時代の流れの中で、大変革が期待される重要な素晴らしい年になりえます。

 しかしながら、いままで、丙午については、下記の、白川静氏の「字統」の解説にも冂あるように、「丙午にあたる年を婦人の厄年とする迷信が明代に起こり、江戸期以来わが国でも多くの不幸を生んだ。」ということであり、この際、「このような迷信が排除されなくてはならない。」とあります。

 それでは、本来の「丙午 ひのえ・うま へいご」はどのような年であるのか以下記します。

 「丙」の上部の「一」は陽気を示し、さらに、下の冂(けい)の囲いのなかに陽気が「入」ることを意味し、エネルギーが膨れ上がります。

 又、「午」は杵形の(呪器)を意味し、「陰気が陽に逆らいながら成長する」とされています。

 本来の丙午は、「在来の支配的代表勢力が大いに伸びて盛んになるが、反面に、それに対する反対勢力が内側から突き上げてくる。これに対し適切に対応できれば素晴らしい大変革ができる」ということです。

 この流れの中で、「丙午生まれの女房を貰うと、亭主は突き上げられてしまう、食い殺されてしまう。」などとの迷信が起きたといわれてます。 このような迷信は断固、排除されなくてはなりませんが、このようなことから、丙午での、ご婦人に対するとんでもない迷信が始まり、この年には子供を生まないようになどととんでもない事象が始まりました。

 残念ながら、近代の日本でも、60年前には、以下の事象が起きました。

 前回の丙午は1966年(昭和41年)ですが、この年の出生者数は136万人で前年を46万人下回りました。

 その前後の出生者数を以下に記述します。

 1964年(昭和39年 甲辰) 172万人

 1965年(昭和40年 乙巳) 182万人

 1966年(昭和41年 丙午) 136万人

 1967年(昭和42年 丁未) 194万人

 1968年(昭和43年 戊申) 187万人

 これを見ると、明らかに、昭和41年には出産が抑えられ、翌年の昭和42年に出産をされた方が多くなったことを物語っています。

 少子化の時代、来年、2026年 丙午が少子化にさらに追い打ちをかけることになってはなりません。 丙午の悪しき風習が復活しないよう願うばかりです。

 さて、「丙午」は「在来の支配的代表勢力が大いに伸びて盛んになるが、反面に、それに対する反対勢力が内側から突き上げてくる。これに対し適切に対応できれば素晴らしい大変革ができる。」ということですが、前回の丙午(1966年)はどのような年であったのでしょうか。

 1966年の日本は、戦後復興から高度成長期にかけての安定を背景に、冷戦構造に組み込まれた日米同盟強化が中心となる一方で、国内では学生運動や社会的改革の必要性が浮き彫りになる時期でもありましたが、次第に激化する学生運動や労働運動が後の日本政治に大きな影響を与えることとなり、まさに1966年はそのスタートの年となりました。 国内政党では、社会党・共産党・公明党などが自民党に対抗して突き上げを行っている時代でもありました。

 なお、音楽・文化では、ビートルズが来日し、原宿族やミニスカートが大普及し、千昌夫の星影のワルツが大ヒット。 スポーツでは、大鵬、ジャイアンツが優勝を続ける年でした。

 また、その前の丙午(1906年 明治39年)は日清戦争に続いて、明治38年に日露戦争が終わり、日本は世界的な勢力に押しあがった陽気盛んな華やかな時期であります。まさに炳(あきらか)な年です。しかしながら、明治37年、38年の無理・苦労が一斉に突き上げ、反動が表れますが、明治維新の指導者がまだ残っており、うまく対処できたものと思われます。

 もっと、遡り、1186年(文治2年 丙午)は、平家が滅び、源氏が勝利したわけですが、頼朝に対し義経という反動勢力が現れ、大きな物語が始まります。

 さらに、遡れば、604年(推古天皇12年 丙午)には、聖徳太子により、氏族の対立を抑え、中央集権化を進めるため、仏教を国家の基本思想として位置づける政治を確立するために、十七条の憲法が制定された年です。

 このように、丙午という年はなかなか興味ある重要な年であり、大きな飛躍を期待したいところです。

 本年、我が国では、初めての女性の総理大臣が現れました。 実際に活躍されるのは、丙午の年になります。 反対勢力をうまくコントロールしていただいて、素晴らしい時代を作り始めていただければと思い、大いに期待したいところです。

              (参考:「干支の活学」安岡正篤、「字統」白川静)

坂城町長 山村ひろし

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