坂城の100人 第23回目は佐藤嘉長

坂城の100人 23回目、今回は再び江戸時代に戻り、「常山隄」を構築した、佐藤嘉長です。

嘉長は当時有名な河川管理の技術者だったようで、坂城町以外でも河川改修に関して佐藤嘉長の名を見ることができます。 (静岡県富士川近くの水神社にある「不儘河修堤碑」など。)

まず、「常山隄」の概略を説明します。(坂城町教育委員会、常山隄碑説明資料から)

(説明文)

「天保12年(1841年)の大洪水でこの地籍の耕地は壊滅に瀕した。

幕府は、代官所(代官:石井勝之進)を通じた農民の復旧の請願を受け、直ちに佐藤嘉長を派遣した。 嘉長は5年の歳月を費やして弘化2年(1845年)に彼の命名になる常山隄を完成した。

その工法は、川筋に対してほぼ直角に突出し長さ300メートル、基礎を大石で築き、堤端は畳石という巨岩を置いた堅牢無比の構築であった。 そのため千曲川の流路は西方へ移り、広大な耕地を守ることができた。

堤上には祠を立て、毎年祭りの行事として村人それそれが大石を水中に投じ堤端を補強することとした。

孫子の兵法書によれば、常山にすむ蛇は頭を打たれれば尾が、尾を打たれれば頭が、それぞれを救うという故事から、この堤も洪水がどこをついても崩れない、と嘉長は説いた。

村人は嘉長の功績と常山隄の由来とを永く後世に伝えるためこの碑を建立した。」 

次に、佐藤嘉長が名づけた「常山隄」について述べます。

「常山」は孫子の有名な戦略論の「九地」の中に出てきます。

孫子は戦には戦場に応じた戦い方があるとして、「九地」、九つの地形に分けた戦い方を挙げています。

それは、「散地」、「軽地」、「争地」、「交地」、「衢地」(くち)、「重地」、「圮地」(ひち)、「囲地」、「死地」があるといっています。 各々についてここでは詳しく説明はしませんが、兵士が機敏に対応することに大切さを説明するために 「常山」の蛇について説明しています。

「常山の蛇」

故善用兵者、譬如率然。率然者常山之蛇也。撃其首則尾至、撃其尾則首至、撃其中則首尾倶至。

故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。 率然とは常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。 

そこで、兵士たちをうまく統率する者というのは、たとえば卒然のようなものである。卒然とは、常山にいるという伝説上の蛇のことだ。

その蛇の首を攻撃すると尾が迫ってくる。尾を攻撃すれば頭がくる。胴体をせめれば頭と尾が同時にかかってくる。

ということなのですが、さらに孫子は、この常山の率然という蛇のように兵士を統率できるのかという例として挙げているのが 「呉越同舟」 という言葉です。

つまり、「呉」と「越」のように敵対している国の兵士が同じ船に乗り合わせ、暴風に出会い、船が危ないとなればこの呉越の兵士が否が応でも左右の手のように助け合うことになる。 このように一致団結できるような用兵策が重要であるといっています。

常山隄の現在(平成25年8月)

昭和7年の常山隄

                       

常山隄碑                 

常山隄の図(中央縦の四角い部分が常山隄中心部)

右のほうが千曲川上流で、洪水時に常山隄に直角にぶつかり図の下方へ流れ町を保護する。

以上、常山隄を作り長く村民に慕われた河川工事技術者 佐藤嘉長の話でした。

坂城町長 山村ひろし              

川村真二さん 2年越しの講演会

昨日(8月29日)、坂城テクノセンターで川村真二さんの講演会が開催されました。

実は昨年ほぼ同じ時期に開催をする予定でしたが、都合により中止になり今回2年越しの開催となりました。

川村先生とは約30年くらいお付き合いをいただいておりますが、リーダーシップ、マネジメントなど教育面で大変お世話になりました。

また、川村先生は歴史、特に戦国武将の研究も奥深くされておられ恩田木工、真田信之、福沢諭吉などの小説も書かれています。

今回の講演会では「戦国武将に見るリーダーの条件」というテーマで分かりやすくお話をしていただきました。

挨拶と講師の紹介をする山村

以下、講演会の内容について坂城町のホームページから

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8月29日(木)坂城経営フォーラム 川村真二氏

川村真二さん01

▲川村真二さん

8月29日(木)、坂城テクノセンターで、さかきテクノセンター役員、ニューリーダー研究会会員、坂城町経営革新塾会員、能力開発学院役員などを対象とした平成25年度第2回坂城経営フォーラムが開催されました。

講師には、リーダー・ビジネス研究所代表で、経営教育コンサルタント、作家など様々な分野でご活躍されている川村真二さんをお迎えし、「戦国武将にみるリーダーの条件」を演題にご講演をいただきました。

川村さんによると、約150年続いた戦国時代は、まさに「命がけの時代」で、数々の素晴らしい武将が生まれた時代でもあったそうです。特に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は稀代の名将で、彼らがリーダーとして優れていたものを、現代のリーダーも備えることができれば、「優秀なリーダー」になれると話されました。それは、強い責任感、はっきりした思想(ビジョン)、巧みな戦略、マネジメント力(リーダーシップ力)、よい人材の獲得(育成)などだそうです。
また、「今日は何が上手くいったのか、それはなぜ上手くいったのか」「今日は何が上手くいかなかったのか、それはなぜ上手くいかなかったのか」と常に反省することも大事だそうです。川村さんは、『「あなたがいたおかげで、今日の私がある」とまわりの人間から思われるようなリーダーになりましょう』とおっしゃり講演を締めくくられました。

川村真二さん02 

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坂城町長 山村ひろし

アンリ・マルトーのお話し(坂城町にも関係あり?)

アンリ・マルトー (Henri Marteau) というフランス生まれの天才ヴァイオリニストの存在を最近までよく知りませんでした。

戸張通子さんの著書:「マルトー」

カバーメッセージは 櫻井よしこ さん

アンリ・マルトーの経歴は以下のとおりです。

アンリ・マルトーHenri Marteau, 1874年 – 1934年)は、フランス・ランス出身でスウェーデンに帰化したヴァイオリニスト・作曲家。母親はクララ・シューマンに学んだピアニストで、父親も名の知れたアマチュアのヴァイオリン演奏家だった。

幼少期からヴァイオリンに興味を示し、音楽を愛する両親の奨めで、フランス国内で音楽を学んだ後、10歳でハンス・リヒターの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演して公式デビューを果たし、さらにドイツ各地とスイスで演奏旅行を行なった。1888年には、やはりリヒターとの共演でロンドン・デビューを果たす。1892年にパリ音楽院で首席となり、マスネから作品を献呈された。1893年と1898年にはアメリカ合衆国で、1897年から1899年までロシア帝国で演奏活動を行なっている。

20世紀に入ってからは教育活動に専念し、まずジュネーヴ音楽院で教鞭を執った後、ヨーゼフ・ヨアヒムの没年に、ベルリン高等音楽学校に選任されて、同校ヴァイオリン科主任教授に就いた。作曲家としては、フランス語のカンタータ《ジャンヌ・ダルク》を残した。ドイツ時代にはマックス・レーガーと親交を結び、その影響で室内楽の作曲も手がけた。中でも《クラリネット五重奏曲》は、近年になって録音も行われている。第一次世界大戦が勃発して、母国と第二の祖国が戦火を交えるに至ると、スウェーデンに渡り、同地でスカンディナヴィア楽壇の発展に貢献した。北欧における彼自身と門人の演奏は、近年になって音源が復刻されている。(ウィキペディアより)

ということなのですが、1934年に亡くなっていることもあり、戦前の録音があまり残されていません。

また、来日する機会も無かったことから、日本ではほとんど知られない 「天才ヴァイオリニスト」 でありました。

10歳でデビューしたことから、とにかく錚々たる作曲家、演奏家との交流が長く、バイロイト音楽祭で指揮する晩年のワグナーとも接しています。(後年、ワグナー家の財政支援なども行っています)

卓越した演奏ぶりは当時の最高峰といわれた、ヨーゼフ・ヨアヒムの後継者と言われておりました。

また、その人間性が素晴らしく、多くの芸術家との交流も幅広いものがありました。

最近、戦前のSPレコードを復刻したいくつかのCDが発売され、わたくしもその演奏を聴きました。

アンリ・マルトーの演奏については賛否あるのですが、わたくしはその素晴らしいヴィルトォーゾぶりと正確性のみならず大変なサービス精神にあふれた演奏がものすごい魅力だと思っています。

じつは、このように、アンリ・マルトーについて注目するようになったのは、今月(8月)初旬に、ドイツ在住の戸張通子さんから一通のファックスをもらったことによります。

戸張さんはわたくしのことを友人を経由して、現在、坂城町にいることをお知りになりファックスでご連絡をいただきました。

戸張さんとは東京、文京区の中学校の同級生でした。

卒業以来52年ぶりに連絡をいただいたので大変びっくりしました。

現在、戸張さんはドイツ国籍を取得され声楽家(メゾソプラノ)として活躍をされています。

そして、戸張さんが20年をかけて研究されてこられたのが この「アンリ・マルトー」 だったのです。

アンリ・マルトーのご長女とも個人的に大変親しくされ、「マルトー  大作曲家たちを虜にした世紀の大ヴァイオリニスト」 という本を2010年に出されました。

 アンリ・マルトーについて、その素晴らしい生涯を20年にわたり研究され出版されたものです。

 是非とも、多くの方に読んでいただきたいと思います。

 また、2011年には日独友好150周年を記念したコンサートをドイツで開催されました。(富士通もスポンサーになっていたようでしたが、知りませんでした。)

                        

戸張通子さんのコンサートパンフレット

日独友好150周年記念のコンサート(2011年)

「日本歌曲の夕べ」(平井康三郎、丈一郎曲集)

                  

 このコンサートのプログラムにお祝いのメッセージを書かれているのはチェリストで作曲家の平井丈一郎(たけいちろう)氏です。(平井丈一郎氏は作曲家 平井康三郎氏の息子さんですが、康三郎さんはアンリ・マルトーの弟子のローベルト・ポラック教授に東京芸大でバイオリンを習っていますので マルトーの孫弟子にあたります。)

 以下、些か長文ですが、戸張通子さんの紹介も含まれていますので平井丈一郎氏のお祝いのメッセージ全文を紹介させていただきます。

                     

 『この度、日本生まれのドイツ人メゾソプラノ戸張通子さんが平井康三郎、丈一郎親子の作品を集めて 「日本歌曲の夕べ」 を開催されることは、日独友好150周年という輝かしい年を記念するにふさわしい立派な企画であり、心から喜ばしく思います。

 皆様既にご承知の通り、Frau Michiko Tobariは永年にわたり独日友好の掛け橋たるべく、情熱を傾け、いのちをかけて貢献されてきた方であり、まさに今回彼女による記念コンサートが開催される必然性は誰もが認めるところでありましょう。

 日本の代表的作曲家である父、康三郎は来年で没後10年になりますが、歌曲の場合、言葉の壁が存在するにせよ、私共父子の作品は、日本的でありながらも世界共通の音楽的言語で作曲されており、その点親愛なるドイツの皆さまにも十分理解し、親しんでいただけるものと確信しております。

 今夜のコンサートの大成功と、これを契機に日独友好が更に深まることを祈念し、私のお祝いの言葉といたします。』

                       

 以上、アンリ・マルトーと戸張通子さんのお話でした。

                     

 また、最後に坂城町との関係でいうと、実は坂城中学校の校歌はこのアンリ・マルトーの孫弟子にあたる平井康三郎氏が作曲しています。 作詞は康三郎氏とコンビで数多くの名曲を作った、勝承夫(よしお)氏です。

 この二人で戦後、日本全国の数多くの校歌を作っています。

                      

 私は、今回、中学校の同級生でドイツ在住の戸張さんから連絡を受け、「戸張さん」・・「アンリ・マルトー」・・「平井康三郎、丈一郎親子」・・「坂城中学校校歌」という繋がりができたことにとても不思議な、気持ちの良い思いをいだいています。                      

                     

 坂城町長 山村ひろし

坂城町総合防災訓練実施

本日、朝(8月25日)、坂城町総合防災訓練実施が実施されました。

一昨日来の豪雨のため、訓練実施予定の坂城小学校のグランドが使用不能となったため、小学校正門前で各自主防災会から避難訓練の報告をいただき、防災訓練を終了いたしました。

各自主防災会長から報告を受ける山村

雨の中、坂城地区(四ツ屋・戌久保区を除く)の皆さん、自主防災会、消防団、関係団体など約500名の方に参加していただきました。

以下、訓練の様子を坂城町ホームページから。

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8月25日(日)雨天の中、避難訓練を実施

H25総合防災訓練01

  8月25日(日)、坂城小学校を会場に、平成25年度坂城町総合防災訓練が実施されました。

  総合防災訓練は、毎年、南条、中之条、坂城、村上地区で順番に行っています。今年は、雨天のため避難訓練のみとなりましたが、坂城地区(四ツ屋・戌久保区を除く)の皆さん、自主防災会、消防団、関係団体など約500名の方が参加されました。

  恐ろしい災害はいつ起こるか分かりません。家庭でも、災害時の行動を相談しておく、非常時持ち出し品を用意しておくなど、備えておきましょう。

H25総合防災訓練02-03 

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坂城町長 山村ひろし

コーチング・コミュニケーション講座の実施

昨日(8月24日)、文化センターで、長野県スポーツ少年団北信地区指導者・母集団育成研修会と、さかきふれあい大学教養講座を兼ねて、コーチング・コミュニケーションの講座が開催されました。

大変分かり易く楽しくご指導いただきました。

私も一緒になっていろいろなセッションに参加させて頂きました。

以下、詳細は坂城町ホームページから

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8月24日(土)コーチング講座  竹内正美さん

竹内正美さん01

  8月24日(金)、文化センターで、長野県スポーツ少年団北信地区指導者・母集団育成研修会とさかきふれあい大学教養講座を兼ねて、コーチング講座が開かれました。

   講師には、サポートオフィス アン代表で、坂城町教育委員の竹内正美さんをお招きして、「やる気を引き出すコーチング・コミュニケーション」を演題に講義をしていただきました。相手のやる気を引き出すためには以下のことが必要だそうです。

  • まず相手と話して、共通点を見つけて安心感のある環境を作ること
  • ゴールを設定してそこに向かわせること
  • 相手の人格や過去の経歴・物語に興味を示すこと
  • 自己イメージを高めて自分に自信をつけることで、相手を認め、褒めることができるようになること

  講座は、参加した皆さんが実際に席の隣の方と話して、相手との共通点を探したり、相手の人格や物語を聞き、また、自分が過去に比べてできるようになったことは何かなどを考えて自己イメージを高めるなど、実践しながら進められました。

  竹内さんによると、これらを実践し、相手の話をよく聞き、夢を壊さず、相手が「絶対にできる」と信じることが重要だそうです。参加した皆さんからは、「実際に体験することができてとてもわかりやすかった」などと感想が述べられていました。

竹内正美さん02-03

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坂城町長 山村ひろし

平成25年度「刀職者実技研修会」開催

平成25年度「刀職者実技研修会」が鉄の展示館横の坂城町中心市街地コミュニティーセンターで開催されました。(8月23日〜25日)

本研修会は公益財団法人日本刀文化振興協会(会長:柳井俊二、理事長:本阿彌 光洲)の主催で開催され今年で6回目を迎えました。

日本刀の製作にあたっては、作刀の技術はもちろんのこと、研磨、白鞘、白銀、柄巻きといった幅広い総合技術が必要です。

今回の研修はこの5部門に分かれ、日本を代表する錚錚たる講師の指導のもと3日間にわたり実施されます。

今回は日本全国から28名の研修生が参加されました。

また、本研修会は平成25年度文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産を活かした地域活性化事業)に採択され、本日の開会式にも文化庁文化財調査官佐藤直子氏にお出でいただきました。

中央:挨拶する山村、その左:宮入小左衛門行平刀匠(同協会専務理事)

左側:講師陣、右側:研修生

また、今回の研修会では、宮入一門の4名の弟子たちも講師陣の一角として指導にあたっています。 宮入刀匠の弟子を育てる指導力の素晴らしさにも敬意を表します。

研修の様子はどなたでもご覧になれますので、是非、会場へ足をお運びください。

以下、坂城町ホームページから

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8月23日(金)~25日(日)刀職者実技研修会

H25刀職者実技研修会01

  8月23日(金)から25日(日)まで、中心市街地コミュニティセンターで、公益財団法人日本刀文化振興協会主催による平成25年度刀職者実技研修会が行われています。

  今年で6回目となるこの研修会は、日本刀に関わる伝統技術を継承し、高度の人材育成を目的に毎年開催されており、今年は「平成25年度文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産を活かした地域活性化事業)」の対象となりました。

  研修会には、全国から28名の研修生が参加し、作刀、研磨、白鞘、白銀(刀身の手元の部分に嵌める金具)、柄巻きの5部門に分かれて、日本のトップクラスに立つ講師の皆さんから熱心に技法を学んでいました。この研修会は、鉄の展示館に入館した方も見学することができます。日本刀を作る過程が見られる滅多にない機会ですので、この3日間のうちにぜひご来館ください。

H25刀職者実技研修会02

H25刀職者実技研修会03

H25刀職者実技研修会04

H25刀職者実技研修会05

  鉄の展示館では、9月14日(土)から10月27日(日)まで「第八回お守り刀展覧会」を開催します。宮入小左衛門行平刀匠の作品など、数々の素晴らしいお守り刀が展示され、会期中は様々なイベントも催されますので、ぜひ足をお運びください。

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坂城町長 山村ひろし

169系電車清掃活動ボランティア募集

5月末に坂城駅横に設置された 「169系」 3両セット、熱烈なボランティアの皆様の後押し、ご提言を得てこのたび初めての試みとして 「169系電車清掃活動ボランティア」 を募集します。

多くの方々に参加していただけることを期待しています。

詳細は以下の坂城町ニュースをご覧ください。

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169系電車清掃活動ボランティア募集

  9月22日(日)午前10時~午後5時まで、坂城町169系電車の清掃活動を行います。ボランティアとしてお手伝いいただける方を募集します。ご協力いただける方は、8月30日(金)までに、メール、FAX、TEL等で坂城町まちづくり推進室までご連絡ください。

  ボランティアなので、費用弁償はできません。昼食(弁当)を用意する程度ですが、よろしくお願いします。

応募及び問い合わせ先

  応募用紙にご記入いただき、直接提出いただくか、郵送、FAX・メールで送信してください。

  • 応募用紙    こちらからダウンロードしてください
  • 提出先
    〒389-0692  長野県埴科郡坂城町大字坂城10050
                坂城町役場  企画政策課  まちづくり推進室
    TEL:0268-82-3111(内線241)
    FAX:0268-82-8307
    メールアドレス:machizukuri@town.sakaki.nagano.jp

展示箇所

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問い合わせ先

坂城町役場  企画政策課  まちづくり推進室

TEL  0268 82 3111(内線241)

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坂城町長 山村ひろし

坂城町名勝繪葉書全セット

先日、昭和7年の「村上義光公600年祭」事業の1つとして発行された 「坂城町名勝繪葉書」 について記述しました。

これは、伊豆にお住まいの久木野和暁さんが東京町田の骨董屋でお求めになったものをお送りいただいたものです。(ありがとうございました。)

しかしながら、これは残念ながら10枚セットの内、9枚のみでした。

ところが、インターネットサイトで10枚セットの同一のものを発見し、購入しました。(価格は5200円。これが高いのか、安いのか?)

前回のセットの中に含まれていなかったのは 「葛尾城址ヨリ坂城町ヲ望ム」 というものでした。

葛尾城址より見える、旧坂城町役場、木造の昭和橋、現在の18号国道の無い町並み、などなど興味があります。

以下、坂城町の風景以下全10枚を掲載します。

葛尾城址より坂城町を望む

葛尾城址より鏡台山を望む

磯部堤防より葛尾城址を望む                   

葛尾城址より温泉地方を望む

姫城紀念塔

坂城町北日名十三度権現

坂城町より招魂社・飯繩奇巖を望む

坂城町大英禪寺の櫻花

坂城町御所澤塔の平(村上氏墓地)

坂城町常山堤と昭和橋

                    

葉書に消印でなく押されたスタンプをよく見ると、「姫城紀念塔」と葛尾城址に作られた「葛尾城址紀念塔」が書かれていますね。

これにも当時の意気込みが感じられます。

今回ご紹介した絵葉書は「第2輯(しゅう)」です。

どなたか、「第1輯」をお持ちの方がおられたらご連絡いただければ幸いです。

坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第22回目は 村上義光(よしてる)

坂城の100人 第22回目は村上義光(よしてる)公です。

たまたま、先日(8月16日)、昭和7年の絵葉書について触れましたが、これが村上義光公600年祭の際に作られたものであることを述べました。

                                 

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今回はこの村上義光公について記述します。(坂城町「ふるさと探訪」から引用記述します。)

村上義光、義隆親子について、戦前では国定教科書に記述されていたほど有名な人物でありました。

義光公の概略は以下のとおりです。

村上義光(よしてる)()

 生年不明~1333(元弘3)年 
 信濃村上氏の一族。村上信泰の子で通称を彦四郎と称したが、後に左馬権頭に任じられた。
 元弘の変に護良(もりよし)親王に従い、南都から紀伊国十津川に逃れてこの地の土豪を頼ったが、北条氏の命をうけた熊野別当定遍の探査を避けて十津川を出て、後に吉野山に入って幕府軍の攻撃を防いだ。
 元弘3年(1333)年閏2月1日吉野城は落ちたが、この時義光は子の義隆とともに親王の脱出をはかるため、親王の身代わりとなって敵の目前で壮烈な自害を遂げた。
                          

また、「太平記」にはその自害の状況が次のように記述されています。

『「われこそは大塔宮護良(もりよし)親王である。 今ここに自害するから、最後のありさまをよく見てお前たちが武運尽きて、腹切るときの手本にせよ。」と大声で叫んで腹一文字にかき切り、返す刀を口にくわえてうつ伏せになって息絶えた。 この間に大塔宮は天河村の方に落ちのびてゆくが、父とともに討死にしようとして父に諫められた村上義隆は、なおも追いくる敵勢を防いで満身に傷を負い、小竹の藪ににかけこみ割腹して果てた。』

「太平記」 巻第七より(國學院資料より)

戦前の歴史、国語の教科書には「村上義光」「錦の御旗」の題名で取り上げられ、全児童の学ぶところでありました。

村上義光 『前賢故実』より(ウィキペディア)

敵方に奪われた御旗を取り返す

吉野山にある村上義光の墓(吉野観光ガイドより)

しかし残念なことに皇国史観のイデオロギーによる忠君愛国の事例として強調されてしまった。 戦後はその反動で忘れられてしまったが。「太平記」の文面をありのままに理解することが大切である。(「ふるさと探訪」より)

村上小学校の裏側に立つ歌碑

「死での山こゆるも嬉し天照らす神の遠裔(みすえ)の皇子(みこ)となのりて」

揮毫は東郷平八郎

また、村上小学校の校歌の第2番では 「芳野の山の 花と散り」(村上義光、義隆親子について)、さらに 「越路の雪に 埋みても」(村上義清) とあり、いまだに歌い継がれています。

村上小学校校歌               

作詞 浅井 洌  作曲 青木 友忠

  一 源清く 末遠き
    千曲の川を 前にせる
     村上むらは 所がら
     人の心も すなおにて
     かせぎの道に いそしめば
     学びの業も 栄ゆなり

  二 芳野の山の 花と散り
     越路の雪に 埋みても
     知るきその名は 世に絶えず
     残る古城に み社に
     今も言いつぎ 語りつぎ
     ありし昔を しのぶなり

  三 千曲の水の 清ければ
     さやけき月の 影ぞ澄む
     人も心の 正しくば
     やがてそうらん 身の光
     花の朝も 月の夜も
     励め学びの 窓の友

坂城町長 山村ひろし

坂城高校ハンドボール部 インターハイの報告

昨日(8月19日)、坂城高校ハンドボール部の監督、主将、ゴールキーパー、校長先生が先日開催されたインターハイの報告に来ていただきました。

37年ぶりに出場し、初戦を突破、ベスト16に輝きました。

以下、坂城町のニュースから。

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坂高ハンドボール部  インターハイでベスト16!

坂高ハンドボール部結果01

▲写真左から、田中浩校長、鴇澤蓮さん、山村町長、飯島良太さん、山本臣也監督

  坂城高校男子ハンドボール部が、7月30日(火)から8月4日(日)まで佐賀県で開催された「第64回全国高等学校ハンドボール選手権大会」に37年ぶりに出場し、ベスト16と好成績を収めました。

  本日は、田中浩校長、山本臣也監督、キャプテンの飯島良太選手、ゴールキーパーの鴇澤蓮選手が山村町長を訪問され、全国大会の様子や試合で感じた手応えなどを報告してくださいました。

  全国大会では、1回戦はシードとなり、2回戦で滋賀県立彦根東高校と対戦し、25対21で初戦を勝利で飾りました。しかし、準々決勝進出をかけた3回戦で、関東王者の茨城県立藤代紫水高校を相手に善戦しましたが、惜しくも敗れてしまいました。飯島キャプテンは、全国大会でも自分たちのプレーが通用したと手応えを感じたそうです。この経験を次に活かし、また全国の舞台に立てるよう頑張ってください!

坂高ハンドボール部結果02

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今後ますますのご活躍をお祈りします。

坂城町長 山村ひろし