アンリ・マルトー (Henri Marteau) というフランス生まれの天才ヴァイオリニストの存在を最近までよく知りませんでした。
戸張通子さんの著書:「マルトー」
カバーメッセージは 櫻井よしこ さん
アンリ・マルトーの経歴は以下のとおりです。
アンリ・マルトー(Henri Marteau, 1874年 – 1934年)は、フランス・ランス出身でスウェーデンに帰化したヴァイオリニスト・作曲家。母親はクララ・シューマンに学んだピアニストで、父親も名の知れたアマチュアのヴァイオリン演奏家だった。
幼少期からヴァイオリンに興味を示し、音楽を愛する両親の奨めで、フランス国内で音楽を学んだ後、10歳でハンス・リヒターの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演して公式デビューを果たし、さらにドイツ各地とスイスで演奏旅行を行なった。1888年には、やはりリヒターとの共演でロンドン・デビューを果たす。1892年にパリ音楽院で首席となり、マスネから作品を献呈された。1893年と1898年にはアメリカ合衆国で、1897年から1899年までロシア帝国で演奏活動を行なっている。
20世紀に入ってからは教育活動に専念し、まずジュネーヴ音楽院で教鞭を執った後、ヨーゼフ・ヨアヒムの没年に、ベルリン高等音楽学校に選任されて、同校ヴァイオリン科主任教授に就いた。作曲家としては、フランス語のカンタータ《ジャンヌ・ダルク》を残した。ドイツ時代にはマックス・レーガーと親交を結び、その影響で室内楽の作曲も手がけた。中でも《クラリネット五重奏曲》は、近年になって録音も行われている。第一次世界大戦が勃発して、母国と第二の祖国が戦火を交えるに至ると、スウェーデンに渡り、同地でスカンディナヴィア楽壇の発展に貢献した。北欧における彼自身と門人の演奏は、近年になって音源が復刻されている。(ウィキペディアより)
ということなのですが、1934年に亡くなっていることもあり、戦前の録音があまり残されていません。
また、来日する機会も無かったことから、日本ではほとんど知られない 「天才ヴァイオリニスト」 でありました。
10歳でデビューしたことから、とにかく錚々たる作曲家、演奏家との交流が長く、バイロイト音楽祭で指揮する晩年のワグナーとも接しています。(後年、ワグナー家の財政支援なども行っています)
卓越した演奏ぶりは当時の最高峰といわれた、ヨーゼフ・ヨアヒムの後継者と言われておりました。
また、その人間性が素晴らしく、多くの芸術家との交流も幅広いものがありました。
最近、戦前のSPレコードを復刻したいくつかのCDが発売され、わたくしもその演奏を聴きました。
アンリ・マルトーの演奏については賛否あるのですが、わたくしはその素晴らしいヴィルトォーゾぶりと正確性のみならず大変なサービス精神にあふれた演奏がものすごい魅力だと思っています。
じつは、このように、アンリ・マルトーについて注目するようになったのは、今月(8月)初旬に、ドイツ在住の戸張通子さんから一通のファックスをもらったことによります。
戸張さんはわたくしのことを友人を経由して、現在、坂城町にいることをお知りになりファックスでご連絡をいただきました。
戸張さんとは東京、文京区の中学校の同級生でした。
卒業以来52年ぶりに連絡をいただいたので大変びっくりしました。
現在、戸張さんはドイツ国籍を取得され声楽家(メゾソプラノ)として活躍をされています。
そして、戸張さんが20年をかけて研究されてこられたのが この「アンリ・マルトー」 だったのです。
アンリ・マルトーのご長女とも個人的に大変親しくされ、「マルトー 大作曲家たちを虜にした世紀の大ヴァイオリニスト」 という本を2010年に出されました。
アンリ・マルトーについて、その素晴らしい生涯を20年にわたり研究され出版されたものです。
是非とも、多くの方に読んでいただきたいと思います。
また、2011年には日独友好150周年を記念したコンサートをドイツで開催されました。(富士通もスポンサーになっていたようでしたが、知りませんでした。)
戸張通子さんのコンサートパンフレット
日独友好150周年記念のコンサート(2011年)
「日本歌曲の夕べ」(平井康三郎、丈一郎曲集)
このコンサートのプログラムにお祝いのメッセージを書かれているのはチェリストで作曲家の平井丈一郎(たけいちろう)氏です。(平井丈一郎氏は作曲家 平井康三郎氏の息子さんですが、康三郎さんはアンリ・マルトーの弟子のローベルト・ポラック教授に東京芸大でバイオリンを習っていますので マルトーの孫弟子にあたります。)
以下、些か長文ですが、戸張通子さんの紹介も含まれていますので平井丈一郎氏のお祝いのメッセージ全文を紹介させていただきます。
『この度、日本生まれのドイツ人メゾソプラノ戸張通子さんが平井康三郎、丈一郎親子の作品を集めて 「日本歌曲の夕べ」 を開催されることは、日独友好150周年という輝かしい年を記念するにふさわしい立派な企画であり、心から喜ばしく思います。
皆様既にご承知の通り、Frau Michiko Tobariは永年にわたり独日友好の掛け橋たるべく、情熱を傾け、いのちをかけて貢献されてきた方であり、まさに今回彼女による記念コンサートが開催される必然性は誰もが認めるところでありましょう。
日本の代表的作曲家である父、康三郎は来年で没後10年になりますが、歌曲の場合、言葉の壁が存在するにせよ、私共父子の作品は、日本的でありながらも世界共通の音楽的言語で作曲されており、その点親愛なるドイツの皆さまにも十分理解し、親しんでいただけるものと確信しております。
今夜のコンサートの大成功と、これを契機に日独友好が更に深まることを祈念し、私のお祝いの言葉といたします。』
以上、アンリ・マルトーと戸張通子さんのお話でした。
また、最後に坂城町との関係でいうと、実は坂城中学校の校歌はこのアンリ・マルトーの孫弟子にあたる平井康三郎氏が作曲しています。 作詞は康三郎氏とコンビで数多くの名曲を作った、勝承夫(よしお)氏です。
この二人で戦後、日本全国の数多くの校歌を作っています。
私は、今回、中学校の同級生でドイツ在住の戸張さんから連絡を受け、「戸張さん」・・「アンリ・マルトー」・・「平井康三郎、丈一郎親子」・・「坂城中学校校歌」という繋がりができたことにとても不思議な、気持ちの良い思いをいだいています。
坂城町長 山村ひろし