スポーツ少年ドッジボール北信越大会へ出場

昨日(1月31日)、村上小学校の生徒を中心とした、ドッジボールチーム 「村上ドッジA」 の皆さんが役場へお出でいただきました。

同団は、1月27日(日)に松本総合体育館で行われた第17回長野県小学生ドッジボール選手権大会に出場し、見事全勝での優勝を果たしました。11年ぶりの快挙です。

以下、坂城町のホームページより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1月30日(水)スポ少ドッジボール北信越大会へ

ドッジボール01

▲左から、内川さん、山村町長、佐藤さん、北澤さん、小林代表

1月30日(水)、第22回春の全国小学生ドッジボール選手権北信越ブロック大会へ出場する坂城町ドッジボールスポーツ少年団「村上ドッジA」の佐藤拓人さん、北澤祐さん、内川大暉さん(全員村上小学校6年生)と小林範夫代表が山村町長を表敬訪問されました。

同団は、1月27日(日)に松本総合体育館で行われた第17回長野県小学生ドッジボール選手権大会に出場し、見事全勝での優勝を果たしました。これにより、同団にとって実に11年ぶりとなる北信越大会への切符を手に入れることができました。北信越大会は、2月24日(日)に富山県総合体育センターで開催されます。児童3人は「北信越大会で優勝して、全国大会でベスト8に入れるように頑張りたい」と意気込みを話してくれました。最近の成績は、県内の大会では4大会連続で全勝優勝しているそうで、元気いっぱいの子どもたちのさらなる活躍が期待されます!

ドッジボール02 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂城町長 山村ひろし

「坂城の100人」 第4回目は 薄雲 太夫です。

「坂城の100人」 第4回目は 薄雲太夫です。

薄雲太夫 (源氏物語の「薄雲」ではありません)、 信州埴科郡鼠宿の玉井清左衛門の娘(玉井てる)は、元禄年間(1688~1704)の太夫として有名を馳せた江戸新吉原京町一丁目の三浦屋の遊女で、同時代の高尾と並び名妓と称された人です。

 坂城出身のこのような有名な遊女がいたことに驚きですね。

 まだまだ不明な点が多く、識者の皆様方のご意見を賜れば幸いです。         

月岡芳年(明治8年)

                         

 とにかく、有名な遊女であり、可愛がっていた猫(玉)とともに多くの逸話が残っています。

 また、当時の吉原では同じ源氏名を何代にもわたって使っていたわけですが、別の遊女で江戸前期の、初代といわれている薄雲がいます。(但し、初代薄雲ではなく、高尾太夫であったとの説が有力。)

                       

 初代薄雲(高尾太夫) : 吉原京町1丁目信濃屋藤左衛門の抱えで、和歌をよくし、書に堪能俳諧に名あり、義侠心に富み、金銀にものいわせる客には目もくれなかったと言われた薄雲(高尾)がいます。

 この薄雲(高尾)は万治年間(165861)、仙台藩主第三代伊達綱宗の愛するところとなりますが、鳥取藩士島田重三郎に操を捧げて、半年におよぶも伊達綱宗には肌を許さず、3000両で身請けされたのちも意に従わず、ために一室に幽閉され,10日に10指を断ち落とす」と脅迫されても、なおかたくなに拒み、ついに殺されてしまったということです。

       

道哲和尚、高尾太夫の墓 

正面屋根の下にあるのが高尾大夫の墓で、向かって左手の座像が高尾の回向をした道哲和尚の墓です。右手の標柱には「二代目萬治高尾 轉譽(転誉)妙身信女」と刻まれています。(西方寺ブログより)         

 

                   

薄雲の墓 東京品川、妙蓮寺(山村撮影)

                   

 一方、坂城町出身の薄雲は猫が好きで、この溺愛していた猫(玉)が、命を賭して大蛇から主人薄雲を守ったという報恩談が残っていて、この逸話から招き猫が始まったとする説があります。

 (薄雲の愛猫、玉がいつでも薄雲に付いて来る。 厠へも一緒に入りたがることがあり、あまりにもしつこく、猫が薄雲に憑いたのではないかと思った三浦屋のものが、玉の首を切り落としてしまった。 ところが、切り離された首が厠の中へ飛んでいき、中に潜んでいた蛇の頭に噛みついた。 つまり玉は厠へ潜んでいた蛇から薄雲を守ろうとしていたということであった。 これを不憫に思った薄雲は玉を丁重に葬り、京都から伽羅(きゃら)の香木を取り寄せ、玉の像を作らせた。 これが招き猫の元となったという説である。)

 榎本其角の句に「京町の猫通ひけり揚屋町」があるほか、岡本綺堂の半七捕物帳に 「薄雲の碁盤」 という小説があり、薄雲と猫(玉)に関わる逸話が書かれています。

* インターネットの図書館、青空文庫より(以下のサイトで全文が参照できます)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1022_15044.html

                               

 薄雲と猫に関しては他にも多くの逸話、物語があります。 

 ・近世江都著聞集(きんせいえどちょもんしゅう)から「三浦遊女薄雲が伝 」

 ・烟花清談から「三浦や薄雲(あいしねこ)(わさはひ)のかれし事 」 など

                    

歌川広重 この猫の主人が薄雲のようです

                 

 坂城出身の薄雲は源六という人物に身請けをされるのですが、その証文が残っています。 以下、その現代語訳です。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  元禄13年(1700年)の薄雲身請の証文

「薄雲という太夫(または、花魁)はまだ年季の途中であるが、私の妻にいたしたく、色々な所へ相談し許可を得ました。また、衣類や夜着、蒲団、手荷物、長持ちなども一緒に引き取ることといたしました。酒宴のための酒樽代金350両をあなたに差し上げます。私は今後、御公儀より御法度とされている町中(の女郎)やばいた、旅の途中の茶屋やはたごの遊女がましき所へは出入りをいたしません。もし、そのようなことをして薄雲と離別するようなことがあれば、金子100両に家屋敷を添えてひまを出します。後日の証文といたします。元禄13年辰7月3日 貰主源六、証人平右衛門、同じく半四郎。四郎左右衛門殿」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                          

なかなか、殊勝な証文です。

ただし、薄雲が350両という大金で身請けされた後、幸せな生涯を送ったのかどうかは不明です。

                              

 しかし、薄雲の死後、形見(実際には高尾太夫から受け継いだもの)といわれる打掛(裲襠 (りょうとう))が坂城の耕雲寺さんに収められ、それが現在では卓敷きに改められて、保管されているとのことです。(耕雲寺寺宝)

 私は現物は拝見しておりませんが、中嶋登 町会議員さんから写真を提供していただきました。

       寳物 高尾圓盡卓袱    

                                              

 また、浮雲の和歌が絵馬として上田市別所観音堂に額面となって残っています。

 歌:しき妙の枕に残るうつり香を我身にしみてひとりかもねん

                       

 薄雲についてはまだまだ不明の点が多く、あとで補足をしたいと思いますが、今回は坂城鼠宿出身の有名な薄雲太夫がいたということをお伝えします。

以上、 「鼠」 出身で 「猫」 を愛した薄雲太夫のお話でした。

 皆様からご意見をいただきたく。

                  

*過去の「坂城の100人」をご覧になる場合は、画面右上の「記事から検索」に 坂城の100人 とインプットして検索をしていただくとすべての記述が出てきます。

         

                           

 坂城町長 山村ひろし

坂城町に白鳥飛来

南条生産森林組合ならびに鳥獣保護員の小松孝一さんからメールをいただきました。

一昨日(1月28日)、千曲川をパトロール中、埴科用水取入口ダム湖に坂城町では今年シーズン初めてと思われる 「コハクチョウ」 が2羽 飛来したそうです。

小松さんによると、戸倉には親子の白鳥がいるそうです。

今回飛来したのはその2羽の白鳥でしょうか。

坂城町長 山村ひろし

第2回トポス会議に参加

 昨日(1月28日)、一橋大学の野中郁次郎名誉教授からお招きがあり、昨年に引き続き、六本木ヒルズで開催された第2回トポス会議に出席しました。 (午後1時から8時半まで)

トポスとはギリシャ語で「場」と言うことなのですが、いわば「知的対話の場」であります。

本会議は、近年、全く発言力を失った日本の中で、世界的な「知」のリーダーを招き未来に向けた大きなメッセージを発信しようと、野中さんを創始者として結成された W3i(ワールド・ワイズ・ウェブ・イニシャティブ)が主催して開催されたものです。(後援: 富士通総研)

今回は第2回として『ソーシャル・イノベーションと21世紀の資本主義』(~コミュニティー・デザインが企業と社会の未来を拓くー)という大きなテーマで世界各国の代表的な有識者を招き熱い議論がなされました。

(会議のプログラム)

http://jp.fujitsu.com/group/fri/events/other/w3i-topos02.html

講演者、パネリストは以下の通り。(ビデオ・メッセージでの参加者含む)

いずれも、錚々たる人たちばかりです。

セッション1.(資本主義の未来、そして企業の目的を問う)

岩井克人 (東京大学名誉教授)

ウルフギャング・ムナール (ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団)

福原賢一(ベネッセホールディング副社長)

ムハマド・ユヌス (グラミン銀行創設者/2006年ノーベル平和賞受賞者)

セッション2.(ソーシャル・イノベーションで「コミュニティー」をリ・デザインする」

モム・ラーチャウォン・ディッサナッダー・デッサクン(クンチャイ殿下) (タイ王室メー・ファー・ルアン財団 事務総長)

内藤晴夫(エーザイ株式会社 代表執行役社長兼CEO)

ファザル・ハッサン・アベド (バングラデシュ農村向上委員会創設者)

アンドリュー・モーソン (英国ブロムリー・バイ・ボウ・センター創設者)

エドアルド・ベルトラン・デ・ナンクラレス (モンドラゴン協同組合)

 セッション3.「ソーシャル・イノベーションの”イネブラー”としてのテクノロジー」

バリー・ケイツ(スタンフォード大学コンサルティング教授/IDEOフェロー)

イベ・テン・カテ(オランダ水利管理局フューチャーセンター)

黒川 清(東京大学名誉教授)

石田秀輝(東北大学大学院環境科学研究科教授)

総括  野中郁次郎(一橋大学名誉教授/w3i 発起人)

コーディネーター:紺野 登(多摩大学教授)、 武部恭枝(プライム・コーポレーション代表)

膨大な議論がなされ、全体の総括は誠に難しいものがありますが、冒頭の岩井克人先生の話で は、『ポスト資本主義ではなく、全く新しい資本主義が求められている。そこには、「倫理の再登場」が必要である。また、そこでは「信任社会」という考え方が重要である』というよな議論が提起されるなど非常に重いディスカションがなされました。

この会議には同日、スイスのダボス会議から帰国したばかりの黒川清先生も参加され、ダボス会議での様子なども話されておられました。

黒川先生とは会議後しばらくお話をさせていただきましたが、いま、正に必要なのは「坂城町など地方の自治体から始まる国づくりである」ということでありました。

また、野中先生の総括では、「今、正に求められているのは自立した人間の自由の追求だけでなく『共通善』(Common Good)を追求することであり、公、共とのco-creation、コミュニティーとの関係をどうとらえるかということが重要となっている。そのためには、身体性を伴う実践(Practical Wisdom)が必要であり、行動をはじめなくてはならない。Common Good に必要なのは「勇気」である。と結論してます。

この会議に参加したすべてのパネリストはすでに、世界中で体を張って実践してこられた方ばかりであり大変勇気づけられました。

黒川 清(東京大学名誉教授)(ダボス会議での写真)

タイのクンチャイ殿下と(正式にはモム・ラーチャオン・ディッサナダー・デッサクンさん)

クンチャイ殿下はドイトン・プロジェクトで貧困の撲滅運動に大きな尽力をされた方ですが、私が以前経営をしていた米国のビジネススクールJAIMSの理事もされています。

スタンフォード大学のバリー・ケイツ教授(技術コンサル会社IDEOの創始者)

バリー・ケイツ先生とは10年ぶりの再会。

今回のホスト役 富士通の山本正己社長と

                                                    

坂城町長 山村ひろし

坂城町消防団、婦人消防隊出初式

昨日(1月27日)、坂城町消防団、婦人消防隊の出初式が開催されました。

前日の雪も止み、快晴の中、威風堂々の行進ならびに式典が厳粛に執り行われました。

以下、坂城町ホームページより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1月27日(日)威風堂々!消防団出初式挙行

出初式01

1月27日(日)、坂城町消防団の出初式が挙行されました。

昨日降り積もった雪が道路に残る中、逆木通りで、手塚団長以下、消防団及び婦人消防隊員約280名による街頭行進が行われました。本日は晴れたとはいえ気温がとても低い中でしたが、行進は消防団から婦人消防隊、消防車へとつながり、その姿は堂々たるものでした。
その後、文化センター体育館において式典が行われ、消防団活動に功績のあった方々の表彰が行われました。表彰された方の一覧は下記リンクからご覧ください。

出初式02

▲婦人消防隊の皆さん(今年から街頭行進では、アクティブコートとキャップを着用)

出初式03

▲式典の様子

出初式04

▲表彰状授与

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂城町長 山村ひろし

坂城町 南条小学校金管バンド さよならコンサート

昨日(1月27日)、昨年の全国大会で金賞を受賞した南条小学校金管バンド(南条ハッピーブラス)の現メンバーによる最後のコンサートが開催されました。

子どもたちに交じってドラムを演奏するハッピーブラス顧問の七沢先生(黒服)

音楽指導をしていただいているブラス・アーティスト早川潔先生の演奏

以下、坂城町のホームページから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1月27日(日)金管バンド部さよならコンサート

さよならコンサート01

  1月27日(日)、坂城テクノセンターを会場に、南条小学校金管バンド部(南条HAPPY BRASS)による「さよならコンサート」が開催されました。

  この「さよならコンサート」は、今年度全国大会で金賞を受賞した、現メンバーによる最後のコンサートです。会場は、同部の演奏を楽しみにされていた皆さんで超満員となり、子どもたちは七澤先生の指揮のもと、これまで応援していただいた全ての方への感謝の気持ちを込めて精一杯演奏しました。

さよならコンサート02-04

  今日演奏したのは、全国大会で披露した『エルビスロックス!』」をはじめ、コンクールや音楽会、運動会、他校との合奏などで演奏してきた、子どもたちにとって思い出がたくさんつまった曲ばかりです。また、新入部員との『スーパーT』(早川潔先生作曲)の合奏や、4、5年生から6年生に贈る曲なども披露されました。子どもたちは、これまで積み上げてきた練習の成果を発揮し、最後の曲が終わると、会場は割れんばかりの拍手で包まれました。

さよならコンサート05-08

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂城町長 山村ひろし              

橋本治先生から手紙

先日(1月1日)、このブログに源盛清について書きました。

(以下のサイトは源盛清についての記述)                 

/home/yamamura/index.php?blogid=432&archive=2013-1-1

その中で、寛治8年(1094年)に起きた白河上皇呪詛(じゅつそ)事件について、橋本治先生の双調平家物語では 、15才の蔵人(くろうど)だった源盛清は白河上皇の寵愛を受ける一方、白河上皇は兄の惟清の妻にも手を出し、それで白河上皇との間で諍いが起こり、結局は惟清の父、仲宗を含め一家5人が「太上天皇呪詛」の罪で流罪となったと明解に書かれておられました。

しかしながら、ほかの文献ではここまではっきりと言い切っているものはないので、先日、失礼ながら橋本先生に元になる資料などについて質問をしました。

お返事をいただくのは難しいだろうなと思っていましたら、早速、昨日、原稿用紙8枚におよぶ説明をいただきました。

また、参考資料は角田文衞氏の「待賢院璋子の生涯」の記述(7〜8頁)であることも教えていただきました。

「待賢院璋子の生涯」 によると 「祇園の女御は、源惟清の妻で、下級の官女として白河上皇の御所に仕えていたらしい。上皇は彼女に手をつけ、寵愛されたため、武弁の惟清は、上皇に恨みを抱くようになった。これを察した上皇は、禍根を絶ち、かつは彼女を独占するため、惟清とその一家を、上皇を呪詛したという名目のもとに、配流に処した」 と書かれています。

橋本治先生はこの話にさらに盛清をからめ、ドラマチックなストーリー作りをされています。

とにかく、橋本治先生のように超ご多忙の先生から直接ご返事を瞬時にいただくとは誠に、驚きました。 ひたすら御礼です。

坂城町長 山村ひろし

ザンビアだより(第4回)青年海外協力隊 竹内希さんから

青年海外協力隊としてザンビアで先生として頑張っておられる、坂城町南条出身の竹内希さんからザンビアだより(第4回)が届きました。

以下、坂城町ホームページから。

ザンビアで単身頑張っておられる竹内希さんに拍手を送ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ザンビアだより~ 平成25年1月 竹内希

「生きること」

みなさん遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!!

日本は、雪かきのシーズンですね。私は人生で初めて、暖かいお正月をザンビアで迎えました。ザンビアは、ほとんどの人がキリスト教徒なので、クリスマスは盛大に祝います。しかし、元旦はクリスマスほどではありません。それでも、花火が上がり、みんなでお酒を飲みかわして、新年を喜んでいるようでした。

ここ数カ月、友人や私自身も体調を崩すことがあり、健康であることの喜びをひしひしと感じました。日本ではなかなか感じることのできない、生きることについて今回は触れたいと思います。

アフリカには、マラリア、黄熱病、コレラ、インフルエンザ、食中毒、狂犬病など、恐ろしい病気がたくさんあります。日本では、病気になっても病院へ行けば、ほとんどの病気は治療してもらえます。なので、あまり死の危険を感じることはありません。しかしここザンビアでは、マラリアや狂犬病を発症した場合、24時間以内に治療してもらわないと死の危険を伴います。そのため、私たちは事前に正しい医療知識を教えてもらい、もしものために備えています。

マラリアは死ぬ病気。そんな病気にいつ誰がなってもおかしくないので、ザンビア人は病気に対して皆、敏感です。常に、周りの人に「How are you?(ご機嫌いかが?)」と声をかけ、体調が悪い人にはすぐに病院へ行くように促します。とても良い雰囲気ですね。日本は医療体制が整っている分、そんな簡単に死ぬことはありません。なので、微熱では無理をするのが当たり前という風潮があります。逆にとらえれば、日本の環境であれば無理ができるというメリットでもあります。ただ、日本社会ではストレスを抱えて死に追い込まれる人が大勢います。そういう人たちは、無理をしないで欲しいです。

ザンビアだより01

▲空からのビクトリアフォール 2013年元旦(撮影:竹内さん)

ザンビアへ来てからは、物が無い、食べ物が無い状況でも、死ぬわけじゃないから大丈夫と思えるようになりました。食べ物は普通に手に入りますが、やっぱり美味しい日本食は食べられません。(笑)また同じように、仕事がうまく行かなかったり、自分の理想通りには行かなくても、そんなめったに死にません。そう思ったら、いくらか楽になりませんか??世界的に見ても、日本人はとても真面目な性格で、仕事をきっちりこなす人が多いです。これは、日本ブランドを生んだ原点でもあります。ただ、その性格ゆえ、自分自身を追い込んでしまう人も多い。時には、自分を甘やかしても罰は当たらないと思います。

生きること、それは食欲、睡眠欲、排泄欲などの生理的欲求を満たすこと。これらが潤滑に行っていれば大丈夫です。そして、大事なのが共に生きること。人は、1人では生きていけません。常に周りの人に支えられて生きています。だからこそ、日々のお互いの身の安全を確認し合える人を作ってください。自分の所在は、親に連絡すること。近所の人に挨拶をすること、これらは自分自身が生きることに関わってきます。

なかなか日本の生活では生きていることを実感したり、得たりすることは難しいです。ただ、私たちが健康で周りの人と共に過ごせている毎日は、とても幸せなことだということを再認識して欲しいと思い、記しました。以外と、周りに人がいればなんとかなるものです。

私も、生きて日本に帰ることを心に留め、こちらでの活動に励んでいきたいと思います。2013年が皆さんにとって、実り多き年になりますように、ザンビアから願っています。

ザンビアだより第4回02

▲ビクトリアフォールに浮かぶ虹(撮影:竹内さん)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂城町長 山村ひろし

国土交通省への要望活動

昨日(1月21日)、国土交通省への要望活動を行ってきました。

昨年、当時の羽田国土交通大臣には度々、坂城町の重要関連事業について要望活動をしてまいりましたが、このたび、政権が変わり、あらたに就任された太田昭宏国土交通大臣他にも継続して諸施策について実施していただくことについてのお願いに伺いました。

太田国土交通大臣とは以前から懇意にさせていただいておりましたが、今回は残念ながらほかの公務が入りお会いすることはできませんでした。

内容については中山秘書官に詳細に説明をし、続いて、菊川技監(前の道路局長)、前川道路局長、瀧口鉄道局長に要望をいたしました。

今回お願いした案件は以下の4点です。

                                 

 1.坂城更埴バイパス坂城町区間3.8kmの早期完成。

   (鼠橋以北の坂城区間の早期完成についてです)

                         

 2.道路整備のための財源の確保。

   (早期実現のための補正、来年度当初予算の確保。)

                        

 3.主要地方道坂城インター線の先線と国道バイパスとの接続。

   (坂城インター先線と国道バイパスの接続が出来れば縦横の主要幹線道が出来ます)

                      

 4.地域公共交通におけるバリアフリー解消の促進。

   (これは、おもに坂城駅へのエレベーター設置についてです。 すでに、24年度に詳細設計の予算をつけていただき実施しておりますが、25年度の本体工事実施に向けての予算確保です)

                     

左から:中山秘書官、山村、宮島議長

                      

左から:菊川技監、山村、宮島議長

                   

左から:青木建設課長、前川道路局長、山村、宮島議長

                        

左から:瀧口鉄道局長、山村、宮島議長

                   

 これから、総額20兆円といわれる、補正予算が審議されます。

 また、続いて25年度当初予算が検討されます。 アンテナを高くして、国、県の動向を見、坂城町の活性化に最大限の努力をいたします。

                             

 坂城町長 山村ひろし

「ブラインドサッカー」講演会と体験会・練習試合

昨日(1月19日)、坂城町文化センターで 「人との絆・夢や希望のかけはし 2013」が開催されました。

(主催:長野県ブラインドサッカー協会、主管:ながのF.C.RAINBOW、協賛:坂城ライオンズクラブ、後援:坂城町・坂城町教育委員会・坂城町社会福祉協議会、 バリューブックス)

講演には、釜本美佐子さん(日本ブラインドサッカー協会理事長)にお出でいただき、「障害者と健常者があたりまえに混ざり合う社会」というテーマでお話をいただきました。

釜本美佐子さんは日本を代表するサッカープレイヤーの釜本邦茂さんの実姉で長くツアーコンダクターとして活躍されておられましたが、18年前に目の障害にかかられ、昨年には完全に視力を失われたとのことです。 しかしながら素晴らしい活動力でブラインドサッカーの普及に積極的に取り組まれておられます。

講演前、しばらくの間お話をさせていただきましたが大変感銘をうけました。

右:釜本美佐子さん

講演に先立ち挨拶する山村 

以下、坂城町ホームページの記事から  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

1月19日(土)ブラインドサッカー講演会・練習試合・体験会開催

 

1月19日(土)、文化センターで「人との絆・夢や希望のかけはし2013」と題して、ブラインドサッカーの講演会、練習試合及び体験会が開催されました。

講演会では、日本ブラインドサッカー協会理事長の釜本美佐子さんをお招きし、「障害者と健常者があたりまえに混ざり合う社会」を演題にご講演をいただきました。
釜本さんは、元サッカー日本代表の釜本邦茂氏の姉で、大阪外国語大学英語科を卒業後、その語学力を活かして海外旅行のツアーコンダクターを勤めておられました。しかし、53歳の時に「網膜色素変性症」と診断され、以来徐々に視野が狭くなり、昨年5月に全く見えなくなってしまったそうです。そんな中で、2001年に韓国でブラインドサッカーの試合を見て、その面白さ、エキサイティングさに感動し、帰国後、日本での普及活動を始めました。最初は、なにもかも手探りの状態でしたが、少しずつ選手、スタッフ、サポーターが増え、今ではパラリンピック出場を目指せるほどになったそうです。ブラインドサッカーは、障害者と健常者が1つのチームをつくるスポーツなので、これが社会にも広がり、障害者と健常者があたりまえに混ざり合う社会を実現したいと話されました。

 

▲釜本さん

講演会の後は、東京のブラインドサッカーチーム「乃木坂ナイツ」のメンバーで現日本代表でもある葭原滋男選手、日向賢選手と釜本さんの3名でトークショーが行われ、世界の国と対戦して感じたことなどをお話いただきました。最後に今後の夢を聞かれると、葭原選手は「リオデジャネイロで開催されるパラリンピックに出場し、ハットトリックを決めてメダルをとりたい」と、日向選手は「リオでメダルをとり、日本一と呼ばれるストライカーになりたい」と力強く答えていらっしゃいました。

 

▲左から葭原選手、釜本さん、日向選手

また、体育館に会場を移し、長野のブラインドサッカーチーム「ながのFCレインボー」対「乃木坂ナイツ」の練習試合と、一般参加者による体験会が行われました。ブラインドサッカーは、縦40m横20mのピッチに、全盲のB1クラスの場合は、アイマスクをした選手4人と、目が見えるゴールキーパー1人でチームを作ります。そして、キーパーと監督、ゴール後ろのコーラーが大きな声で支持を出し、選手は、その支持とボールの中に入っている鈴の音を頼りにプレイします。
今日行われた試合でも、大きな声が飛び交う中、激しいボールの奪い合いや強烈なシュートが繰り出され、とても迫力ある試合が展開されました。
体験会では、一般参加者がアイマスクを着用し、声と音だけを頼りに練習をし、その難しさに皆さん苦労されているようでした。

▲練習試合(ピンク:乃木坂ナイツ、緑:ながのFCレインボー)

                                                 

▲ブラインドサッカー体験会

ながのFCレインボーは、毎週日曜日午後1時からびんぐしの里公園内「スパークさかき」で練習しています。ボランティアとして、ブラインドサッカーを一緒に楽しみたい方はお出かけください。(都合により会場、曜日が変更する場合があります。)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂城町長 山村ひろし