橋本治先生から手紙

先日(1月1日)、このブログに源盛清について書きました。

(以下のサイトは源盛清についての記述)                 

/home/yamamura/index.php?blogid=432&archive=2013-1-1

その中で、寛治8年(1094年)に起きた白河上皇呪詛(じゅつそ)事件について、橋本治先生の双調平家物語では 、15才の蔵人(くろうど)だった源盛清は白河上皇の寵愛を受ける一方、白河上皇は兄の惟清の妻にも手を出し、それで白河上皇との間で諍いが起こり、結局は惟清の父、仲宗を含め一家5人が「太上天皇呪詛」の罪で流罪となったと明解に書かれておられました。

しかしながら、ほかの文献ではここまではっきりと言い切っているものはないので、先日、失礼ながら橋本先生に元になる資料などについて質問をしました。

お返事をいただくのは難しいだろうなと思っていましたら、早速、昨日、原稿用紙8枚におよぶ説明をいただきました。

また、参考資料は角田文衞氏の「待賢院璋子の生涯」の記述(7〜8頁)であることも教えていただきました。

「待賢院璋子の生涯」 によると 「祇園の女御は、源惟清の妻で、下級の官女として白河上皇の御所に仕えていたらしい。上皇は彼女に手をつけ、寵愛されたため、武弁の惟清は、上皇に恨みを抱くようになった。これを察した上皇は、禍根を絶ち、かつは彼女を独占するため、惟清とその一家を、上皇を呪詛したという名目のもとに、配流に処した」 と書かれています。

橋本治先生はこの話にさらに盛清をからめ、ドラマチックなストーリー作りをされています。

とにかく、橋本治先生のように超ご多忙の先生から直接ご返事を瞬時にいただくとは誠に、驚きました。 ひたすら御礼です。

坂城町長 山村ひろし