坂城町 ㈱都筑製作所様からポータブル発電機をご寄附いただきました

  昨日(8月27日)、(株)都筑製作所 栗田社長がお出でになり、同社の80周年を記念して、坂城町にポータブル発電機5台をご寄贈していただきました。

 70周年記念の際にも、ガスボンベ式の発電機をご寄贈していただきました。

 以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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 8月27日(木)、㈱都筑製作所  栗田有樹 代表取締役社長が役場を訪れ、同社の創業80周年を記念して、町にポータブル発電機5台をご寄附くださいました。

 栗田社長は、「町が開催するイベントに活用してほしい。また、あっては困ることではあるが、災害時などにも役立ててほしい。」とご挨拶し、山村町長は「70周年記念に続き感謝している。町は、令和元年東日本台風の際の避難所停電の教訓から、中核避難所に順次太陽光発電設備を設置しているところであるが、それとは別にポータブル発電機があると機動力があり、大変ありがたい。」とお礼を述べていました。

 ㈱都筑製作所様からは、創業70周年記念の際にもポータブル発電機をご寄附いただいており、町のイベントや操法大会などの際に活用させていただいています。今回ご寄附いただいたポータブル発電機は前回いただいたものと仕様が異なるため、利用環境により使い分けができます。

 ご寄附ありがとうございました。また、創業80周年おめでとうございます。

坂城町長 山村ひろし

令和6年度 坂城町総合防災訓練を実施しました

 昨日(8月25日)、坂城町村上小学校で令和6年度坂城町総合防災訓練を実施しました。 村上地区の皆さんを中心に約200名の方にご参加いただきました。

 令和元年の19号台風の災害時には、この村上小学校に400名以上の方と避難したことを思い出します。 また、その際の教訓を得て、各中核避難所への太陽光パネルの設置、大容量蓄電池の整備、各種備蓄品配置の強化、防災行政無線やWi-Fi環境などの通信手段の強化、安心の蛇口の整備など種々の防災対策を進めてまいりました。 また、今回の訓練では、新たに、ペット同行避難訓練なども実施しました。 

 皆様お疲れさまでした。ありがとうございます。 以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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 8月25日(日)、 村上小学校で令和6年度坂城町総合防災訓練を実施しました。東海地域を震源とする地震を想定しての訓練を、村上地区の地区役員や自主防災会の方などが参加して行いました。なお、前日の雨によるグラウンドコンディション不良のため、水防訓練と放水訓練は中止となりました。(各種訓練内容は下記のとおりです。)

  • 情報伝達訓練(同報系):町からの避難情報発信
  • 情報伝達訓練(移動系):自主防災会と災害対策本部との双方向連絡通信
  • 避難訓練:自宅もしくは公民館から中核避難所への避難
  • 避難所運営訓練:パーテーションや簡易トイレの設営や食料物資受入れなどの避難所の運営
  • 応急手当訓練:千曲坂城消防本部職員が講師となり応急手当等の講習を実施
  • 災害時公衆無線LAN開設訓練:避難所に無料Wi-Fiを開設
  • 臨時災害放送局開設訓練:UCVが臨時災害放送局を開設し災害情報等を発信
  • 給水訓練:長野県企業局 上田水道管理事務所による安心の蛇口の設営訓練
  • ペット同行避難訓練:長野県動物愛護会長野支部によるペット同行避難についての講習

 地震による災害が全国で多く発生しています。恐ろしい災害は、いつ起こるかわかりません。また台風の時期となっています。皆さんのご家庭でも、災害時の行動を相談しておく、非常時の持ち出し品を用意しておくなど、災害に備えておきましょう。

▼避難訓練 自宅もしくは公民館から村上小学校への避難

坂城町長 山村ひろし

坂城町 村田俊明様より、男谷燕斎など、貴重な屏風2点をご寄附いただきました

 村田俊明様から、六曲一双の屏風2点をご寄附いただきました。

 素晴らしいものです。 よくこのような貴重なものを200年間保存していただきました。 感謝です。

 村田俊明様から、男谷燕斎書屏風(六曲一双)と、書画押絵貼屏風(六曲一双)をご寄贈いただきました。これらの屏風は、村田家が家宝として代々伝えてこられたそうです。町に所縁のある男谷彦四郎(燕斎)が残した書を、多くの人に知ってほしいと、村田さんが町にご寄贈くださいました。

 男谷燕斎書屏風の作者である男谷彦四郎(燕斎)は、江戸時代後期の幕臣です。文化10年(1813年)に、代官として中之条陣屋に赴任しました。能書家でもあり、町にも数々の書が残されています。
 男谷燕斎書屏風は、それぞれ「田園楽」と「赤壁賦」という漢詩の一節を大書したものです。力強く、勢いのある筆に圧倒されます。男谷彦四郎(燕斎)の書は、掛け軸となっているものが多いため、屏風に仕立てられた本作はとても珍しく貴重な作品と言えます。

 書画押絵貼屏風は、日本画と和歌を交互に配置した屏風です。和歌の作者は「道庵山人正香」という人で、各所で目にした風景や心情が詠まれています。道庵山人がどのような人物かは現在不明ですが、この地の書家あるいは歌人である可能性が高いと考えられます。

 いずれも、町の歴史や文化を物語る大変貴重な作品です。ご寄贈ありがとうございます。大切に保管し、展示などに活用していきたいと考えています。

 貴重な屏風をありがとうございました。

 なお、男谷燕斎については私のブログなど検索していただければ幸いです。

https://yamamurahiroshi.sakura.ne.jp/archives/3805

▼男谷燕斎書屏風 前で(左から)臼井副町長、山村、村田さん、塚田教育長

坂城町長 山村ひろし

坂城中  昭和54年度卒業の皆様からご寄附いただきました

 坂城中学校を昭和54年度卒業した皆様から坂城中学校にご寄附いただきました。

 当時生徒会長だった笠井識敬さんが、8月22日(木)、役場に来られ、山村と塚田教育長に寄附金をお渡しいただきました。

 昭和54年度卒業生の皆さんは今年度還暦を迎えるということで、それを記念して8月11日(日)に同窓会を開催されたそうです。

 同窓会では、現在の坂城中学校の活躍ぶりなども紹介されたということで、参加された皆さんは当時を懐かしむと同時に今、頑張っている生徒の皆さんを応援したいという思いから、同窓会で集めたお金を母校に寄附してくださいました。

 ご寄附ありがとうございます。先輩方のお気持ちを大切に使わせていただきます。

▼(左から)山村、笠井さん、塚田教育長

坂城町長 山村ひろし

坂城町 北原琥汰朗さん甲子園出場!! 山﨑 優里愛さん全日本ジュニアテニス選手権出場!!

 それぞれのフィールドで活躍している北原琥汰朗さんと山﨑優里愛さんが、8月21日(水)、役場に来庁しました。

 長野日本大学高校3年 北原琥汰朗さんは8月7日から始まった「第106回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)」に出場しました。

 初戦を今大会4強となった青森県代表 青森山田高校と対戦し、結果は1-9と敗退しましたが、15年ぶりに出場し力の限りを尽くした北原さん、「甲子園に出ることが夢で頑張ってきた。高校3年の間には、自分の中で葛藤することもあったが、チームのために自分のできることは何かを考えて懸命にやってきたので、負けてしまい残念ではあるが悔いはない」とすっきりした様子でお話していました。

 坂城中学校2年  山﨑優里愛さんは、7月に開催された「2024年度 北信越ジュニアテニス選手権大会(U14・U12)兼 ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権大会 2024北信越地区予選大会」の14歳以下で3位となり、8月26日(月)から開催される「ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権2024」に出場します。大会では自分のペースで、楽しんでください!

坂城町長 山村ひろし

外村里紗さん ヴァイオリン・コンサート in 坂城町

 素晴らしい、至福の時間でした。

 サントミューゼ(上田地域定住自立圏連携事業)のプログラム、ワン・コインコンサートが新装なった坂城町文化センターのホールで開催されました。 

 それは素晴らしいコンサートで正に至福の時間を過ごさせていただきました。

 20歳代前半の海外で活躍されておられるこのお二人に絶大なる拍手を送ります。

 また、ヴァイオリニストの外村さんの使用されているヴァイオリンは「ヨアヒム」と名付けられているもので、かつて、ブラームスと同時代に活躍した、ヨーゼフ・ヨアヒムの所有していた楽器で1715年製のストラディヴァリウスです。素晴らしく重厚で輝かしい音色を堪能させていただきました。

 お二人の益々のご活躍をお祈りいたします。 ありがとうございました。

▼演奏終了後の記念撮影。外村里紗さん(ヴァイオリン)、吉見友貴さん(ピアノ)と。

坂城町長 山村ひろし

坂城町 DOCOMOMO Japan「日本におけるモダン・ムーブメントの建築290選」に選定された町体育館に選定プレートが贈呈されました

 2023年度(令和5年度)に、DOCOMOMO Japanと日本建築学会により「日本におけるモダン・ムーブメントの建築290選」の282件目として、坂城町体育館が選定されました。それを受けて、8月19日(月)、DOCOMOMO Japanの皆さんと町体育館を推薦した長野県建築士会の皆さんが、役場を訪れ、町長に、選定プレートを手渡しました。

 DOCOMOMOとは、1988年に設立された近代建築の記録と保存を目的とするオランダで設立された国際学術組織です。(International Working Party for Documentation and Conservation of biuldings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)

 2000年には、日本に支部が設置され、毎年国内の近代建築を選定し、2023年度で累計で「290選」が選定されています。

 今回、選定された一番の理由は、「設計図面の美しさ」にあるそうです。それが、今も長きに渡り、町の皆さんに親しまれているんですね。今度、体育館にお越しの際は、外観もじっくりご覧になってみてください!

中央:選定プレートを持つ、山村とDOCOMOMO Japanの鰺坂徹代表理事

坂城町長 山村ひろし

令和6年 第69回坂城町二十歳の集い

8月15日(木)、7月にリニューアルした町文化センターで「第69回 坂城町二十歳のつどい」を開催しました。

 町内では、平成15年4月2日から平成16年4月1日生まれの125名が20歳を迎えており、そのうち101名の皆さんが式典に出席されました。

 式典が始まる前の受付では、数年ぶりの仲間との再会に嬉しさいっぱいに抱き合ったり、笑顔で近況を報告しあっていました。

 式典では、まず、戦没者の方々への追悼と世界の平和を祈るため黙祷が行われ、その後、二十歳のつどい実行委員会代表の榊原陽太さんがあいさつしたほか、中学校時代の担任の先生からお祝いの言葉や歌が20歳を迎えた皆さんに贈られていました。

 また、今年は、各小学校や中学校時代の写真や動画を集めた「二十歳のつどい記念動画」が作られ、動画が流れると、嬉しさや恥ずかしさ、懐かしさなどの「きゃあ~!!」という歓声が会場中から起きていました。

 20歳!おめでとうございます!

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以下は、山村からのメッセージ。

「令和6年。諸君はこの時代にどう生きるか。」

  二十歳の集いにご参加された皆さん、本日は誠におめでとうございます。元気いっぱいの皆さんに今日、お会いできることを何よりうれしく思います。また、今日まで暖かい愛情を持ってお子さんを立派に育て上げられたご家族、保護者の皆様に心より、お祝いとお喜びを申し上げます。  かさねて、本日、ご多用のところ本式典においで頂いた、滝沢議会議長殿をはじめ多くのご来賓の皆様に御礼申し上げます。さて、坂城町ではかねてより、成人式を毎年、終戦記念日に開催しています。また、以前は1月の成人の日に開催していたこともありますが、冬、雪の中での開催が難しい場合がありました。一方、8月の開催ですと、お盆の時期で皆さんが帰省しやすい時期であることと、8月15日の終戦の日にあたり、あらためて命の大切さ、平和の大切さ、国のあり方などを考える良い機会になることで、二十歳の集いとしても本日の開催としています。

さて、今年度の対象者数は125人で、そのうち80%にあたる、101名の方にご参加いただきました。

皆さんは今日の二十歳の集いを迎えてどのような心境でしょうか。 皆様の中では、すでに社会に出て働かれておられる方、学生の方、働きながら勉強をされておられる方がおられます。

 また、坂城の中で家業を継がれておられる方、遠く坂城を出て活躍されておられる方々などいろいろな立場で本日おいでになっておられると思います。久々に懐かしい方々との旧交を温められ、心躍る感傷に浸っておられる方々も多いかと思いますが、折角の節目でありますので、皆さんが成長されたこの20年間を、お世話になった方々への感謝の念をも抱きながら種々思いをはせていただきたいと思います。

 今年は坂城町で開催される、第69回目の式となります。また、本年は戦後79年目の年となりました。本日は、二十歳の集いを迎えられたこの機会に、今、この時代にどう生きるかについて考えていただきたいと思います。

 皆さんとともに過ごしている、この時代は、まさに、近世の「大転換期の時代」と言われています。近世の大転換期と言えば、今まで、2つありました。まず、何といっても明治維新です。それに続くのは、第二次世界大戦での敗戦です。

 まず、1868年の明治維新からは今年で、約160年になりますが、明治維新から昭和22年、1945年の敗戦までが約80年、敗戦から今年までも約80年となります。

 明治維新から欧米に追い付け追い越せで結果的に太平洋戦争に突入し、敗戦をし、戦後の復興をし、現在に至るまでに見事に左右対称になったわけであります。

 そして、また、今、我々の暮らしているこの時代は、今までの価値観が一掃される大転換期と言わざるを得ません。

 ロシアがウクライナに対して侵略を始めて、早や、2年半、その間には、イスラエルとパレスティナの紛争など、かつての安定的な世界平和の維持が難しい状況となっています。

 このような混沌とした時代こそ、これからの皆さんの活躍が期待される時代となってきました。 この大転換期のなか、皆さまの大活躍を期待せざるをえません。

 さて、今年は令和6年です。

一般的に公表はされておりませんが、この「令和」の命名者とも言われている、中西進さんによれば、この「令和」の和は単なる平和ではなく、大和の和だとおっしゃっています。 従って、令和の意味は厳かな平和と言うことだけでなく、「厳かな、立派な日本」と言う意味になります。この意味を皆さんともう一度、深く考えたいと思います。

 さて、私の大切にしている言葉に「意味のある偶然」という言葉があります。

 これは私が使い始めて、いろいろな機会にお話しています。

 人は毎日、毎日いろいろな人と「偶然的出会い」を続けています。

皆さんの多くは、この坂城町で生まれ、育ちました。

 そして、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、あるいはいろいろな職場で毎日、いろいろな人と「偶然的な出会い」を続けています。

 しかしながら、この「偶然」を単なる「偶然」として送りすごすか、自発的な能動的なアクションをとることにより「意味のある偶然」にするかどうかはその人の人生にとって大きく意味合いが違ってきます。

 毎日毎日、刻一刻と「偶然的な出会い」が皆さんの前に訪れます。

これからの人生にとって、この「偶然的な出会い」を「意味のある出会い」にするよう心がけていただければと思います。 いくつか関連したお話をします。

 まず、皆さんよくご存知の、日野原重明さんが、一昨年105歳でお亡くなりになりました。日野原先生は100歳を越えても現役の医者として活躍し、たくさんの本をお書きになったり、ミュージカルの脚本をお書きになったりしていました。

 日野原さんは生前「命」について、いろいろな講演会、著書で述べられていました。

 それは、「命」とは何かです。 

 日野原先生は常に、「皆さん、皆さんの命は見えますか。」という問いかけをされます。

 命は見えません。「命」とは皆さんの持っている「時間」のことだというのですね。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまうわけです。

 したがって、一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。 

 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい。ということです。 

 さきほど、私が申し上げた「意味のある偶然」も含めて、それを意味のある「時間」として使っていただければということですね。

 また、私は、毎年、成人式に際して、「命」の大切さについてお話をしています。これは毎年同じ話をしています。

 皆様方は、ご両親から頂いた「命」の大切さについてどう考えておられるでしょか。

 昨今、毎日のように悲惨なニュース、それも今までは考えられなかったような事件が発生しています。

 皆さん、私は「命」は大自然からお借りした大切な「宝物」だと思っています。

 皆さんの命は皆さんのご両親が突然作り出したものではありません。皆さんのご両親、ご両親のご両親、どんどん遡れば地球誕生から約46億年、太陽系の起源から考えれば約130億年前から営々と皆様のDNAが脈々と続いてきているわけであります。

 大自然からお借りした「命」を立派に、立派に磨き上げ再び大自然にお返ししなくてはならないのです。

 仮に、皆さんが友人からゲーム機を借りたとします、これを傷つけたり、ベタベタに汚して返したら皆さんの友人は何と思うでしょう。

 借りた時以上に見事に磨き上げピカピカにして返したら皆さんの友人は何と喜ぶことでしょう。皆さんの「命」もこのようにピカピカにして命を全うし、大自然にお返ししなくてはならないのです。

 今から80年前、戦時中では成人するということは即、戦場に行くということでありました。敵と戦うということでありました。見も知らぬ人間の命を奪う戦いをせざるを得ないということでもありました。今日、この際にもう一度皆様方各々で皆さんの「命」の大切さについて考えていただきたいと思います。

 最後に、大人が子どもの命を救ったという話です。 また、ポーランドと日本に関わる話です。

ことし、10月に坂城町とポーランドのツェレスティヌフ郡と友好協定を締結する予定になっており、ポーランドへお邪魔する予定になっている関係もありますので、以下お聞きください。

 新型コロナの流行する前でしたが、ポーランドのワルシャワで日本語学校を経営されておられる、坂本龍太郎さん経由で、ツェレスティヌフという郡のウィトルド・クウィトフスキーさんという郡長さんから、坂城町との間で「パートナーシップ協定」を結びませんかと言う申し入れをいただきました。 

 坂城町では10数年前から、ワルシャワ日本語学校の生徒さんのサマープログラムとして、ホームステイの皆さんを受け入れていました。 

 この学生さんたちはわずか2~3年日本語を勉強しただけなのですが、皆さん素晴らしい日本語を話しますし日本の文化、歴史など大変詳しい方々で、大の親日家です。

 これからお話しするのは、日本ではほとんど知られていない近現代史の秘話、「シベリアにいたポーランド孤児を日本が救った。」と言う物語です。

 これは、約100年前の1918年(大正7)から始まった当時の日本陸軍による「シベリア出兵」最中の出来事です。

 まず、なぜシベリアにポーランド人がいたのだろうかということですが、ポーランドは、ロシア・ドイツ・オーストリアという強大な隣国に分割され続け、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年)で形式上独立するも、ロシア皇帝が君臨するという実質上のロシア領であり続けたわけですが、ポーランド人は決して屈することはありませんでした。

 19世紀、ポーランド人は真の独立を勝ち取るべく二度にわたって帝政ロシアに対して独立戦争を挑みました。しかし、蜂起は鎮圧され、さらに蜂起に立ち上がった多くのポーランド人は政治犯としてシベリアに強制的に送られました。

 その後、第一次世界大戦で戦場となったポーランドの人々がシベリアに逃れ、シベリアのポーランド人は15万人から20万人に膨れ上がりました。そんな最中の1917年にロシア革命が起き、翌年1918年に第一次世界大戦が終結してようやくポーランドは独立を回復します。

 しかしながら、シベリアのポーランド人は、ロシアの内戦で祖国への帰還が困難となり、それどころか生活は困窮を極め、餓死者などが続出したのだった。

 そんな同胞の惨状を知ったウラジオストク在住のポーランド人が彼らを救済するため「ポーランド救済委員会」を立ち上げた。そして彼らは、せめて子供達だけでも救って祖国へ帰してやりたいと欧米各国と折衝をしましたがことごとく断られてしまいました。

 もはや万策尽きたなかで、ポーランド救済委員会はシベリアにいた日本軍ならびに日本政府に救援のお願いをしました。

 その申し入れを受けて、当時の外務省は、日本赤十字社に救済事業を要請し、7月5日に子供らの救護活動に入ることを決定します。

 ただちに日本陸軍が救援活動に動き出し、救援決定からわずか二週間後の7月20日に56名の児童とポーランド人の付き添い5名を乗せた日本陸軍の輸送船「筑前丸」が第一陣としてウラジオストクの港を出港した。

 3日後の7月23日、筑前丸が福井の敦賀港に入港し子供達が上陸するや、日本赤十字をはじめ軍や警察、役場、さらに一般の敦賀の市民までもが孤児たちを温かく迎え入れた。

 病気に罹っている子供を治療し、お腹を空かしている孤児らに食事や菓子を与え、そして入浴させて新しい衣服に着替えさせてやるなど、皆が孤児らを慈愛の心で包み込んだのです。

 そして手厚く看護されて元気を取り戻した子供達が横浜港から船でアメリカに向かうことになった。ところがそのとき、ちょっとしたハプニングがおきました。ポーランド孤児達が、泣きながら日本を離れたくないと言い出しましたのです。

 極寒のシベリアで極貧の生活を強いられ、親を亡くして人の愛情に触れることのなかった孤児達にとって、誰もが親切な日本はまさに天国でした。彼らにとって日本はもう“祖国”になっていたのです。

 横浜港から出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、ポーランドの付添人に抱かれて乗船することを泣いて嫌がりました。

 埠頭の孤児たちは「アリガトウ」を連発し、『君が代』の斉唱をして幼い感謝の気持ちを表して別れを惜しみました。

 だがそれでもまだシベリアにはおよそ2000名の孤児が救援を待っていた。

 再び日本に対し救援を求め、日本赤十字も最終的に急を要する孤児約400名を受け入れることを決定、再び陸軍が支援に乗り出しました。

 1922年8月、輸送船「明石丸」と「臺北丸」が3回にわけて孤児390名をウラジオストクから敦賀に運びました。もちろんこの第二陣の児童らも前年同様に敦賀の人々に温かく迎えられ、大阪の天王寺に建てられた大阪市立公民病院宿舎に収容されました。

 大阪での歓迎ぶりもまた、東京でのそれに勝るとも劣らぬものがありました。

神戸港からの離別風景も同じで、帰国児童一人一人にバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちも、涙でこの子たちの幸せを祈りながら船が見えなくなるまで手を振って別れを惜しみました。

 この8回にわたる救済活動で、合計765名の子どもたちが救われました。

 しかし、この物語はこれで終わりではありませんでした。

 平成7年(1995年)、阪神淡路大震災が起きました。この際に、ポーランドの人々は、この震災で孤児になった人々の救援に立ち上がります。

 平成7年と8年、ポーランド政府が阪神淡路大震災の被災児童らをポーランドに招待し、ワルシャワで4名のかつてのポーランドのシベリア孤児との対面などを通じて子供達らを温かく励ましました。

 その後も、ポーランド政府は、平成23年に発生した東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供達を2週間もポーランドに招いてくれました。

知られざる日本とポーランドの交流秘話~両国の絆は日露戦争にさかのぼり、その後のシベリア出兵で結果として、765名のポーランド孤児を救援することができた、両国の感謝の応酬は今も続いているのです。

 また、2018年11月20日には、このセレスティナウ町に近い、スタラ・ヴェシに「ポーランド・シベリア孤児記念小学校」も設立されました。

2019年には、日本とヨーロッパ一の親日国家ポーランドとの国交樹立100年を迎えました。 そして、数年前には、シベリア孤児来日100周年を経過しました。

 さあ、本日は、皆様で二十歳の集いをお祝いをするとともに、先ほどお話した内容なども含めて、世界の平和、命の大切さなどについて、皆様でディスカッションをしていただければと思います。    

 令和6年8月15日  坂城町長 山村弘

(参考:「日本ポーランド国交樹立100周年記念誌」、「親日を巡る旅」(井上和彦著)他、多数の資料から引用させていただきました。)

坂城町長 山村ひろし

第47回町民まつり 坂城どんどん 盛大に開催!

 8月3日(土)、坂城駅前・横町・立町通りで、第47回町民まつり 坂城どんどんが開催されました。

 昨年は残念ながら、おどり流しは雨のため中止となってしまいましたが、今年は5年ぶりにおどり流しまで行われ、息の合った正調おどりや工夫の凝らされたパフォーマンスおどりなどで横町・立町通りが大いに盛り上がっていました。

 日中のステージ発表では、体温を超えるような暑い中でしたが、各ステージとも素晴らしいパフォーマンスでお客さんから大きな拍手や声援が送られていました。そして、音楽芸人こまつライブでは、キーボードとトランペットの一人二役での演奏が披露されると、観客の皆さんは音楽に合わせて楽しそうに手拍子をとったり、ジャンプしたりしていました。

 また、坂城町が誇る武将、村上義清の没後450年を迎えたことから、「村上義清ダンボール甲冑行列」も行われ、田町から横町通りをダンボールの甲冑をつけた子どもたちが練り歩きました。

 暑い中、多くの皆さんのご協力と遊びに来てくれた皆さんに感謝します。ありがとうございました!!

 踊り流しの部 優勝者は、正調の部:「北国街道~道中連」、パフォーマンスの部:「坂城中学校3学年」でした。 おめでとうございます。

坂城町長 山村ひろし

坂城町 小宮山直さん 長野県 「商工会青年部主張発表大会」で最優秀賞受賞!

 坂城町商工会青年部で、前部長の小宮山直さんが、長野県商工会青年部連合会が主催する「商工会青年部主張発表大会」で最優秀賞を受賞し、9月に長野市で、11都県が参加して行われる「関東ブロック大会」へ出場します。その報告のため、8月2日(金)、役場に来庁されました。

 小宮山さんが青年部部長だった時に、坂城町商工会青年部創立50周年を迎えたことをきっかけとして、コロナ禍でしばらく行われなかった「千曲坂城陣太鼓」を復活させたこと、その発表の場として、歴代の坂城町商工会青年部のOBの皆さんが一堂に会した創立50周年式典で披露したことなどを10分間の持ち時間でスピーチし、見事最優秀となりました。

 小宮山さんは、スピーチすることを予め書き出してから発表しているとのことですが、回を追うごとにアレンジが加えられているということで関東ブロック大会ではどんなスピーチとなるのでしょうか!?楽しみですね!

 小宮山さんのスピーチを通して、関東ブロックの皆さんに坂城町の魅力が届きますように!

▼(左から)山村町長、小宮山さん、 坂城町商工会青年部 澤崎部長、坂城町商工会 宮川主任経営支援員

坂城町長 山村ひろし