第4回新作日本刀研磨外装刀職技術展覧会

6月27日から28日まで、坂城町行政協力員会(区長会)の皆様と視察研修旅行で愛知県豊田市、犬山市への視察に参りました。

帰りの途上に、私だけ寄り道をさせていただいて、28日の夕方、ホテルオークラの隣にある大倉集古館で開催中の 「第4回新作日本刀研磨外装刀職技術展覧会」 を拝見してまいりました。

6月8日~7月28日まで開催

この展覧会は公益財団法人日本刀文化振興協会(会長:柳井俊二、専務理事:宮入恵)が、日本刀文化についての理解ならびに伝統技術の継承と発展を支援する目的で毎年開催されているものですが、今回の展示会で宮入恵さんの弟子4人が作刀部門で素晴らしい作品を出され、全員が入賞されました。

誠に素晴らしい快挙です。

まず、最高賞の経済産業大臣賞を受賞されたのが、川崎仁史(晶平)さん。

川崎さんは現在、埼玉県で自分の鍛刀道場を持たれ独立されています。

川崎仁史(晶平) 経済産業大臣賞

                   

次は、根津啓(秀平)さんで、金賞第二席を受賞されました。

根津啓(秀平) 金賞第二席

                           

さらに、上山陽三(輝平)さんは金賞第三席・新人賞を受賞されました。

上山陽三(輝平) 金賞第三席・新人賞

                             

また、河内一平さんは銀賞第一席を受賞されました。

河内一平 銀賞第一席

                              

川崎さんを除いた3人は坂城に住まれて宮入道場で師匠とともに作刀活動を活発に行われています。

皆さん方は、びんぐしの里公園で開催される 「こどもフェスティバル」 などで、毎回、「小刀」 つくりなどの体験学習を指導していただいています。

宮入刀匠の作品(審査員として)

坂城町における刀剣文化は特別な存在です。

宮入刀匠を中心とした若手の作刀家たちを町としても大いに育てバックアップしていきたいと考えています。

今後の益々のご活躍をお祈りいたします。

(*以上、資料は同展覧会図集より引用させていただきました)

坂城町長 山村ひろし

坂城町 こども能楽教室

 先日(6月26日)、重要無形文化財総合指定保持者で観世流の能楽師である松木千俊先生と坂城松謳会によるこども能楽教室が坂城町の3小学校で開催されました。

各小学校の5、6年生が参加しましたが、当日は能面に実際に触れる機会もあり全員が興奮気味に授業に参加しておりました。

来年の8月31日(日)には、2年ぶりに、坂城びんぐしの里公園で 「薪能」 が開催されます。

前回と同様、松木先生のほか、野村萬斎さん他、錚々たる方々の出演が予定されています。

その時に備えて子どもたちも今から練習のスタートです。

私は南条小学校の授業に参加しました。

以下は、いずれも南条小学校の様子。

松木先生のお話し

能面に触れる

能面を付けて舞台に上がる

海野師範による発声練習

「猩々」を舞う三井梨央さん

他の小学校の様子など、詳細は以下の坂城町ホームページのサイトよりご覧ください。

http://www.town.sakaki.nagano.jp/dekigoto/W034H0000047.html

以下は番外編で、授業の後の会食のワンショット

授業終了後の会食で

左から:海野師範、松尾名誉師範、山村、松木先生、宮入刀匠

なお、以下のサイトは松木先生のブログより。素晴らしいコメントをいただいております。

http://www.matsunokai.com/private/3724/

http://www.matsunokai.com/private/3720/

坂城町長 山村ひろし

上田市上室賀と坂城町上五明の永遠の契約

入会権解消と地上権設定

先日(6月16日)、上田市上室賀自治会(自治会長:白鳥 公さん)と坂城町上五明区(区長:山城賢一さん)のみなさんと一緒に「つけば料理」(つけば小屋での川魚料理)をいただきました。

上室賀の皆さんをご招待しての食事会です。

上五明の皆さんは明治以来、長い間、上室賀地区の特別に認められた地区で秣(まぐさ)や薪などの伐採を許されていました。

その御礼として、長い間、つけば料理で上室賀の皆さんをご接待する慣習がありました。

前回、私も参加させていただいた折に、このような行事はいったい、いつから始まっているのかとお尋ねしたのですが、なかなか契約書などを拝見する機会がありませんでした。

先日のつけば会の際に、上室賀自治会長の白鳥さんが契約書のコピーなどをお持ちいただき内容が判明しました。

大正10年11月の入会権解消と地上権設定の協定書

この協定書によると、明治以来種々の紛争のあった隣接地域での入会権問題について円満に解決を行い、長期にわたる地上権設定を認めたものです。

上五明地区との協定の一部を以下示します。(抜粋)

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1、地上権設定区域の立木、竹そのほかの森林副産物は総て上五明区の所得とする

1、地上権設定期間は永代とし50年毎に継続更新するものとする

1、上五明区は地上権の地代として毎年11月20日を期して室賀村に対し玄米3石5斗9舛を支払うものとす

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以上にあるように、上室賀と上五明の間で 「永代」(無期限)の契約が結ばれたのです。

地代としての「玄米3石5斗9舛」について、現在では年間12万円をお支払いしているとのことです。

近隣地区とのトラブルをこのような形で解消し、「永代」にわたるお付き合いをされておられる知恵を学びました。

なお、上室賀自治会では秋には上五明区の皆さんをご招待して「松茸料理」でのおもてなしをされておられます。

坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第17回目は永井直治

 永井直治(ながい なおじ、1864年~1945年 旧姓 柳澤直治)は坂城町中之条出身の日本基督教会の牧師・聖書翻訳者として有名です。

 永井直治は柳澤与忽、しげ、の次男として元治元年(1864年)に中之条で生まれました。
 その後、塚田家の養子となり、塚田直治として明治23年(1890年)に明治学院神学部を卒業し東京浅草協会の牧師となりますが、明治24年(1891年)には柳澤家へ復籍し、柳澤直治を名乗ります。
 さらに2年後の明治26年(1896年)には埼玉県の永井家の養子となり、永井直治となり聖職者として活動します。
                  
永井直治の写真
(柳澤知夫さん提供、永井直治は柳澤知夫さんの大叔父にあたります)
                    
 
 聖書には多くの系統があります。
 明治になって、日本でもいくつかの系統の聖書が使われていたのですが、永井直治が翻訳をしたのは、エラスムス(1466年〜1536年 オランダの哲学者・宗教学者)が1516年に出版したと言われるギリシャ語本文で「正統派本文」と言われるものです。
              
 永井直治はこの原点と言われるギリシャ語本を翻訳し、昭和3年に自費出版をしました。
                           
「新契約聖書」の表紙
                     
                      
 この聖書は「永井訳新約聖書」と言われ、内村鑑三、尾島真治、中田重治などが推奨し、内村鑑三が「新契約聖書への序言」を書いています。
                                
                    
内村鑑三の「序言」    
                    
                                        
 また、中田重治は、これを一層普及させるためには、会社を作る必要があるとし信徒の有力者たちに呼びかけ、株主を募集し、日本聖書会社という株式会社を設立しました。
 そして、「新契約聖書」の一冊50銭の廉価版が出版されました。
                              
                 
 さらに、昨年、2012年には以下の新刊が再発行されました。
再刊された新契約聖書(2012年)
                                        
 
  以上、明治、大正、昭和と聖職者・研究者・翻訳者として活躍した坂城町中之条出身の永井直治のご紹介です。        
 
         
                       
                     
 坂城町長 山村ひろし

第17回機械要素技術展(東京ビッグサイト)

 昨日(6月20日)、東京ビッグサイトで開催されている、第17回機械要素技術展に行ってまいりました。

本展示会は一昨日から、本日(21日)まで開催されていますが、今年は前年よりもさらに多くの出展社が創意工夫をした展示を行っていました。(昨年は1800社程度でしたが今年は2000社程度が出展するアジア最大の展示会だそうです。)

坂城町のブースも大変洗練されたものになり、多くのお客さんが訪問されていました。

なお、今年の出展社は アルプスツール、 イケダ、(有)エフディ企画、 ケーエムケー、 長野大崎製作所、 ヤマザキアクティブの6社です。

一方、近くのブースで多くの客を集めていたのは、3Dプリンターを紹介しているコーナーです。

3Dプリンターの展示は昨年はありませんでしたので、今年になりこのような盛り上がりを見せています。

坂城町の企業の皆さんに是非とも注目願いたいところです。                       

米国ストラタシス社のブース

日本のキーエンスは2日前に発表した新製品(Agilista)を披露

とにかく、大変な人いきれで盛り上がっていました。(主催者ホームページより)

日本の工業を支える高度な機械要素技術を持たれている企業のすごい熱気を感じました。

坂城町長 山村ひろし

「第8回さかき千曲川ばら祭り」 閉会

6月1日(日)、から開催しておりました、「第8回さかき千曲川ばら祭り」 は昨日を持ちまして閉会しました。

16日の期間を通じて、約4万人弱の方々にお楽しみいただきました。

売店にも多くのお客さんがお見えになりました。

ばらのゲイトで記念撮影

「おいしい信州風土(フード)」宣伝隊の皆さんも来訪

                                                

今年は、寒さのため、スタート時点では小ぶりの状況でしたが、ここ一週間前から満開の素晴らしいばらの花を楽しむことができるようになりました。

薔薇人(バラード)の会の皆様を中心に多くのボランティアのご協力の賜物です。

あらためて御礼申し上げます。

「ばら祭り」は閉会しましたが、今月中はまだまだ満開のばらを楽しめます。

まだお出でになられていない方々のご来訪をぜひお願い申し上げます。

坂城町長 山村ひろし

坂城町消防団ポンプ操法大会

昨日(6月16日)、平成25年度坂城町消防団ポンプ操法大会が開催されました。

挨拶する山村

朝8時から昼前までポンプ車操法に4つの分団、小型ポンプ操法に7つの分団が出場し、日頃磨いた技術、チームワークを競いました。

優勝は、ポンプ車操法の部が、第2分団(金井)、小型ポンプ操法の部が第10分団(上五明)でした。

今月30日に開催される、埴科ポンプ操法での健闘を期待します。

詳細は以下の坂城町ホームページをご覧ください。

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6月16日(日)坂城町消防団ポンプ操法大会

H25町ポンプ操法大会第2分団

▲ポンプ車操法の部優勝 第2分団

6月16日(日)、四ツ屋消防ポンプ操法訓練場で、町消防団ポンプ操法大会が開催されました。

この大会は、消防団が常時の訓練成果を発表するとともに、審査による不備欠陥を是正し、消防技術の向上発展と士気の高揚に資することを目的に行われます。大会は、ポンプ車の部(第2、4、7、9分団)と小型ポンプ操法の部(第1、3、5、6、8、10、11分団)の競技と、ラッパ分団によるラッパ吹奏が行われ、町内の各分団が日頃の訓練の成果を披露しました。

大会の結果(入賞)は以下のとおりです。

ポンプ車操法の部

  • 優 勝 第2分団
  • 準優勝 第9分団

小型ポンプ操法の部

  • 優 勝 第10分団
  • 準優勝 第11分団
  • 第3位 第3分団

▼小型ポンプ操法の部優勝 第10分団

H25町ポンプ操法大会第10分団

▼各分団

H25町ポンプ操法大会各分団

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坂城町長 山村ひろし

坂城町 平成25年第2回議会定例会閉会あいさつ

本日(6月14日)、坂城町 平成25年第2回議会定例会が閉会しました。

 閉会の挨拶文を以下に掲載させていただきます。 

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平成25年第2回坂城町議会定例会の閉会にあたり、一言ごあいさつを申し上げます。
 6月3日に開会されました本定例会は、本日までの12日間にわたりご審議をいただきました。また、本議会は、昨年に引き続き議員の皆様の発案により、夏場の節電の一環として、一般質問の開始時間を午前8時30分からとされました。議員各位には改めて敬意を表します。さて、提案いたしました専決報告、人事案件、条例の制定、一般会計補正予算、さらに、追加日程でお願いいたしました条例の一部改正を含め、全ての議案に対して原案どおりご決定を賜り、ありがとうございました。
 
さて、6月1日に開会式を行いました「第8回ばら祭り」につきましては、あさって16日(日)をもちまして、16日間の開期に幕を下ろします。
4月の霜と低温のため、開花が遅れ、来場者の出足も心配されたところですが、日を追うごとに増え、観光バスについては、昨年より1割程度のびております。
この週末の天候にもよりますが、最終的に4万人近くの来場者が見込まれるところです。
あと2日間となりましたが、薔薇人の会の皆様には、ボランティアとして、日頃から千曲川さかきバラ公園の管理や、ばら祭り実行委員会の中心として、ご苦労いただいておりますことに感謝申し上げます。南条小学校建設事業につきましては、設計業者を長野市の エーシーエー設計と決定いたしました。
次の段階として、8~9月を目途に基本設計、その後詳細設計に取り組み、子どもたちが健やかに成長できる 安全安心な学校づくりを進めてまいります。
           
生涯学習の推進について多方面の方々にも参画いただくことが大切との考えにより、図書館長を公募をさせていただいたところであります。町内外から多くの申込みをいただきましたので、今月末を目途に新館長について、決定をし、活力ある図書館運営に努めてまいりたいと考えております。
 
「坂城町コトづくりイノベーション補助金」につきましては、スマートコミュニティ関連の製品開発やねずみ大根マスコットキャラクター「ねずこん」を活用した製品開発に対する補助申請など、3件の応募がありました。
来週17日に、審査会を行い、交付決定する予定であります。
この補助金が契機となり、町内企業の様々な技術や知識を活かした、新たな価値創造、新製品開発への展開が進むことを期待いたします。
 
ワイナリー形成事業につきましては、後発の坂城町にとりましては、あらゆる機会が勉強と共に情報の収集発信の場と位置付け、長野県観光部、商工労働部、そして農政部が提唱する「信州ワインバレー構想推進協議会へ坂城町も参画を表明いたしました。一昨日の6月12日には設立総会が開催されたところであります。
明日6月15日には、県の主催による「ワインセミナーインながの」が開催され、千曲川ワインバレーにまつわるワインの1つに坂城町からも巨峰スパークリングワインを出品、宣伝活動を行ってまいります。
 今後も引き続き、町の特産品の振興や新たな販路開拓に向けて、
宣伝活動等に鋭意取り組んで参りたいと考えております。
 
169系車両の利活用につきましては、町内外から多くの提案をお寄せいただいております。一般質問でご提案をいただいたものを含め、利活用検討委員会で検討をいただき、町の活性化につながる取組みとなるよう進めてまいります。
 
葛尾山及び自在山25haの松くい虫防除の空中散布につきましては、南信地方で週末にヘリコプターによる空中散布の日程が組まれている自治体が、予定どおり実施されますと、来週18日(火)に実施をいたします。
実施に当たりましては、6月号の広報や町ホームページにあります「注意事項」をご覧いただき、自主的な防護を行うなど町民の皆さんのご理解とご協力をお願いいたします。
 
7月から具体的な交渉が開始される段階となったTPP(環太平洋連携協定)につきましては、7月1日(月)、午後1時30分から役場講堂において、長野県企画部職員を講師にお願いし、「TPPに関する国の動き」「TPP交渉に伴う関税撤廃した場合の長野県経済への影響」等についての学習会を開催いたします。TPP参加によるメリットやデメリットなど、長野県が行った試算をもとに、お話いただくことになっていますので、大勢の皆さんにご聴講いただきたいと思います。
 
あさって16日(日)には、町ポンプ操法大会が開催されます。地域を守る消防団員が、有事の際の機敏な対応や消防技術の向上を目指し、日頃の訓練の成果を発表いたします。多くの皆さんの応援をお願いいたします。
 この大会の優勝分団とラッパ分団は、6月30日(日)に千曲市で行われる、埴科ポンプ操法大会及びラッパ吹奏大会に出場いたします。
 
坂城の夏を彩る町民まつり「第36回坂城どんどん」が8月3日(土)に開催されます。横町のメインステージでは各種団体の発表会を行うとともに、横町通りを歩行者天国にし、小さなお子さんも楽しめる様々なイベントを計画しております。また、坂城駅前に先日設置されました、169系電車を活用してのイベントも計画してまいります。夜の部の踊り流しとともに、様々なイベントや催しを計画いたしておりますので、大勢の町民の皆さんのご参加をお願いいたします。
 
これから暑さが増してまいります。議員各位におかれましても、健康に留意され、ご活躍されますことを祈念申し上げ、閉会のご挨拶とさせていただきます。
                              
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坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第16回目は甘利八右衛門

「生きながら神と祀られた甘利さん」
以前、「生きながら祀られた稲玉徳兵衞翁」のお話をしました。
  https://yamamurahiroshi.sakura.ne.jp/archives/3799                      
もう一人の「生きながら祀られた」のが甘利八右衛門です。
               
甘利といえば上田原の戦いで武田晴信を守り村上義清のために討ち死にした甘利虎泰(あまり とらやす)が有名ですが、この甘利八右衛門にどのようにつながるのか不明です。 どなたか教えていただければ幸いです。
                  
尚、甘利明 経済再生担当大臣のプロフィールには:                  

「先祖は武田信玄の末裔です (本当)。信玄の親戚であり、重臣 No2 甘利虎泰 (あまりとらやす) が我が先祖です。」 と記されています。

           
さて、甘利八右衛門さんですが、坂城町中之条にある葛尾霊園の真中に位置する老松の根本に「甘利社」という祠があります。
              
       
「甘利之社」
                  
甘利社に祀られている甘利さんは、江戸時代の末、中之条陣屋の第二十四代の代官、甘利八右衛門のことで、名代官の一人として知られています。
                  
甘利代官の在任は、文久3年(1863)から慶応2年(1866)の足かけ4年でした。
                       
甘利代官は、領内の産業を振興するために中之条牧の内一帯の開拓を進めたこと、中山道岩村田宿・小田井宿への助郷(手伝いの人足)の減免を幕府に働きかけて実現したことで大いに領民から感謝され慕われました。
そして、住民から神として祀られました。
                     
中之条の人々は甘利さんのお宮の前で毎年お祭りをしてきました。
お祭りには、重箱に煮しめを入れて持参し、村人総出でというほど盛大であったといいます。
                     
                  
甘利八右衛門はその後も異動を繰り返し、慶応3年7月には出雲崎代官に転出し、江戸幕府最後の出雲崎代官となりました。
                
また、『続徳川実紀』「昭徳院殿御在坂日次記」慶応2年2月23日の記録によれば、八右衛門の次男で別手組出役の甘利謙次郎が、孟子ならびに孫子について徳川家茂の御前で講釈をしたことが記されています。(大阪で、年齢は十三歳。別手組とは日本に在留する外国行使などを警護する組織)
なお、兄の徳太郎も別手組に属し、後に北海道開拓使となったそうです。
激動の江戸末期の時代を生きた、甘利八右衛門、徳太郎、謙次郎、親子のその後の消息は詳しくはわかりませんが、甘利徳太郎(後知)がエトロフ島を測量をしたという記録と地図が北海道大学の資料にあります
                     
                             
                          
これには「大日本開拓使所轄」とあり、「明治七年九月十四日、駿州、甘利後知識」と記されており、エトロフ島を描いた墨書図です。凡例によると甘利後知が自らこの島を踏査して作製したとあります。(北海道大学資料)
                       
甘利一家のその後についても興味はありますが、今回は 坂城町中之条で大切にされてきた ”生きながら祀られた行政官 甘利さん” の存在を記しました。
                 
                             
 坂城町長 山村ひろし

信仰の山 堂叡山

地域住民が代々守り続けている「霊山」のお話です。

先日(5月31日)、さかき里山トレッキングクラブ(会長:柳沢直幸さん)の皆さん、ならびに中村町づくり推進室長と、「堂叡山」(大道山 1290m)の山頂へ行って参りました。

 まず、「ふるさと探訪」などの資料から堂叡山についてご紹介します。

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 大道山は、江戸時代の末には御岳山(おんたけさん)とか堂叡山(どうえいざん)と呼ばれ、信仰の山として近郊郷に広く知られていました。
 この地域の御岳講の信者が大道山を霊場として開山したのが始まりだといわれています。

 文久3年(1863)には、一心講を組織し、四ツ屋の塚田周七郎をリーダーに山城国(京都府)宇治郡の醍醐寺へ参拝し、山号を堂叡山、院号を堂明院とすることを許されました。
 明治になって堂叡山の信仰はますます盛んになり、四ツ屋の旧北国街道沿いには堂叡山の道しるべが建てられました。
 明治25年(1892)には、信者によって堂叡山道の碑から2kmほど登ったところに里宮が造営されました。
 拝殿の鬼瓦は、堂・叡・山の三つが組み合わさってできているなど、地域の人々の信仰の厚さがしのばれます。

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私は、今回初めて堂叡山の山頂に登りましたが、地元の人たちが、「堂叡山」は 『日本三叡山』 の一つだと言われるのもその通りの素晴らしい眺望でありました。 ( 三叡山 : 「比叡山」、「東叡山」(寛永寺)、「堂叡山」 )

 山頂からの景色はまさに絶景で坂城、村上方面の眺望が最高です。

   

堂叡山 山頂から上平を見た風景(中央に 自在山‐三角山)

我が家は自在山の麓にあります

 

我が家の2階から見た堂叡山(中央)        

 木曽御嶽信仰においては、御嶽大神、八海山大神、三笠山大神の三神が一組で祀られることが多いのですが、堂叡山の例でも、左から「三笠山」、「堂叡山」(御嶽山)、「八海山」、その右に「堂叡山大日大聖不動明王」の石碑があり、さらにその右には「成田山」の石碑があります。              
 これらの石碑は、文久2年(1860)に住民一同で山頂まで運んだということです。

どのようにして、このような急峻な山の山頂まで大きな石仏を運んだのでしょうか。

当時の住民の信仰の厚さを感じます。

左から:「三笠山」、「堂叡山」、「八海山」

「三笠山」

堂叡山 (神官の衣装をまとっています)

「堂叡山」の背面から

「八海山」

「堂叡山大日大聖不動明王」の碑

「成田山」

石碑の背面に:坂木四谷 一心 講中 とあります

              

さかき里山トレッキングクラブの皆さんと

左から:松本幸男さん、田原茂樹さん、山村、柳沢直幸さん

さかきトレッキングクラブの皆様は日頃、トレッキング・コースの開発とこのような遺跡の保護に大変なご尽力をいただいております。

皆様の大変なご努力に感謝いたします。

町としてもこのようなトレッキング・コースの整備、史跡の保護にも力を入れてまいります。

坂城町長 山村ひろし