信仰の山 堂叡山

地域住民が代々守り続けている「霊山」のお話です。

先日(5月31日)、さかき里山トレッキングクラブ(会長:柳沢直幸さん)の皆さん、ならびに中村町づくり推進室長と、「堂叡山」(大道山 1290m)の山頂へ行って参りました。

 まず、「ふるさと探訪」などの資料から堂叡山についてご紹介します。

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 大道山は、江戸時代の末には御岳山(おんたけさん)とか堂叡山(どうえいざん)と呼ばれ、信仰の山として近郊郷に広く知られていました。
 この地域の御岳講の信者が大道山を霊場として開山したのが始まりだといわれています。

 文久3年(1863)には、一心講を組織し、四ツ屋の塚田周七郎をリーダーに山城国(京都府)宇治郡の醍醐寺へ参拝し、山号を堂叡山、院号を堂明院とすることを許されました。
 明治になって堂叡山の信仰はますます盛んになり、四ツ屋の旧北国街道沿いには堂叡山の道しるべが建てられました。
 明治25年(1892)には、信者によって堂叡山道の碑から2kmほど登ったところに里宮が造営されました。
 拝殿の鬼瓦は、堂・叡・山の三つが組み合わさってできているなど、地域の人々の信仰の厚さがしのばれます。

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私は、今回初めて堂叡山の山頂に登りましたが、地元の人たちが、「堂叡山」は 『日本三叡山』 の一つだと言われるのもその通りの素晴らしい眺望でありました。 ( 三叡山 : 「比叡山」、「東叡山」(寛永寺)、「堂叡山」 )

 山頂からの景色はまさに絶景で坂城、村上方面の眺望が最高です。

   

堂叡山 山頂から上平を見た風景(中央に 自在山‐三角山)

我が家は自在山の麓にあります

 

我が家の2階から見た堂叡山(中央)        

 木曽御嶽信仰においては、御嶽大神、八海山大神、三笠山大神の三神が一組で祀られることが多いのですが、堂叡山の例でも、左から「三笠山」、「堂叡山」(御嶽山)、「八海山」、その右に「堂叡山大日大聖不動明王」の石碑があり、さらにその右には「成田山」の石碑があります。              
 これらの石碑は、文久2年(1860)に住民一同で山頂まで運んだということです。

どのようにして、このような急峻な山の山頂まで大きな石仏を運んだのでしょうか。

当時の住民の信仰の厚さを感じます。

左から:「三笠山」、「堂叡山」、「八海山」

「三笠山」

堂叡山 (神官の衣装をまとっています)

「堂叡山」の背面から

「八海山」

「堂叡山大日大聖不動明王」の碑

「成田山」

石碑の背面に:坂木四谷 一心 講中 とあります

              

さかき里山トレッキングクラブの皆さんと

左から:松本幸男さん、田原茂樹さん、山村、柳沢直幸さん

さかきトレッキングクラブの皆様は日頃、トレッキング・コースの開発とこのような遺跡の保護に大変なご尽力をいただいております。

皆様の大変なご努力に感謝いたします。

町としてもこのようなトレッキング・コースの整備、史跡の保護にも力を入れてまいります。

坂城町長 山村ひろし

竹内希さんの「ザンビアだより」(第7回)

 平成24年6月末に、坂城町南条出身の竹内希さんが、青年海外協力隊としてアフリカ南部に位置するザンビア共和国へ派遣され約1年が経過しました。

元気に活躍されておられるようです。

以下、坂城町ホームページにも掲載されていますが、「ザンビアだより」をご覧ください。

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ザンビアだより~ 平成25年6月 竹内希

ザンビアだより(7)01

自分の道

みなさん、お久しぶりです。日本は暑くなっている時期ですね。ザンビアは今、秋のような気候です。朝晩はとても冷えるので、長袖がないと寒いです。5月からは第2学期が始まり、毎日生徒と楽しい日々を送っています。最近は、私にも余裕が出て来たので、補講を始めました。理科、数学、生物、時には日本語を交えながら、なるべく生徒の要望に応えるようにしています。

最近ふと思ったこと。それは、日本も昔はザンビアのような生活を送っていたのかな?と。冷蔵庫も洗濯機もテレビも無かった時代、仕事の帰りに商店街でその日のための食材を買い、家に帰って火を熾し、夕飯を作り、お風呂のためのお湯を沸かす。余暇といえば、周りの人と会話を楽しむこと。私も今、同じような生活を送っています。

私は昭和の終わりに生まれ、ほとんど物が無かった時代の日本を知りません。よくテレビで「昔の日本は良かった。」「今の時代は物が溢れていて、何でもすぐに手に入るから良くない。」という言葉を聞きますが、なんのこっちゃ私にはしっくりきませんでした。ですが今、途上国の生活と先進国の生活を経験して、昔を知っている人達が何を言いたかったのか、なんだか少し分かったような気がしました。

物が無い分、人と分け合ったり、お互いに協力したり、また自分で試行錯誤をして欲しいものを創り出したり、そのような過程がおそらく今よりあったと思います。ものづくりに強い日本が誕生したのは、きっとこの創造性が他の国よりも強かったからでしょう。教育の現場で働いていて、本当にそう思います。教育一つで創造性がこんなにも違うのかと。

ザンビア(7)02

日本の初等教育、中等教育は素晴らしいです。生徒の思考を発達させるような授業がなされているように思います。高等教育は、教えなければいけない内容が一気に増えます。なので、一方的な授業がなされている現状も仕方がないです。しかし、最近センター試験が他の形に変わるという話を聞きました。私はこの制度改革に賛成です。一発受験、しかも記憶能力重視の試験では豊かな人間は育ちません。

今の一部の子供たちは、試験に合格すること、優秀な成績を修めることにばかり執着し、他にも大切なことがあるということをあまり知らずに過ごしているように思います。私自身がそうでした。確かに学業で優秀な成績を修めることは素晴らしいです。なかなかできることではありません。でも、人間の将来は1つではないし、ひとそれぞれ色んな生き方がある。自分の道を歩む上で一番大切なことは、その道を選択する時に、自分自身でとことん悩んで、もがいたかということ。何も考えずにその道を歩むことが一番自分らしくないし、後悔することもあるでしょう。日本のみなさんには、もっともっと世界で活躍して欲しいと思います!!ダラダラと長く綴ってしまいましたが、世界は広いし、可能性はいっぱいです!!みなさんも、夢にむかって頑張ってください^^

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坂城町長 山村ひろし