私は東洋経営思想家の田口佳史先生とお会いして以来、長い間、「老子」を勉強しています。
昨日、私と一緒に老子を勉強していた仲間が久々に坂城に集まり、「考老会」を開催しました。(「考老会」は老子を考える会で、「老いを考える会」ではありません。念のため) これから、このブログでも時々「老子」について触れたいと思います。
老子は今から約2500年前、孔子とほぼ同時期の思想家です。老子は全部で81章の文章を残しています。
前半が「道経」37章、後半が「徳経」で44章あります。全体としては短い文章ですが、論語や聖書などと異なり、弟子ではなく本人が直接記した文章と言われていますので、直接2500年前の著者と対話できるという凄さがあります。
これから、少しづつそのエッセンスをご紹介したいと思います。
第一章
道可道非常道。名可名非常名。無名、天地之始、有名、萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
道の道とすべきは、常道に非ず。名の名とす可きは、常名に非ず。名無し、天地の始めには。名有れ、萬物の母にこそ。」故に常無は以てその妙を観んと欲し、常有は以てその徼を観んと欲す。」此の両者同じきより出でて名を異にす。同じきもの之を玄と謂ふ。玄の又玄、衆妙の門。
これは第一章の冒頭ですが、いきなり「道というのはこれですよ」。と説明した途端にそれはもう「道」ではないのですよ、と言っているのです。道は宇宙の根源ともいうべきものなのですが、そんなに単純なものではないのですよ。ということです。また、名前というのも名前や肩書にこだわっていては本質を理解できないよ。ということなのです。たとえば同じ布で作られたものでも、こちらは「おしぼり」こちらは「ぞうきん」と言われた瞬間にあたかも異質なものにとらえられてしまいます。肩書や名前にこだわっては本質的なものを見失ってしまうぞ。ということです。そもそも天地の始めには名などはなかったのだから。ということです。
「老子」はこんな具合に始まります。 今後、折に触れ、少しづつご紹介をしていきたいと思います。宜しくお願いいたします。
坂城町長 山村ひろし