坂城町 消防団出初式

 昨日(1月18日)、前夜の雪もやみ、素晴らしい冬晴れの中、手塚団長以下、消防団及び婦人消防隊員による出初式の街頭行進ならびに式典が整然と行われました。

消防団に続いて婦人消防隊の行進も凛々しく

                    

 以下、坂城町のホームページから

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1月19日(日)堂々たる行進! 消防団出初式

H26出初式01

  1月19日(日)、坂城町消防団の出初式が挙行されました。

  昨晩降り出した雪も止み、今年も澄み渡る青空の下、逆木通りで、手塚団長以下、消防団及び婦人消防隊員約280名による街頭行進が行われたました。また、その後、文化センター体育館において行われた式典では、消防団活動に功績のあった方々の表彰が行われました。表彰された方の一覧は下記リンクからご覧ください。

H26出初式02-04

▲2月に新しくなるため、長年の役目を終える第4分団の消防車

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▼手塚団長式辞

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▼表彰

H26出初式07-09 

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 坂城町長 山村ひろし

ニュー・イヤー・コンサート

 昨日(1月18日)、坂城町で初めてではないでしょうか、「ニュー・イヤー・コンサート」が開催されました。(演奏:東京アーティスツ合奏団、指揮:山岸宜公さん)

 永年、坂城町で音楽活動をされている「ライフ・ステージ・エコー」の設立20周年ということもあり、記念コンサートとしての開催です。

 約1年間の準備の結果の開催です。 おめでとうございました。

 世界中の多くの都市では新年を迎えると、J.シュトラウスやオペレッタの音楽を中心にして皆で新たな年をお祝いします。

 2002年には小澤征爾さんがウィーンフィルハーモニーでニュー・イヤー・コンサートの指揮をしたこともありましたね。

 今回のコンサートの内容は恒例のJ.シュトラウスの他、ウィーンの音楽を中心にしていろいろな工夫をされた楽しいニュー・イヤー・コンサートでした。

 特にソプラノの鈴木江美さんの歌は抜群でした。

 以下、坂城町ホームページより

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1月18日(土)第20回ライフ・ステージエコー

H26ライフ・ステージエコー01

  1月18日(土)、坂城テクノセンターでライフ・ステージエコーが、ニューイヤーコンサートとして開催されました。

  「ライフ・ステージエコー」とは「生涯にこだまする」という意味で、生涯学習の一環として毎年開催されています。今年は記念すべき20回目を数え、「ウィーン音楽の祭典」と題して、東京アーティスツ合奏団(指揮:山岸宜公さん)とソプラノの鈴木江美さんに演奏をしていただきました。

  曲目は、ヨハン・シュトラウス作曲のオペレッタ「こうもり」序曲や「春の声」「芸術家の生涯」などのほか、レハール作曲の「金と銀」「ヴィリアの歌」など全12曲で、200名以上のお客様で埋め尽くされた会場に、合奏団の素晴らしい演奏と鈴木さんの美しい歌声が響き渡りました。

H26ライフ・ステージエコー02-06 

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 坂城町長 山村ひろし

新設の 「佐久医療センター」 視察

 本日(1月16日)、上田広域連合として、今年3月1日にオープン予定の佐久総合病院佐久医療センターの視察を行いました。

 この医療センターはJA長野厚生連の医療機関として新設されるもので、東京ドーム10個分の広さを持ち、「救急救命医療機能」、「脳卒中・循環器病センター機能」、「がん診療センター機能」、「周産期母子センター機能」の4つの柱からなる最新の診療機能を持ちます。

 救急医療施設、総合病院の無い坂城町としても大いに期待するところであります。

3階屋上にはヘリポートも備えています。

             

最新の機能を持った手術室での説明

             

ヘリポートにて

左から:北村青木村長、花岡東御市長、母袋上田市長、羽田長和町長、山村

                        

 坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第30回は村上国清

 昨年1月から始めました、「坂城の100人」 今回で30人目です。

 節目の30人目ということで、再び村上家に戻ります。

 村上義清は100人目に記述するつもりですので、今回は息子の国清について記述します。

 村上国清の最期については不明な点が多く、したがって墓の所在についても確かなものはありませんが、満泉寺12代の住職朝宗によって宝暦12年(1762)に建てられたものが坂城神社の裏、葛尾城への登り口の手前を左に入った急斜面を登ったところにひっそりと設置されています。

斜面入口の標識。

                

 しばらく行くとさらに以下の標識。

 これが2つあります。

 上記の標識の場所からもうひと踏ん張りでようやく国清の墓所にたどり着きます。

 結構、息が切れます!

                 

                           

村上国清の墓

「村上院殿決山源正大居士」

               

 ひっそりと建てられた感がします。

 村上国清について不明な点も多いのですが、ここでは、坂城町教育委員会編纂の「ふるさと探訪」の記述によります。

 是非、お墓へもお出で下さい。                    

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 (以下、「ふるさと探訪」より)

 「村上義清の子、国清の墓は坂城神社の裏山にある。国清は3歳のとき越後の上杉謙信に預けられ上杉氏の家臣となっていた。

 天正10年(1582)武田氏が滅亡すると謙信のあとを継いだ上杉景勝は、国清を海津城主(後の松代城)に任じた。

 この時、国清は御所沢にあった村上氏の菩提寺修善寺を村上氏の館跡へ移して再建した。これが満泉寺である。

 天正12年(1584)景勝の副将を務めていた屋代秀正が徳川家康に招かれて徳川氏へついたため、国清も去就を疑われ、越後へ呼び戻され、家臣は四散し村上氏は力を失った。

 山中にひっそりと建つ国清の墓は、満泉寺12代の住職朝宗によって宝暦12年(1762)に建てられたものである。国清没後170年が過ぎていた。」

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 坂城町長 山村ひろし

五色百人一首 西念寺大会

 昨日(1月13日)、坂城町中之条にある西念寺さんで今年で第9回目となる、「五色百人一首 西念寺大会」が開催されました。

 50人近い子供たちが参加して開催されました。

 (若干、残念なのは坂城の小学生は4名のみ。もう少し坂城からの参加者が増えればよいですね。でも皆さん大変頑張っていただきました。)

 この五色百人一首は、日本の伝統文化である百人一首を小学校などのクラスみんなで楽しめ、短時間で行えるように開発されたものです。

 100枚の札を5色に分け、1色あたり20枚にすることで、1試合が5分以内に終わることができるようになりました。 5分間以内なら、朝の会などでもできるようになり、現在では、長野県大会(善光寺で開催)なども開かれています。

 今年の長野県大会(第11回目)は2月23日、善光寺で開催されます。

                           

 昨日の西念寺大会の様子と結果を上田市立豊殿小学校 柳橋学先生からご連絡いただきました。

 参加者の感想までお送りいただきましたので、以下掲載させていただきます。

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TOSS上小教育サークル 柳橋と申します。

山村町長様、本日の大会に列席していただき、
誠にありがとうございました。

おかげさまで、今回も子ども達の頑張りで、
素晴らしい大会になりました。

次回は10回記念大会です。
今後もご協力、ご支援のほど、よろしくお願いします。

【子どもたちの感想より】

・いつも学校でやるより強い人がたくさ んいたので、
その人とやると自分も強くなるので、来年もきたいです。
すごくきんちょうしたなかでやる百にんっしゅもまた 楽しかったです。(南条小 5年)

・いつもやっているときよりも強い人が 沢山いたので楽しかったです。
来年も出たいと思いました。(南条小 5年)

・去年1勝しかできなかったのに、
今年 はたくさん勝ててよかったです。(上田市6年)

【保護者の方の感想より】

・真剣勝負という場面は生活の中でそう経験できないことなので、
このような大会を開いていただけることをいつもありがたく思っています。

・すごく真剣にやってもまだまだ上がいることで
またやる気になれたことがすばらしかったと思います。

【参加者の感想より】

・毎年西念寺の方にお世話になりありが とうございます。

・毎年西念寺さんにも大変よくしていた だき、本当にありがたいです。

・細やかな心づかいをありがとうござい ます。お菓子にお茶、つけものありがとうございます。

・会場もとても暖かく、西念寺様にも 色々とお茶をだしていただきお世話になりました。

【平成26年1月13日に開催された西念寺大会結果】

青色
1位 中澤礼治(なかざわれいじ) 豊殿小6年
2位 金子響(かねこひびき)    豊殿小6年
3位 宮 史典(みやざきふみのり)塩尻小6年
4位 成澤爽(なるさわあきら)   丸子中央小3年

赤色
1位 吉田花菜(よしだはな)  塩尻小6年
2位 高野拓海(たかのたくみ)丸子中央小3年
3位 小倉稔(おぐらみのる)   中塩田小4年
4位 臼澤菜央(うすざわなお) 塩尻小6年

黄色
1位 清水星(しみずあかり)     丸子中央小5年
2位 後藤僚介(ごとうりょうすけ)  川辺小5年生
3位 内川龍星(うちかわりゅうせい)豊殿小6年
4位 高野海飛(たかのかいと)        丸子中央小6年

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 坂城町長 山村ひろし

坂城町の女性ラガー

 本日(1月14日)、坂城町出身で佐久長聖中学校3年生の女性ラガー(ラグビー)児玉沙葵さんが役場に来られました。

 体は小柄ながら、昨年、全国大会へ出場されるなど大活躍をされました。

 以下、坂城町ホームページからご覧ください。

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児玉沙葵さんがラグビー全国大会で7位!

児玉沙葵さん

▲左から、山村町長、児玉沙葵さん

  坂城町出身で佐久長聖中学校3年生の児玉沙葵さんが、ラグビーの関東ユースと長野県スクール選抜に選ばれ、昨年開催された全国大会に出場し大活躍されました。

  児玉さんは、小学校2年生からラグビーを始め、男子の中に交じって練習を続けてこられ、その努力が実って、県内で初めて女子で関東ユースのセレクションに合格し、中学生長野県スクール選抜にも選ばれました。他のメンバーより体格が小さいという児玉さんですが、持ち前の敏捷性と正確なパス技術を活かせる「スクラムハーフ」というポジションでスキルを磨き、関東ユースとしては、昨年9月に茨城県水戸市で開催された「第4回全国中学生ラグビーフットボール大会」に出場し見事優勝。長野県スクール選抜としては、東日本大会を勝ち抜き、12月29日、31日に大阪の近鉄花園ラグビー場で開催された「第19回全国ジュニア・ラグビーフットボール大会」で7位と健闘を果たしました。

児玉沙葵さん02

▲昨年末の全国大会(花園ラグビー場)の様子
  パスを出す児玉さん

  児玉さんは、「昨年末の全国大会は、男子と一緒にできる最後の大会だったので、楽しむことを意識して臨みました。結果は全国レベルの高さを知ることとなりましたが、皆と結束できたのが良かったです。これからは、女子ラグビー日本代表選手になって、東京オリンピックに出場することを目標に頑張っていきたいです。」と今後の意気込みを語られました。児玉さんの今後ますますの活躍が期待されます。

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 坂城町長 山村ひろし

第2回坂城薪能準備スタート

 一昨日(1月11日)、重要無形文化財総合指定保持者の松木千俊先生と8月31日に坂城びんぐし公園で開催される 「第2回坂城びんぐしの里 薪能」 の打ち合わせを行いました。

 前回と同様に松木先生の他、野村萬斎さんなど日本を代表する方々により上演されます。

 演目は野村萬斎さんによる「柿山伏」、松木先生による「紅葉狩」が予定されています。

 あわせて、子供たちの仕舞も披露される予定で早速稽古をつけていただいております。 

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以下は打ち合わせ後の写真

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左から、西澤事務局長、柳澤議会議長、宮崎教育長、山村、松尾名誉師範、松木先生、宮入刀匠、海野師範

(以上の写真は松木先生のホームページから引用させていただきました。)

             

 8月31日(日)は、前回同様の素晴らしい晴天になる様祈っています。

 (雨天の場合には村上小学校で上演される予定です。)

                   

 坂城町長 山村ひろし

役場から見る自在山

 新年に入り、早くも一旬が過ぎました。

 雪も降り、冷え込みも厳しくなりましたが、今日は一転、素晴らしい冬晴れです。

 坂城町役場の窓から西方に自在山(岩井堂山 標高793m 通称:三角山)が大変美しく聳えています。

 一幅の風景画のようですね、下方には土木遺産の昭和橋も見えます。

                        

 坂城町長 山村ひろし

はにしな寮の新年会

 本日(1月9日)、長野広域連合で管理している養護老人ホーム 「はにしな寮」(施設管理者:山村、所長:朝倉和雄さん)の新年会が開催されました。

 現在、はにしな寮には約60名の利用者がおられます。

 最高年齢は97歳、一番お若い方は66歳です。(平均年齢:82歳)

 外は雪が舞う天候でしたが、皆さんお元気で新年会を楽しまれておられました。

 

 また、先日(1月4日)に開催された書初め大会で金賞を取られた方が7名もおられ、賞状の授与も行いました。

                

会食の風景

余興の琴の演奏                   

 

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 坂城町長 山村ひろし

竹内希さんから「ザンビア便り第11回」

 平成24年6月から、青年海外協力隊(JICA)の派遣教員としてザンビア共和国で教鞭をとられている、坂城町南条出身の竹内希さんから第11回目の便りがきました。

 なんと、昨年12月に、タンザニアのキリマンジャロ登山(標高5895m)に挑戦し、登頂に成功されたそうです。

 素晴らしいですね。 竹内さんの任期はあと半年、帰国されたらいろいろお話を伺いたいと思っています。

 以下、竹内さんからの便り、ご覧ください。

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ザンビアだより第11回 平成26年1月  竹内 希

ザンビアだより(11)01

▲キリマンジャロからの朝日

 

謹賀新年

  遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。私は2度目の年越しを海外で、大きな病気を患うことも無く過ごすことができました。

  去年の12月は、タンザニアのキリマンジャロ登山に挑戦し、なんとか登頂に成功しました!! 標高5895m。元々、大学時代から何回か日本の山を登った経験はありましたが、それでも3000mの世界です。その後の世界を私は経験したことが無かったので、緊張もしました。

  順応日を1日入れて6日間の行程。最初は屋久島のような緑が茂った場所から始まり、どんどん木々の高さが下がり、砂漠、雪へと変わっていきました。ガイドとポーターさんが一緒に登って下さり私たちのグループは総勢約21名。1人当たり2人のポーターさんが付いてくれました。宿泊の荷物、食事、水も代わりに運んでくれとても助かりました。1日目は雨に見舞われたものの、その後は山行を楽しみながら3720mで2泊。山から見下ろす景色も、星のダイヤモンドも、友人と囲む食事もとても綺麗で楽しかったです。それもつかの間、4200mを過ぎたあたりで一気に体が重くなり、頭痛も始まりました。気圧が下がったために脳みそや内臓が膨張し、頭がい骨を内側から圧迫して起こるそうです。まさに高山病の始まりです。寝ている間に人間は呼吸が浅くなるので、寝ることによって体内の酸素濃度がさらに下がり、体調が悪化するのが恐かったです。頭痛に効く薬をもらい3時間の睡眠をとるも、激しい腹痛に襲われ、1度はもう登れないかと思いました。それでもなんとしてでも頂上に登りたい、不安を抱えたままファイナルアタックへ挑んだのを覚えています。

  ファイナルアタックへ出発、23時。月明かりに背中を押されながら、みんなで励まし合い登って行きました。動いていても寒い、動かないと凍死する。高山病による睡魔も、吐き気も、息切れも、個人個人症状は様々でしたが自分との闘いでした。途中、激しい嘔吐に襲われた友人は大事をとり宿泊場所までガイドと共に下山しました。私も体内の酸素濃度が下がっているのを息切れで感じていました。「これ以上激しく動いたら倒れる。」私は誰よりもゆっくりゆっくりと登って行きました。もう、ほとんど余裕はありませんでした。それを12年のベテランの現地ガイドさんがずっと励まして「大丈夫。大丈夫。」と先導してくれました。登る途中で見た朝日、天空の世界、友の声、私にとってかけがえのない時間でした。登頂に成功した時、みんなと抱き合った後、涙が出てくるのをグッとこらえました。下山するまでが登山です。来た道を自分の足で戻らなければいけません。一刻も早く下山をした方が良いということで、私はガイドに連れられ誰よりも早く下山しました。後はひたすら下山を続け、全員が無事スタート地点まで戻ってくることができ、私たちのキリマンジャロ登山はこうして幕を閉じました。

ザンビアだより(11)02

▲キリマンジャロ登頂

 

  現地ガイドさんも仰っていましたが、キリマンジャロ登頂に一番大切なのは“諦めない気持ち”です。どんなに体力のある人も、高山病には太刀打ちできません。それは生まれ持った体質のようなもの、症状が出る人も出ない人も様々です。そして、周りの人との励まし合いによって、今までにないパワーが出ることがあります。これからも、目標に向かってがむしゃらに諦めずに打ち込んで行きたいものですね。

  酸素が十分に吸えるようになって一番感じたことは、笑えることは幸せということ。笑う余裕もないくらい、追い込まれていましたから。酸素を吸えるようになって私はめきめき回復し、酸素があると強いねって言われたくらいです。(笑)

  私の任期も残すところわずか6カ月となりました。まだまだ、やりたいこともやらなければいけないことも沢山あります。なるべく後悔を残さないように、2014年も走り続けて行きたいです。今年も、皆さんにとってより充実した1年になりますように。キリマンジャロの朝日と共に、皆さんのご健康をお祈り申し上げます。

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 坂城町長 山村ひろし