平成甲午二十六年 年頭のごあいさつ

    伊達八重子さん作(切り絵) 「午」
                      
                       
新年にあたりまして年頭のご挨拶を申し上げます。
            
坂城町長 山村弘
            
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明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、健やかに新春を迎えられましたこととお喜び申し上げます。
 
今年は、甲午(きのえ・うま こうご)の年です。 甲、午ともに堅い甲羅あるいは地表を草木が下から突き破る事を意味しています。
したがって、今年は、今までの殻を打ち破って新たな展開にチャレンジをすることが切望されます。
 
さて、昨年夏の参議院選挙の結果、自民党、公明党の与党が過半数を超え、衆参のねじれが解消されました。経済政策を中心に力強い政策が実行されることが期待したいと思います。
一方、世界に目を向けますと、アメリカの債務に対する問題が一旦決着し、減速していた中国の景気が持ち直し、世界経済の不安材料はひとまず取り除かれたと思われますが、アメリカの債務問題の再燃の懸念もあり、今後も注視していく必要があります。 
また、経済では、アベノミクスの効果もあり、自動車、電機の大手企業では業績の回復が伺え、多くの上場企業でリストラなどコスト削減頼みでなく、増収・増益による業績回復に転ずる動きが見られます。今後の経済政策により、本年4月の消費税増税の影響を回避し、実感を伴う成長が拡大することを期待いたします。
 
 当町におきましても、主だった企業にアンケート調査を実施するなど、町内企業の状況を注視しているところですが、最新の結果を見ると、ばらつきは見られますが、売り上げにおいては前年同期の増減比が1年ぶりにプラスに転じておりますし、今春の雇用についても調査企業全体で50人の増員を予定しており、改善の動きが見られます。昨年スタートしました「坂城町コトづくりイノベーション補助金」など今後も企業支援を図ってまいります。
 
 昨年の「ゆるキャラグランプリ2013」では坂城町のマスコットキャラクター「ねずこん」が全国1580のゆるキャラ中95位、県内では「アルクマ」に続いて2位ということで、県内市町村中トップに輝きました。二匹となった「ねずこん」は今年も町のためのさまざまなイベントに参加して坂城町をPRしてまいります。「ねずこん」の更なる活躍を期待いたします。
 
今後進めていく主な施策としましては、関係機関のご協力により現在工事が進められております坂城駅へのエレベーター設置事業につきましては、5月末の完成を目指しております。併せて、坂城駅周辺のバリフリー化につきましても、観光案内所前歩道への手すり設置や通学路の水路改修など、できるところから取り組み「笑顔のまち」に向けて障害のある方やお年寄りにやさしいまちづくりを進めてまいります。
 
「福祉と健康のまちづくり」におきましては、新たに「不妊治療費の助成」の創設や、「多子世帯の保育料軽減」の拡大など、安心して産み育てる、住みよいまちづくりをめざし、子育て世代の定住促進にも結び付けてまいりたいと考えております。
 
「ワイナリー形成事業」につきましては、昨年ワイン醸造に関わる構造改革特区の申請をし、県内では東御市、高山村に次いで3例目の認定がなされました。今後は、ワイナリー形成事業の担い手2名を中心に、ワイナリー開設に向けたビジネスプランづくりを進め、町内企業にも参画いただく中で6次産業化を目指してまいります。
 
 南条小学校の改築につきましては、建設委員会での検討を経て、昨年基本設計がまとまり、埋蔵文化財調査と併せながら、現在、詳細設計を進めております。平成26年度からは建築工事に着手し、平成27年度の竣工を目指して進めてまいります。
 
今年も、明るい坂城町を創るべく努力をしてまいります。
 町民の皆様におかれましても、本年が良き年となりますようお祈りし新年のごあいさつとさせていただきます。    
                    
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 坂城町長 山村ひろし                     

坂城の100人 第29回目は西澤正太郎さん

年が明け、平成甲午二十六年となりました。 本年もよろしくお願いいたします。

今年も坂城の「100人」を続けます。

昨年の1月1日から始めましたので今まで、大体、毎月二人をご紹介してまいりました。

今年の一人目として、西澤正太郎さんを取り上げます。 今回で29人目となりました。

西澤正太郎さんについては、以前、孫にあたられる西澤眞澄さん他から書、絵画などを寄託された際にご紹介したのですが、その当時は「坂城の100人」の記載を始めていませんでした。

ここに改めて 「坂城の100人」 の一人としてご紹介します。

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坂城町、鼠宿出身の西澤正太郎さんという方がおられます。 文久3年(1863年)に生まれ明治43年(1910年)に亡くなられました。

 明治23年3月に東京大学政治科卒業、法学士となり、直ちに同年4月から内務省へ入省。 宮崎県・新潟県参事官を歴任し、香川・滋賀・兵庫・大阪・京都の書記官を経て、明治37年に官選知事として青森県知事を明治41年まで勤め、明治41年からは福島県知事となるも在任中の明治43年に急逝されました。
性格は豪放磊落、風貌颯爽、漢詩・和歌の趣味深く、床次竹次郎(内務官僚、政治家)、白仁武(元栃木県知事)、池上秀畝(日本画家)、大森鐘一(内務官僚、京都府知事)、村上寿夫と親交。 青森県知事在任中、東北地方の飢饉に際し、米や麦を購入して、窮民に施し、福島県知事在任中は、不毛の土地を開拓、整理したことから群民により頌徳碑が建てられました。墓地は耕雲寺にあります。
 おそらく、坂城町の歴史上、初めての東京大学出身者であり、知事としても初めてであろうと考えられています。 ちなみに正太郎氏の16歳下には、同じ鼠宿の出身で、東京帝国大学法律学科を卒業し、内務官僚となって静岡県知事になり、警視総監を経て貴族院勅選議員になった赤池濃(あつし)氏がおられます。 町内で都道府県知事になったのはこの両名だけだと思われ、いずれも鼠宿の出身者です。
 
 生前は伊藤博文とも親交が深く、上記の書は伊藤博文が西澤正太郎氏に贈ったもので、孫の真澄氏によると、明治42年(1909)10月、博文が中国ハルビンで暗殺される直前に贈ったものだといわれています。
 書は 「形在江海之上、心在魏闕之下」 〈形は江海の上(ほとり)に在(あ)り、心は魏闕(ぎけつ)の下(もと)にある〉 これは5世紀末中国・南朝「梁」の「劉勰(りゅうきょう)」が著した文学理論書『文心雕龍(ぶんしんちょうりゅう)』の第六巻【神思】第二十六の一文です。
意としては 「身は紅海のほとりに隠遁しながら、心では魏の宮門のことが忘れられない」ということのようです。 (伊藤博文の心境を語っているものと思われます)
平成23年10月14日に、西澤正太郎氏の孫にあたられる、西澤眞澄さん、康代ご夫妻、正太郎氏の実家におられた、西澤澄人氏。正太郎氏の生家ご当主の西澤哲雄さんの妹のご主人である石井健一氏が坂城町役場に来られ、伊藤博文の書と西澤正太郎の書簡、西澤正太郎の肖像画、正太郎が福島県知事時代に福島に大正天皇(当時は皇太子)をお迎えした時のことを讃えて建立した石碑の拓本をお預かりいたしました。 (これらはいずれも鉄の展示館で保存し、適宜展示させていただいております。)
左から、西澤真澄さん、山村、西澤康代さん、西澤澄人さん、石井健一さん
この肖像画は正太郎死後8年後に制作されたもの
坂城町に、明治期に活躍されたこのような傑物がおられたことに驚くとともに大変名誉なことだと思います。
坂城町長  山村ひろし