SAKAKI の美術家≪7人≫展

 坂城町出身の芸術家7人展が今週末、開催されます。

 期間は4月19日から6月15日まで。

 会場は 坂城町「鉄の展示館」です。

 いままで一同に会する機会のなかった全国的に著名な現代美術家の作品を皆さま方にご覧いただく、またとない機会です。

 是非、お出で下さい。

                        

 今回出展される作家は、日本画の塩野入大賢(たいけん)氏、書の岩浅写心(しゃしん)氏、洋画の浦野資勞(しろう)氏、彫刻の若林武新(ぶしん)氏、日本刀の宮入小左衛門行平氏、彫金の宮入鏡(きょう)氏、染織の宮入映(えい)氏です。

                  

 宮入さん一家3人の作品を同時に見られる機会もめったにありません。

 どうぞお楽しみに。

 案内は以下のサイトをご覧ください。

http://www.town.sakaki.nagano.jp/event/W005H0000104.html

                   

 坂城町長 山村ひろし

カセー博士(元タイ国外務大臣)との再会

 本日(4月13日)、タイのカセー博士と坂城町役場でお会いしました。

左から産業振興課北村係長、塚田課長、桜井社長、カセー博士、山村、宮下副町長、春日さん(桜井社長の姉上、通訳をお願いしました)、産業振興課坂本主任

                          

 今回、カセー博士はタイで博士が関係されている大学と信州大学との提携調印のため来日されたのですが、ご多用の日程の中、顧問をされておられる桜井製作所の桜井社長とともに坂城町役場へお出でいただきました。

 カセー博士とお会いするのはこれで3度目ですが毎回、グローバルな話題に感銘を受けます。

            

(カセー博士の来訪、平成24年)

http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=26535

(カセー博士とタイでの再会 平成25年)

http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=34094

          

 近年、坂城町とタイとはビジネス面で密接な関係が出来つつあります。

 今後、様々な形で相互の人材交流などのプログラムが出来ないか可能性を検討したいと思っております。

                    

 坂城町長 山村ひろし

坂城テクノセンター設立20周年記念行事

 昨日(4月12日)、坂城テクノセンターで、昨年から公益財団に移行した(公財)坂城テクノセンターの20周年事業の一環として記念講演会・パネルディスカッションが開催されました。

 ゲストスピーカーとして坂城町出身のセブン&アイホールディングス会長の鈴木敏文さんにご挨拶もお願いいたしました。

 鈴木さんからは大変素晴らしいお話をいただきましたが、中でも消費税導入後の状況、さらには「いかに消費者の求めるものを売るか、いまのお客様は少しでも良いものを求めている。したがって安ければ良いというものではない。」などいかにPB(自主ブランド)を開拓していくかなど時宜にかなう素晴らしいお話をしていただき大変感銘を受けました。

 そのほかに来賓として、長野県産業労働部長石原秀樹氏、坂城町議会議長柳澤澄氏にご挨拶をいただきました。

             

ご挨拶する山村

        

 以下、坂城町ホームページよりご覧ください。

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4月12日(土)テクノセンター20周年記念行事

テクノセンター20周年01

▲セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長  鈴木敏文さん

  4月12日(土)、坂城テクノセンターで、「坂城テクノセンター設立20周年記念行事」が開催されました。

  坂城テクノセンターは、平成5年に開設され、坂城町の工業の中核として、産学官の連携を図りつつ、技術開発の支援、人材育成、企業間交流、情報提供など町の工業の発展に努め、昨年11月に設立20周年を迎えました。本日は、その記念行事として、坂城町の名誉町民であり、セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長の鈴木敏文さんにご挨拶をいただき、その後町内企業5社の社長の皆さんによるパネルディスカッションが行われました。

  鈴木会長は、消費税増税による小売業界の動きや、消費者の嗜好の変化について話され、「以前は安価で同じ商品でも売れ続けたが、現代は生活レベルが上がったことで、新しい商品や良い商品でないと売れなくなった。売り手は、過去の経験を元に次の商品を考えがちだが、消費者の嗜好が変わってきていることを認識し、常に世の中の変化を頭において物事にあたらなければならない」とおっしゃられました。

 

  パネルディスカッションは、「坂城町工業の今後の発展を考える」をテーマに行われ、山村町長がコーディネーターを務めました。

パネリスト

  • 竹内明雄さん  (株)竹内製作所 代表取締役社長
  • 宮後睦雄さん  宮後工業(株) 代表取締役社長
  • 佐藤洋子さん  力石化工(株)代表取締役社長
  • 依田穂積さん  日精樹脂工業(株) 代表取締役社長
  • 桜井雅史さん  (株)桜井製作所 代表取締役社長

  パネリストの皆さんは、山村町長の進行のもと、自社の現状や業績、後継者の育成などについてそれぞれ話されました。また、坂城町の工業が今後さらに発展するためにはどうしたらよいか聞くと、「住工が一体化する町として内外にアピールすること」「企業の誘致を図ること」「消費者の要望に応えて質の良い物をつくること」「テクノセンターを中心に働きがいのある町になるよう挑戦すること」「常に先取りできるよう意識改革し一団となること」が重要とお答えいただき、会場一杯に集まった聴講者の皆さんも今後の町の工業の発展に期待を寄せられました。

▼パネルディスカッション

テクノセンター20周年03-09 

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 坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第33回目は源顕清

 先日、「村上海賊の娘」に関して記述しましたが、信濃村上氏の祖でもあり村上水軍(海賊)の祖とも考えられる源顕清について、鉄の展示館宮下学芸員に記述してもらいましたので以下掲載いたします。ご覧ください。(多少、長文です。)

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信濃村上氏と村上水軍の祖?「源顕清」
 
「坂城の100人」の記念となる1回目に登場した人物は、信濃村上氏の祖と考えられている「源盛清」でした。
                  
盛清については、前述したように平安期の第一級史料である『中右記』によって、寛治8年(1094年)に起きた白河上皇呪詛事件により、信濃国(村上郷と推定)に配流され、盛清の子孫が村上郷を本拠として、以後の信濃村上氏の繁衍につながっていく大きなきっかけを作った人物として紹介しました。
                  
(源盛清について)
(関連して橋本治先生からいただいた手紙)
                         
しかしながら、この『中右記』の記述が発見される以前は、長らく信濃村上氏の始祖は、今回紹介する源顕清とされていました。
 その論拠となっていたのは、姓氏調査の基本図書で南北朝時代から室町初期に編纂されてと考えられる『尊卑分脈』の記述によります。これによると信濃国に配流されたのは顕清で、盛清は顕清の弟仲清の子とされています。そして、信濃村上氏として村上姓を初めて名のった村上為国(9回目に紹介)は、この顕清の実子と記述されています。
                          
 信濃村上氏の発祥に関しては、尊卑分脈以外に知る手だてが無かったため、おそらく何百年にもわたって、この地域では村上氏の祖は顕清と思われてきたのですが、戦後の歴史研究の成果の中で、中右記により信濃国に流罪となったのは、顕清ではなく盛清で、顕清は越前に流罪となり、且つ、盛清は顕清の弟で、兄弟の長兄である惟清(白河上皇呪詛事件の首謀者とされる)の養子であったことが判明したのです。
 しかしながら、尊卑分脈の記述がすべて間違いというのも早計であり、村上為国の実父が顕清であることからも、顕清が実際に村上郷へ移ってきた可能性を否定することは出来ません。というのも、盛清の紹介の中でお伝えしたように、盛清自体は、流罪の9年後康和5年(1103年)には京において「御監」の役を仰せつかり、その後も京都で活動していたことが判明しました。盛清自身は信濃村上氏の本拠地村上郷に居なかったのです。
                      
そのため、顕清が村上氏の本拠地に移り、信濃村上氏の礎を築いて、その子為国が跡を継いだという可能性を想定できる訳ですが、この為国もまた、村上氏の惣領でありながら、史料で確認できるのはすべて京都での動きばかりで、養父盛清と同様に京都で朝廷に仕える身であったことが分かっています。故に、為国の前の惣領を盛清とするのか、それとも顕清とするのか、その点について現状で判断することは非常に難しいと云わねばなりません。
 
 さて、この顕清については、さらにもう一つ大きな顔を持っています。それは信濃村上氏のみならず、瀬戸内海で有名を馳せた「村上水軍」の祖と伝えられる「村上定国」の実父として尊卑分脈に記されているからです。
 つまり、中世、日本の東西で歴史の表舞台で活躍することとなる両村上氏の血筋的始祖が源顕清ということになるわけです。
 つい先日、2014年の「本屋大賞」に輝いた 『村上海賊の娘』 和田竜(新潮社)について、このブログでも紹介されたように、村上水軍と信濃村上氏の関係は、その可能性を大いに秘めています。
 歴史的にそれらを実証することは非常に難しいのですが、このことについては、4月18日(金)から坂木宿ふるさと歴史館にて、信濃村上氏と村上水軍のコーナーを設けて、パネル展示にて紹介いたします。是非、この機会にご来館いただき、両村上家の関係について想いを馳せてみてください。
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(坂木宿 ふるさと歴史館 の紹介)

ふるさと歴史館

  戦国時代に甲斐の武田信玄を2度も打ち破った郷土の名将・村上義清と、江戸時代、北国街道の宿場町として栄えた「坂木宿」の歴史・文化をひもとく様々な史料を展示する歴史館です。また、建物自体が、昭和4年に建築された木造建築を、当時の面影を損ないままに修復した趣ある建物でもあります。

開館時間

午前9時~午後5時

(入館は午後4時30分まで)

休館日

月曜(月曜が休日の場合は翌日)・年末年始

展示室の観覧料

個人:100円

20人以上の団体:50円

(小学生及び町内中学生は無料)

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 坂城町長 山村ひろし

坂城町でも桜が開花

 あちこちで桜の開花宣言が行われていますが、坂城町役場正面右のソメイヨシノも見事に開花しました。

 これは役場2階から撮った写真ですが、今朝すでに多くの花を付けていました。

 気象庁の発表は特にありませんが、坂城町の開花宣言とします。(4月10日)

 昨年は4月4日でしたので、今年は約一週間遅れとなりました。

                     

                    

 坂城町長 山村ひろし

坂城駅前観光マップ

 坂城駅前の観光マップが新しくなりました!

 坂城駅を降りて右前方に見える観光マップがいささか古びていましたので新しいものに取り換えました。

 坂城駅へ行かれましたらご覧ください。

城駅前観光マップ02

▲(右)新しい駅前観光マップ

 

  このマップは、坂城駅から徒歩で行ける町の主な観光スポット、坂木宿ふるさと歴史館、坂城町文化財センター、鉄の展示館、169系車両などを案内しています。坂城駅から各施設を巡りたい時などにご利用ください。

 

坂城町長 山村ひろし

「本屋大賞」は『村上海賊の娘』(和田竜・新潮社)に

 本日(4月8日)、「2014年本屋大賞」に 『村上海賊の娘』 和田竜(新潮社)が選ばれました。

 先日、このブログでもご紹介しましたが、正に本屋大賞にうってつけの本だと思いました。

 以下、以前のブログを紹介しますが、和田竜さんが村上海賊の出自を 「村上海賊は平安期の村上天皇から発する」と簡単に書いていることはいささか残念だと思っています。

 「『村上海賊』 の出自は 『信濃村上氏』 である。」 という説が有力なのです。

                    

 村上水軍の紋章も当然 信濃村上氏が使っている 「丸に上」 であります。

                    

村上水軍紋章 (Z旗ホームページより)

水軍旗

 以下、以前のブログをご覧ください。

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2013/12/25 12:09

 「村上海賊の娘」を読みました。

 大ベストセラーとなった 「のぼうの城」 で小説家デビューされた、和田竜(りょう)さんの4年ぶりの最新作です。

 和田竜さんらしい、大活劇で、能島村上家当主、村上武吉の娘、村上景(きょう)を主人公とした素晴らしい小説です。

 村上景は地元では悍婦にして醜女で、嫁のもらいての無い20歳の女性でありますが、荒武者でもあり、織田方の泉洲真鍋海賊を打ち破る大活躍をします。

 この和田竜さんの小説は、まるで映像を見るようなビビッドな素晴らしい迫力で終始し大変読み応えのあるものです。

 私がこの本を読もうと思ったきっかけは当然のことながら、村上海賊と信濃村上氏がどのような関係で書かれているかということに興味を持ったわけであります。

 坂城の住民とすれば当然であります。

 しかしながら、この小説では村上氏について 「村上海賊は平安期の村上天皇から発する。降って、南北朝の騒乱で足利尊氏と戦った後醍醐天皇率いる南朝の支柱、北畠親房の孫に北畠師清というのがあり、これが芸予諸島に移住して、当時衰微していた村上家の名跡を継ぎ、三人の息子(義顕、顕忠、顕長)を三つの島に配した。)」 と紹介しています。

 要するに、信濃村上氏とは関係ないとしているのであります。

 小説の価値を損なうものではありませんが、いささか、残念でありました。

 早速、坂城町の宮下学芸員に確認したところ、以下のメッセージをもらいましたので以下、ご紹介します。

 「村上水軍の出自を村上源氏に求めることは、村上師清を北畠親房の孫とすることについて、年齢等の理由により、かなり難があることから、その信憑性は低いものと言われています。

 平安期に発祥したとされる村上水軍の祖伊予村上氏は、『尊卑分脉』によると、信濃村上氏から出た一族と考えられます。また、「師清」についても、信濃村上氏関連の系図では、信濃惣大将「村上信貞」の孫としており、村上水軍のなかで唯一、近世大名として存続した久留島氏(来島村上氏)は、自家の先祖を信濃村上氏としています。

くわえて、村上源氏説の系図でも、師清は信濃から瀬戸内海に移ってきたと記されており、村上源氏説にしても、師清が信濃と縁が深いことを唱えています。
このように、清和源氏出身の信濃村上氏と村上水軍の関係については、、その実証が大変困難でありながらも、最も大きな可能性を秘めているものと考えられます。」
                
以上、若干、遠慮気味に延べていますが、村上海賊は信濃村上氏由縁であると考えます。
是非、小説もお読みください。
                   
             
坂城町長 山村ひろし                     

竹内希さんのザンビアだより(第13回)

 坂城町南条出身の竹内希さんがザンビアへ行かれてから早いもので、1年10か月が経ちました。

 ザンビアで活動されるのはあと3か月だそうですが、相変わらず元気に活躍されています。

 以下、ザンビア便り(第13回)をご覧ください。

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ザンビアだより(13)      平成26年4月  竹内 希

ザンビアだより(13)01

 

私がここへ来た意味

  日本は、桜の季節ですね。坂城町は肌寒い日がまだ続いているのでしょうか?こちらは、日本とは反対でこれから気温が下がっていきます。私の隊員活動も終盤を迎えつつあり、やりたいこともやらなければいけないことも沢山出てきました。そして、活動の幅が広がり、人々との信頼関係もでき、時間が経てばたつほど活動が充実してきているのを感じています。

  先月は、Women’s dayで女性の同僚と町を行進し、Youth Dayでは生徒にソーラン節を発表させ、先輩隊員の送別会、自分の学校での授業発表を行いました。

  ソーラン節は1週間という短い期間でしたが、放課後に生徒と猛特訓をし、公共の場で発表しました。当日、私は音を流すだけなのに、とても緊張をして生徒を見つめていました。それでもみんな堂々と踊ってくれて、本当に胸が一杯でした!!生徒たちはこれに味を占めたらしく、また何かの機会に人前で踊ろう!!と言っていました^^私が驚いたのは、この経験を通して、生徒たちの勉強に対する姿勢が変わったこと。中には、やんちゃな子もいて、授業中のお喋りが多かったり、歩き回ったり、なかなか集中が長続きしない子がいました。その都度生徒を呼び出して、何が彼女をそうさせているのか、話をすることもありました。その子が、「勉強をしたい。マダムは良い先生だから、私は勉強をする。」と言うようになりました。私はこの大きな変化に驚き、その後も彼女は私にとても心を開いてくれるようになりました。授業中、まだまだ叱ることもあるけれど、彼女は親身にそれを受けとめてくれています。日本での部活動もそうですが、何か目標に向かって努力し達成できると、他のことも人は頑張れるのですね。勉強以外のことも本当に大切なのだなとこの経験を通して感じました。

ザンビアだより(13)02

 

  また、毎学期私の学校では授業研究会が開催されます。全ての教科の先生が1つの会場に集まり、授業を発表し議論し合うものです。今回は、理科の先生の中から私が選ばれました。授業を行った内容は、二酸化炭素と水素の判別方法です。二酸化炭素は石灰水を白く濁らせ、水素は火を近づけるとポンッという音と共に爆発するというもの。予想通り、生徒は水素爆発にとても驚いていました。なかなか、実感を伴った授業ができないザンビアで、とても印象に残ったと思います。そして、その授業で嬉しかったことがありました。他の教科の先生が、「希、この間の授業ありがとう。私が子供の時は、説明だけであの実験を見ることはできなかった。実験を見せてくれてありがとう。」まさか、他の教科の先生にそう言われるとは思ってもいませんでした。しかも、40代くらいの先生です。なんだか、自分がここへ来た意味が少し分かった気がしました。

  残りの活動はあと約3カ月。学校へ居られるのは、約1カ月です。最後までやれることはやって、日本へ帰国したいと思います!!お寿司を食べられるのもあと少しですー!!笑

ザンビアだより(13)03 

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 坂城町長 山村ひろし

入園、入学式終了

 本日(4月7日)午前中、坂城幼稚園の入園式がありました。

 これで、4月2日(火)の保育園入園式、4月4日(金)午前の小学校入学式、午後の中学校入学式、4月5日(土)の坂城高校入学式など春の入園、入学式がめでたく無事に終了しました。

坂城保育園入園式で

                       

坂城小学校入学式で

                  

 各々の入園、入学数は以下の通りです。

                   

・保育園87名

(内訳:坂城保育園32名、南条保育園34名、村上保育園21名)

            

・坂城幼稚園27名(年長組1名含む)

         

・小学校149名

(内訳:坂城小学校44名、南条小学校65名、村上小学校40名)

             

・坂城中学校123名

          

・坂城高等学校134名

                 

                 

 以下、坂城町ホームページのニュースをご覧ください。

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4月4日(金)入学おめでとう!小中学校入学式

H26坂小入学式

▲坂城小学校入学式

  4月4日(金)、町内小中学校で入学式が行われ、南条小に65名、坂城小に44名、村上小に40名、坂城中に123名の子どもたちが入学しました。

  坂城小学校では、児童会長が歓迎の挨拶の中で、これから小学校でやることなどを紹介すると、新入児童たちは目を輝かせて聞いていました。また、坂城中学校では、厳粛な雰囲気の中式が進められ、新入生を代表して滝沢さんが中学校生活での抱負を語られました。

  新入児童・生徒の皆さん、ご入学おめでとうございます。勉強に、部活に、友達作りにがんばってください!

▼坂城中学校入学式

H26坂中入学式 

4月2日(水)町内保育園で入園式

H26坂保入園式

  4月2日(水)、町内保育園の入園式が行われました。(写真は坂城保育園)

  今年度、町内の保育園と坂城幼稚園に入園するのは113名(内、南条保育園34名、坂城保育園32名、村上保育園21名、坂城幼稚園26名)の子どもたちです。新入園児たちは、新しいお友達とさっそく仲良くなり、これからの保育園生活に胸踊らせていました。

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坂城町長 山村ひろし

坂城テクノセンター設立20周年パネルディスカッション

 坂城町工業の支援施設として、平成5 年に開設されたテクノセンターは、昨年11 月で設立20 周年を迎えました。

 設立20周年記念事業の一環として、下記のパネルディスカッションを開催します。

 多くの方のご参加をお願いいたします。

                    

1.日 時 平成26年4月12日(土) 14:00~16:30

               
 パネルディスカッション終了後、サロンにて交流懇親会を予定しています。

                    

2. 場 所:坂城テクノセンター 大研修室

                   

3. 特別ゲスト

                 

 セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長鈴木敏文さん

4. パネルディスカッション

                  

    ~ 坂城町工業の今後の発展を考える ~

コーディネーター:坂城町長 山村 弘

パネリスト:

 

(株)竹内製作所代表取締役社長竹内明雄さん

宮後工業(株)代表取締役社長宮後睦雄さん

力石化工(株)代表取締役社長佐藤洋子さん

 

日精樹脂工業(株)代表取締役社長依田穂積さん

(株)桜井製作所代表取締役社長桜井雅史さん

 

詳細の内容および申し込みは以下をご覧ください。

http://www.sakaki-tc.or.jp/event/140412.pdf

坂城町長 山村ひろし