坂城町役場宛にたくさんの年賀状をいただきましたが、昨年の「ねずこん」の頑張りのおかげで、「ねずこん」宛の年賀状もいただきました。
県外の方々からの応援もいっぱいありました。
「ねずこん」本人に渡しましたが、大変喜んでおりました。
坂城町長 山村ひろし
坂城町 「輝く未来を奏でるまち」 Create the Bright Future !
坂城町役場宛にたくさんの年賀状をいただきましたが、昨年の「ねずこん」の頑張りのおかげで、「ねずこん」宛の年賀状もいただきました。
県外の方々からの応援もいっぱいありました。
「ねずこん」本人に渡しましたが、大変喜んでおりました。
坂城町長 山村ひろし
本日(1月6日)、仕事はじめと「だるま」の開眼式。
坂城町役場では3年前から、仕事始めの際に私の新年の挨拶の後、役場職員全員で「だるま」に目を入れる「開眼式」を行っています。
今年も数多くのプロジェクトが目白押しです。
何よりも大切なのは役場職員が一丸となって町民の皆様により良いサービスができるかを工夫し、お互い協力して知恵を絞ることです。
その第一歩として、全員で「だるま」の左目に願いを込めて大きな目を書き入れました。
全員で「開眼」
開眼の仕上げ
この「だるま」は坂城町商工会青年部の皆様からご提供いただいたものです。
左側に「地域発展」、右側に「産業振興」と書かれています。
今年の「だるま」の裏面には、私のモットーまで入れていただいていました。
びっくりしました。内容は「他者のために最善を尽くす」「絶対逃げない」「ひたすら勉強・常に謙虚に」です。
今年も、役場職員一丸となって頑張ります。
よろしくお願いいたします。
坂城町長 山村ひろし
昨日(1月4日)もいろいろ新年の行事がありました。
「第47回の席書、書初め大会」で挨拶する山村、左は柳澤町議会議長
「新春賀詞交歓会」であいさつする山村
以下、坂城町のホームページよりご覧ください
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1月4日(土)、文化センター体育館で、第47回席書大会・書初展が開催されました。
今年も大勢の参加者が集まり、それぞれ新年の抱負や願いなどを込めて、書き初めを行いました。出品作品は、町書道協会役員が審査を行い、金賞、銀賞、銅賞、努力賞又は奨励賞に分けられます。なお、この出品作品を見られる書初展は、本日から6日(月)まで、文化センター大会議室で行われます。ぜひご覧ください。
1月4日(土)、坂城テクノセンターで、公益財団法人さかきテクノセンター・テクノハート坂城協同組合主催による「2014年新春賀詞交歓会」が開催されました。
この賀詞交歓会は、町内外から企業・大学・各種団体の代表者・関係者の皆さんが一堂に会して新年を祝い、新年の挨拶を交わすもので、毎年1月4日に開かれています。オープニングでは、南条小学校金管バンド部が新春にふさわしい元気な演奏を会場中に響かせたほか、こども能楽教室の皆さんが仕舞を披露されました。
▼南条小学校金管バンド部の演奏
▼こども能楽教室の仕舞
昨日、今年で第43回目となる坂城町元旦マラソンが行われました。
絶好のマラソン日和に恵まれ、約500名の方が参加されました。
挨拶する山村
以下、坂城町ホームページからご覧ください。
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1月1日(水)新春の風を浴びて 元旦マラソン
1月1日(水)、新年最初のイベントとなる、恒例の元旦マラソン大会が開催されました。
今年で43回目となった坂城町伝統の行事は、町内外から452名もの方が参加し、小学生の部と一般の部は6km、3km、1.5kmのコースを、親子ペアの部は1.5kmのコースを走り、参加者全員が完走することができました。今年の元旦も天気がよく、参加された方は気持ち良い風を体いっぱいに浴びながら、新年最初のゴールに向かってそれぞれが思い思いに走っていました。
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坂城町長 山村ひろし
年が明け、平成甲午二十六年となりました。 本年もよろしくお願いいたします。
今年も坂城の「100人」を続けます。
昨年の1月1日から始めましたので今まで、大体、毎月二人をご紹介してまいりました。
今年の一人目として、西澤正太郎さんを取り上げます。 今回で29人目となりました。
西澤正太郎さんについては、以前、孫にあたられる西澤眞澄さん他から書、絵画などを寄託された際にご紹介したのですが、その当時は「坂城の100人」の記載を始めていませんでした。
ここに改めて 「坂城の100人」 の一人としてご紹介します。
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坂城町、鼠宿出身の西澤正太郎さんという方がおられます。 文久3年(1863年)に生まれ明治43年(1910年)に亡くなられました。
坂城町では、昨日(12月27日)から30日まで消防団による歳末特別警戒を実施しています。
昨日は午後8時から、各消防団分団の巡視、激励を致しました。
この巡視には、保坂千曲坂城消防長、宮城坂城消防署長、清水坂城町交番所長、ならびに、手塚坂城町消防団長、大井副団長にご同行いただき12分団をそれぞれ訪問いたしました。
時々雪の降る中、午後8時から午後10時までの2時間でしたが各消防団の活躍ぶりをしっかり確認いたしました。
今年は全国的に火災の発生件数が増加しているようですが、坂城町では消防署ならびに消防団の皆さんのご活躍により昨年より減少傾向にあり、大きな火災事故も発生しておりません。 ありがたく感謝しております。
年末に向け何かと忙しくなる中、火の元にはご用心ください。
坂城町長 山村ひろし
昨日(12月26日)、坂城中学校の生徒さん二人が、先の震災で被害を受けられた方々への募金を持って来られました。 (紙袋に入ったズッシリと重い、心のこもった募金です。)
坂城中学校の「ふる里ボランティア委員会」の皆さんは、継続してこのような活動をされています。 素晴らしいですね。
以下、坂城町ホームページからご覧ください。
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▲左から、依田和真さん、山村町長、中沢広野さん
12月26日(木)、坂城中学校ふる里ボランティア委員会の中沢広野さん(委員長)、依田和真さん(副委員長)と平林悠子先生が、今年の活動で集めた募金を持って山村町長を表敬訪問されました。
同委員会では、今年の9月末に開催された同校の大峰祭期間中に募金を呼び掛け、地域や保護者の皆さんに協力していただいたほか、牛乳パックを回収してお金に換えました。この募金は、町から日本赤十字社を通じて東日本大震災の被災地へ贈らせていただきます。
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坂城町長 山村ひろし
坂城の100人、今までは歴史上の人物を中心に取り上げてきましたが、さる、12月22日の日本経済新聞全国版、「熱風の日本史」の中の「御真影 守護に重圧」というテーマで中島仲重校長が取り上げられたということもあり、今回は「坂城の100人」28人目として、南条小学校の校長で大正10年1月6日に同校の火災の際に天皇陛下の御真影を取り出そうとし殉死した中島仲重氏を取り上げます。
平成25年12月22日付日経の記事
中島仲重校長の顕彰碑は南条小学校にあります。
中島仲重校長は明治17年(1884年)中之条村に生まれました。
明治39年に長野県師範学校を卒業、戸倉小学校に勤務、大正2年(1913年)、29歳で南条小学校の校長となりました。
若くして校長になり、全身全霊で教育に打ち込み、大変人望のあった方だったそうです。
今でも、南条小学校のホームページには中島校長が当時力をいれて行った教育活動を以下のように伝えています。
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(南条小学校ホームページより。 中島校長の努力されたこと)
1.社会をよくし、本当に人生を切り開くことのできる実力ある人間をつくる
2.高等科の設置を復活させ、自ら生徒募集に村内を廻り、特に女子生徒の入学をすすめ、教育の実を挙げる。
3.研究の裏づけがあって教育は発展するとし、自身はもちろん職員の研究に大いに熱意を傾ける。
4.同僚職員に対する親身の指導信頼、そして全責任をもって守る。
5.自ら積極的に村民の中に入り込んで教育する。あるときは、婦人会長まで行う。
6.高い見識をもって努力する。
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そんな中での火災。
大正10年1月6日、午後6時半頃、南条尋常高等小学校で火災が発生。
東校舎2階南側から発した火は、2時間にわたって燃え続け、東校舎、南北両袖校舎および小使室など校舎の大半を焼きつくし、教室1棟、雨天体操場1棟、便所1棟を残して、午後8時半ころようやく鎮火した。
火災の状況は以下の通りです。(「坂城町誌」より)
「当日、中島校長が火災警報を聞いて山金井の居宅から学校に駆けつけた時、御真影奉安室にあてられていた東校舎2階の宿直室は、すでに猛煙に包まれていた。南条小学校へは大正4年に大正天皇、翌5年に皇后の御真影が下賜され、厳格な奉護既定のもとにおかれていたが、中島校長はその御真影を守ろうと、階段をのぼり奉安室に達したまま脱出できず焼死したのである。」(享年38歳)
中島校長の焼死は殉職として全国的に社会的な大反響を呼び、全国から弔慰金が集められその金額は総額21,137円に達したという。(「岩本務『「御真影に」殉じた教師たち』)
岩本務『「御真影に」殉じた教師たち』
その当時の時代背景により、中島校長の殉死は「御真影」の扱いについて大きな影響を与えることになり、「御真影の安全管理は命を賭してでも守る絶対的な義務」となっていきます。
ただし、中島校長の焼死が伝えられる中で、「人と物とは何時の場合も換(か)ゆ可きものではない。畏れ多いことではあるが御真影は物であって中島校長は人である」というような意見もあったそうです。(当時はまだ大正デモクラシーの時代でもあった)
来年度から南条小学校の改築工事が始まりますが、中島校長の顕彰碑のある箇所は「中島公園」として大切に保存されます。
中島校長の殉死の後、各学校には堅牢な奉安殿が作られるようになったのですが、中島校長が生前、村の委員会に切望していたものがまさにそれで、以下の提案文章が残されています。
(中島校長の提言)
設備ヲ要スベキ建物及其内容
一、御真影奉安殿・・・・何モノヨリ先ニ完全の設備ヲ
(「南条小学校百年誌」より)
坂城町長 山村ひろし
今日(12月25日)、素晴らしい青空のもと、先日拡張したワイン葡萄用第1試験圃場に苗の植え付けを行いました。
作業中のワイン担い手の一人、丸山さん
作業終了 きれいに揃いました
今回植えた数量は320株で、シャルドネ、ソービニヨン・ブラン、ピノ・ノワールの3種類の白ワイン用ブドウです。
これで、昨年から植えた苗の合計は 1,120株で、第1試験圃場の白ワイン用4種類(シャルドネ、ソービニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、リースリング)、第2試験圃場の赤ワイン用2種類(カベルネ・ソービニヨン、メルロー)の計6種類となりました。
これからが楽しみです。
坂城町長 山村ひろし