新年に入り、早くも一旬が過ぎました。
雪も降り、冷え込みも厳しくなりましたが、今日は一転、素晴らしい冬晴れです。
坂城町役場の窓から西方に自在山(岩井堂山 標高793m 通称:三角山)が大変美しく聳えています。
一幅の風景画のようですね、下方には土木遺産の昭和橋も見えます。
坂城町長 山村ひろし
坂城町 「輝く未来を奏でるまち」 Create the Bright Future !
新年に入り、早くも一旬が過ぎました。
雪も降り、冷え込みも厳しくなりましたが、今日は一転、素晴らしい冬晴れです。
坂城町役場の窓から西方に自在山(岩井堂山 標高793m 通称:三角山)が大変美しく聳えています。
一幅の風景画のようですね、下方には土木遺産の昭和橋も見えます。
坂城町長 山村ひろし
本日(1月9日)、長野広域連合で管理している養護老人ホーム 「はにしな寮」(施設管理者:山村、所長:朝倉和雄さん)の新年会が開催されました。
現在、はにしな寮には約60名の利用者がおられます。
最高年齢は97歳、一番お若い方は66歳です。(平均年齢:82歳)
外は雪が舞う天候でしたが、皆さんお元気で新年会を楽しまれておられました。
また、先日(1月4日)に開催された書初め大会で金賞を取られた方が7名もおられ、賞状の授与も行いました。
会食の風景
余興の琴の演奏
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坂城町長 山村ひろし
平成24年6月から、青年海外協力隊(JICA)の派遣教員としてザンビア共和国で教鞭をとられている、坂城町南条出身の竹内希さんから第11回目の便りがきました。
なんと、昨年12月に、タンザニアのキリマンジャロ登山(標高5895m)に挑戦し、登頂に成功されたそうです。
素晴らしいですね。 竹内さんの任期はあと半年、帰国されたらいろいろお話を伺いたいと思っています。
以下、竹内さんからの便り、ご覧ください。
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▲キリマンジャロからの朝日
謹賀新年
遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。私は2度目の年越しを海外で、大きな病気を患うことも無く過ごすことができました。
去年の12月は、タンザニアのキリマンジャロ登山に挑戦し、なんとか登頂に成功しました!! 標高5895m。元々、大学時代から何回か日本の山を登った経験はありましたが、それでも3000mの世界です。その後の世界を私は経験したことが無かったので、緊張もしました。
順応日を1日入れて6日間の行程。最初は屋久島のような緑が茂った場所から始まり、どんどん木々の高さが下がり、砂漠、雪へと変わっていきました。ガイドとポーターさんが一緒に登って下さり私たちのグループは総勢約21名。1人当たり2人のポーターさんが付いてくれました。宿泊の荷物、食事、水も代わりに運んでくれとても助かりました。1日目は雨に見舞われたものの、その後は山行を楽しみながら3720mで2泊。山から見下ろす景色も、星のダイヤモンドも、友人と囲む食事もとても綺麗で楽しかったです。それもつかの間、4200mを過ぎたあたりで一気に体が重くなり、頭痛も始まりました。気圧が下がったために脳みそや内臓が膨張し、頭がい骨を内側から圧迫して起こるそうです。まさに高山病の始まりです。寝ている間に人間は呼吸が浅くなるので、寝ることによって体内の酸素濃度がさらに下がり、体調が悪化するのが恐かったです。頭痛に効く薬をもらい3時間の睡眠をとるも、激しい腹痛に襲われ、1度はもう登れないかと思いました。それでもなんとしてでも頂上に登りたい、不安を抱えたままファイナルアタックへ挑んだのを覚えています。
ファイナルアタックへ出発、23時。月明かりに背中を押されながら、みんなで励まし合い登って行きました。動いていても寒い、動かないと凍死する。高山病による睡魔も、吐き気も、息切れも、個人個人症状は様々でしたが自分との闘いでした。途中、激しい嘔吐に襲われた友人は大事をとり宿泊場所までガイドと共に下山しました。私も体内の酸素濃度が下がっているのを息切れで感じていました。「これ以上激しく動いたら倒れる。」私は誰よりもゆっくりゆっくりと登って行きました。もう、ほとんど余裕はありませんでした。それを12年のベテランの現地ガイドさんがずっと励まして「大丈夫。大丈夫。」と先導してくれました。登る途中で見た朝日、天空の世界、友の声、私にとってかけがえのない時間でした。登頂に成功した時、みんなと抱き合った後、涙が出てくるのをグッとこらえました。下山するまでが登山です。来た道を自分の足で戻らなければいけません。一刻も早く下山をした方が良いということで、私はガイドに連れられ誰よりも早く下山しました。後はひたすら下山を続け、全員が無事スタート地点まで戻ってくることができ、私たちのキリマンジャロ登山はこうして幕を閉じました。
▲キリマンジャロ登頂
現地ガイドさんも仰っていましたが、キリマンジャロ登頂に一番大切なのは“諦めない気持ち”です。どんなに体力のある人も、高山病には太刀打ちできません。それは生まれ持った体質のようなもの、症状が出る人も出ない人も様々です。そして、周りの人との励まし合いによって、今までにないパワーが出ることがあります。これからも、目標に向かってがむしゃらに諦めずに打ち込んで行きたいものですね。
酸素が十分に吸えるようになって一番感じたことは、笑えることは幸せということ。笑う余裕もないくらい、追い込まれていましたから。酸素を吸えるようになって私はめきめき回復し、酸素があると強いねって言われたくらいです。(笑)
私の任期も残すところわずか6カ月となりました。まだまだ、やりたいこともやらなければいけないことも沢山あります。なるべく後悔を残さないように、2014年も走り続けて行きたいです。今年も、皆さんにとってより充実した1年になりますように。キリマンジャロの朝日と共に、皆さんのご健康をお祈り申し上げます。
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坂城町長 山村ひろし
坂城町役場宛にたくさんの年賀状をいただきましたが、昨年の「ねずこん」の頑張りのおかげで、「ねずこん」宛の年賀状もいただきました。
県外の方々からの応援もいっぱいありました。
「ねずこん」本人に渡しましたが、大変喜んでおりました。
坂城町長 山村ひろし
本日(1月6日)、仕事はじめと「だるま」の開眼式。
坂城町役場では3年前から、仕事始めの際に私の新年の挨拶の後、役場職員全員で「だるま」に目を入れる「開眼式」を行っています。
今年も数多くのプロジェクトが目白押しです。
何よりも大切なのは役場職員が一丸となって町民の皆様により良いサービスができるかを工夫し、お互い協力して知恵を絞ることです。
その第一歩として、全員で「だるま」の左目に願いを込めて大きな目を書き入れました。
全員で「開眼」
開眼の仕上げ
この「だるま」は坂城町商工会青年部の皆様からご提供いただいたものです。
左側に「地域発展」、右側に「産業振興」と書かれています。
今年の「だるま」の裏面には、私のモットーまで入れていただいていました。
びっくりしました。内容は「他者のために最善を尽くす」「絶対逃げない」「ひたすら勉強・常に謙虚に」です。
今年も、役場職員一丸となって頑張ります。
よろしくお願いいたします。
坂城町長 山村ひろし
昨日(1月4日)もいろいろ新年の行事がありました。
「第47回の席書、書初め大会」で挨拶する山村、左は柳澤町議会議長
「新春賀詞交歓会」であいさつする山村
以下、坂城町のホームページよりご覧ください
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1月4日(土)、文化センター体育館で、第47回席書大会・書初展が開催されました。
今年も大勢の参加者が集まり、それぞれ新年の抱負や願いなどを込めて、書き初めを行いました。出品作品は、町書道協会役員が審査を行い、金賞、銀賞、銅賞、努力賞又は奨励賞に分けられます。なお、この出品作品を見られる書初展は、本日から6日(月)まで、文化センター大会議室で行われます。ぜひご覧ください。
1月4日(土)、坂城テクノセンターで、公益財団法人さかきテクノセンター・テクノハート坂城協同組合主催による「2014年新春賀詞交歓会」が開催されました。
この賀詞交歓会は、町内外から企業・大学・各種団体の代表者・関係者の皆さんが一堂に会して新年を祝い、新年の挨拶を交わすもので、毎年1月4日に開かれています。オープニングでは、南条小学校金管バンド部が新春にふさわしい元気な演奏を会場中に響かせたほか、こども能楽教室の皆さんが仕舞を披露されました。
▼南条小学校金管バンド部の演奏
▼こども能楽教室の仕舞
昨日、今年で第43回目となる坂城町元旦マラソンが行われました。
絶好のマラソン日和に恵まれ、約500名の方が参加されました。
挨拶する山村
以下、坂城町ホームページからご覧ください。
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1月1日(水)新春の風を浴びて 元旦マラソン
1月1日(水)、新年最初のイベントとなる、恒例の元旦マラソン大会が開催されました。
今年で43回目となった坂城町伝統の行事は、町内外から452名もの方が参加し、小学生の部と一般の部は6km、3km、1.5kmのコースを、親子ペアの部は1.5kmのコースを走り、参加者全員が完走することができました。今年の元旦も天気がよく、参加された方は気持ち良い風を体いっぱいに浴びながら、新年最初のゴールに向かってそれぞれが思い思いに走っていました。
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坂城町長 山村ひろし
年が明け、平成甲午二十六年となりました。 本年もよろしくお願いいたします。
今年も坂城の「100人」を続けます。
昨年の1月1日から始めましたので今まで、大体、毎月二人をご紹介してまいりました。
今年の一人目として、西澤正太郎さんを取り上げます。 今回で29人目となりました。
西澤正太郎さんについては、以前、孫にあたられる西澤眞澄さん他から書、絵画などを寄託された際にご紹介したのですが、その当時は「坂城の100人」の記載を始めていませんでした。
ここに改めて 「坂城の100人」 の一人としてご紹介します。
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坂城町、鼠宿出身の西澤正太郎さんという方がおられます。 文久3年(1863年)に生まれ明治43年(1910年)に亡くなられました。
坂城町では、昨日(12月27日)から30日まで消防団による歳末特別警戒を実施しています。
昨日は午後8時から、各消防団分団の巡視、激励を致しました。
この巡視には、保坂千曲坂城消防長、宮城坂城消防署長、清水坂城町交番所長、ならびに、手塚坂城町消防団長、大井副団長にご同行いただき12分団をそれぞれ訪問いたしました。
時々雪の降る中、午後8時から午後10時までの2時間でしたが各消防団の活躍ぶりをしっかり確認いたしました。
今年は全国的に火災の発生件数が増加しているようですが、坂城町では消防署ならびに消防団の皆さんのご活躍により昨年より減少傾向にあり、大きな火災事故も発生しておりません。 ありがたく感謝しております。
年末に向け何かと忙しくなる中、火の元にはご用心ください。
坂城町長 山村ひろし