坂城の100人 第17回目は永井直治

 永井直治(ながい なおじ、1864年~1945年 旧姓 柳澤直治)は坂城町中之条出身の日本基督教会の牧師・聖書翻訳者として有名です。

 永井直治は柳澤与忽、しげ、の次男として元治元年(1864年)に中之条で生まれました。
 その後、塚田家の養子となり、塚田直治として明治23年(1890年)に明治学院神学部を卒業し東京浅草協会の牧師となりますが、明治24年(1891年)には柳澤家へ復籍し、柳澤直治を名乗ります。
 さらに2年後の明治26年(1896年)には埼玉県の永井家の養子となり、永井直治となり聖職者として活動します。
                  
永井直治の写真
(柳澤知夫さん提供、永井直治は柳澤知夫さんの大叔父にあたります)
                    
 
 聖書には多くの系統があります。
 明治になって、日本でもいくつかの系統の聖書が使われていたのですが、永井直治が翻訳をしたのは、エラスムス(1466年〜1536年 オランダの哲学者・宗教学者)が1516年に出版したと言われるギリシャ語本文で「正統派本文」と言われるものです。
              
 永井直治はこの原点と言われるギリシャ語本を翻訳し、昭和3年に自費出版をしました。
                           
「新契約聖書」の表紙
                     
                      
 この聖書は「永井訳新約聖書」と言われ、内村鑑三、尾島真治、中田重治などが推奨し、内村鑑三が「新契約聖書への序言」を書いています。
                                
                    
内村鑑三の「序言」    
                    
                                        
 また、中田重治は、これを一層普及させるためには、会社を作る必要があるとし信徒の有力者たちに呼びかけ、株主を募集し、日本聖書会社という株式会社を設立しました。
 そして、「新契約聖書」の一冊50銭の廉価版が出版されました。
                              
                 
 さらに、昨年、2012年には以下の新刊が再発行されました。
再刊された新契約聖書(2012年)
                                        
 
  以上、明治、大正、昭和と聖職者・研究者・翻訳者として活躍した坂城町中之条出身の永井直治のご紹介です。        
 
         
                       
                     
 坂城町長 山村ひろし

第17回機械要素技術展(東京ビッグサイト)

 昨日(6月20日)、東京ビッグサイトで開催されている、第17回機械要素技術展に行ってまいりました。

本展示会は一昨日から、本日(21日)まで開催されていますが、今年は前年よりもさらに多くの出展社が創意工夫をした展示を行っていました。(昨年は1800社程度でしたが今年は2000社程度が出展するアジア最大の展示会だそうです。)

坂城町のブースも大変洗練されたものになり、多くのお客さんが訪問されていました。

なお、今年の出展社は アルプスツール、 イケダ、(有)エフディ企画、 ケーエムケー、 長野大崎製作所、 ヤマザキアクティブの6社です。

一方、近くのブースで多くの客を集めていたのは、3Dプリンターを紹介しているコーナーです。

3Dプリンターの展示は昨年はありませんでしたので、今年になりこのような盛り上がりを見せています。

坂城町の企業の皆さんに是非とも注目願いたいところです。                       

米国ストラタシス社のブース

日本のキーエンスは2日前に発表した新製品(Agilista)を披露

とにかく、大変な人いきれで盛り上がっていました。(主催者ホームページより)

日本の工業を支える高度な機械要素技術を持たれている企業のすごい熱気を感じました。

坂城町長 山村ひろし

「第8回さかき千曲川ばら祭り」 閉会

6月1日(日)、から開催しておりました、「第8回さかき千曲川ばら祭り」 は昨日を持ちまして閉会しました。

16日の期間を通じて、約4万人弱の方々にお楽しみいただきました。

売店にも多くのお客さんがお見えになりました。

ばらのゲイトで記念撮影

「おいしい信州風土(フード)」宣伝隊の皆さんも来訪

                                                

今年は、寒さのため、スタート時点では小ぶりの状況でしたが、ここ一週間前から満開の素晴らしいばらの花を楽しむことができるようになりました。

薔薇人(バラード)の会の皆様を中心に多くのボランティアのご協力の賜物です。

あらためて御礼申し上げます。

「ばら祭り」は閉会しましたが、今月中はまだまだ満開のばらを楽しめます。

まだお出でになられていない方々のご来訪をぜひお願い申し上げます。

坂城町長 山村ひろし

坂城町消防団ポンプ操法大会

昨日(6月16日)、平成25年度坂城町消防団ポンプ操法大会が開催されました。

挨拶する山村

朝8時から昼前までポンプ車操法に4つの分団、小型ポンプ操法に7つの分団が出場し、日頃磨いた技術、チームワークを競いました。

優勝は、ポンプ車操法の部が、第2分団(金井)、小型ポンプ操法の部が第10分団(上五明)でした。

今月30日に開催される、埴科ポンプ操法での健闘を期待します。

詳細は以下の坂城町ホームページをご覧ください。

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6月16日(日)坂城町消防団ポンプ操法大会

H25町ポンプ操法大会第2分団

▲ポンプ車操法の部優勝 第2分団

6月16日(日)、四ツ屋消防ポンプ操法訓練場で、町消防団ポンプ操法大会が開催されました。

この大会は、消防団が常時の訓練成果を発表するとともに、審査による不備欠陥を是正し、消防技術の向上発展と士気の高揚に資することを目的に行われます。大会は、ポンプ車の部(第2、4、7、9分団)と小型ポンプ操法の部(第1、3、5、6、8、10、11分団)の競技と、ラッパ分団によるラッパ吹奏が行われ、町内の各分団が日頃の訓練の成果を披露しました。

大会の結果(入賞)は以下のとおりです。

ポンプ車操法の部

  • 優 勝 第2分団
  • 準優勝 第9分団

小型ポンプ操法の部

  • 優 勝 第10分団
  • 準優勝 第11分団
  • 第3位 第3分団

▼小型ポンプ操法の部優勝 第10分団

H25町ポンプ操法大会第10分団

▼各分団

H25町ポンプ操法大会各分団

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坂城町長 山村ひろし

坂城町 平成25年第2回議会定例会閉会あいさつ

本日(6月14日)、坂城町 平成25年第2回議会定例会が閉会しました。

 閉会の挨拶文を以下に掲載させていただきます。 

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平成25年第2回坂城町議会定例会の閉会にあたり、一言ごあいさつを申し上げます。
 6月3日に開会されました本定例会は、本日までの12日間にわたりご審議をいただきました。また、本議会は、昨年に引き続き議員の皆様の発案により、夏場の節電の一環として、一般質問の開始時間を午前8時30分からとされました。議員各位には改めて敬意を表します。さて、提案いたしました専決報告、人事案件、条例の制定、一般会計補正予算、さらに、追加日程でお願いいたしました条例の一部改正を含め、全ての議案に対して原案どおりご決定を賜り、ありがとうございました。
 
さて、6月1日に開会式を行いました「第8回ばら祭り」につきましては、あさって16日(日)をもちまして、16日間の開期に幕を下ろします。
4月の霜と低温のため、開花が遅れ、来場者の出足も心配されたところですが、日を追うごとに増え、観光バスについては、昨年より1割程度のびております。
この週末の天候にもよりますが、最終的に4万人近くの来場者が見込まれるところです。
あと2日間となりましたが、薔薇人の会の皆様には、ボランティアとして、日頃から千曲川さかきバラ公園の管理や、ばら祭り実行委員会の中心として、ご苦労いただいておりますことに感謝申し上げます。南条小学校建設事業につきましては、設計業者を長野市の エーシーエー設計と決定いたしました。
次の段階として、8~9月を目途に基本設計、その後詳細設計に取り組み、子どもたちが健やかに成長できる 安全安心な学校づくりを進めてまいります。
           
生涯学習の推進について多方面の方々にも参画いただくことが大切との考えにより、図書館長を公募をさせていただいたところであります。町内外から多くの申込みをいただきましたので、今月末を目途に新館長について、決定をし、活力ある図書館運営に努めてまいりたいと考えております。
 
「坂城町コトづくりイノベーション補助金」につきましては、スマートコミュニティ関連の製品開発やねずみ大根マスコットキャラクター「ねずこん」を活用した製品開発に対する補助申請など、3件の応募がありました。
来週17日に、審査会を行い、交付決定する予定であります。
この補助金が契機となり、町内企業の様々な技術や知識を活かした、新たな価値創造、新製品開発への展開が進むことを期待いたします。
 
ワイナリー形成事業につきましては、後発の坂城町にとりましては、あらゆる機会が勉強と共に情報の収集発信の場と位置付け、長野県観光部、商工労働部、そして農政部が提唱する「信州ワインバレー構想推進協議会へ坂城町も参画を表明いたしました。一昨日の6月12日には設立総会が開催されたところであります。
明日6月15日には、県の主催による「ワインセミナーインながの」が開催され、千曲川ワインバレーにまつわるワインの1つに坂城町からも巨峰スパークリングワインを出品、宣伝活動を行ってまいります。
 今後も引き続き、町の特産品の振興や新たな販路開拓に向けて、
宣伝活動等に鋭意取り組んで参りたいと考えております。
 
169系車両の利活用につきましては、町内外から多くの提案をお寄せいただいております。一般質問でご提案をいただいたものを含め、利活用検討委員会で検討をいただき、町の活性化につながる取組みとなるよう進めてまいります。
 
葛尾山及び自在山25haの松くい虫防除の空中散布につきましては、南信地方で週末にヘリコプターによる空中散布の日程が組まれている自治体が、予定どおり実施されますと、来週18日(火)に実施をいたします。
実施に当たりましては、6月号の広報や町ホームページにあります「注意事項」をご覧いただき、自主的な防護を行うなど町民の皆さんのご理解とご協力をお願いいたします。
 
7月から具体的な交渉が開始される段階となったTPP(環太平洋連携協定)につきましては、7月1日(月)、午後1時30分から役場講堂において、長野県企画部職員を講師にお願いし、「TPPに関する国の動き」「TPP交渉に伴う関税撤廃した場合の長野県経済への影響」等についての学習会を開催いたします。TPP参加によるメリットやデメリットなど、長野県が行った試算をもとに、お話いただくことになっていますので、大勢の皆さんにご聴講いただきたいと思います。
 
あさって16日(日)には、町ポンプ操法大会が開催されます。地域を守る消防団員が、有事の際の機敏な対応や消防技術の向上を目指し、日頃の訓練の成果を発表いたします。多くの皆さんの応援をお願いいたします。
 この大会の優勝分団とラッパ分団は、6月30日(日)に千曲市で行われる、埴科ポンプ操法大会及びラッパ吹奏大会に出場いたします。
 
坂城の夏を彩る町民まつり「第36回坂城どんどん」が8月3日(土)に開催されます。横町のメインステージでは各種団体の発表会を行うとともに、横町通りを歩行者天国にし、小さなお子さんも楽しめる様々なイベントを計画しております。また、坂城駅前に先日設置されました、169系電車を活用してのイベントも計画してまいります。夜の部の踊り流しとともに、様々なイベントや催しを計画いたしておりますので、大勢の町民の皆さんのご参加をお願いいたします。
 
これから暑さが増してまいります。議員各位におかれましても、健康に留意され、ご活躍されますことを祈念申し上げ、閉会のご挨拶とさせていただきます。
                              
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坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第16回目は甘利八右衛門

「生きながら神と祀られた甘利さん」
以前、「生きながら祀られた稲玉徳兵衞翁」のお話をしました。
  https://yamamurahiroshi.sakura.ne.jp/archives/3799                      
もう一人の「生きながら祀られた」のが甘利八右衛門です。
               
甘利といえば上田原の戦いで武田晴信を守り村上義清のために討ち死にした甘利虎泰(あまり とらやす)が有名ですが、この甘利八右衛門にどのようにつながるのか不明です。 どなたか教えていただければ幸いです。
                  
尚、甘利明 経済再生担当大臣のプロフィールには:                  

「先祖は武田信玄の末裔です (本当)。信玄の親戚であり、重臣 No2 甘利虎泰 (あまりとらやす) が我が先祖です。」 と記されています。

           
さて、甘利八右衛門さんですが、坂城町中之条にある葛尾霊園の真中に位置する老松の根本に「甘利社」という祠があります。
              
       
「甘利之社」
                  
甘利社に祀られている甘利さんは、江戸時代の末、中之条陣屋の第二十四代の代官、甘利八右衛門のことで、名代官の一人として知られています。
                  
甘利代官の在任は、文久3年(1863)から慶応2年(1866)の足かけ4年でした。
                       
甘利代官は、領内の産業を振興するために中之条牧の内一帯の開拓を進めたこと、中山道岩村田宿・小田井宿への助郷(手伝いの人足)の減免を幕府に働きかけて実現したことで大いに領民から感謝され慕われました。
そして、住民から神として祀られました。
                     
中之条の人々は甘利さんのお宮の前で毎年お祭りをしてきました。
お祭りには、重箱に煮しめを入れて持参し、村人総出でというほど盛大であったといいます。
                     
                  
甘利八右衛門はその後も異動を繰り返し、慶応3年7月には出雲崎代官に転出し、江戸幕府最後の出雲崎代官となりました。
                
また、『続徳川実紀』「昭徳院殿御在坂日次記」慶応2年2月23日の記録によれば、八右衛門の次男で別手組出役の甘利謙次郎が、孟子ならびに孫子について徳川家茂の御前で講釈をしたことが記されています。(大阪で、年齢は十三歳。別手組とは日本に在留する外国行使などを警護する組織)
なお、兄の徳太郎も別手組に属し、後に北海道開拓使となったそうです。
激動の江戸末期の時代を生きた、甘利八右衛門、徳太郎、謙次郎、親子のその後の消息は詳しくはわかりませんが、甘利徳太郎(後知)がエトロフ島を測量をしたという記録と地図が北海道大学の資料にあります
                     
                             
                          
これには「大日本開拓使所轄」とあり、「明治七年九月十四日、駿州、甘利後知識」と記されており、エトロフ島を描いた墨書図です。凡例によると甘利後知が自らこの島を踏査して作製したとあります。(北海道大学資料)
                       
甘利一家のその後についても興味はありますが、今回は 坂城町中之条で大切にされてきた ”生きながら祀られた行政官 甘利さん” の存在を記しました。
                 
                             
 坂城町長 山村ひろし

信仰の山 堂叡山

地域住民が代々守り続けている「霊山」のお話です。

先日(5月31日)、さかき里山トレッキングクラブ(会長:柳沢直幸さん)の皆さん、ならびに中村町づくり推進室長と、「堂叡山」(大道山 1290m)の山頂へ行って参りました。

 まず、「ふるさと探訪」などの資料から堂叡山についてご紹介します。

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 大道山は、江戸時代の末には御岳山(おんたけさん)とか堂叡山(どうえいざん)と呼ばれ、信仰の山として近郊郷に広く知られていました。
 この地域の御岳講の信者が大道山を霊場として開山したのが始まりだといわれています。

 文久3年(1863)には、一心講を組織し、四ツ屋の塚田周七郎をリーダーに山城国(京都府)宇治郡の醍醐寺へ参拝し、山号を堂叡山、院号を堂明院とすることを許されました。
 明治になって堂叡山の信仰はますます盛んになり、四ツ屋の旧北国街道沿いには堂叡山の道しるべが建てられました。
 明治25年(1892)には、信者によって堂叡山道の碑から2kmほど登ったところに里宮が造営されました。
 拝殿の鬼瓦は、堂・叡・山の三つが組み合わさってできているなど、地域の人々の信仰の厚さがしのばれます。

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私は、今回初めて堂叡山の山頂に登りましたが、地元の人たちが、「堂叡山」は 『日本三叡山』 の一つだと言われるのもその通りの素晴らしい眺望でありました。 ( 三叡山 : 「比叡山」、「東叡山」(寛永寺)、「堂叡山」 )

 山頂からの景色はまさに絶景で坂城、村上方面の眺望が最高です。

   

堂叡山 山頂から上平を見た風景(中央に 自在山‐三角山)

我が家は自在山の麓にあります

 

我が家の2階から見た堂叡山(中央)        

 木曽御嶽信仰においては、御嶽大神、八海山大神、三笠山大神の三神が一組で祀られることが多いのですが、堂叡山の例でも、左から「三笠山」、「堂叡山」(御嶽山)、「八海山」、その右に「堂叡山大日大聖不動明王」の石碑があり、さらにその右には「成田山」の石碑があります。              
 これらの石碑は、文久2年(1860)に住民一同で山頂まで運んだということです。

どのようにして、このような急峻な山の山頂まで大きな石仏を運んだのでしょうか。

当時の住民の信仰の厚さを感じます。

左から:「三笠山」、「堂叡山」、「八海山」

「三笠山」

堂叡山 (神官の衣装をまとっています)

「堂叡山」の背面から

「八海山」

「堂叡山大日大聖不動明王」の碑

「成田山」

石碑の背面に:坂木四谷 一心 講中 とあります

              

さかき里山トレッキングクラブの皆さんと

左から:松本幸男さん、田原茂樹さん、山村、柳沢直幸さん

さかきトレッキングクラブの皆様は日頃、トレッキング・コースの開発とこのような遺跡の保護に大変なご尽力をいただいております。

皆様の大変なご努力に感謝いたします。

町としてもこのようなトレッキング・コースの整備、史跡の保護にも力を入れてまいります。

坂城町長 山村ひろし

竹内希さんの「ザンビアだより」(第7回)

 平成24年6月末に、坂城町南条出身の竹内希さんが、青年海外協力隊としてアフリカ南部に位置するザンビア共和国へ派遣され約1年が経過しました。

元気に活躍されておられるようです。

以下、坂城町ホームページにも掲載されていますが、「ザンビアだより」をご覧ください。

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ザンビアだより~ 平成25年6月 竹内希

ザンビアだより(7)01

自分の道

みなさん、お久しぶりです。日本は暑くなっている時期ですね。ザンビアは今、秋のような気候です。朝晩はとても冷えるので、長袖がないと寒いです。5月からは第2学期が始まり、毎日生徒と楽しい日々を送っています。最近は、私にも余裕が出て来たので、補講を始めました。理科、数学、生物、時には日本語を交えながら、なるべく生徒の要望に応えるようにしています。

最近ふと思ったこと。それは、日本も昔はザンビアのような生活を送っていたのかな?と。冷蔵庫も洗濯機もテレビも無かった時代、仕事の帰りに商店街でその日のための食材を買い、家に帰って火を熾し、夕飯を作り、お風呂のためのお湯を沸かす。余暇といえば、周りの人と会話を楽しむこと。私も今、同じような生活を送っています。

私は昭和の終わりに生まれ、ほとんど物が無かった時代の日本を知りません。よくテレビで「昔の日本は良かった。」「今の時代は物が溢れていて、何でもすぐに手に入るから良くない。」という言葉を聞きますが、なんのこっちゃ私にはしっくりきませんでした。ですが今、途上国の生活と先進国の生活を経験して、昔を知っている人達が何を言いたかったのか、なんだか少し分かったような気がしました。

物が無い分、人と分け合ったり、お互いに協力したり、また自分で試行錯誤をして欲しいものを創り出したり、そのような過程がおそらく今よりあったと思います。ものづくりに強い日本が誕生したのは、きっとこの創造性が他の国よりも強かったからでしょう。教育の現場で働いていて、本当にそう思います。教育一つで創造性がこんなにも違うのかと。

ザンビア(7)02

日本の初等教育、中等教育は素晴らしいです。生徒の思考を発達させるような授業がなされているように思います。高等教育は、教えなければいけない内容が一気に増えます。なので、一方的な授業がなされている現状も仕方がないです。しかし、最近センター試験が他の形に変わるという話を聞きました。私はこの制度改革に賛成です。一発受験、しかも記憶能力重視の試験では豊かな人間は育ちません。

今の一部の子供たちは、試験に合格すること、優秀な成績を修めることにばかり執着し、他にも大切なことがあるということをあまり知らずに過ごしているように思います。私自身がそうでした。確かに学業で優秀な成績を修めることは素晴らしいです。なかなかできることではありません。でも、人間の将来は1つではないし、ひとそれぞれ色んな生き方がある。自分の道を歩む上で一番大切なことは、その道を選択する時に、自分自身でとことん悩んで、もがいたかということ。何も考えずにその道を歩むことが一番自分らしくないし、後悔することもあるでしょう。日本のみなさんには、もっともっと世界で活躍して欲しいと思います!!ダラダラと長く綴ってしまいましたが、世界は広いし、可能性はいっぱいです!!みなさんも、夢にむかって頑張ってください^^

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坂城町長 山村ひろし

平櫛田中展と橋本堅太郎先生

現在、坂城町鉄の展示館では、「人間国宝宮入行平生誕100年記念 行平人生の師 近代日本の彫刻の巨匠 平櫛田中展」を開催しています。(6月16日まで)

同展示会の記念講演会として、昨日(6月8日)、日本の彫刻界最高峰の木彫家であられる橋本堅太郎先生をお招きして講演会を開催いたしました。

私が以前、杉並師範館の塾長をしていた際に長きにわたり若い塾生に木彫の話、芸術の話、とりわけ芸大時代に薫陶を受けられた平櫛田中さんのお話をしていただきました。

あまりにも素晴らしいお話でしたので、今回、鉄の展示館で平櫛田中展を開催するに際して是非ともお話をしていただきたいことと、橋本先生の作品を御貸しいただけるよう昨年からお願いをしておりました。

今回、ようやく、橋本先生を坂城にお招きすることができ誠に感無量であります。

挨拶する山村、右奥に橋本堅太郎先生

今回お借りした木彫「希」

以下、坂城町ホームページより

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6月8日(土)橋本堅太郎先生講演会

橋本堅太郎講演会01

▲橋本堅太郎先生

  6月8日(土)、鉄の展示館で現在開催中の「平櫛田中展」を記念して、平櫛氏の教え子で、現代の日本彫刻界最高峰の彫刻家である橋本堅太郎先生の講演会が中心市街地コミュニティセンターで開催されました。

  橋本先生は、東京芸術大学在学中に平櫛氏に師事しておられ、卒業後は日展(日本美術展覧会)を中心に活動しながら、東京学芸大学の教授を務め後進の育成に尽力される一方、平成8年に日本芸術院賞を受賞し、同年日本芸術院会員となられました。その後、平成12年に日展理事長に就任し(現在は日展顧問)、平成23年に文化功労者となられるなど、文字通り日本の芸術文化活動の先端で活躍されています。

  また、橋本先生の技法は、正統的な木彫り技法で、仏像や宗教的雰囲気の人物像、若い女性群像などの優れた作品を多く制作されています。

  講演会では、「平櫛田中との芸大時代の思い出」と題し、東京芸術大学時代の橋本先生と平櫛氏との思い出を語っていただきました。橋本先生は、平櫛氏から様々な課題を与えられたこと、平櫛氏が橋本先生の作品を気に入って買ってくれたことなど、平櫛氏と深く付き合ってこられた橋本先生ならではのエピソードをユーモアを交えて話され、聴講に集まった皆さんを楽しませていらっしゃいました。

橋本堅太郎講演会02

  また、平櫛田中展は6月16日(日)まで開催しています。日本が世界に誇る近代彫刻界の巨匠で、宮入刀匠が生涯の師と仰いだ「平櫛田中」が、魂を吹きこみ創りあげた至高の作品(木彫、彩色木彫、ブロンズ、墨跡など)に出会える、又とない貴重な展覧内容となっています。

  開催期間も残りわずかとなりました。この機会を逃さず、ぜひご覧になってください。

▼平櫛田中展

橋本堅太郎講演会

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坂城町長 山村ひろし

千曲倫理法人会と立川談慶さん

昨日(6月7日)、稲荷山の杏泉閣で千曲倫理法人会(会長:荒井英和さん)の10周年記念式典が開催され参加しました。

本会には千曲市長岡田昭雄さん、長野県議会議員荒井武志さんはじめ多くの方が出席され盛大に開催されました。

また、特別ゲストとして丸子出身の落語家、立川談慶さんが講演「私の180度変換した人生」ならびに落語「禁酒番屋」を話されました。

左から:山村、立川談慶さん、荒井英和会長

立川談慶さんとは今までお会いする機会がなく初めてお話を聞きましたが、まことにダイナミックな「立川流」の本流を継がれておられる方だと感じました。

立川談慶さんは昭和40年に生まれ、慶応義塾大学経済学部を卒業し、ワコールに入社した後に落語の門を目指されたというユニークな経歴を持たれた方です。(慶応出身落語家の第一号)

千曲倫理法人会は千曲市、坂城町をベースにした経営者を中心とした団体です。

荒井会長を中心として精力的に活動されています。 (坂城地区の会員が誠に少ないのは残念)

今後の千曲倫理法人会と立川談慶のご活躍をお祈りします。

10周年記念の手拭

坂城町長 山村ひろし