さかきテクノセンター 経営フォーラム

昨日(5月9日)、公益財団法人さかきテクノセンター(理事長:栗林邦夫氏)の理事会が開催されました。

理事会終了後、同センターの役員ならびに坂城町経営革新塾、ニューリーダー研究会、坂城町商工会、中小企業能力開発学院の各役員を対象とした経営フォーラムが開催されました。

講師にはキャノングローバル戦略研究所研究主幹の瀬口清之さんをお招きして「新たな側面を迎えた日中の経済関係について」というテーマで講演が行われました。

瀬口さんとは長いお付き合いをいただいておりますが、日米中の経済問題、外交問題に関して日本では第一人者です。  

   

講演される瀬口清之さん 

特に中国問題に関しては、中国全土をくまなく歩かれ、流暢な中国語で中国政府要人と差しで話のできる数少ない方です。

昨日も、最近の中国情勢についてあまり報道されないホットな話をたくさんお話いただきました。

挨拶する山村

以下、坂城町ホームページをご覧ください。

また、最新の中国レポートについては以下を参照ください。

(瀬口さんの最新中国レポート)

http://www.canon-igs.org/column/network/20130508_1884.html

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(坂城町ホームページより)

5月9日(木)坂城経営フォーラム 瀬口清之さん

経営フォーラム瀬口清之さん01

▲瀬口清之さん

5月9日(木)、坂城テクノセンターで、さかきテクノセンター役員、ニューリーダー研究会会員、能力開発学院役員などを対象とした平成25年度1回坂城経営フォーラムが開催されました。

講師には、山村町長と以前から懇意の仲で、キャノングローバル戦略研究所研究主幹の瀬口清之さんをお迎えし、「新たな側面を迎えた日中の経済関係について」を演題にご講演をいただきました。

現在の中国は、インフラ建設の増加、住宅投資の増大、雇用の増大に伴う賃金の上昇などにより景気がよくなっており、さらなる景気拡大の足枷となっている要因はあるものの、成長を続けているそうです。このように中所得国(発展途上国と先進国の間の国)となった中国ですが、今後先進国になるためにはまだまだ様々な課題があり、それらを解決していくことが習近平政権の使命だとおっしゃっておられました。

また、中国国民の所得が上がると日本企業の製品も売れやすくなるそうで、5年前に比べて飛躍的に拡大した中国市場は、販売面で日本企業にとっても追い風となっているそうです。このような状況の中で日本企業の中国ビジネスが成功する例、失敗する例を具体的に挙げられ、日本企業がどのようにするべきかを教えてくださいました。

そして、2012年10月に発表された「2013年:IMF世界経済見通し」では、日中韓3国のGDPの合計が、初めてアメリカのGDPを上回る見通しとなったそうです。瀬口さんは、「これから東アジアの時代が始まる。中国の発展は日本の発展、日本の発展は中国の発展になる」とおっしゃり講演を締めくくられました。

経営フォーラム瀬口清之さん02

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坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第13回目は2代目坂城藩主板倉重寛

 「坂城の100人」13回目、今回は先日掲載しました初代坂城藩主板倉重種に続いて、2代目(最後の)坂城藩主板倉重寛についてです。

 前回同様、鉄の展示館宮下学芸員に記述をお願いしました。
                        
 
坂木藩2代藩主「板倉重寛」 
  寛文9(1669)年〜享保6(1721)年
 
 前回は、江戸時代この坂城町に大名が拠点を構えた坂木藩があり、その初代藩主板倉重種について紹介しましたが、今回は、重種の跡を継いだ2代藩主板倉重寛についてお話しします。
 
 父重種から坂木藩を継承した板倉重寛は、寛文9(1669)年に生まれました。4歳の時、旗本である祖父重矩の弟板倉重直の養子となりましたが、天和元年(1681)9月、実家に戻り嫡子となります(これが原因で家中は重寛派と重種の養子重宣派に分かれ御家騒動に発展)。
 天和3年5月、父の隠居で重寛は坂木藩3万石を相続しましたが、この時重寛は弱冠14歳であり、父と同様、坂木陣屋を本拠として藩政を進めました。
坂木藩3万石の所領は信濃国(現坂城町から千曲市、長野市、上田市、須坂市、中野市、小布施町、飯綱町、信濃町、箕輪町、それぞれの一部)を中心に、板倉氏の出身地三河国(愛知県西尾市)や上総国(千葉県東金市)の一部にも及びました。
 貞享元年(1684)2月、重寛は元服し、翌年8月、初めて坂木の地へ入部しました。その後、重寛が坂木へお国入りしたのは元禄2(1689)年2月が確認できます。2度目のお国入りをした元禄2年、重寛は亀井茲政の娘を妻に迎えました。
元禄7年3月、重寛は大坂加番(大坂城の警備担当4名の一人)を命じられ、同12年にも同職を命じられています。
 重寛は若年ながらも、道理を弁えた才能ある人物で、学問と武芸を共に励み、性格も素直で情が厚く、柔和な人柄で、領民にも哀れみの心を持っていました。さらに道理に叶った処罰と、法に基づいた審議により、君主として高い評価を得ていました。
 
 板倉重寛が治世を進めた拠点は坂木陣屋です。坂木陣屋は、前領主の越後高田藩松平光長時代に代官長谷川氏が使用していたものでした。陣屋は現在の坂城駅前横町通り南側一帯にあり、その敷地は900坪で建物は110坪程度、更に板倉時代には多くの家臣団を収容するため、陣屋の東に家臣屋敷が造成されました。当初5万石、その後3万石となった板倉氏の家臣は相当数の規模であったことが想像され、坂木は陣屋を中心とした城下町ならぬ陣屋町の街並みが形成されました。
 
 板倉氏が坂木を本拠地にして21年目の元禄15(1702)年12月、重寛は、江戸城において将軍徳川綱吉の前で福島城主(福島県福島市)=福島藩3万石への転封を命じられ、陸奥国が本領となりました。更に江戸城での控の間が、菊之間(三万石未満の譜代小大名の詰所)から雁之間(城持ちの譜代中大名の詰所)へと昇格しました。
 陣屋支配から城持ち大名に復帰することは、藩主重寛及び家臣にとって宿願であり、そのため幕閣に対し藩をあげての運動が展開され、遂に実現したのです。板倉氏以前の福島城は、譜代大名堀田氏が10万石、その前も譜代本多氏15万石の居城でした。
 元禄16年1月から福島城受け取りの準備が進められ、4月には幕府代官から城と領地を受け取りました。ここに坂木藩の歴史は幕を降ろすこととなり、以後、坂木は幕府直轄領(天領)となって、引き続き、坂木陣屋は幕府の代官陣屋として半世紀の歴史を歩むこととなります。
                          
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 坂城町長 山村ひろし

坂城町「けやき横丁」に新店オープン

先日(5月6日)、「けやき横丁」で空室となっていたスペースに新しい店がオープンしました。

「GRACiA」という店で、若者向きのファッション・ショップです。

この店は select shop と銘打っています。いろいろなブランドを揃えているようです。

二人の若者のチャレンジ、是非、応援してください。

左が代表の関根秀行さん、右は店長の田中祐磨さん

坂城町長 山村ひろし

坂城町PTA連合会協議員会

昨日(5月7日)、午後7時から村上小学校で平成25年度坂城町PTA連合会協議員会(平成25年度会長:宮嵜正剛さん)が開催されました。

連休が明け、5月7日というのに村上小学校の体育館ではストーブが必要なほど大変な寒さの中、多勢の役員の方々が集まられました。

新年度に入り、各学校でPTAの総会が開かれましたが、今回はその連合体の会議です。

坂城町では各学校の教職員の皆さん、保護者の皆さん、各地元のサポーターの皆さんの連携が大変素晴らしく、本当に良いコミュニケーションが取られていると思っています。

先日公表された長野県教育委員会による平成24年度の 「体罰」 調査でももちろん坂城町で該当するものは一件もありませんでした。

「坂城の子供は坂城で育てる」を合言葉に、皆様方と一体となり 「人づくりによる町創り」 を推進していきたいと思っております。

坂城町長 山村ひろし

一茶と松蔭集

先日、藤沢雨虹について記述しましたが、その中で、句集「松蔭集」に小林一茶の句が掲載されていると申し上げました。

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その点について何人の方から問い合わせがありましたので、追記させていただきます。

以下が、一茶の句が載っている頁です。

右から8番目、中央から右へ2番目の句です。

「時鳥(ほととぎす)鳴く空もちし山家かな」

なお、「一茶発句全集」の「夏の部」、動物編の「時鳥」の項にもこの松蔭集からの引用が載っていますが内容が一部異なっています。

(一茶発句全集より)

「時鳥笠雲もなし山家かな」(松蔭集、文政9年)

一茶発句全集には、この句が松蔭集からの引用であること、文政9年(松蔭集が発刊された年)の記述もあることから一茶が藤沢雨紅に寄せた句であることは間違いないのですが、内容の相違についてどのような経緯で変わってしまったのかは不明です。

しかしながら、一茶が坂城(?)の空を見上げ快晴の大空を飛ぶ時鳥と鄙びた山家を謳っている風景を想像するだけでも心がさわぎますね。

どなたか、この両句のいきさつについてご教授いただければ幸いです。

坂城町長 山村ひろし

八十八夜祭

本日(5月3日)、午前中、坂城神社境内横、「蚕国大神」 前で坂城町大宮区の皆様により八十八夜祭、葛尾祭が執り行われました。

八十八夜は立春から数えて88日目にあたる5月2日に養蚕の安全と発展を祈願するお祭りとして執り行われてきました。

本日は、多少肌寒かったのですが、快晴の中大勢の方が参列されました。

「蚕国大神」 前で神事を行った後、参列者の皆さんは葛尾城まで登山道を整備しながら登られました。 (私は前年同様祠前の神事のみの参加で失礼しました。)

「蚕国大神」の祠、横面には「明治8年 乙亥 再建」 とありました。

再建からも140年以上経過しているわけです。

坂城町大宮区の皆さんが営々とお守りしてこられています。皆さまに敬意を表します。

坂城町長 山村ひろし

平櫛田中展開催(鉄の展示館)

坂城町の「鉄の展示館」では、4月27日〜6月16日の予定で平櫛田中展が開催されています。

今年は故宮入行平刀匠(人間国宝)が生誕100年の節目を迎えるということもあり、生前親交があつく、刀剣と彫刻という分野を越えて生涯の師と仰いだ近代日本彫刻界の重鎮で文化勲章受章者「平櫛田中」の展覧会を特別に開催しております。

また、私が以前から懇意にさせて頂いている、平櫛田中さんの一番弟子とも言える文化功労者の橋本堅太郎先生にもお出でいただき講演会を開催する予定です。(6月8日(土)午後2時より)

以下、展示会の案内をご覧ください。

また、同時期には、「さかき千曲川ばら公園」で 「第8回ばら祭り」 も開催中ですし、坂城駅前には「169系」車両も展示されるなどいろいろな催しが予定されています。

ぜひ、足をお運びください。

 今年、生誕100年を迎える故宮入行平刀匠(人間国宝)が、刀剣と彫刻という分野を越えて生涯の師と仰いだ、近代日本彫刻界の重鎮で文化勲章受章者「平櫛田中」の展覧会を開催します。
日本の伝統的な彫刻に西洋流の彫刻を融合し、古彫刻の彩色技法や寄木造を研究して写実表現を追求した平櫛の作品は、仏像や肖像、身辺彫刻など多岐にわたります。本展では、東京都小平市の平櫛田中彫刻美術館の全面的な協力により、こうした平櫛の選りすぐりの作品を一堂に展示します。
また、平櫛は宮入が手掛けたノミや小刀などの道具を使って、数多くの名品を制作する一方、宮入と一緒に全国各地の展覧会へ出かけるなど、二人は親子のような関係でもありました。こうした両者の深い交流についても宮入宛に出された平櫛の書簡60通余りを通じて紹介します。

平櫛田中

  • 「いまやらねばいつできる、わしがやらねば、だれがやる」「六十、七十、はなたれ小僧、男盛りは百から百から」と、107歳の人生を最後まで現役で貫いた日本が世界に誇る不世出の彫刻家です。

開催期間

  • 4月27日(土)~6月16日(日)

開館時間

  • 午前9時~午後5時

入館料

  • 500円(中学生以下は無料)

期間中のイベント

記念講演会

平櫛田中門下で現代彫刻界の最高峰にあり、日本の美術界を背負われている文化功労者の橋本堅太郎先生の講演会です。

  • 日時 6月8日(土)午後2時
  • 会場 中心市街地コミュニティセンター(鉄の展示館隣)
  • 聴講料 無料(申込み不要)

学芸員のギャラリートーク

  • 日時 5月18日(土)、6月15日(土)午前11時~
    ※申込み不要
  • 会場 鉄の展示館
  • 料金 無料(鉄の展示館への入館料が必要です)

問い合わせ先

鉄の展示館

TEL 0268 82 1128
有線 82 1128

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坂城町長 山村ひろし

ラストランも終わり駅前設置準備

しなの鉄道で大活躍していた 「169系」 車両のラストランがさる、4月29日で終わり、いよいよ坂城駅前に設置されることになりました。

枕木も準備されました。

5月末には169系湘南カラーの車両3台が置かれます。

楽しみにお待ちください。

準備のために置かれた枕木

以下、坂城町のホームページからご覧ください。

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長い間ありがとう 169系ラストラン!

169ラストラン01

4月29日(月)、しなの鉄道の「169系」車両がラストランを行い、長年にわたり人々を乗せて走り続けてきた役目を終えました。この169系のうち、「S51編成」3両は坂城駅に静態保存されることになり、町としなの鉄道で現在その準備を進めております。

169系は、旧国鉄時代の1968年に誕生し、全国でしなの鉄道のみが運行していましたが、老朽化により、この4月27日(土)、28日(日)、29日(月)に企画された特別列車「ありがとう・さようなら169系 団体専用臨時列車」(軽井沢~屋代間)を最後に引退することになりました。

この3日間は、列車に乗る方、見る方、撮る方など、多くの鉄道ファンが駆け付け、坂城町のマスコットキャラクター「ねずこん」も最後の勇姿を見届けました。今後は坂城駅に保存され、皆さんにご覧いただけるようになる予定です。お楽しみに!

169ラストラン02-03 

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坂城町長 山村ひろし

「坂城の100人」第12回目 江戸期に有名な女流俳人藤沢雨紅

「坂城の100人」第12回目は江戸後期に坂城が生んだ当時の有名な女流俳人藤沢()(こう)(秀子)です。
 
 
藤沢()(こう)(秀子)
                 
1767(明和4)年~弘化2(1845)年
江戸時代後期に、坂城では数少ない女流俳人として名を成した藤沢()(こう)(秀子)がいます。
本名を秀子といい、坂木宿大門町の旅籠屋「大藤屋」の当主清蔵に嫁しました。
清蔵も貞雅と号する俳人でしたが、実力は雨紅に及ばなかったそうです。
雨紅は下戸倉宿の宮本虎杖に俳句を学び、享和元年(1801)の虎杖編の句集から俳句が掲載されるようになり、この後、内外の俳書に作品が数多く収録されていきます。
江戸の俳人小蓑庵碓嶺の俳書にも雨紅の作品が多数掲載されます。
天保4年(1833)に雨紅を訪ねた江戸の俳人大野景山は「婦人には珍しき俳人なり」と評しています。
60歳(耳順)になった、文政9年(1826)には、自句集『松蔭集』を刊行しました。これは坂城で刊行された唯一の句集であり、自句208首に雨紅と親交のあった俳人の句が掲載されています。
また、辞世の句(79歳で死去) 「散やけし 花ならまじる 日もあるに」 は満泉寺の墓に刻まれています。
               
「松蔭集」の所在が不明でしたが、私が偶然、長野県立図書館で発見し、鉄の展示館宮下学芸員の力を借りて調べています。
今回、その一部をご紹介します。
                       
「松蔭集」表紙
                   
「松蔭集」序文
                       
                     
「松蔭集序文」 (江戸の俳人小蓑庵碓嶺が記述)
                        

信濃のくに坂木の雨紅今年耳順(じじゅん:60歳)の春
を迎ひ君が代にとたひ(途絶え)澄べき水の色

を、くみて知りける山の春のな(名)と

古き世の御影を限なく歓びさゝれ石
盡せぬ千曲の流を汲て更級や
葛尾山の睦月の空をうつして
老のこころをなぐさめ月花の
冥加浅からずも自の句を撰みまた
英雄の句をも女手のたよわくも拾
ひ得てこれを酒肴にかえて賀莚を
ましけるの志目出度文政九年の
春の花とや言ん實や酒肴に
かえて並べたる発句の中々朽果
る世のあらざれば號は松蔭集
と呼ことしかり   碓嶺述
                    
              
「松蔭集」は自作の俳句が208句、その後に、江戸俳壇の大家を中心とした一茶を含む著名俳人9人の発句が続き、更に雨紅と仁井田(中村)碓嶺と八朗、3人の連句36首、雨紅と遠藤雉啄の連句18首、雨紅と碓嶺、如水の連句18首、そして、全国の俳人の発句100首という構成となっている大作です。
                
是非とも、この貴重な俳句集を再版したいと思っていますが、今回は、雨紅 自作の句集の始めと終わりの数句を掲載させていただきます。
                    
「松蔭集」の1頁目
                       
                     

「松蔭集」から初めの5句。(初春の句)
                
 ・元日やこころのはなのあさ朗(ぼらけ)
 ・元日や祝ふことさへありの侭
 ・親と子の無事を宝に花の春
 ・蓬莱や行義ただしく子はそだつ
 ・月雪や世の旅ころもきそはしめ
                  
                
「松蔭集」終わりの5句。(年納めの句)
                 
 ・小原女の柴には雨かみぞれ降
 ・友(共)に白髪(かみ)いだく迠(まで)を雪の様              
 ・行としを見に行頃やなごの海
 ・年の市挟莚売も一世界・・(挟莚:さむしろ)
 ・葛尾もとしのくれ行山路哉
                   
          
坂城町は素晴らしい歴史、芸術、文化の宝庫が山のようにあります。(一部はレア・アース化しているかも知れません。)
「松蔭集」についてもまだまだ不明な点が多く、今後とも継続して調査・研究していきたいと思っております。
                        
                
坂城町長 山村ひろし

 

交通死亡事故「0」500日達成!

本日(4月26日)、坂城町交番の清水慶久所長がお出でになり、「交通死亡事故ゼロ500日」となりましたというご報告をいただきました。

目標は1,000日ですが、その中間点を達成しました。

以下、坂城町ホームページの記事をご覧下さい。

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交通死亡事故「0」500日達成!

交通死亡事故0

▲写真左から、山村町長、清水交番所長

  平成23年12月以来続いていた、町内の交通死亡事故「0」日数が昨日(4月25日)500日を達成し、坂城町交番の清水慶久所長が山村町長に報告に来てくださいました。

  町では、千曲交通安全協会坂城支部、町交通指導員、関係機関、地域の方々と協力して、交通事故の撲滅に取り組んでおり、『交通死亡事故「0」1,000日』を目指しています。目標達成まで半分を切りました。行楽シーズンを迎え、外出する機会が増えますが、一人ひとりが「交通事故に遭わない、起こさない」ように交通ルールやマナーを守り、安全運転を心がけましょう。

交通死亡事故「0」  地区別経過日数(平成25年4月25日現在)

  • 南条地区        500日
  • 中之条地区  2,737日
  • 坂城地区        947日
  • 村上地区      3,826日

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村上地区の3,826日というのはすごいですね。

引き続きの安全運転、宜しくお願いいたします。

坂城町長 山村ひろし