追儺節分祭

昨日(2月3日)、早朝、第11回びんぐしの里 「ソフトバレーボール大会」 の開会式に参加した後、中之条(なかのじょう)の中條(ちゅうじょう)神社と坂城神社で行われた 「追儺節分祭」 に参加しました。 

日曜日でもあり、中條神社では多くの子どもたちが参加してくれ大変嬉しく思いました。 

中條神社

坂城神社

今日から、癸巳(みずのと み、きし)の旧暦の新年が始まります。

昨日の追儺節分で、デフレの「鬼は外」、景気回復の「福は内」となって欲しいものです。

 坂城町長 山村ひろし

「イノベーション・オブ・ライフ」 素晴らしい本

 先日の第2回トポス会議の際に、政策研究大学院大学アカデミックフェローの黒川清さんから強く勧められた 「イノベーション・オブ・ライフ」 クレイトン・M・クリステンセン著 (英文タイトル:How Will You Measure Your Life? Clayton M.Christensen)

を読みました。
            
 素晴らしい本です。
                        
 著者のクリステンセン氏はハーバード・ビジネススクールの看板教授ですが、毎年、最終講義の時に、「ハーバードを卒業して以来、同級生を見ていて気がついたこと」 を学生たちに話すことにしているそうです。
                  
 特に、2010年には自分のクラスだけでなく、その年の卒業生全員に話をすることを求められたのですが、その際には、瀘胞性リンパ腫というガンに似た病気にかかり、髪の毛が全部抜けた状態でのなかで、人生で最も大切なこと等について種々の経営事例の話をしながら分かりやすく話をされました。
                   
 この本にはその時の話も含め、実にわかりやすく、心を打つ内容になっています。
 尚、クリステンセン氏は、瀘胞性リンパ腫のほかに、脳卒中になり、また失語症にもなるなど大変な状況の中でこの本を纏められたそうです。
                   
 この本は副題にあるまさに 「最高の人生を生き抜くために」 という本でした。
 私の感想を書いても不十分でありますので、この本の発行時のプレスリリースからの一部を転載させていただきます。
 是非、皆様にもご一読を進めます。
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◆本書の概要
世界で最も影響力のあるマネジメントの権威50人「Thinkers50」の第1位に選出されたクリステンセン教授。本書はこれまで自身が教えてきた経営戦略を人生訓に落としこんで語る一冊です。2007年に心臓発作、そして2年後にガン(悪性腫瘍)、さらに2010年には脳卒中で倒れたクリステンセン教授。戦略論や経営学の分野では最高峰にある教授が、抗がん剤と戦って髪が抜け落ちた体に鞭打ち、最後の授業で何を伝えたかったのか~~。クリステンセン教授がすべてのビジネスマンに贈る、人生の経営学。

◆著者紹介
クレイトン・M・クリステンセン(Clayton M. Christensen)
ハーバード・ビジネススクール(HBS)の看板教授。
優良企業におけるイノベーションがはらむ落とし穴を実証し、衝撃を与えた「破壊的イノベーション論」で一躍ビジネス界に不動の地位を確立しました。発表した論文は、50年以上の歴史をもつマッキンゼー賞受賞5回を含む数多くの賞を授与されています。

顧客の意見に熱心に耳を傾け、新技術への投資を積極的に行い、常に高品質の製品やサービスを提供している業界トップの優良企業が、その優れた経営のために失敗を招き、トップの地位を失ってしまう~~大手企業に必ず訪れるというこの「ジレンマ」を解き明かし、ベストセラーになった『イノベーションのジレンマ』(増補改訂版、2001年)、そして続編の『イノベーションへの解』(2003年)、さまざまな企業事例の集大成から実践的な解を導き出した『イノベーションへの解 実践編』(2008年)、学校教育を抜本的に変えるという意欲的な問題提起の書『教育×破壊的イノベーション』(2008年)『イノベーションのDNA』(2012年)などの訳書があります(いずれも翔泳社)。

◆本書を推薦する言葉
凡百の人生指南書が過去の成功例を並べるだけであるのと違い、本書は理論、しかも経営学の理論を、キャリア選択やプライベートな人間関係、子育てなどに応用することにより、幸せな人生を送るためには「どのような考え方をすればよいか」を示してくれる。
そして何より本書が優れているのは、人生に向き合い、自分自身を変えるための「勇気」を与えてくれることである。
J.フロント リテイリング株式会社
代表取締役会長 兼 最高経営責任者 奥田 務

もっと若い頃に読んでおきたかった。
良い経営理論が企業の経営戦略に役立つことは理解していた。しかし、職業の選択、生きる目標の確立、子どもの教育、家庭のマネジメントなど、これほど人生のさまざまな分野に応用できるとは考えもしなかった。
偉大なる経営学者の魂をゆさぶる言葉を前に、いまからでも過ちだらけの人生を立て直そうと思わざるを得なかった。
一橋大学イノベーション研究センター教授
プレトリア大学日本研究センター所長
米倉 誠一郎

複雑な現実からパターンを見抜き、理論にまで高める。BCGの先輩、クリステンセン教授のよくするところだが、彼の名人芸は「人生の罠とその避け方」にまで至る。
人生を豊かにするための「考えるツール」を示してくれるこの本は、まさに、経営学理論のイノベーションに違いない。
ボストン コンサルティング グループ(BCG)
日本代表
御立 尚資

ハーバード・ビジネススクールで最も人気の高いクリステンセン教授の最後の授業。経営理論と自らの経験に基き、「生きる」ことの本質に迫る。
富や名声ではなく、身近な人の幸せや自らの信念こそ、人生を賭ける価値があると説く本書は、より豊かな生き方を目指す学生や社会人の心を揺さぶるはずだ。
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科
教授
名和 高司

クリステンセンが贈ってくれた、人生の経営学。優れた経営理論は、ビジネスだけでなく人生においても、賢明な決定をするためのナビゲーターの役割を果たしてくれる。
本書を読み終えたとき、あなたは、充実感に満ちた幸せな人生をつかみ取るために何をなすべきかが判断できるようになっているに違いない。
関西学院大学経営戦略研究科
教授
玉田 俊平太

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 坂城町長 山村ひろし

スポーツ少年ドッジボール北信越大会へ出場

昨日(1月31日)、村上小学校の生徒を中心とした、ドッジボールチーム 「村上ドッジA」 の皆さんが役場へお出でいただきました。

同団は、1月27日(日)に松本総合体育館で行われた第17回長野県小学生ドッジボール選手権大会に出場し、見事全勝での優勝を果たしました。11年ぶりの快挙です。

以下、坂城町のホームページより

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1月30日(水)スポ少ドッジボール北信越大会へ

ドッジボール01

▲左から、内川さん、山村町長、佐藤さん、北澤さん、小林代表

1月30日(水)、第22回春の全国小学生ドッジボール選手権北信越ブロック大会へ出場する坂城町ドッジボールスポーツ少年団「村上ドッジA」の佐藤拓人さん、北澤祐さん、内川大暉さん(全員村上小学校6年生)と小林範夫代表が山村町長を表敬訪問されました。

同団は、1月27日(日)に松本総合体育館で行われた第17回長野県小学生ドッジボール選手権大会に出場し、見事全勝での優勝を果たしました。これにより、同団にとって実に11年ぶりとなる北信越大会への切符を手に入れることができました。北信越大会は、2月24日(日)に富山県総合体育センターで開催されます。児童3人は「北信越大会で優勝して、全国大会でベスト8に入れるように頑張りたい」と意気込みを話してくれました。最近の成績は、県内の大会では4大会連続で全勝優勝しているそうで、元気いっぱいの子どもたちのさらなる活躍が期待されます!

ドッジボール02 

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坂城町長 山村ひろし

「坂城の100人」 第4回目は 薄雲 太夫です。

「坂城の100人」 第4回目は 薄雲太夫です。

薄雲太夫 (源氏物語の「薄雲」ではありません)、 信州埴科郡鼠宿の玉井清左衛門の娘(玉井てる)は、元禄年間(1688~1704)の太夫として有名を馳せた江戸新吉原京町一丁目の三浦屋の遊女で、同時代の高尾と並び名妓と称された人です。

 坂城出身のこのような有名な遊女がいたことに驚きですね。

 まだまだ不明な点が多く、識者の皆様方のご意見を賜れば幸いです。         

月岡芳年(明治8年)

                         

 とにかく、有名な遊女であり、可愛がっていた猫(玉)とともに多くの逸話が残っています。

 また、当時の吉原では同じ源氏名を何代にもわたって使っていたわけですが、別の遊女で江戸前期の、初代といわれている薄雲がいます。(但し、初代薄雲ではなく、高尾太夫であったとの説が有力。)

                       

 初代薄雲(高尾太夫) : 吉原京町1丁目信濃屋藤左衛門の抱えで、和歌をよくし、書に堪能俳諧に名あり、義侠心に富み、金銀にものいわせる客には目もくれなかったと言われた薄雲(高尾)がいます。

 この薄雲(高尾)は万治年間(165861)、仙台藩主第三代伊達綱宗の愛するところとなりますが、鳥取藩士島田重三郎に操を捧げて、半年におよぶも伊達綱宗には肌を許さず、3000両で身請けされたのちも意に従わず、ために一室に幽閉され,10日に10指を断ち落とす」と脅迫されても、なおかたくなに拒み、ついに殺されてしまったということです。

       

道哲和尚、高尾太夫の墓 

正面屋根の下にあるのが高尾大夫の墓で、向かって左手の座像が高尾の回向をした道哲和尚の墓です。右手の標柱には「二代目萬治高尾 轉譽(転誉)妙身信女」と刻まれています。(西方寺ブログより)         

 

                   

薄雲の墓 東京品川、妙蓮寺(山村撮影)

                   

 一方、坂城町出身の薄雲は猫が好きで、この溺愛していた猫(玉)が、命を賭して大蛇から主人薄雲を守ったという報恩談が残っていて、この逸話から招き猫が始まったとする説があります。

 (薄雲の愛猫、玉がいつでも薄雲に付いて来る。 厠へも一緒に入りたがることがあり、あまりにもしつこく、猫が薄雲に憑いたのではないかと思った三浦屋のものが、玉の首を切り落としてしまった。 ところが、切り離された首が厠の中へ飛んでいき、中に潜んでいた蛇の頭に噛みついた。 つまり玉は厠へ潜んでいた蛇から薄雲を守ろうとしていたということであった。 これを不憫に思った薄雲は玉を丁重に葬り、京都から伽羅(きゃら)の香木を取り寄せ、玉の像を作らせた。 これが招き猫の元となったという説である。)

 榎本其角の句に「京町の猫通ひけり揚屋町」があるほか、岡本綺堂の半七捕物帳に 「薄雲の碁盤」 という小説があり、薄雲と猫(玉)に関わる逸話が書かれています。

* インターネットの図書館、青空文庫より(以下のサイトで全文が参照できます)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1022_15044.html

                               

 薄雲と猫に関しては他にも多くの逸話、物語があります。 

 ・近世江都著聞集(きんせいえどちょもんしゅう)から「三浦遊女薄雲が伝 」

 ・烟花清談から「三浦や薄雲(あいしねこ)(わさはひ)のかれし事 」 など

                    

歌川広重 この猫の主人が薄雲のようです

                 

 坂城出身の薄雲は源六という人物に身請けをされるのですが、その証文が残っています。 以下、その現代語訳です。

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  元禄13年(1700年)の薄雲身請の証文

「薄雲という太夫(または、花魁)はまだ年季の途中であるが、私の妻にいたしたく、色々な所へ相談し許可を得ました。また、衣類や夜着、蒲団、手荷物、長持ちなども一緒に引き取ることといたしました。酒宴のための酒樽代金350両をあなたに差し上げます。私は今後、御公儀より御法度とされている町中(の女郎)やばいた、旅の途中の茶屋やはたごの遊女がましき所へは出入りをいたしません。もし、そのようなことをして薄雲と離別するようなことがあれば、金子100両に家屋敷を添えてひまを出します。後日の証文といたします。元禄13年辰7月3日 貰主源六、証人平右衛門、同じく半四郎。四郎左右衛門殿」

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なかなか、殊勝な証文です。

ただし、薄雲が350両という大金で身請けされた後、幸せな生涯を送ったのかどうかは不明です。

                              

 しかし、薄雲の死後、形見(実際には高尾太夫から受け継いだもの)といわれる打掛(裲襠 (りょうとう))が坂城の耕雲寺さんに収められ、それが現在では卓敷きに改められて、保管されているとのことです。(耕雲寺寺宝)

 私は現物は拝見しておりませんが、中嶋登 町会議員さんから写真を提供していただきました。

       寳物 高尾圓盡卓袱    

                                              

 また、浮雲の和歌が絵馬として上田市別所観音堂に額面となって残っています。

 歌:しき妙の枕に残るうつり香を我身にしみてひとりかもねん

                       

 薄雲についてはまだまだ不明の点が多く、あとで補足をしたいと思いますが、今回は坂城鼠宿出身の有名な薄雲太夫がいたということをお伝えします。

以上、 「鼠」 出身で 「猫」 を愛した薄雲太夫のお話でした。

 皆様からご意見をいただきたく。

                  

*過去の「坂城の100人」をご覧になる場合は、画面右上の「記事から検索」に 坂城の100人 とインプットして検索をしていただくとすべての記述が出てきます。

         

                           

 坂城町長 山村ひろし

坂城町に白鳥飛来

南条生産森林組合ならびに鳥獣保護員の小松孝一さんからメールをいただきました。

一昨日(1月28日)、千曲川をパトロール中、埴科用水取入口ダム湖に坂城町では今年シーズン初めてと思われる 「コハクチョウ」 が2羽 飛来したそうです。

小松さんによると、戸倉には親子の白鳥がいるそうです。

今回飛来したのはその2羽の白鳥でしょうか。

坂城町長 山村ひろし

第2回トポス会議に参加

 昨日(1月28日)、一橋大学の野中郁次郎名誉教授からお招きがあり、昨年に引き続き、六本木ヒルズで開催された第2回トポス会議に出席しました。 (午後1時から8時半まで)

トポスとはギリシャ語で「場」と言うことなのですが、いわば「知的対話の場」であります。

本会議は、近年、全く発言力を失った日本の中で、世界的な「知」のリーダーを招き未来に向けた大きなメッセージを発信しようと、野中さんを創始者として結成された W3i(ワールド・ワイズ・ウェブ・イニシャティブ)が主催して開催されたものです。(後援: 富士通総研)

今回は第2回として『ソーシャル・イノベーションと21世紀の資本主義』(~コミュニティー・デザインが企業と社会の未来を拓くー)という大きなテーマで世界各国の代表的な有識者を招き熱い議論がなされました。

(会議のプログラム)

http://jp.fujitsu.com/group/fri/events/other/w3i-topos02.html

講演者、パネリストは以下の通り。(ビデオ・メッセージでの参加者含む)

いずれも、錚々たる人たちばかりです。

セッション1.(資本主義の未来、そして企業の目的を問う)

岩井克人 (東京大学名誉教授)

ウルフギャング・ムナール (ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団)

福原賢一(ベネッセホールディング副社長)

ムハマド・ユヌス (グラミン銀行創設者/2006年ノーベル平和賞受賞者)

セッション2.(ソーシャル・イノベーションで「コミュニティー」をリ・デザインする」

モム・ラーチャウォン・ディッサナッダー・デッサクン(クンチャイ殿下) (タイ王室メー・ファー・ルアン財団 事務総長)

内藤晴夫(エーザイ株式会社 代表執行役社長兼CEO)

ファザル・ハッサン・アベド (バングラデシュ農村向上委員会創設者)

アンドリュー・モーソン (英国ブロムリー・バイ・ボウ・センター創設者)

エドアルド・ベルトラン・デ・ナンクラレス (モンドラゴン協同組合)

 セッション3.「ソーシャル・イノベーションの”イネブラー”としてのテクノロジー」

バリー・ケイツ(スタンフォード大学コンサルティング教授/IDEOフェロー)

イベ・テン・カテ(オランダ水利管理局フューチャーセンター)

黒川 清(東京大学名誉教授)

石田秀輝(東北大学大学院環境科学研究科教授)

総括  野中郁次郎(一橋大学名誉教授/w3i 発起人)

コーディネーター:紺野 登(多摩大学教授)、 武部恭枝(プライム・コーポレーション代表)

膨大な議論がなされ、全体の総括は誠に難しいものがありますが、冒頭の岩井克人先生の話で は、『ポスト資本主義ではなく、全く新しい資本主義が求められている。そこには、「倫理の再登場」が必要である。また、そこでは「信任社会」という考え方が重要である』というよな議論が提起されるなど非常に重いディスカションがなされました。

この会議には同日、スイスのダボス会議から帰国したばかりの黒川清先生も参加され、ダボス会議での様子なども話されておられました。

黒川先生とは会議後しばらくお話をさせていただきましたが、いま、正に必要なのは「坂城町など地方の自治体から始まる国づくりである」ということでありました。

また、野中先生の総括では、「今、正に求められているのは自立した人間の自由の追求だけでなく『共通善』(Common Good)を追求することであり、公、共とのco-creation、コミュニティーとの関係をどうとらえるかということが重要となっている。そのためには、身体性を伴う実践(Practical Wisdom)が必要であり、行動をはじめなくてはならない。Common Good に必要なのは「勇気」である。と結論してます。

この会議に参加したすべてのパネリストはすでに、世界中で体を張って実践してこられた方ばかりであり大変勇気づけられました。

黒川 清(東京大学名誉教授)(ダボス会議での写真)

タイのクンチャイ殿下と(正式にはモム・ラーチャオン・ディッサナダー・デッサクンさん)

クンチャイ殿下はドイトン・プロジェクトで貧困の撲滅運動に大きな尽力をされた方ですが、私が以前経営をしていた米国のビジネススクールJAIMSの理事もされています。

スタンフォード大学のバリー・ケイツ教授(技術コンサル会社IDEOの創始者)

バリー・ケイツ先生とは10年ぶりの再会。

今回のホスト役 富士通の山本正己社長と

                                                    

坂城町長 山村ひろし

坂城町消防団、婦人消防隊出初式

昨日(1月27日)、坂城町消防団、婦人消防隊の出初式が開催されました。

前日の雪も止み、快晴の中、威風堂々の行進ならびに式典が厳粛に執り行われました。

以下、坂城町ホームページより

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1月27日(日)威風堂々!消防団出初式挙行

出初式01

1月27日(日)、坂城町消防団の出初式が挙行されました。

昨日降り積もった雪が道路に残る中、逆木通りで、手塚団長以下、消防団及び婦人消防隊員約280名による街頭行進が行われました。本日は晴れたとはいえ気温がとても低い中でしたが、行進は消防団から婦人消防隊、消防車へとつながり、その姿は堂々たるものでした。
その後、文化センター体育館において式典が行われ、消防団活動に功績のあった方々の表彰が行われました。表彰された方の一覧は下記リンクからご覧ください。

出初式02

▲婦人消防隊の皆さん(今年から街頭行進では、アクティブコートとキャップを着用)

出初式03

▲式典の様子

出初式04

▲表彰状授与

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坂城町長 山村ひろし

坂城町 南条小学校金管バンド さよならコンサート

昨日(1月27日)、昨年の全国大会で金賞を受賞した南条小学校金管バンド(南条ハッピーブラス)の現メンバーによる最後のコンサートが開催されました。

子どもたちに交じってドラムを演奏するハッピーブラス顧問の七沢先生(黒服)

音楽指導をしていただいているブラス・アーティスト早川潔先生の演奏

以下、坂城町のホームページから

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1月27日(日)金管バンド部さよならコンサート

さよならコンサート01

  1月27日(日)、坂城テクノセンターを会場に、南条小学校金管バンド部(南条HAPPY BRASS)による「さよならコンサート」が開催されました。

  この「さよならコンサート」は、今年度全国大会で金賞を受賞した、現メンバーによる最後のコンサートです。会場は、同部の演奏を楽しみにされていた皆さんで超満員となり、子どもたちは七澤先生の指揮のもと、これまで応援していただいた全ての方への感謝の気持ちを込めて精一杯演奏しました。

さよならコンサート02-04

  今日演奏したのは、全国大会で披露した『エルビスロックス!』」をはじめ、コンクールや音楽会、運動会、他校との合奏などで演奏してきた、子どもたちにとって思い出がたくさんつまった曲ばかりです。また、新入部員との『スーパーT』(早川潔先生作曲)の合奏や、4、5年生から6年生に贈る曲なども披露されました。子どもたちは、これまで積み上げてきた練習の成果を発揮し、最後の曲が終わると、会場は割れんばかりの拍手で包まれました。

さよならコンサート05-08

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坂城町長 山村ひろし              

橋本治先生から手紙

先日(1月1日)、このブログに源盛清について書きました。

(以下のサイトは源盛清についての記述)                 

/home/yamamura/index.php?blogid=432&archive=2013-1-1

その中で、寛治8年(1094年)に起きた白河上皇呪詛(じゅつそ)事件について、橋本治先生の双調平家物語では 、15才の蔵人(くろうど)だった源盛清は白河上皇の寵愛を受ける一方、白河上皇は兄の惟清の妻にも手を出し、それで白河上皇との間で諍いが起こり、結局は惟清の父、仲宗を含め一家5人が「太上天皇呪詛」の罪で流罪となったと明解に書かれておられました。

しかしながら、ほかの文献ではここまではっきりと言い切っているものはないので、先日、失礼ながら橋本先生に元になる資料などについて質問をしました。

お返事をいただくのは難しいだろうなと思っていましたら、早速、昨日、原稿用紙8枚におよぶ説明をいただきました。

また、参考資料は角田文衞氏の「待賢院璋子の生涯」の記述(7〜8頁)であることも教えていただきました。

「待賢院璋子の生涯」 によると 「祇園の女御は、源惟清の妻で、下級の官女として白河上皇の御所に仕えていたらしい。上皇は彼女に手をつけ、寵愛されたため、武弁の惟清は、上皇に恨みを抱くようになった。これを察した上皇は、禍根を絶ち、かつは彼女を独占するため、惟清とその一家を、上皇を呪詛したという名目のもとに、配流に処した」 と書かれています。

橋本治先生はこの話にさらに盛清をからめ、ドラマチックなストーリー作りをされています。

とにかく、橋本治先生のように超ご多忙の先生から直接ご返事を瞬時にいただくとは誠に、驚きました。 ひたすら御礼です。

坂城町長 山村ひろし

ザンビアだより(第4回)青年海外協力隊 竹内希さんから

青年海外協力隊としてザンビアで先生として頑張っておられる、坂城町南条出身の竹内希さんからザンビアだより(第4回)が届きました。

以下、坂城町ホームページから。

ザンビアで単身頑張っておられる竹内希さんに拍手を送ります。

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ザンビアだより~ 平成25年1月 竹内希

「生きること」

みなさん遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!!

日本は、雪かきのシーズンですね。私は人生で初めて、暖かいお正月をザンビアで迎えました。ザンビアは、ほとんどの人がキリスト教徒なので、クリスマスは盛大に祝います。しかし、元旦はクリスマスほどではありません。それでも、花火が上がり、みんなでお酒を飲みかわして、新年を喜んでいるようでした。

ここ数カ月、友人や私自身も体調を崩すことがあり、健康であることの喜びをひしひしと感じました。日本ではなかなか感じることのできない、生きることについて今回は触れたいと思います。

アフリカには、マラリア、黄熱病、コレラ、インフルエンザ、食中毒、狂犬病など、恐ろしい病気がたくさんあります。日本では、病気になっても病院へ行けば、ほとんどの病気は治療してもらえます。なので、あまり死の危険を感じることはありません。しかしここザンビアでは、マラリアや狂犬病を発症した場合、24時間以内に治療してもらわないと死の危険を伴います。そのため、私たちは事前に正しい医療知識を教えてもらい、もしものために備えています。

マラリアは死ぬ病気。そんな病気にいつ誰がなってもおかしくないので、ザンビア人は病気に対して皆、敏感です。常に、周りの人に「How are you?(ご機嫌いかが?)」と声をかけ、体調が悪い人にはすぐに病院へ行くように促します。とても良い雰囲気ですね。日本は医療体制が整っている分、そんな簡単に死ぬことはありません。なので、微熱では無理をするのが当たり前という風潮があります。逆にとらえれば、日本の環境であれば無理ができるというメリットでもあります。ただ、日本社会ではストレスを抱えて死に追い込まれる人が大勢います。そういう人たちは、無理をしないで欲しいです。

ザンビアだより01

▲空からのビクトリアフォール 2013年元旦(撮影:竹内さん)

ザンビアへ来てからは、物が無い、食べ物が無い状況でも、死ぬわけじゃないから大丈夫と思えるようになりました。食べ物は普通に手に入りますが、やっぱり美味しい日本食は食べられません。(笑)また同じように、仕事がうまく行かなかったり、自分の理想通りには行かなくても、そんなめったに死にません。そう思ったら、いくらか楽になりませんか??世界的に見ても、日本人はとても真面目な性格で、仕事をきっちりこなす人が多いです。これは、日本ブランドを生んだ原点でもあります。ただ、その性格ゆえ、自分自身を追い込んでしまう人も多い。時には、自分を甘やかしても罰は当たらないと思います。

生きること、それは食欲、睡眠欲、排泄欲などの生理的欲求を満たすこと。これらが潤滑に行っていれば大丈夫です。そして、大事なのが共に生きること。人は、1人では生きていけません。常に周りの人に支えられて生きています。だからこそ、日々のお互いの身の安全を確認し合える人を作ってください。自分の所在は、親に連絡すること。近所の人に挨拶をすること、これらは自分自身が生きることに関わってきます。

なかなか日本の生活では生きていることを実感したり、得たりすることは難しいです。ただ、私たちが健康で周りの人と共に過ごせている毎日は、とても幸せなことだということを再認識して欲しいと思い、記しました。以外と、周りに人がいればなんとかなるものです。

私も、生きて日本に帰ることを心に留め、こちらでの活動に励んでいきたいと思います。2013年が皆さんにとって、実り多き年になりますように、ザンビアから願っています。

ザンビアだより第4回02

▲ビクトリアフォールに浮かぶ虹(撮影:竹内さん)

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坂城町長 山村ひろし