先日、私の友人を介して男谷燕斎の巻物を入手しました。
長さは約6メートルあります。
原典は南宋の詩人、羅大経の随筆「鶴林玉露」で、唐の詩人、子西の詩を引用した部分のようです。
坂城町学芸員の本間さんに書き下し文を作っていただきました。
大変長文なので、以下に、冒頭部分と文末部分を掲載します。
いずれ機会がありましたら、鉄の展示館で展示をしたいと思っています。
男谷燕斎の書を随分見てきましたが、このような長尺の巻物は初めてです。
男谷燕斎が坂城から新天地の越後水原へ転勤となり早速、張り切って求めに応じて書いたものと思われます。
内容は、いかにも燕斎の好む自然観が書かれています。
文末に 「文政辛巳 十月 書於水原任所 為上田子及」とありますので、まさに坂城の中之条代官所から越後の水原(現在の新潟県阿賀野市)へ移った年(1821年)に書かれたものです。
また、上田子及と言う人物に送られたもののようですが、この人物については不明で現在、調査中です。
(以下のサイトは昨年12月に開催された男谷燕斎展記念講演会(田口佳史先生)の様子です。)
https://yamamurahiroshi.sakura.ne.jp/?itemid=47991
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(冒頭部分)
山静似太古、
日長如少年。
余家深山之中、
毎春夏之交、蒼蘚盈堦、
花落(落花)満径、門無剝啄、
松影参差、禽聲上下、
午睡初足、旋汲山泉、
拾松枝、煮苦茗啜之。
(冒頭部分 読み下し文)
山は静かにして太古に似たり
日は長くして少年のごとし
余は深山の中に家し
春夏のかわるごと、蒼蘚は堦に盈ちる
落花小路に満ち、門に剝啄なし
松影参差として、禽聲上下す
午睡して初足、たちまち山泉を汲み
松枝を拾い、苦茗を煮てこれを啜る
(文末部分)
人能真知此妙、
則東坡所謂無事此静坐、
一日如両日、
若活七十年、便是百四十、
所得不已多乎。
文政辛巳 十月
書於水原任所
為上田子及
燕齋孝
(文末部分 読み下し文)
人よく真に此の妙を知らば、
すなわち東坡の所謂事無くしてここに静坐し、
一日は両日のごとく、
若し七十年を活きれば、便ちこれ百四十、
得る所已に多からざらんや
文政4年(1821) 10月
水原の任所において上田子及のために書す
・・・・・・・・・・
(巻物の写真)
(冒頭部分)
(文末部分)
坂城町長 山村ひろし