昨日(10月18日)、坂城町土地開発公社(理事長:山村弘)の視察研修として、新潟県の大河津分水路他へ伺いました。(以下の大河津分水の記述は信濃川河川事務所さんの資料を参考にしています。)
なお、今回の視察にあたり、信濃川大河津資料館友の会スタッフの斎藤久美さんから大変すばらしく詳しいご説明をいただきました。
大河津分水路は、越後平野を水害から守るために、江戸時代からの悲願であった、壮大な分水路建設です。
現在完成された、分水路は、越後平野を守るため、洪水時には上流からの洪水を可動堰から全て日本海に流すものです。 また平常時には新潟方面へ生活用水やかんがい用水として必要な水量(毎秒270立方メートル)を流しています。
この分水路完成までの歴史は長く、亨保年間に寺泊の本間屋の数右衛門らの幕府への請願を発端に、その後200年あまり繰り返された請願がついに認められ、明治42年に本格的な工事が始められました。
工事が始まってからも、大規模な地すべりや自在堰(現在の可動堰)の陥没等の困難を乗り越え、22年間の歳月をかけて昭和6年に完成しました。
大河津分水路が完成したことにより、越後平野は水害の減少など治水上の安全度が格段に上昇し、新幹線や高速道路の開通もあり大きな発展を遂げました。 このため、大河津分水路は、洗堰上流右岸が破提した場合に氾濫被害の及ぶ面積が310平方キロメートル、戸数は約5万3千戸、被害額は約3.4兆円に達するものとなっており、大河津分水路の重要性は非常に高いものとなっています。
しかし、大河津分水路は完成して半世紀以上が過ぎたこともあり、施設の老朽化も目立つようになってきました。 昭和57年9月の洪水では、洗堰右岸の取付橋台及び護岸から漏水が発生し、堰の倒壊の恐れがあったため、平成4年に洗堰の全面改築に着手し、平成14年に完成しました。 また、平成15年度から可動堰の全面改築に着手し、平成26年に完成しました。
時代と共に大河津分水路より上流の河川改修が進んでおり、相対的に大河津分水路の洪水処理能力が不足した状況となっています。 河口部においては第二床固を中心に河床洗堀が発生しており、副堰提の設置や深掘れ箇所にブロック投入を行ってきましたが、恒久的な改修となっていません。
このため、越後平野のさらなる発展のためにも大河津分水路の抜本的な改修が必要となり、河口部を約100m拡幅する「令和の大改修」を平成27年度より実施しています。
私たちは、毎日、新潟のおいしいお米をいただくことができますが、これも大河津分水ができ、腰までつかっていた泥沼の「深田」が解消されたことによりますし、新幹線や高速道路が完成したのもこの大河津分水の工事の賜物ということだそうです。
大変、重要な研修をさせていただきました。
以下、いくつかの写真などご覧ください。
坂城町長 山村ひろし