坂城町納涼音楽祭

 昨日(7月19日)、坂城文化センターで、坂城町第36回納涼音楽祭が開催されました。 (主催:坂城音楽愛好会、坂城町公民館主催  後援:坂城町文化協会)

 開演直前に大雨に見舞われ、ほとんどの方がずぶ濡れの状態で入場されましたが、会場は満員の盛況でした。

                  

   出演されたのは坂城音楽愛好会に所属する、モアナハワイアンズ、村上小学校2学年、坂城コーラス、坂城オカリナ教室、童謡・唱歌を楽しむ会、南条小学校金管バンド部、坂城小学校合唱部、坂城文化箏クラブ、アルストロメリア、坂城町吹奏楽団の10団体です。                     

私も「坂城コーラス」のメンバーとして初めて参加しました。

初めて「混成コーラス」となった「坂城コーラス」

頑張る男声4名たち

 

老若男女の皆さんが、いろいろなジャンルの歌、演奏で日ごろの練習の成果を発揮し大いに盛り上がりました。

以下、いくつかの写真をご覧ください。

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第36回納涼音楽会

H26納涼音楽会 

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 坂城町長 山村ひろし

竹内希さんのザンビアだより(最終便)

 青年海外協力隊(JICA)として2年間、ザンビアで理数学科の教師として活動されておられた、坂城町南条出身の竹内希さんが赴任を終えられ帰国されました。

 ザンビアにおられた間、「ザンビアだより」として都合14回にわたり大変興味あるレポートを送っていただきました。

 今回はその最終便で、帰国されてからの感想も踏まえ「ザンビアだより(15)」を送っていただきました。

 竹内さんは夏休み後、広島大学の大学院に復学されるそうですが、それまでの間、お時間があれば坂城町のいろいろな行事に参加していただこうと思っています。

 以下、ご覧ください。

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ザンビアだより(15)(最終回)

平成26年7月 竹内 希

ザンビアだより(15)01 

帰国

  6月24日、私は青年海外協力隊としての活動を終え、無事に日本へ帰国しました。今までご声援を下さった皆様、誠にありがとうございました。楽しいことも、辛いことも沢山ありましたが、私はザンビアへ行くことができて本当に良かったです。これが、最後のザンビアだよりになります。途上国での生活を知らない方が多い中、この坂城町HPを通して私の経験を伝えられる場を頂けたことに、本当に感謝しております。私が得た経験を今後も、何かしらの形でお伝えしていけたら良いなと思っています。末筆な文章ですが、最後まで楽しんでお読みください^^

  帰国前、2年ぶりの日本に嬉しい気持ち半分、淋しさ半分といった気持ちでザンビアを発ちました。私は、ザンビア、南アフリカ、香港、日本という道のりで帰って来たのですが、移動をしながら様々な発展に感動しました。南アフリカにはオシャレなアフリカ雑貨が売られています。香港では、トイレの自動洗浄に感動。そして、日本へ帰国する際は、日本語が機内アナウンスで流れることに感動しました。日本に到着すると、とても丁寧なサービスがあり、なんだか逆にそんなことまでして頂いて、こちらが申し訳ないという気持ちでした。その一方、沢山の人でなんだか話しかけにくい雰囲気、みんな携帯ばかり見ている…。無表情で怖い!!と思ったのが正直なところです。ただ、日本食はとても美味しいですね!!コンビニで買ったカップラーメンやパン、納豆巻き、味噌汁さえも美味しくて、日本食はやっぱり素晴らしいなと思いました。

  そんな、ゴールデンタイムもすぐに終わり、あっという間に日本の文化に溶けこんでいきました。未だ携帯には苦戦中ですが(笑)、なんだかザンビアで過ごしていた日々が夢のようです。東京で行った帰国後研修や健康診断では、世界各国に派遣されていた同期隊員とも再会することができました。みんなそれぞれの2年間があり、充実した顔つきでした。外務大臣から感謝状を頂き、パスポートも政府用から一般用に変わりました。協力隊としての活動も終わりを告げ、普通の大学院生に戻りました。それでも、中身はやっぱり人と違うのかなと思いながら生活をしています。

  性格が大雑把になったこと、何でもなんとかなると思っていること、人に頼りながら生きることなど、アフリカに行って衝撃を受けたことが、今は私の中で普通になっています。そして、日々の生活の中で1人ささやかな幸せを感じながら過ごしています。電気がいつもあること、蛇口の水をそのまま飲むことができること、洗濯機、冷凍庫、食事、お風呂など、今まで何も感じていなかった毎日が幸せで、なんだか得をした気分です。

ザンビアだより(15)02

 

  久しぶりに日本のテレビを見ると、信じられない事件が沢山報道されており、そのことにも驚きました。特に、振り込み詐欺が多発しているようですが、道徳心もある日本の人々が、どうしてこんなことをするのか不思議で、「どうしたの日本?」という感じです。恵まれているこの環境とその裏で起こっていることのギャップが大きく、まだ私の中でうまく理解できていないのですが、一人ひとりがモラルを持って行動をすること、時には周りの人が教えてあげることが必要だと思います。私は沢山の人に助けられて生きて来たので、気づかないことや知らないことを教えて頂けることは、本当に重要だと思います。

  今後、私は大学院に戻り復学する予定ですが、これからの皆さんの野望は何ですか?坂城中学校の教育実習で最後に私が述べた言葉は、「まだ、私には野望があるので、直ぐに教員にはなりません。」実はその時、私の胸には青年海外協力隊として途上国に行きたいという夢がありました。その夢が叶った今、次なる目標に挑戦していきたいと思っています。世界は広く、文化も様々、歩む道は1つではありません。日本に居ると、小学校、中学校、高校、大学へ進学というように、道は1つのように感じるかもしれませんが、実際はそうではありません。無限大です!!自分の可能性を広げるのは、自分次第です。失敗を恐れずに何事にも挑戦して欲しいと思います。

  長々と書きましたが、人生色々ですね(笑)。私の体験記が皆さんの活力になっていたらと思うばかりです。また、みなさんとどこかでお会いできたら良いですね。みなさんもお元気で!!ナサンタムワネ!!(カオンデ語:ありがとうございます)                

  • ザンビアだより(第14回)
  • ザンビアだより(第13回)
  • ザンビアだより(第12回)
  • ザンビアだより(第11回)
  • ザンビアだより(第10回)
  • ザンビアだより(第9回)
  • ザンビアだより(第8回)
  • ザンビアだより(第7回)
  • ザンビアだより(第6回)
  • ザンビアだより(第5回)
  • ザンビアだより(第4回)
  • ザンビアだより(第3回)
  • ザンビアだより(第2回)
  • ザンビアだより(第1回)

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     坂城町長 山村ひろし

  • 千曲川改修期成同盟会

     昨日と今日(7月18日)、平成26年度千曲川改修期成同盟会(会長:加藤久雄長野市長)の総会ならびに要望活動を行ってまいりました。

     昨日は新潟県にある国土交通省北陸地方整備局に伺い、野田徹局長はじめ入江河川部長、宮武千曲川河川事務所長など関係者の皆さんに要望活動を行い、本日は東京に移動し、国土交通大臣ならびに国土交通省水管理・国土保全局 池内幸司局長ならびに関係各官への要望活動を行い、あわせて長野県選出の衆院議員議員、参議院議員に対して重ねて要望活動を行いました。 

     坂城町としては一昨年まで重点要望個所として活動を行ってきた、上田市との境目の築堤工が工事完了しました。大変ありがたく思っております。(ただし、まだ通行が出来ない状況になっておりますので早期に通行可能となるよう要望を続けます。)

     今回要望した箇所は9箇所あります。

     その中での重点要望個所として、さかき千曲川バラ公園の下流側の土手の部分の整備をお願いしました。

    この箇所は堤防の高さと断面の不足があり千曲川増水時の危険性が想定される個所です。

    この部分の整備ができれば浸水被害防止になるだけでなく田町交差点側からバラ公園へのアクセスも大変楽に、安全に通行が出来ることになり観光の面でも大きな影響がでます。 

     引き続き要望活動を続けて参ります。

                  

    北陸整備局での要望活動、向こう側中央が野田徹整備局長

    手前左:加藤長野市長(期成同盟会会長)、右:山村

                    

    千曲川改修期成同盟会総会の様子

                        

    総会後の意見交流会の席で長野市長に、約20年前に千曲川改修期成同盟会が母体となって締結された、「千曲川・イン川友好河川提携」について話をする山村

    この件については、どなたもご存じではなかった。(覚えていなかった。)!

    (同提携については以下のサイトをご覧ください。)

    http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=36365

                        

    池内幸司 水管理・国土保全局長(中央)への要望活動

                    

    残念ながら、太田昭宏 国土交通大臣にはお会いできませんでしたが、池内局長への説明中に太田大臣の記者会見が始まり、南木曽町への対策など説明をされておられました。(後方のテレビ画面)

                    

    今回の要望活動に際して大変お世話になった小松裕(ゆたか)衆議院議員(左から二人目)

                             

                            

     坂城町長 山村ひろし

                         

    坂城の100人 第38回目は北国堂雪高

     先日、坂木の狂歌師の一人として、船海堂潮来(前澤茂左衛門)の紹介をしました。

     今回はその続編で、やはり同時期の有名な狂歌師、北国堂雪高(荒井得三郎)の紹介をします。

     北国堂雪高は坂木、横町の生まれで多数の狂歌を残しました。

                             

    狂歌集の数々。荒井直喜さん蔵。(「ふるさと探訪」より)

                       

    「信上諸家人名録」、左から二人目に荒井得三郎の名が。

                        

                      

     「ふるさと探訪」より北国堂雪高の句を五句掲載します。

     解説は塚田睦樹先生によります。

                       

                     

     「残鶯」(ざんおう)

                      

     すみなれし花の古巣も若葉して老荘の杜へかよううぐひす

                   

     (住み慣れた花の古巣が若葉してしまったので、鶯は老荘の杜へ不老長寿の修行に通っている。老子荘子は中国の思想家。鶯を擬人化して老人の願いを示唆したのがおもしろい。)

                              

                          

     「猿」

                     

     なく猿の皮ハ鼓(つづみ)となりながらうって替りし声のさびしさ

                    

     (猿はけたたましく鳴き騒ぐ。それが皮となり、鼓になっても音立てるが、あの元気さとうって替ってしまってさびしいなぁ。皮になっても鳴く哀れさ。)

                                

                         

     「梅」

                     

     ぬすみてもあと嗅ぎつけて追いかけん匂いにしれる梅の枝道

                 

     (盗んでも後を嗅ぎつけて追いかけよう。梅の匂いでそれとしれるよ、梅の枝道は。 卑俗的な盗みと優雅な梅の香の取り合わせが面白い。どじな泥棒への笑い。)

                                 

                              

     「旅春雨」(たびのはるさめ)

                            

     はるの雨ふるさと遠くはなれ来て音信(いんしん)もなき旅ぞ淋しき

                     

     (春雨がシトシトと降る。故郷を遠く離れて来て何の音信もない旅は心も滅入って淋しい。春雨が降るからか、たよりのないからか、淋しいのは、よく分かる心境。)

                                   

                                    

     「林外筍」(はやしのそとのたけのこ)

                         

     けん竿と末ハなりなん藪越て人の分地にいづる竹の子

                        

     (終いには間竿になってしまうだろう、竹藪を越えて他人の分地に顔出した竹の子は。林外筍は間竿になって土地の境を測るとした諧謔。)

                            

     以上、いずれの句もなかなか奥深いものがありますね。

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     坂城町長 山村ひろし

    埴科消防ポンプ操法大会

     本日(7月13日)、千曲市と坂城町合同の、「埴科消防ポンプ操法大会及び埴科消防ラッパ吹奏大会」が開催されました。

     

     坂城町消防団は、日ごろの練習、鍛錬の実力を思う存分発揮して臨んでいただきました。

     結果として、千曲市の強豪消防団をしのぎ、ポンプ車操法の部において坂城町の第2分団(金井)が3年ぶりに優勝を果たしました。

     この後は、7月27日(日)、大町で開催される県大会に出場します。

     皆様方のご声援をお願いいたします。

    試合終了後、消防団に感謝とねぎらいを述べる山村

                           

     以下、詳細につきましては坂城町ホームページのニュースをご覧ください。

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    埴科消防ポンプ操法大会で坂城町第2分団が3年ぶりに優勝!県大会出場へ

    H26埴科ポンプ操法01

    ▲ポンプ車操法の部 優勝 第2分団(金井)

      7月13日(日)、四ツ屋消防ポンプ操法訓練場で、埴科消防ポンプ操法大会及び埴科消防ラッパ吹奏大会が開催され、ポンプ車操法の部において坂城町の第2分団(金井)が3年ぶりに優勝を果たしました!

      このポンプ操法大会には、7月6日(日)に坂城町で行われた消防ポンプ操法大会において、ポンプ車の部で優勝した第2分団と小型ポンプ操法の部で優勝した第10分団が、ラッパ吹奏大会にはラッパ分団が出場し、千曲市の消防団(千曲市大会上位チーム)と競技を行いました。坂城町の3分団とも日頃の訓練の成果を発揮し、ポンプ車操法の部で第2分団(金井)が優勝、小型ポンプ操法の部で第10分団が第4位、ラッパ分団が準優勝となりました。

      また、それぞれの部の出場選手の中で、指揮者、番員ごとに最も優秀な成績を収めた方が個人表彰され、第2分団の小山貴司さん(3番員)、第10分団の庄田純一さん(指揮者)、塚田洋介さん(2番員)が選ばれました。

       なお、優勝した第2分団は、7月27日(日)に開催される長野県消防ポンプ操法大会への切符も手に入れました。県大会でも好成績を収められるよう頑張ってください!

    H26埴科ポンプ操法02-07 

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     坂城町長 山村ひろし

    坂城の100人 第37回目は船海堂潮来

     「坂城の100人」 第37回目は、先日ご紹介した江戸、天明期の有名な狂歌師、船海堂潮来(前澤茂左衛門)です。 天明(1781~1789)狂歌と言われた狂歌全盛期の狂歌師。

                            

     船海堂潮来(ちょうらい)は坂木、横町の生まれで家は代々茂左衛門を襲名した旅籠です。(村名主も務めた家です。)

                           

     以下、潮来の狂歌を5句ご紹介します。 (「ふるさと探訪」より。解説は塚田睦樹先生によるものです。)

                       

     塚田睦樹先生の解説と共に読むと狂歌というイメージではなく深い哲学的な叙情を感じます。

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     「老人」

                

     頭にハ雪をつミてし老(おひ)が身は杖をつかねバあぶなかりけり

     (頭に雪のような髪を積んでしまった老いの身は、雪の積む道は杖をつかなければあぶないな。老人の白髪を「雪の積む」の比喩が妙。)

                    

                     

     「苗代」

                    

     糸ほどな水せきいれて小山田にいのちをつなぐ種も蒔たり

     (糸ほどのか細い水を堰きとめて引いた小さな山田に、籾の種も蒔いた。これでかろうじて命がつなげる。山間の小さな田に暮らしをかける貧農の思い。 水・せき・田・種などの縁語が適切。)

                 

                  

     「擣衣(きぬをうつ)」

                    

     背なかにハ子をおひながらひとりして子持縞(こもちじま)をもうてる衣(きぬ)うち

     (背中には子を負いながら独りで子持縞をうっている衣うちの女がいる。その姿があたかも子持縞だと見立てた連想が面白い。)

                         

                  

     「山霞」

                    

     染草の出るてふ山の白妙もついぞやすくかかすむむらさき

     (染の原料の染草が生えているという山の白妙も、そんなにたやすく紫に霞むのだろうか。話を聞いただけで、そのように見えるのは人の心の面白さ。)

                       

                    

     「神楽」(かぐら)

                 

     寒けさにみな音のたへし虫の名の鈴のミぞきく霜のよかぐら

     (秋が深みすべての虫の音の絶えてしまった霜夜に、神楽の鈴の音だけが聞ゆる。霜夜の寒さと心にしみる鈴の音に更けゆく晩秋の夜の叙情を詠む。鈴虫の名の鈴だけを取り出したのが妙。)

                        

                        

     次回以降、同時期の坂木の狂歌師、北国同雪高(荒井得三郎)、扇池亭雪高(縁阿弥萬誉上人)を順次、ご紹介します。

               

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     坂城町長 山村ひろし

    鉄の展示館 「居合道演武」

     本日(7月12日)、鉄の展示館に隣接されている、中心市街地コミュニケーションセンターで、初めての「居合道演武」が行われました。

     これは、鉄の展示館で現在開催中の「第5回新作日本刀 研磨 外装 刀職技術展覧会」のイベントとして開催されました。

     優れた日本刀を鑑賞すれば、日本文化の総合的な芸術を堪能することができますが、これはいわば「静態的」な鑑賞です。

     しかしながら、刀の本来持つ 「動的」 なエネルギーを体感するには居合道をおいて他にありません。

     たまたま、私の従兄弟の小宮山克巳さん(夢想神伝流居合道教士七段)が居合道の日本を代表する教士であることから今回の企画をお願いし、長野県剣道連盟所属の宮原浩義錬士七段、滝澤恒徳教士七段のお二人にも参加していただき今回のイベントを開催することが出来ました。

     誠に素晴らしい演武でありました。

     関係者のご努力に深く感謝致します。

                       

    挨拶する山村

               

     以下、坂城町ホームページからご覧ください。

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    新作日本刀展イベント 居合道演武

    居合道演武01-02

    ▲写真上  小宮山克巳さん

      7月12日(土)、鉄の展示館で現在開催中の「第5回新作日本刀 研磨 外装 刀職技術展覧会」のイベントとして、夢想神伝流居合道教士の小宮山克巳さんと長野県剣道連盟の教士 滝澤恒徳さん、練士 宮原浩義さんによる居合道演武が、中心市街地コミュニティセンターで行われました。

      居合とは、立合に対する言葉で、敵の不意の攻撃に対して、直ちに居合わせ抜刀し、鞘放れの一瞬に勝負を決める武術として創始されたものだそうです。小宮山さんは、その沿革と、現在の居合道の試合がどのように行われているかを説明し、最後に、張り詰めた空気の中、3人同時に居合を披露してくださいました。日本のトップクラスの剣士の皆さんによる居合は、圧倒的な迫力があり、会場を訪れた皆さんは、固唾を呑んで見守っていました。

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     坂城町長 山村ひろし

    「信上當時人名録」

     「信上當時人名録」は文政十年(1827)に発行された信州と上州の文化人を記録した書物(人名録)です。

     当寺の有名文化人を紹介した本です。

     「坂城の100人」を進めていくうえで、江戸文化の中で一時期をつくった「狂歌師」が坂木でどのように活躍していたかを調べようと、この本の原本を探していたのですが、何と、長野県のディジタルアーカイブ(「信州デジくら」)に登録されていました。

                 

     この本の序文は当時、江戸の著名な文化人であった狂歌師の蜀山人(太田南畝)が記しています。

                      

                 

     この人名録には345名の名が記されていますが、坂木からは20名もの人物が名を連ねています。 坂木の文化人も大活躍ですね。

     俳人では、以前にもご紹介した、藤沢雨紅や沓掛仲子などのほか小林一茶などがあり、狂歌師としては、3名記されていました。

                           

    中ほどに小林一茶、右端に沓掛仲子

    中央左に:藤澤秀子(雨紅)

                      

    一番左に:藤澤清助(貞雅。雨紅の主人の名も。主人の清助も俳人として有名人だったのですね。)

                  

    左から3番目に、前澤茂左衛門(狂歌師)

                  

     当時、坂木を代表する狂歌師は次の3名です。

     船海堂潮来(前澤茂左衛門)、北国同雪高(荒井得三郎)、扇池亭雪高(縁阿弥萬誉上人)

                       

     狂歌は、諧謔、滑稽、機智を詠んだ短歌ですが、江戸時代、天明期(1781~1789)に大流行しました。

     その中でも有名な狂歌師が蜀山人(太田南畝)です。

     上記の坂木の狂歌師も蜀山人の影響を強く受けています。

     北国街道、坂木宿に往来する江戸文化の香りが素晴らしいものです。

     次回以降の「坂城の100人」ではこの狂歌師の作品を一人づつご紹介したいと思っております。

                          

     坂城町長 山村ひろし

    竹内希さん帰国

     JICA(ジャイカ)の青年海外協力隊として、アフリカ中南部のザンビア共和国で2年にわたり、理数科教員として活躍された坂城町南条出身の竹内希さんが勤務を終えられ帰国されました。

     ザンビアに在任中は14回にわたって、「ザンビアだより」を送っていただきました。 毎回、素晴らしいお話を紹介いただきました。

     近々まとめのレポート(第15回目)をお送りいただけるそうです。

     久々に日本へ帰国されて、最近の日本の様子なども踏まえて書いていただけると良いですね。

     竹内さんは夏休み後、広島大学の大学院に復学されるそうですが、それまでの間、お時間があれば坂城町のいろいろな行事に参加していただければと思っています。

                                   

                             

    右:竹内希さん

                  

     以下、坂城町のホームページからご覧ください。

                        

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    青年海外協力隊 竹内 希さんが帰国されました

                            

    竹内希さん帰国01

    ▲左から、山村町長、竹内 希さん

      平成24年6月に青年海外協力隊として、アフリカ南部に位置するザンビア共和国へ派遣されていた町出身の竹内 希さんが、2年間の活動を終えて帰国されました。

      竹内さんは、理数科教師として、ザンビア共和国の北西部州ソルウェジ キャワマ中高学校で理科や生物を教え、その他にも、補講、社会科見学、ワークショップ、研究発表など、さまざまな活動をされたそうです。当ホームページでも、この2年間お忙しい中これらの活動などについて定期的にご報告いただき、「ザンビアだより」として紹介させていただきました。本当にありがとうございました。竹内さんには2年間の総まとめをしていただき、近々「最終回」をて掲載する予定です。皆さんお楽しみに!

    ▼竹内さんが着ている服は、ザンビアの伝統布チテンゲで作られたものだそうです

    竹内希さん帰国02 

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     坂城町長 山村ひろし                     

     

    平成26年 第1回 坂城町議会臨時会

     昨日(7月9日)、平成26年第1回坂城町議会臨時会が開催されました。

     議案は、南条小学校改築工事に伴う一般会計補正予算と、2月の降雪時にグレーチングが跳ね上がり自動車ならびにバイクの一部を破損した事故による和解及び損害賠償の決定に関するものです。

     南条小学校改築工事につきましては、6月定例会の閉会あいさつでも申し上げましたが、先月6日に実施いたしました入札会が不調となりました。

     設計委託業者から調査報告を受けたところ、資材や人件費に大きな違いがあり、積算価格が高騰していることが主な原因でありました。

    南条小学校の改築に当たっては、建設検討委員会や建設委員会でのご意見をいただき設計を進めてきたという経過もありますので、基本設計を尊重する中で、見直しを行えるものは見直しをして一部設計変更を行う方針といたしました。 >

    また、南条小学校敷地内にある「記念館」につきましては、町文化財保護審議会において、5月下旬に現地調査を行ったところ、意見としては、大正末期から昭和における建築文化財としての価値があるとして、活用を基本とする保存が望ましいという意見が多数を占めました。

    その結果を受け、「記念館」については、西側に曳き屋で移動し、今後、活用方法を検討することとしました。

    今臨時会で南条小学校の改築について、種々ご意見を賜りましたが、平成26年度、27年度にかけての建設費を約2億7千万円増額し、総額18億9千万円とすることで原案通り決議いただきました。感謝いたします。なお、この増額分は平成26年度予算には影響せず、平成27年度予算に見積もられることになります。) 

    南条小学校改築についての再入札は8月上旬に行われることになります。

    準備万端怠りなく進め、坂城町の象徴となる素晴らしい学校を建設したいと思います。

                          

    坂城町長 山村ひろし