坂城の100人 第14回目は更科姫(伝承)!

今までに何回か、坂城町子供謡曲教室の紹介をし、子供たちが「紅葉狩」の練習をしていることも掲載しました。

ご存知のように、「紅葉狩」は能、歌舞伎の有名な題目で、「平維茂が戸隠山で、鬼女(更科姫)にめぐり逢い誘惑されかかるが、ついに撃退する」という物語ですが、坂城での「更科姫」に関わる伝承はかなり違います。

坂城町での更科姫は村上義清の家臣の娘で義清を助けるスーパー少女として長い間、語り継がれていました。

最近ではあまり話されることもなくなってしまいました。

実在の人物をモデルにしています。 彼女も語り継がれなけらばならない一人としてご紹介します。

以前ご紹介した「ふるさと探訪」から小泉長三(1878~1941)作の小説(昭和9年「幼年倶楽部」)を転載させていただきます。

『更科姫』

信濃(長野県)葛尾の城主、村上義清が、山狩をしてのかへり道、おほくの供をつれて城下へはいってくると、むかふの方でワーッといふさわぎ。

「あぶねえぞ あばれ牛だッ。」「にげろ、にげろ、角にかけられるな。」

ワイワイと、にげまどうふ わうらいの人々をおひまくり、大あばれに、あばれてゐる一頭の大牛。

いきほひはげしく角をふりたてて、行列の中へあばれこみました。

「それ、おさへろ。」 と、いったが、どうしておさへるどころか、お供の人たちはごろごろ、ばたばた、片っぱしからたふされ、角にはねとばされたり、ひづめにふみにじられたりして、行列はどっとくづれたちました。

いまや、義清の馬前ちかく、牛がをどりかからうとしたとき、そばの軒下から、まりのように、かけだした一人の少女、牛のかしらへとびついたと思うと、両手で角をむんずとつかみ、「えい えい 。」 左右へ、ぐらりぐらりとふったとみれば、ごろりと牛をねぢふし、首すじをしっかり足でふみ、「だれか、つなをかけてください。」 という聲に侍どもは、よってきて牛につなをかけました。

少女は年はまだ十二、三の、かはいい子供ですから、義清はおどろきながらたづねました。 「そちはなに者のむすめじゃ。」 「わたくしは楽岩寺右馬之助のむすめ、更科と申します。」 「いくつぢゃ。」 「十二でございます。」 「おお、右馬之助のむすめか。むかしの巴御前や、近江のおかねにもまさる大力ぢゃ。ほうびをつかわすから、城へまゐれ。」

義清は更科をつれて城へかへり、父楽岩寺右馬之助をよびだし、更科のはたらきをほめて、たくさんのほうびをたまはりました。

そのころ、村上家に牧野大九郎といふ悪いけらいがありました。 敵軍武田信玄のけらい、馬場信房と心をあわせ、主人義清の子、八歳になる竹松をぬすんで葛尾の城をにげだし、馬場信房のやしきに身をかくしました。

信房は、竹松をとらへておいて、義清にむかひ、降参しなければ、竹松をころしてしまふぞ、といってきました。 義清は竹松をころすならころせ、降参などするものかと、使をおひかえしてしまひました。

ある日、馬場信房のやしきでは、信房の奥方が、京都からきたといふ舞姫をよんで、その舞をみることになりました。

舞姫はこのごろこの地へきたもので、名をかつらといひ、年は十二、三歳であるが、めづらしく舞が上手なので方々のやしきへよばれて、舞をまひました。それをきいて、信房の奥方もみたくなったのでありました。

廣いざしきの正面に奥方がひかへ、そのそばに二葉といふ、十歳ばかりのお姫さまがならび、左右には、大ぜいのこしもとや女中がすわってゐます。

そこへ、よばれたかつらは、まだ小さいかはいい子供です。奥方は、さっそく、「なんなりと舞うてみや。」、といひました。

かつらは、舞扇をとって、うたひながら舞ひはじめたが、その聲のうつくしさ、さす手、ひく手のあざやかさ、おとなもおよばぬ上手さに、みな、われをわすれてみとれました。

かつらは舞ひながら、奥方のそばちかくすすんだと思うと、ばらばらと二葉姫のそばにかけより、姫をかるがると左の小わきにかかへて、きっとあたりをみまはしました。 「あッ、姫をどうしやる。」 「あれッ、お姫さまを 。」

奥方はじめおつきの人々が、おどろいてたちかけましたが、気がついてまたびっくり、二葉姫をかかへてたった、かつらの右手には、きらりと光る短刀が握られ、そのきっさきが、二葉姫ののどにむけられてゐます。

目にもとまらぬはやわざで、二葉姫をうばったかつらは、「みなさん、手だしをなさると、お姫さまをころしてしまひますぞ。 わたしは、けっしてお姫さまを、どうしようといふのではありません。 奥方が、わたくしのねがひをきいてくだされば、お姫さまはおかへし申します。」

「おお、どんなねがいでもきいてやる。 さあ、姫をはやくかえへしゃ。」

「わたくしのねがひといふのは こちらにとらはれてゐる、村上竹松さまをかへしていただきたいのでございます。」

「や、や、村上の竹松をかへせといふか、そちはなに者ぢや。」

「かつらと申したのはいつはり、まことは、村上義清のけらい、楽岩寺右馬之助のむすめ更科と申すもの。 このお姫さまは、大切におあづかりいたしてまゐり、竹松さまとひきかへに、おかへし申しますから、どうぞ、葛尾へ竹松さまをおかへしくださるやう、殿さまに申し上げてくださいませ。」

そのとき、女中のしらせによって、侍どもがかけつけたが、二葉姫ののどへ短刀をつきつけてゐるので、手のだしやうがありません。 

更科は、八方へ目をくばりながら、しづかにざしきの外へでてゆきます。

「門をしめろ。」 「表へだすな。」 更科のまはりをとりまいた、侍どもが、外へだすまいと思って、表門をしめさせてしまひました。 「さあ、おどき。どかぬと、かうしますぞ。」と短刀を二葉姫のむねでぴかぴかさせながら、むらがる侍の中をおし通り、やうやく表門のところへきてみると、門がぴったりとしまってゐます。 「こんな門などなんでもない。」 にっこり笑った更科は左に二葉、右に短刀、両手がつかへぬので、門の柱に肩をおしあて二,三度ぐらぐらゆすぶると、みあげるような大門ががらがらどしんと、たふれてしまいました。 何百人力かもしれぬ更科の力に、みなきもをづぶして、もう、おしとめようとするものもありません。 とうとう二葉姫は、更科のため葛尾城へつれてゆかれてしまったので、馬場信房もしかたなく、竹松を村上義清にかへして、二葉姫を、かへしてもらいました。 (をはり)

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坂城町長 山村ひろし 

稲玉徳兵衛翁を偲ぶ会

昨日(5月19日)、「稲玉徳兵衛翁を偲ぶ会」の式年祭に参加しました。

稲玉徳兵衛翁については以前、このブログで「坂城の100人」の二人目にご紹介しました。

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今年は生誕191年目、没後141年目にあたります。

江戸時代末から明治の初めの混乱期に、命懸けで坂木村の山野を開墾し(218ha)、坂木の農業を発展させた大恩人です。

                    

今年も徳兵衛翁の偉業を偲ぶ会「稲玉徳兵衛翁頌徳伝承会」(柳沢一男会長)が平沢の昌言(まさのぶ)神社にて執り行われました。 本会は今年で10回目とのことです。

                     

ご挨拶する、柳澤会長

稲玉徳兵衛翁が開拓した218ha が耕作放棄地になってしまっては翁に顔向けができません。

昨年から始めたワイナリー事業などを成功させ、昌信神社にご報告ができればと思います。

なお、今年からこの「稲玉徳兵衛翁を偲ぶ会」に坂城町農業委員会委員長の朝倉國勝さんにもご参加いただきました。

坂城町長 山村ひろし

坂城町春のスポーツ大会開催

本日(5月19日)、晴天に恵まれ、第37回春のスポーツ大会が開催されました。

坂城町の素晴らしさはこのような大会に全町民がこぞって参加していただけることです。

本日も全区(27区)の選手が一堂に揃い、ソフトボールとビーチボール競技で腕を競い合いました。(今年は昨年を上回る700名の方々の参加を得ました。)

開会式

朝8時の開会式に引き続き、文化センターグランド、上五明運動公園、 青木固研究所グランド、村上小学校、文化センター体育館に分かれ競技が行われました。

始球式

私は上平チームのベンチに入り、出場の機会をはかっておりましたが、残念ながらピンチヒッターのチャンスが回ってこず、プレイはできませんでした。

なお、「上平チーム」対「泉チーム」の試合は8対7で上平が接戦を制し一勝をあげました。

「上平」対「泉」

「上平チーム」のベンチ風景     

H25春のスポーツ大会01

ビーチボール(入横尾 対 新地)            

坂城町長 山村ひろし

町政報告会

昨日(5月18日)、坂城町文化センターで、私が坂城町民の皆様のご支持のもと、坂城町長を仰せつかって2年が経過するのを機に、町政報告会を開催させていただきました。

(以下、資料の一部)

この2年間で皆さま方と一緒に取り組まさせていただいたこと、これからもっともっと力を入れて取り組まなければならないことなどお話しさせていただき、ディスカッションを行いました。

文化センターを埋め尽くす、300人以上の方々にお出でいただきました。

また、多くの方々から貴重なご意見、激励のお言葉を多数いただきました。

感謝!、感謝!です。

また、町政報告会の後半には、日本を代表するバリトン歌手の小栗純一さんにご登場いただき 「小栗純一バリトン・コンサート」 も開催させていただきました。

小栗さんとは30年近いお付き合いをいただいておりますが、昨日は馴染みある日本の歌曲からイタリアオペラの曲目など約1時間にわたり熱唱していただき満員の皆様から大満足をいただきました。  

(プログラム)

 

左:小栗純一さん 坂城町役場でのスナップ

本、町政報告会の開催に向けて、まことに多くの山村弘後援会の皆さまのご協力、ご尽力をいただき成功裏に開催することができました。

あらためて御礼申し上げます。

さて、平成25年度もスタートし1ケ月が経過しました。 

初心にもどり、町政の遂行に邁進させていただきます。

坂城町長 山村ひろし

平成25年第1回坂城町議会臨時会招集あいさつ

 本日(5月17日)、平成25年第1回坂城町議会臨時会が開催されました。(会期は本日のみ)
 本臨時会の招集挨拶を掲載させていただきます。
 
 本臨時会におきまして、すべての案件が原案通り承認されました。
                    
 また、新たに、柳澤澄議長、塚田正平副議長が選任されました。
                  
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平成25年 第1回 坂城町議会臨時会 招集あいさつ
 
 本日ここに、平成25年 第1回 坂城町議会臨時会を招集いたしましたところ、議員の皆様全員のご出席をいただき開会できますことを心から感謝申し上げます。
 
過日の議会全員協議会におきまして、4月1日付け人事異動に伴います議会出席者の紹介を申し上げました。
本日は、議会出席の全職員がここに揃っておりますのでよろしくお願いいたします。
 
さて、県内では春先から強風や低温、夏日など異常気象が連続いたしました。特に、4月21日には季節はずれの降雪に見舞われ、千曲川クリーンキャンペーンが中止となり、翌日には降雪と強い寒気の影響による凍霜被害が町内各地で発生しております。
「あんず」においては、幼果(実になり始め)の変色・落下、「桃」においては、種になる部分の変色・退化(生育が止まる)が確認され、「露地アスパラガス」においては、地上に出ている若い茎への被害が発生いたしました。
また、「りんご」や「ぶどう」については、現時点では被害程度は判断できませんが、今後の生育状況が心配されるところであります。
 
 例規集のデジタル化事業の一環といたしまして、例規集を一新いたしました。お手元の例規集につきましては、昭和
42年以来の改訂版であります。改訂にあたりましては配布先を見直し、例規集の冊数を減らすなど、経費の削減を図りました。
なお、例規集のデジタル化事業につきましては、この3月末に、検索機能を備えた例規集データベースシステムが完成し、4月から職員向けに運用を開始いたしました。
6月下旬には、例規集のホームページへの掲載を予定しております。
人間国宝「故宮入行平刀匠」生誕100年を記念して、宮入刀匠が生涯心の師と仰いだ近代日本彫刻界の巨匠「平櫛田中」の作品を一堂に展示しました「特別企画展」を「鉄の展示館」で6月16日まで開催いたしております。
現在、新聞、テレビ、ラジオ等で宣伝しておりますが、大変貴重な作品が展示してありますので、是非、お出かけいただきたいと思います。
 
 169系の車両の静態保存につきましては、4月6日の急行「さかき」の運行、4月29日のラストランを終え、現在、
線路の延伸工事、フェンス等の安全施設等の設置を進めております。5月24日鉄道営業終了後、車両設置に向けての工事を行い、5月25日の未明に坂城駅前イベント広場に車両を設置する予定となっております。
 なお、25日の午前中に169系車両の設置に合わせたイベントを計画しております。
 
 
 年々賑わいを増しております、「ばら祭り」も第8回を迎え6月1日(土)から16日(日)までの16日間を期間として開催されます。現在、ポスター、チラシの作成や町ホームページへの案内掲載等、事前告知に努めております。
 
平成25年度の各事業の状況につきましては、6月の議会定例会において述べさせていただきたいと思います。
本臨時議会に審議をお願いする案件は、専決処分事項の報告、一般会計の補正予算及び議会選出の監査委員の選出でございます。
よろしくご審議を賜り、ご決定いただきますようお願い申しあげまして、招集のごあいさつとさせていただきます。
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坂城町長 山村ひろし
 
 

子どもフェスティバルから被災地へ義援金

本日(5月15日)、嬉しいニュースです。

坂城の子供たちは素晴らしい!

本日(5月15日)朝8時、「子どもフェスティバル」 の実行委員長の中澤陸さん、副実行委員長の宮嶋千菜美さん、新藤先生(いずれも坂城中学校)、坂城ライオンズクラブの臼井勝男会長、辺見政嗣事務局長が、フェスティバルの際に集められた東日本大震災の被災地と栄村への義援金を持って役場へお出でになられました。

子どもフェスティバル義援金01

左から、辺見事務局長、新藤先生、中澤さん、山村、宮嶋さん、臼井会長

子どもフェスティバルでは、子供たちの発案により、震災が起きた2011年から「栄村・東北の被災地へ送ろう元気、届けよう笑顔」をテーマとして、毎回被災地への義援金を呼び掛けており、今年で3回目となりました。

いただいた義援金は、役場福祉健康課から日本赤十字社を通して被災地へ贈らせていただきます。

誠にありがとうございました。

坂城町長 山村ひろし

第11回子どもフェスティバル

昨日(5月12日)、坂城町「びんぐしの里公園」で、坂城ライオンズクラブ、 坂城町振興公社共催による「第11回子どもフェスティバル」が開催されました。(このほか、町の殆どの団体の皆さんのご協力を得ました。)   

  このイベントは、「子どもたちの企画により、子供たちのために開催される」 フェスティバルです。

坂城町のすべての小中学校生の実行委員が検討を重ね、地域の皆さんと協力して開催されました。(実行委員長:中澤陸さん、副委員長:宮嶋千菜美さん、いずれも坂城中学校)

今回は天候が大変心配されましたが、とても素晴らしい天気の元、様々なステージ発表や体験教室が行われ、会場は来場者でいっぱいとなり大変なにぎわいとなりました。

挨拶する山村

フェスティバルの模様は以下のサイトをクリックしてください。                  

(坂城町ホームページ)

http://www.town.sakaki.nagano.jp/www/contents/1001000000199/index.html

坂城町長 山村ひろし

坂城町早起き野球連盟春季リーグスタート

本日(5月11日)、平成25年度坂城町早起き野球連盟春季リーグ (会長:竹内禎夫氏、 私は名誉会長)のスタートにあたり開会式と開幕第一戦が行われました。

午前中、雨が心配されましたが試合終了まで良い天気の中、「長寿庵タイガース」と「坂城町役場チーム」の試合が行われました。 私の始球式で始まりました。                     

今回のリーグ戦に出場するチームは「ドンファーマーズ」(昨年優勝)、「長野石油輸送」(昨年準優勝)、「長寿庵タイガース」、「坂城ジャイアンツ」、「坂城町役場」、「寿クラブ」、「横町クラブ」の7チームです。                                       

今年で45回目を迎えるリーグ戦、かつては、50 数チームでリーグ戦を競ったそうですが、現在はこの精鋭 7 チームで競われています。 

さて、今年の開幕戦、「長寿庵タイガース」と「坂城町役場チーム」の試合は9対8のスコアで長寿庵タイガースの勝利におわりました。

坂城町役場チームは最終回2アウト満塁で一打逆転サヨナラのチャンスもあったのですが、残念ながら一歩及ばず。 しかしながら素晴らしい好勝負(乱打戦?)でした。

この早起き野球は、8月初めまで、水曜日、木曜日、金曜日の毎朝6時から坂城町文化センター グラウンドで開催されます。             

是非、大勢のみなさんの応援をお願いいたします。

坂城町長 山村ひろし

さかきテクノセンター 経営フォーラム

昨日(5月9日)、公益財団法人さかきテクノセンター(理事長:栗林邦夫氏)の理事会が開催されました。

理事会終了後、同センターの役員ならびに坂城町経営革新塾、ニューリーダー研究会、坂城町商工会、中小企業能力開発学院の各役員を対象とした経営フォーラムが開催されました。

講師にはキャノングローバル戦略研究所研究主幹の瀬口清之さんをお招きして「新たな側面を迎えた日中の経済関係について」というテーマで講演が行われました。

瀬口さんとは長いお付き合いをいただいておりますが、日米中の経済問題、外交問題に関して日本では第一人者です。  

   

講演される瀬口清之さん 

特に中国問題に関しては、中国全土をくまなく歩かれ、流暢な中国語で中国政府要人と差しで話のできる数少ない方です。

昨日も、最近の中国情勢についてあまり報道されないホットな話をたくさんお話いただきました。

挨拶する山村

以下、坂城町ホームページをご覧ください。

また、最新の中国レポートについては以下を参照ください。

(瀬口さんの最新中国レポート)

http://www.canon-igs.org/column/network/20130508_1884.html

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(坂城町ホームページより)

5月9日(木)坂城経営フォーラム 瀬口清之さん

経営フォーラム瀬口清之さん01

▲瀬口清之さん

5月9日(木)、坂城テクノセンターで、さかきテクノセンター役員、ニューリーダー研究会会員、能力開発学院役員などを対象とした平成25年度1回坂城経営フォーラムが開催されました。

講師には、山村町長と以前から懇意の仲で、キャノングローバル戦略研究所研究主幹の瀬口清之さんをお迎えし、「新たな側面を迎えた日中の経済関係について」を演題にご講演をいただきました。

現在の中国は、インフラ建設の増加、住宅投資の増大、雇用の増大に伴う賃金の上昇などにより景気がよくなっており、さらなる景気拡大の足枷となっている要因はあるものの、成長を続けているそうです。このように中所得国(発展途上国と先進国の間の国)となった中国ですが、今後先進国になるためにはまだまだ様々な課題があり、それらを解決していくことが習近平政権の使命だとおっしゃっておられました。

また、中国国民の所得が上がると日本企業の製品も売れやすくなるそうで、5年前に比べて飛躍的に拡大した中国市場は、販売面で日本企業にとっても追い風となっているそうです。このような状況の中で日本企業の中国ビジネスが成功する例、失敗する例を具体的に挙げられ、日本企業がどのようにするべきかを教えてくださいました。

そして、2012年10月に発表された「2013年:IMF世界経済見通し」では、日中韓3国のGDPの合計が、初めてアメリカのGDPを上回る見通しとなったそうです。瀬口さんは、「これから東アジアの時代が始まる。中国の発展は日本の発展、日本の発展は中国の発展になる」とおっしゃり講演を締めくくられました。

経営フォーラム瀬口清之さん02

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坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第13回目は2代目坂城藩主板倉重寛

 「坂城の100人」13回目、今回は先日掲載しました初代坂城藩主板倉重種に続いて、2代目(最後の)坂城藩主板倉重寛についてです。

 前回同様、鉄の展示館宮下学芸員に記述をお願いしました。
                        
 
坂木藩2代藩主「板倉重寛」 
  寛文9(1669)年〜享保6(1721)年
 
 前回は、江戸時代この坂城町に大名が拠点を構えた坂木藩があり、その初代藩主板倉重種について紹介しましたが、今回は、重種の跡を継いだ2代藩主板倉重寛についてお話しします。
 
 父重種から坂木藩を継承した板倉重寛は、寛文9(1669)年に生まれました。4歳の時、旗本である祖父重矩の弟板倉重直の養子となりましたが、天和元年(1681)9月、実家に戻り嫡子となります(これが原因で家中は重寛派と重種の養子重宣派に分かれ御家騒動に発展)。
 天和3年5月、父の隠居で重寛は坂木藩3万石を相続しましたが、この時重寛は弱冠14歳であり、父と同様、坂木陣屋を本拠として藩政を進めました。
坂木藩3万石の所領は信濃国(現坂城町から千曲市、長野市、上田市、須坂市、中野市、小布施町、飯綱町、信濃町、箕輪町、それぞれの一部)を中心に、板倉氏の出身地三河国(愛知県西尾市)や上総国(千葉県東金市)の一部にも及びました。
 貞享元年(1684)2月、重寛は元服し、翌年8月、初めて坂木の地へ入部しました。その後、重寛が坂木へお国入りしたのは元禄2(1689)年2月が確認できます。2度目のお国入りをした元禄2年、重寛は亀井茲政の娘を妻に迎えました。
元禄7年3月、重寛は大坂加番(大坂城の警備担当4名の一人)を命じられ、同12年にも同職を命じられています。
 重寛は若年ながらも、道理を弁えた才能ある人物で、学問と武芸を共に励み、性格も素直で情が厚く、柔和な人柄で、領民にも哀れみの心を持っていました。さらに道理に叶った処罰と、法に基づいた審議により、君主として高い評価を得ていました。
 
 板倉重寛が治世を進めた拠点は坂木陣屋です。坂木陣屋は、前領主の越後高田藩松平光長時代に代官長谷川氏が使用していたものでした。陣屋は現在の坂城駅前横町通り南側一帯にあり、その敷地は900坪で建物は110坪程度、更に板倉時代には多くの家臣団を収容するため、陣屋の東に家臣屋敷が造成されました。当初5万石、その後3万石となった板倉氏の家臣は相当数の規模であったことが想像され、坂木は陣屋を中心とした城下町ならぬ陣屋町の街並みが形成されました。
 
 板倉氏が坂木を本拠地にして21年目の元禄15(1702)年12月、重寛は、江戸城において将軍徳川綱吉の前で福島城主(福島県福島市)=福島藩3万石への転封を命じられ、陸奥国が本領となりました。更に江戸城での控の間が、菊之間(三万石未満の譜代小大名の詰所)から雁之間(城持ちの譜代中大名の詰所)へと昇格しました。
 陣屋支配から城持ち大名に復帰することは、藩主重寛及び家臣にとって宿願であり、そのため幕閣に対し藩をあげての運動が展開され、遂に実現したのです。板倉氏以前の福島城は、譜代大名堀田氏が10万石、その前も譜代本多氏15万石の居城でした。
 元禄16年1月から福島城受け取りの準備が進められ、4月には幕府代官から城と領地を受け取りました。ここに坂木藩の歴史は幕を降ろすこととなり、以後、坂木は幕府直轄領(天領)となって、引き続き、坂木陣屋は幕府の代官陣屋として半世紀の歴史を歩むこととなります。
                          
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 坂城町長 山村ひろし