第33回坂城町長杯マレットゴルフ大会

本日(7月12日)、昨日来の大雨の中、天候が心配でしたが、「第33回坂城町長マレットゴルフ大会」が坂城町マレットゴルフ場で開催されました。

昨年の令和元年東日本台風(台風19号)で甚大な被害を受けましたが、マレットゴルフ協会の皆様のご協力を得て、今年の4月にはゴルフ場の復旧工事は完成しておりましたが、新型コロナの影響ですべての大会が中止されていました。

今回、久々に大会を開催することが出来大変うれしく思っています。 60名以上の皆さんに参加していただきました。

これからもこのマレットゴルフ場で、「3密」を避けながらご利用いただければと思っています。

▼写真右が、坂城町マレットゴルフ協会宮下会長。ならびに開会式、始球式の様子。

坂城町長 山村ひろし

2020さかきオンラインモノづくり展(仮称)

本日(7月6日)、さかきテクノセンターで「2020さかきオンラインモノづくり展」(仮称)第2回実行委員会が開催されました。

新型コロナの甚大な影響を受けて、各地で開催を予定していた展示会が相次いで中止されていますが、一方で、この展示会をオンライン化できないかといった動きも出ています。

坂城町でも例年ですと3年に一度は開催していた「さかきモノづくり展」をオンラインで実施できないかと検討を進めてきました。(「2020さかきオンラインモノづくり展」(仮称)実行委員長:さかきテクノセンター理事長依田穂積さん)

本格的な「モノづくり展」は来年、完全な形で実施するとして、今年は知恵を絞りオンライン化することになりました。

今回の委員会でも、坂城町の各界を代表する皆さんから素晴らしいアイデアが続出しました。

素晴らしい、オンラインモノづくり展になるものと思います。

日時:10月2日、3日

主催:公益財団法人さかきテクノセンター

メイン会場:さかきテクノセンター

この二日間で、Webによるセミナー、各企業によるプレゼンテーション、パネルディスカッションなどを通して、坂城町の企業が有する技術や製品等の紹介を行い、ビジネスチャンスの場を提供するとともに、県内外の学生に対して坂城の企業をオンラインで紹介するとともに、次世代を担う若者のUIJターン就業の促進も図ります。

以下、実行委員会の様子とプログラム(案)の内容です。

詳細が決定しましたら、再度、ご案内をしますのでオンラインにより、皆さんの積極的なご参加をお願いいたします。

▼写真 前列 左から、山村、依田穂積実行委員長、関戸坂城町商工会長

坂城町長 山村ひろし

令和2年度坂城町公民館文化講座開講式

昨日(7月1日)、ようやく、令和2年度の「坂城町公民館文化講座開講式」を行いました。

この開講式自体もいつできるか大変不安でしたが、何とか開催できました。

主催者である公民館役員の皆さんのご尽力に感謝です。

本来ですと、4月には開催し、各種の講座を受講していただくわけですが、今年はようやく昨日の開催となりました。

それでも、「3密」を防ぐため、参加者を限定し、座席の間隔を広くして行いました。

今年度の文化講座の内容は、「書道」、「古文書」、「短歌」、「茶道・表千家」、「茶道・裏千家」、「木彫」、「コーラス」、「陶芸」、「俳句」、「絵画」、「季節の郷土料理」、「詩を楽しむ」、「盆栽」の13コースです。

今年度の活動期間は、残り9か月ですが皆さんの積極的な参加をお願いいたします。

坂城町長 山村ひろし

松くい虫被害防除のための薬剤空中散布

本日(6月24日)早朝、坂城町では松くい虫による被害が拡大傾向にあることから、総合的な松くい虫防除対策の一環として、人の手による伐倒駆除や予防が困難な場所である自在山風致地区(上平)及び葛尾山風致地区(苅屋原)において、ヘリコプターによる空中散布を実施しました。

また、葛尾山風致地区(苅屋原)の人家に近い箇所では、無人ヘリコプターによる薬剤の散布も行いました。

何よりも安全性に配慮し、リスクコミュニケーションをしっかりと行い、薬剤の散布を行っております。

 
地元地区の皆様のご理解、ご協力ありがとうございました。

 
なお、苅屋原地区での無人ヘリコプターによる薬剤の散布は7月15日にも行います。

▼無人ヘリコプターによる散布(写真3枚)、有人ヘリによる散布(上平と苅屋原)

坂城町長 山村ひろし

NOSAI長野 第4回通常総代会

昨日(6月23日)、NOSAI長野会館で長野県農業共済組合第4回通常総会が開催されました。(組合長理事:羽田健一郎さん)

通常ですと、100名以上の皆さんが集まって開催される総代会ですが、今回は、新型コロナの影響で本所と支所9か所でテレビ会議を使っての会議となりました。(初めての試みですが大変スムースに行われました。)

令和元年度事業内容・決算、令和2年度事業予定・予算、などが承認され、新たな理事、監事が選任されました。

私は前の東信NOSAIから引き続き9年間理事をしておりましたが、今回交代し、退任した44名の役員等を代表して、羽田組合長から感謝状をいただきました。

▼右端、羽田組合長

坂城町長 山村ひろし

海野幹雄さんリモート演奏 動画企画第4弾!

海野幹雄さんの、リモート演奏、動画企画第4弾です。毎回、いろいろな企画をしていただいてありがとうございます。以下、ご覧ください。

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‪動画企画第4弾、公開されました!妻の春絵と共に、ラフマニノフのヴォカリーズやグノーのアヴェマリアなどを弾いています。トークでは結婚式の面白エピソードの他、今回は撮影の裏側も少しお見せしています。是非ご視聴くださいませ!‬

https://www.youtube.com/watch?v=W1X5F8CQjQo&t=30s

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坂城町長 山村ひろし

千曲建設事務所さんとの意見交換会

本日(6月18日)、坂城町役場講堂で、毎年恒例の長野県千曲建設事務所(所長:松本寛さん)との意見交換会を行いました。

千曲建設事務所さんからは、

県土強靭化事業(名沢川砂防堰堤新設、網掛がけ崩れ対策事業)、地域交通事業(坂城インター線道路新設工事)、サイクリングロードリニューアル などのご説明をいただきました。

また、坂城町からは、道路関連、橋梁関連など11か所の建設関連事業の説明と要望を行いました。

坂城町での大型インフラ工事としては、国道18号バイパス事業とならぶ県事業としてインター先線の道路建設事業がありますが、今回のご説明で、明確に千曲川に橋梁を架け、国道18号バイパスと接続する工事としてのご説明がありました。

これからはこの事業を明確に事業認定していただき推進していただく必要があります。

その意味では、今回の説明でも大きく前進できたものと思いますし、坂城町としても全力を挙げてフォローしていきたいと思います。

最後に恒例となりましたが、千曲建設事務所さんに飾っていただけるように坂城のバラをプレゼントしました。

坂城町長 山村ひろし

竹内製作所 竹内明雄君一代記

本日(6月16日)、(株)竹内製作所代表取締役会長の竹内明雄さんが役場へ来られました。

竹内明雄さんは昭和38年、裸一貫、29歳で(株)竹内製作所を設立され、一代で小型建機(ミニショベル)の分野で世界に冠たる会社に育て上げられました。

現在では東証一部上場企業として年間売上 1,100億円を超える、大企業となりました。

その竹内さんの一代記を、昭和15年(1940年)、4月村上尋常小学校に入学した同級生の倉科清人さん、塚田裕重さん、大橋幸文さんらがこのたび、「竹内製作所創業者 竹内明雄君一代記」として素晴らしい本にまとめられました。 大変心温まる一代記です。

ここに全文を掲載するのは難しいので、私の「お祝いのメッセージ」と「大橋幸文さんのまえがき」を以下に掲載します。

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「竹内製作所創業者竹内明雄君一代記」発刊をお祝いして

坂城町長 山村 弘

このたびは、「竹内明雄君一代記」の発刊、誠におめでとうございます。

竹内明雄様と昭和5年に村上尋常小学校に入学された同級生の倉科清人さん、大橋幸文さん、元々の発案者であられた恩師の小林達雄先生のお話などを伺いこの「一代記」がいつ頃完成するのかと心待ちにしておりましたところ、今年4月になり「一代記」がいよいよ完成するので、お祝いのメッセージを書くようにお話をいただきました。誠に光栄であり心よりお祝い申し上げます。

竹内明雄様とのお付き合いは私が東京から坂城へ移り、竹内製作所さんのほぼ隣に引っ越してからの約10年となります。親しくお近づきさせていただくにつれ、昭和、平成、令和を通し、一代で「世界のTAKEUCHI」を創り上げられた歴史的経営者の生きざま、経営哲学、そして何よりもそのお人柄に接し、心より感銘を受けておりました。昨年、竹内様には坂城町名誉町民の称号を受けていただきました。

私は、セブン&アイホールディングの鈴木敏夫様が名誉町民の称号を受けられたのが平成13年であり、その次に名誉町民の称号を受けていただくのは竹内明雄様以外にはおられないと思い、4年ほど前から打診をさせていただきましたが、その都度、「私はその器ではない」、「まだその時期ではない」と言われ、ご了解を頂くことができませんでした。

しかしながら、その後、竹内製作所さんが東証一部上場をなされ、売り上げも1000億円を達成され、また、代表取締役会長に就任されるなど、ようやく一つの「節目」を迎えられたことから再度お願いをし、坂城町名誉町民の称号を受けていただくことができました。心より良かったなと思いました。

あわせてこの度は、坂城町の誇り「竹内製作所創業者竹内明雄君一代記」の発刊。これで、世界に冠たる「TAKEUCHI」の物語がこれからも長く語られることとなりました。心よりのお祝いを重ねて申し上げます。

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まえがき  同級生大橋幸文

 
竹内明雄君と私たちは、昭和15年(1940)4月村上尋常高等小学校(当時は更級郡村上村)に入学しました。翌16年には村上国民学校と改められこの年の 12月8日、アジア太平洋戦争がはじまりました。昭和17年4月からは男女別の学級に編成され、東組は男子だけの学級となりました。

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年生となった4月担任の楢原操先生が軍隊に招集され、代わりに旧制の屋代中学校(現屋代高校)を卒業したばかりの小林達雄先生が担任となりました。

 小林先生は、楢原先生が入営されるまでの一週間ほど授業参観しただけの担任でした。

 若さに任せた徹底した軍隊調の戦時教育をうけました。忘れられない先生でした。

 長い時を経て小林先生と再会する事になりました。

 平成24年(2012)5月、昭和20年度村上国民学校終了( 男46名、女53名、計99 名)、昭和23 年度、村上中学校卒業の村上村全体の同級会を数十年ぶりに開催しました。3人の恩師の先生(中曽根千佳、小林達雄、大井憲五) の一人として小林先生に再会しました。

 竹内明雄君の活躍を承知されていた小林先生は、同級会に出席後、「竹内明雄君成功物語」の執筆に取り組みたいと話されました。

 平成 25~27 年の同級会 には、取材ノートを片手にぜひ完成させたいとの思いを語る先生の姿を見て、完成を待とうと平成28年(2016)の同級会を取りやめました。

 この年の暮れに先生は亡くなられ、小林先生による「竹内明雄君成功物語」は未完に終わりました。

 小林達雄先生は、大正14年(1925)1 月 1 日生、平成28 年(2016)12月14日他界。先生は更級郡東福寺村(現長野市篠ノ井東福寺)の旧家に生まれました。 9人兄弟姉妹(男6人女3人)の真ん中だったとのことです。

 小林先生は、幼少のころの小児麻痺の後遺症で足が少し不自由でした。

 教職歴は、県立屋代中学校卒業後の昭和18年(1943)5月1日~20年(1945) 6月30日まで村上国民学校教員だけです。(18年度東組男子、19年度5年西組女子担任)

 地方議員( 篠ノ井町、篠ノ井市、長野市へと合併)を昭和33年(1958)~42 年(1967)9月30日まで10年ほど、勤めています。

 昭和52年には長野県行政書士会に入会、平成 11年(1999)~17年(2005)5 月まで会長を務められました。

 一方、作家として何冊かの作品を刊行しています。

 羽生達雄(ペンネ ーム)『竜虎の宿』(平成 19 年信毎書籍出版センター刊)、『断層の時代』(1998 年島影社刊)など。

 「竹内明雄君成功物語」を執筆しようと決めた小林先生は専用の大学ノートを片手に調査をはじめました。私の所へも年に数回来訪されました。 その都度案内したり相談に乗ったり、参考図書や関係資料を提供してきました。しかし先生の身上にも様々な事があり、執筆はなかなか進まないようでした。

 平成 29 年 (2017) に入り、先生から執筆を手伝ってほしいとの電話 を受けました。自分史の執筆から書く事を重ねてきた倉科君にも一緒に手助けをお願いしようと、10月23 日、二人で小林先生の事務所(長野市川中島町御
厨)を訪問しました。

 しばらくぶりでお会いしたところ、先生は老化が進み、取材ノートも原稿
も見せて頂くことなく、全て頭の中にあるとのお話に驚かされるばかりでした。倉科君と二人して必要になったらまた声をかけて下さい、と別れてきました。その足で竹内製作所へ立ち寄り竹内君に実情を伝えました。

 翌年 4 月に入って銀河書房の滝沢知寛君(『テクノハートさかき 坂城町
工業発達史』担当者)から小林先生は、昨年の 12 月14 日に亡くなられ、ごく限られた身内だけで葬儀が行われたと知らされました。

 昨年お会いして二カ月も経たずに亡くなられていたことに驚くとともに、
残された資料について滝沢君に確かめてもらったところ、家主より12 月末までに取り片付けるように言われ全てを処分したとのことでした。

 それでもと滝沢君に空き家を見てもらっ たところ、さまざまな賞状類や写真などが入ったダンボール箱が 4 つ残されていただけだったとのことでした。

 小林先生の集められた竹内君に関する資料は全て失われてしまいました。

 本書(『竹内製作所創業者竹内明雄君一代記』)を編集した倉科清人君につ いても一言ふれます。

 一緒に小林達雄 先生を訪ねた時も、「竹内製作所」 とタイト ルのついた 6 枚の原稿を持参していました。先生に渡せる状況ではなかったのですが、既 に手伝ってやろうという気持ちだった事が分かり驚きました。自分史を書いた体験から、気軽に筆を執る事ができるようになっていたのだと思います。

 庭師としての修行と共に、神仏にたいする学びは数冊の冊子にまとめられ ています。最近では『何の為に生きる、良心 は人生の羅針盤』(平成 30 年刊行)を執筆しています。

 彼には己の思想、哲学があります。また同級会の裏方や、厄介なことを頼んでも黙って引き受けてくれます。

 今回は、竹内明雄君の一代記を編集するという大役を引き受けてくれました。倉科君の知っているエピソードをまじえてまさに全力投球でまとめられた姿に打たれるばかりです。

 かつて小林先生の要望で、竹内明雄君について同級生の思い出を、アンケ ートしました。その中に子供のころはおとなしかった竹内君が、いまや大企 業(世界企業)の創業経営者として名声を天下に轟かせるようになったので す。

 「あの社長とは小学校の同級生だよと人に自慢し誇らしく思い、今後ますま す発展する事を心から願っています」という共通の思いが多くよせられました。

 恩義を大切にし、情に厚い倉科君という同級生のおかげで本書ができました。どうぞ手に取ってください。

坂城町長 山村ひろし

小林益男さん・中村清和さんが危険業務従事者叙勲受章

警察官や自衛官など危険性が高い業務に尽力された方を対象とする「第34回危険業務従事者叙勲」の受章者が4月11日付けで発表され、町内では、元長野県警部の小林益男さん(鼠団地)と、元千曲坂城消防組合消防司令長の中村清和さん(下西)が瑞宝単光章を受章されました。

5月27日に中村さん、6月15日に小林さんがそれぞれ役場に来られ、長年勤務された中でのご経験や苦労されたことなどについてお話しいただきました。 長い間お疲れさまでした。

以下順に、小林益男さん、中村清和さん

小林益男さん叙勲

中村清和さん叙勲

坂城町長 山村ひろし

「さかき千曲川ばら公園」の様子

皆さま。新型コロナウィルス感染症対策の政府の第二次補正予算も成立し、東京でも「東京アラート」が解除されました。

長野県でも来週19日からは、ステップ2に移行し、これまでの「活動準備・始動期」から「県内需要拡大・交流展開期」へと進んでいく予定です。

しかしながら、これからは今までの3密の回避など基本的な感染防止策の取組と併せて、熱中症への備えも必要な時期となってまいりました。

さて、「さかき千曲川ばら公園」では、今年は残念ながら、毎年4万人ものお客様にお出でになっていただける「ばら祭り」(5月23日から6月7日まで)の開催を取りやめました。

しかしながら、その間も、ばら達はしっかりと花を咲かせています。

坂城町のバラードの会(薔薇人の会)の皆さんの大変なご尽力で素晴らしいバラ公園に仕上がっています。

いままで、ばら公園への来園については自粛のお願いをしてまいりました。

その間もしっかりと咲いていたバラたちを見ていただきたいと思います。

以下、写真、映像でお楽しみいただければと思います。

写真は私が先週の日曜日に撮ったもの、動画映像は写真家の岡田光司さん、音楽は美馬佳世さんの作曲と演奏によるものです。

(バラ公園の一日)
https://www.youtube.com/watch?v=53bUlyA9J60&feature=youtu.be
(バラ公園ドローンで)
https://www.youtube.com/watch?v=BtB3OUB6frU&feature=youtu.be

▼使われなかった、幻のポスター から

坂城町長 山村ひろし