産学官連携 「金沢工業大学 研究シーズ講演会」

昨日(12月17日)、さかきテクノセンターで、産学官連携交流事業「金沢工業大学 研究シーズ講演会」が開催されました。

 金沢工業大学とは、平成27年に金沢工業大学と坂城町、さかきテクノセンター、テクノハート坂城の4 団体が「連携・協働に関する協定」を締結し様々な交流を続けてきましたが、今まで、技術開発に関する交流事業がなかなか実現できませんでした。

 昨年、新たに依田穂積新理事長が就任され、工藤誠一センター長、竹内事務局長、宮下コーディネーターの就任など、テクノセンター側の組織が強化され、ようやくこのような技術交流会が実施できるようになりました。

 また、金沢工業大学石川名誉学長の熱い思いに感謝いたします。 誠に素晴らしいことだと思います。

 今回は、金沢工業大学の第一線でご活躍されている先生方をお招きし、下記のとおり研究シーズを紹介していただきました。

(1)金沢工業大学の産学連携について 石川 憲一名誉学長

(2)研究シーズ講演 4テーマ(各 40 分)

 1.切削・金属加工分野 工学部機械工学科 加藤秀治教授

 【研究室紹介】人工心臓の部品などの小型化を実現させるヒトと環境に 優しい微細加工技術と新素材の開発

 2.プレス加工・金型分野 工学部機械工学科 瀬川明夫教授

【研究室紹介】材料を自由に変形できる塑性加工による高品位、高機能 な「ものづくり」に向けた加工技術の探究と製品開発

 3.射出成形及び数値解析分野 工学部機械工学科 瀬戸雅宏准教授

【研究室紹介】コンピュータを用いたプロセスシミュレーション技術に より高機能かつ革新的なものづくり

 4.情報工学分野 工学部情報工学科 中沢実教授

【研究室紹介】モバイル・クラウド・ロボットによるユビキタス的共生 空間の追求

(3)交流会・名刺交換会

 今回の交流会には関係者も入れると約100名の皆さんが参加しました。

 これからもこのような活動を続けていただき、シーズからいくつもの実を作っていただきたいと思います。

以下、写真は順に、依田穂積テクノセンター理事長(日精樹脂工業株式会社代表取締役社長)、石川憲一金沢工業大学名誉学長、加藤秀治教授、瀬川明夫教授、瀬戸雅宏准教授、中沢実教授

 坂城町長 山村ひろし

坂城中学校バレー部宮原さんと調理部が全国大会へ出場

昨日(12月16日)、坂城中学校バレーボール部に所属する宮原捷太朗さんと坂城中学校調理部の皆さんが、坂城町役場へ来られ、各々全国大会へ出場されるとのこと、以下のご報告をいただきました。

まず、坂城中学校バレーボール部に所属する宮原捷太朗さんは、長野県選抜として選出され、12月25日から大阪府で開催される『第33回全国都道府県対抗中学大会』に出場します。

すごいことですね。

リベロとしてチームを支える宮原さんは「身長は大きくないチームですが、コンビバレーを活かして日本一を目指したいです。個人としては、相手の強力なアタックをたくさんレシーブして立ち向かっていきたいです。」と話してくれました。

また、坂城中学校調理部に所属する田村藍子さん・師田結衣さん・中澤柚月さんは、1月25日から東京都で開催される『第20回全国中学生創造ものづくり教育フェア「あなたのためのおべんとう」コンクール』に出場します。

このコンクールは、食べてもらう相手のことを考えたお弁当作りを通して、身近な人との関わりの大切さや「食」の重要性を知ることを目的に開催され、大会当日は、実際に片付けまで含んでお弁当を調理し、栄養バランスや盛り付け、テーマなどが審査されます。

3人のチーム名は「sugar バスターズ」(「砂糖退治屋?」)で、糖尿病などに着目し、糖質OFFをテーマにしたお弁当を考えました。 おじいさんの健康づくりをヒントに考えたそうです。

リーダーの田村さんは「最後まで気を抜かずにやり切りたいです。」と大会の決意を話してくれました。 誠に頼もしい限りです。

坂城町長 山村ひろし

「ポーランド・シベリア孤児救済の物語」

 

 以下は、以前、私が今年8月15日の坂城町成人式でお話した、「シベリア孤児救済」の物語です。(ご参考まで)

 日本ではほとんど知られていない近現代史の秘話、「シベリアにいたポーランド孤児を日本が救った。」と言う物語です。

 これは、約100年前の1918年(大正7)から始まった当時の日本陸軍による「シベリア出兵」最中の出来事です。

 まず、なぜシベリアにポーランド人がいたのだろうかということですが、ポーランドは、ロシア・ドイツ・オーストリアという強大な隣国に分割され続け、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年)で形式上独立するも、ロシア皇帝が君臨するという実質上のロシア領であり続けたわけですが、ポーランド人は決して屈することはありませんでした。

 19世紀、ポーランド人は真の独立を勝ち取るべく二度にわたって帝政ロシアに対して独立戦争を挑みました。しかし、蜂起は鎮圧され、さらに蜂起に立ち上がった多くのポーランド人は政治犯としてシベリアに強制的に送られました。

 その後、第一次世界大戦で戦場となったポーランドの人々がシベリアに逃れ、シベリアのポーランド人は15万人から20万人に膨れ上がりました。そんな最中の1917年にロシア革命が起き、翌年1918年に第一次世界大戦が終結してようやくポーランドは独立を回復します。

 しかしながら、シベリアのポーランド人は、ロシアの内戦で祖国への帰還が困難となり、それどころか生活は困窮を極め、餓死者などが続出したのだった。

  そんな同胞の惨状を知ったウラジオストク在住のポーランド人が彼らを救済するため「ポーランド救済委員会」を立ち上げた。そして彼らは、せめて子供達だけでも救って祖国へ帰してやりたいと欧米各国と折衝をしましたがことごとく断られてしまいました。

 もはや万策尽きたなかで、ポーランド救済委員会はシベリアにいた日本軍ならびに日本政府に救援のお願いをしました。

 その申し入れを受けて、当時の外務省は、日本赤十字社に救済事業を要請し、7月5日に子供らの救護活動に入ることを決定します。

 ただちに日本陸軍が救援活動に動き出し、救援決定からわずか二週間後の7月20日に56名の児童とポーランド人の付き添い5名を乗せた日本陸軍の輸送船「筑前丸」が第一陣としてウラジオストクの港を出港した。

 3日後の7月23日、筑前丸が福井の敦賀港に入港し子供達が上陸するや、日本赤十字をはじめ軍や警察、役場、さらに一般の敦賀の市民までもが孤児たちを温かく迎え入れた。

 病気に罹っている子供を治療し、お腹を空かしている孤児らに食事や菓子を与え、そして入浴させて新しい衣服に着替えさせてやるなど、皆が孤児らを慈愛の心で包み込んだのです。

 そして手厚く看護されて元気を取り戻した子供達が横浜港から船でアメリカに向かうことになった。ところがそのとき、ちょっとしたハプニングがおきました。ポーランド孤児達が、泣きながら日本を離れたくないと言い出しましたのです。

 極寒のシベリアで極貧の生活を強いられ、親を亡くして人の愛情に触れることのなかった孤児達にとって、誰もが親切な日本はまさに天国でした。彼らにとって日本はもう“祖国”になっていたのです。

 横浜港から出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、ポーランドの付添人に抱かれて乗船することを泣いて嫌がりました。

 埠頭の孤児たちは「アリガトウ」を連発し、『君が代』の斉唱をして幼い感謝の気持ちを表して別れを惜しみました。

 だがそれでもまだシベリアにはおよそ2000名の孤児が救援を待っていた。

 再び日本に対し救援を求め、日本赤十字も最終的に急を要する孤児約400名を受け入れることを決定、再び陸軍が支援に乗り出しました。

 1922年8月、輸送船「明石丸」と「臺北丸」が3回にわけて孤児390名をウラジオストクから敦賀に運びました。もちろんこの第二陣の児童らも前年同様に敦賀の人々に温かく迎えられ、大阪の天王寺に建てられた大阪市立公民病院宿舎に収容されました。

 大阪での歓迎ぶりもまた、東京でのそれに勝るとも劣らぬものがありました。

神戸港からの離別風景も同じで、帰国児童一人一人にバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちも、涙でこの子たちの幸せを祈りながら船が見えなくなるまで手を振って別れを惜しみました。

 この8回にわたる救済活動で、合計765名の子どもたちが救われました。

 しかし、この物語はこれで終わりではありませんでした。

 平成7年(1995年)、阪神淡路大震災が起きました。この際に、ポーランドの人々は、この震災で孤児になった人々の救援に立ち上がります。

 平成7年と8年、ポーランド政府が阪神淡路大震災の被災児童らをポーランドに招待し、ワルシャワで4名のかつてのポーランドのシベリア孤児との対面などを通じて子供達らを温かく励ましました。

 その後も、ポーランド政府は、平成23年に発生した東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供達を2週間もポーランドに招いてくれました。

知られざる日本とポーランドの交流秘話~両国の絆は日露戦争にさかのぼり、その後のシベリア出兵で結果として、765名のポーランド孤児を救援することができた、両国の感謝の応酬は今も続いているのです。

 また、昨年(2018年)11月20日には、このセレスティナウ町に近い、スタラ・ヴェシに「ポーランド・シベリア孤児記念小学校」も設立されました。

今年は、日本とヨーロッパ一の親日国家ポーランドとの国交樹立100年を迎えました。

 また、来年はシベリア孤児来日100周年となります。

 (参考:「日本ポーランド国交樹立100周年記念誌」、「親日を巡る旅」(井上和彦著)他、多数の資料から引用させていただきました。)

坂城町長 山村ひろし

「人道の港」敦賀ムゼウム訪問

昨日(12月15日)、敦賀市の人道の港 敦賀ムゼウム(ムゼウムはポーランド語で資料館)を坂城町国際交流協会の皆さんと訪問しました。

▼右は、渕上隆信敦賀市長さん

 以下、敦賀ムゼウムの説明員の坂本さんがFacebookにアップしていただきましたのでシェアさせていただきます。

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人道の港敦賀ムゼウム

長野県から坂城町国際交流協会の皆さん14名が視察研修にお越しいただきました。

同協会は、サマースクール受入れやワーキングホリデー支援等を通じてポーランドとの交流を継続されており、今後の更なる交流につなげるため、国交100周年に合わせて、ムゼウムの視察を計画いただいたとのことです。

見学を終えた山村弘町長からは、「とても感動しました。敦賀市がシベリアで困窮していたポーランド孤児や『命のビザ』を持って上陸したユダヤ人難民を暖かく迎え入れた資料を収集・展示し、その子孫と国際交流されていることに対して敬意を表します。」との温かい言葉をいただきました。
またのお越しをお待ちしております!

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以下は、私が今年8月15日の坂城町成人式でお話した、「シベリア孤児救済」の物語です。(ご参考)

 日本ではほとんど知られていない近現代史の秘話、「シベリアにいたポーランド孤児を日本が救った。」と言う物語です。

 これは、約100年前の1918年(大正7)から始まった当時の日本陸軍による「シベリア出兵」最中の出来事です。

 まず、なぜシベリアにポーランド人がいたのだろうかということですが、ポーランドは、ロシア・ドイツ・オーストリアという強大な隣国に分割され続け、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年)で形式上独立するも、ロシア皇帝が君臨するという実質上のロシア領であり続けたわけですが、ポーランド人は決して屈することはありませんでした。

 19世紀、ポーランド人は真の独立を勝ち取るべく二度にわたって帝政ロシアに対して独立戦争を挑みました。しかし、蜂起は鎮圧され、さらに蜂起に立ち上がった多くのポーランド人は政治犯としてシベリアに強制的に送られました。

 その後、第一次世界大戦で戦場となったポーランドの人々がシベリアに逃れ、シベリアのポーランド人は15万人から20万人に膨れ上がりました。そんな最中の1917年にロシア革命が起き、翌年1918年に第一次世界大戦が終結してようやくポーランドは独立を回復します。

 しかしながら、シベリアのポーランド人は、ロシアの内戦で祖国への帰還が困難となり、それどころか生活は困窮を極め、餓死者などが続出したのだった。

  そんな同胞の惨状を知ったウラジオストク在住のポーランド人が彼らを救済するため「ポーランド救済委員会」を立ち上げた。そして彼らは、せめて子供達だけでも救って祖国へ帰してやりたいと欧米各国と折衝をしましたがことごとく断られてしまいました。

 もはや万策尽きたなかで、ポーランド救済委員会はシベリアにいた日本軍ならびに日本政府に救援のお願いをしました。

 その申し入れを受けて、当時の外務省は、日本赤十字社に救済事業を要請し、7月5日に子供らの救護活動に入ることを決定します。

 ただちに日本陸軍が救援活動に動き出し、救援決定からわずか二週間後の7月20日に56名の児童とポーランド人の付き添い5名を乗せた日本陸軍の輸送船「筑前丸」が第一陣としてウラジオストクの港を出港した。

 3日後の7月23日、筑前丸が福井の敦賀港に入港し子供達が上陸するや、日本赤十字をはじめ軍や警察、役場、さらに一般の敦賀の市民までもが孤児たちを温かく迎え入れた。

 病気に罹っている子供を治療し、お腹を空かしている孤児らに食事や菓子を与え、そして入浴させて新しい衣服に着替えさせてやるなど、皆が孤児らを慈愛の心で包み込んだのです。

 そして手厚く看護されて元気を取り戻した子供達が横浜港から船でアメリカに向かうことになった。ところがそのとき、ちょっとしたハプニングがおきました。ポーランド孤児達が、泣きながら日本を離れたくないと言い出しましたのです。

 極寒のシベリアで極貧の生活を強いられ、親を亡くして人の愛情に触れることのなかった孤児達にとって、誰もが親切な日本はまさに天国でした。彼らにとって日本はもう“祖国”になっていたのです。

 横浜港から出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、ポーランドの付添人に抱かれて乗船することを泣いて嫌がりました。

 埠頭の孤児たちは「アリガトウ」を連発し、『君が代』の斉唱をして幼い感謝の気持ちを表して別れを惜しみました。

 だがそれでもまだシベリアにはおよそ2000名の孤児が救援を待っていた。

 再び日本に対し救援を求め、日本赤十字も最終的に急を要する孤児約400名を受け入れることを決定、再び陸軍が支援に乗り出しました。

 1922年8月、輸送船「明石丸」と「臺北丸」が3回にわけて孤児390名をウラジオストクから敦賀に運びました。もちろんこの第二陣の児童らも前年同様に敦賀の人々に温かく迎えられ、大阪の天王寺に建てられた大阪市立公民病院宿舎に収容されました。

 大阪での歓迎ぶりもまた、東京でのそれに勝るとも劣らぬものがありました。

神戸港からの離別風景も同じで、帰国児童一人一人にバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちも、涙でこの子たちの幸せを祈りながら船が見えなくなるまで手を振って別れを惜しみました。

 この8回にわたる救済活動で、合計765名の子どもたちが救われました。

 しかし、この物語はこれで終わりではありませんでした。

 平成7年(1995年)、阪神淡路大震災が起きました。この際に、ポーランドの人々は、この震災で孤児になった人々の救援に立ち上がります。

 平成7年と8年、ポーランド政府が阪神淡路大震災の被災児童らをポーランドに招待し、ワルシャワで4名のかつてのポーランドのシベリア孤児との対面などを通じて子供達らを温かく励ましました。

 その後も、ポーランド政府は、平成23年に発生した東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供達を2週間もポーランドに招いてくれました。

知られざる日本とポーランドの交流秘話~両国の絆は日露戦争にさかのぼり、その後のシベリア出兵で結果として、765名のポーランド孤児を救援することができた、両国の感謝の応酬は今も続いているのです。

 また、昨年(2018年)11月20日には、このセレスティナウ町に近い、スタラ・ヴェシに「ポーランド・シベリア孤児記念小学校」も設立されました。

今年は、日本とヨーロッパ一の親日国家ポーランドとの国交樹立100年を迎えました。

 また、来年はシベリア孤児来日100周年となります。

 (参考:「日本ポーランド国交樹立100周年記念誌」、「親日を巡る旅」(井上和彦著)他、多数の資料から引用させていただきました。)

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 坂城町長 山村ひろし

令和元年第4回坂城町議会定例会閉会あいさつ

本日(12月13日)、令和元年第4回坂城町議会定例会が閉会しました。

以下、閉会のごあいさつを掲載させていただきます。

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 令和元年 第4回 坂城町議会定例会の閉会にあたり一言あいさつ申し上げます。

 122日に開会されました本定例会は、本日までの12日間ご審議をいただきました。一般質問で数多く、台風19号災害関連のご質問をいただきましたが、台風通過の当日は、消防団はじめ町職員など、懸命に防災活動を実施しました。

今議会においてご指摘いただいた点や地域の皆さんからのご意見を参考に、これからの改善につなげてまいりたいと存じます。

提案をいたしました、条例の制定、一般会計補正予算及び特別会計補正予算、そして追加上程させていただきました昭和橋の災害復旧工事に係る請負契約の締結、一般会計補正予算と すべての議案につきまして原案どおりご決定を賜り、誠にありがとうございました。

本日、契約締結の議決をいただきました、公共土木施設災害復旧事業 昭和橋の復旧工事をはじめ、台風19号により被災した運動公園施設などの一日も早い復旧に取り組んでまいります。

さて、122日夕方、坂城駅前のイルミネーション点灯式が行われました。にぎわい坂城の皆様が飾り付けたイルミネーションが色鮮やかに点灯し、また、ライトアップされた169系電車の車内で、坂城中学校吹奏楽部のみなさんによるミニコンサートが開催されました。

イルミネーションは来年1月末まで、169系電車のライトアップは3月末までお楽しみいただけますので、大勢の皆さんにご覧いただきたいと思います。

124、坂城テクノセンターで、今年度2回目の坂城経営フォーラムが開催されました。

 関東財務局 長野財務事務所 矢島所長のアレンジにより、金融庁監督局 地域金融企画室長の日下智晴さんと、地域課題解決支援室 室長補佐の渡辺茂紀さんを講師に迎え、「変わる金融行政と中小企業支援」と題して講演をいただきました。

金融業界での長い経歴も持つお二人に、新たな金融行政の取組みや金融庁の改革の一つである「金融検査マニュアル」の廃止についてのお話などをいただき、地域金融機関に求められる取組みや金融行政の今後の方向性など大変参考になる講演会になりました。

12月7日、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会」を文化センターにて開催いたしました。町内の障がい者支援施設を利用されている皆様によるバンド演奏や活動発表、坂城小学校合唱部の児童による手話と合唱の発表、そして、元幼稚園教諭で保育士の又野亜希子さんを講師にお招きし、ご講演をいただきました。

不慮の事故で頸髄損傷という重い障がいを負いながらも、懸命なリハビリを経て前向きに努力される又野さんのお話しに深い感銘を受けたところで、改めて共に認め合い、支え合う地域づくりへの思いを強くしたところであります。

鉄の展示館では、特別展「平成の名刀・名工展」が来年22日までの期間で開催しております。

この展覧会は、平成の時代に活躍された刀工の作品を一堂に集め、現代美術刀剣展として開催する特別展となっておりますので、大勢の皆さんにお越しいただきたいと思います。

1215日に国際交流協会において福井県敦賀市にある「人道の港 敦賀 ムゼウム」への視察研修が実施され、私も同行させていただきます。本施設はポーランドと日本の交流の大きな契機となった、シベリアポーランド孤児の歴史と日本軍や日本赤十字社の孤児保護の史実を展示した資料館であります。

今年は日本とポーランドの国交樹立100周年、来年はシベリアポーランド孤児救出100周年の節目を迎えて 交流の機運が高まる中、坂城町は、学生のホームステイ受入やワーキングホリディの支援などを毎年行っています。

そして、この夏の学生来日時には、ワルシャワ日本語学校を介して、シベリア孤児記念小学校のあるツレスティヌフ町から、交流に向けたお誘いをいただいております。

両国を大きく引き寄せた歴史や、人道や平和の尊さを学びながら、今後のポーランドとの交流、友好協定などについて、協会の皆様と共に考える機会になればと思っております。

さて、これから、新年度に向けての当初予算編成作業が本格化してまいりますが、歳入の見通しにおきましては、税制改正による法人町民税の税率引下げや貿易摩擦による世界経済の先行き不安など、一般財源を含む歳入の確保は容易ではないと考えているところであります。

 こうした厳しい状況ではありますが、事務事業の一層の効率化を図る中で、将来のまちづくりに向けた施策展開が図れるよう取り組んでまいりたいと考えております。

何かと慌しい季節でもあります。

12月1日から31日までの1か月間は、年末特別警戒期間として、警察、防犯指導員、千曲交通安全協会、交通指導員などの皆様と連携し、防犯・交通安全の啓発を強化しております。

年末年始は、犯罪や交通事故の増加する時期でもあります。引き続き、犯罪被害や交通事故、飲酒運転の防止に向け、さらなる啓発活動に取り組んでまいります。町民の皆様には、特殊詐欺など犯罪や交通事故の被害に遭わぬよう、一層のご注意をお願い申し上げます。

また、1227日からは、町消防団による歳末特別警戒が行われます。消防団員には夜間の警戒に対し感謝を申し上げるとともに、住民の皆様におかれましては、年の瀬の寒い時期でもあり、大切な生命、財産を守るため、火の取り扱いには十分注意されますよう重ねてお願い申し上げます。

さて、来年、令和2年は、「庚子(かのえね・こうし)」の年であります。

 「庚(かのえ・こう)」の年は、今まで行ってきたものを継承・継続させ、さらに進化させるための新たな環境や体制を整える年とされています。

一方、「子(ね・し)」には「生い繁る」「繁栄する」意味があり、十二支の始まりでもあることから、新しい令和の時代とともに、反省や検証を踏まえつつ、継続してきた物事を進化させ、さらに発展・チャレンジする年にしたい と思います。

元旦には1年間の健康を願う元旦マラソンが開催され、今回は東京オリンピック・パラリンピックのプレ大会として、沿道の応援旗を小学生の皆さんに作成をいただくなど、記念大会として盛り上げてまいります。大勢の皆様のご参加とご声援をお願いいたします。

1月4日には、新年の願いを込めて書初めを行う席書大会、新春賀詞交歓会が開催されます。

また、1月11日には、「ライフ・ステージエコー2020」が坂城テクノセンターにて開催されます。今回は、オペラ歌手の皆さんをお迎えし、「最高レベルの声の魅力」で、新しい年の幕開けを飾っていただけるものと期待しております。

そして、1月19日には、町消防団の出初式が挙行されます。街頭行進等、大勢の皆様のご観覧をお願いいたします。

25日には、長野県立大学の金田一学長をお招きし、坂城テクノセンターを会場に新春経済講演会を開催いたします。

グローバルな視野を持ち、地域のリーダーとなる人材の育成など、20184に開学した県立大学の取組みについて、ご講演いただく予定ですので、大勢の皆さんにご聴講いただきたいと思います。

年末、年始から、盛りだくさんの行事がございます。

 議員各位におかれましても健康に十分留意され、新しい年をお迎えいただきますようお祈り申し上げまして、閉会のあいさつとさせていただきます。

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坂城町長 山村ひろし

人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会 ~共に認め合い、共に支え合う社会をめざして~

先日(12月7日)、坂城町文化センターで、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会 ~共に認め合い、共に支え合う社会をめざして~」が開催されました。いろいろなプログラムがありましたが、その中でも、頸髄損傷という重い障害の中で元気に活躍されておられる、又野亜希子さんのお話には大変感銘を受けました。

▼又野亜希子さん

以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会 ~共に認め合い、共に支え合う社会をめざして~

 12月7日(土)、坂城町文化センターで、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会 ~共に認め合い、共に支え合う社会をめざして~」が開催されました。この集会は、一人ひとりが、共に認め合い支え合う人権感覚を養うとともに、福祉への理解を深め明るく住みよい人権・共生のまちづくりの実現を目指して毎年開催されております。

 開会に先立って、プレオープニングイベントとして、社会福祉法人「風ととくべえ」の皆さんによる演奏およびNPO法人「やまびこ舎」・NPO法人「みんなの居場所 未来スペース」・「地域包括支援センター」の利用者の皆さんによる事業所の紹介が行われました。

 また、記念講演として、元幼稚園教諭で保育士の又野亜希子さんを講師にお迎えし、「命の輝き~車イスから見える世界ってけっこう素敵~」という演題でご講演いただきました。又野さんは、出勤途中に交通事故に遭い、頸髄を損傷し、重い障がいを負いました。最初は不慣れな車イスの生活や思うように動かない体を前に、「死んでしまいたい」とまで思ったそうですが、そばで支援をしてくださったご主人や同じように障がいを負ってリハビリを続ける仲間たち、そして何よりも自身のお子さんの存在が心の支えになり、前へ進もうと努力されてきました。車イス生活になってわかる社会のことや障がいのある方の考え方などについて、実体験を基にわかりやすくご講演いただきました。

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坂城町長 山村ひろし

今年も村上会の皆さんからご寄贈いただきました。(村上小学校への図書寄贈)

先日(12月6日)、坂城町村上地区の会社経営者の会「村上会」(代表:大橋房夫さん)から今年も村上小学校へ図書の寄贈をいただきました。

贈呈式には会員の皆さんにお集まりいただき、村上小学校長 塚田校長先生ほか、宮本教頭先生にもご出席いただきました。

今年も、環境、情報、技術、社会、職業、スポーツ、学習一般などの幅ひろいテーマのほか、最近増えている外国籍の子供用に「10カ国語でニッポン紹介」などの本もありました。

今年も約10万円相当の図書をご寄贈いただきました。

これらの図書はすでに村上小学校の図書室に置かれ、子供たちが利用しています。

「村上会」からの図書の寄贈は今年で29年目になるそうです。

すごいですね。 誠にありがたく思います。

▼右が村上会大橋会長

▼塚田校長先生へ図書が寄贈されました。

坂城町長 山村ひろし

令和元年第2回 坂城経営フォーラム

昨日(12月4日)、坂城テクノセンターで、令和元年第2回坂城経営フォーラムが開催されました。

今回の講師は、金融庁監督局地域金融企画室長の日下智晴さんと同じく金融庁監督局地域課題解決支援室室長補佐の渡辺茂紀さんです。

最近、政府の中でも大いに変貌したと言われている金融庁ですが、日下さんは広島銀行から、渡辺さんは焼津信用金庫から金融庁に転じられた方です。

新たな金融行政の取り組みについてお話をいただきました。

テーマは、「変わる金融行政と中小企業支援」です。

今までのいわゆる「監督行政」から、「事業性評価に基づく融資」へと大きく舵を切り、今までの金融庁を代表することばとして使われてきた、「金融検査マニュアル」も廃止されることになったそうです。

金融業の経験豊富な金融庁もお二人のお話は大変ダイナミックで大いに参考になりました。

以下、お話いただいた、日下智晴さん、渡辺茂紀さんと今回の講演会のアレンジをしていただいた、関東財務局長野事務所長矢島一郎さん

▼日下智晴地域金融企画室長

▼渡辺茂紀地域課題解決支援室室長補佐

▼矢島一郎関東財務局長野財務事務所長

坂城町長 山村ひろし

坂城駅前イルミネーション点灯と169系電車での演奏会

本日(12月2日)、小雨の中、坂城駅前で恒例のイルミネーション点灯式と坂城中学校吹奏楽部による、169系電車内での演奏会、「Take the "169" Train 2019」が開催されました。

寒い中でしたが、皆さんの熱い思いで華やかに繰り広げられました。

以下、坂城町ニュースよりご覧ください。

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坂城駅前イルミネーション点灯と坂城中学校吹奏楽部169ミニコンサート

 12月2日(月)、坂城駅前商店街にぎわい坂城の皆さんによる駅前イルミネーションの点灯式と、169系電車内で坂城中学校吹奏楽部によるミニコンサートが開催されました。



坂城駅前のイルミネーションは、今年も長野県信用組合坂城支店様のご協力により、坂城駅を出て正面にある同支店駐車場の壁をLED電球で装飾しました。

 169系電車もライトアップされていますので、駅周辺へお立ち寄りの際はぜひご覧ください。

 また、169系電車内では、坂城中学校吹奏楽部の皆さんによるミニコンサートが行われ、演奏を見ようと集まった皆さんで車内はいっぱいになりました。

 楽器ごとのアンサンブルが披露され、美しい音色が電車内に響き渡り、演奏が終わるたびに盛大な拍手が送られました。

坂城町長 山村ひろし

子どもたちから感謝の会(エアコン設置について)

先日(11月29日)、朝8時過ぎに、坂城町立村上小学校6年生の皆さんから感謝状をいただきました。

坂城町では、すべての小学校、中学校にエアコンの設置が終了し、来年にはすべての保育園、児童館にもすべての部屋にエアコンの設置が完了します。

2年前、当時の村上小学校の6年生の生徒からエアコンの設置を進めてくださいとの強い要望をいただき、坂城町の独自の予算で、順次、設置を進めました。

その後、政府の予算付けがなされるなど全国的に設置が進みましたが、とにかく、村上小学校の6年生の強い要望がスタートとなりました。

子どもたちから感謝状をいただいた11月29日は雪が降り始めるなど寒い日でしたが、エアコンの暖房をつかって快適な教室内で皆さんとお話をしました。

このような会を催していただいた子どもたちに感謝です。

坂城町長 山村ひろし