福沢諭吉の祖先の地はやはり坂城であった!

先日(4月22日)、坂城図書館で、坂城歴史同好会の講演があり、中世史研究の第一人者であられる、桜井松夫先生のお話を伺いました。

テーマは「村上氏分流の小野沢氏と福沢氏」です。

いくつかの新発見があり誠に興味深いお話を伺いました。

私は福沢諭吉の先祖は坂城に違いないと思っておりますが、今回のお話を伺っていよいよその事実を確認できました。

福沢諭吉の先祖がいつの時代に大分の中津に移ったかは諸説があり不明ですが、福沢氏そのものが村上氏の分流であり、福沢氏の故地が坂城であったことが有力になりました。

講演のポイントを坂城町学芸員の宮下修氏にまとめてもらいました。

以下、ご覧ください。

『桜井松夫先生講演「村上氏分流の小野沢氏と福沢氏」を聴講して』
                        
 坂城町鉄の展示館 宮下修
 
 
 4月22日(日)の桜井松夫先生の講演を要約すると大きく以下の4点にまとめられます。
 
1.信濃村上氏の祖とされてきた「源盛清」が寛治8年(1094)の白河上皇呪詛事件により信濃国村上郷へ配流後、再び京へ戻り、康和5年(1103)には後の鳥羽天皇となる第一皇子(宗仁)の宣旨で宗仁親王の庁を取り締まる「御監」の役を仰せつかっていた新事実が明らかとなった。
2.村上氏の一族である「小野沢氏」は、鎌倉時代を通じて御家人であるとともに、幕府の最高権力者執権北条氏の被官である御内人として幕府の要職に就き活躍していた。
3.福沢氏も村上氏の分流であり、坂城を故地として、室町時代の15世紀から16世紀にかけて、村上氏の所領である塩田庄の代官として、塩田城とその城下町を中心に庄内を支配し、信濃国内でも主家村上氏に次ぐほどの力を有していた。
4.福沢諭吉が自身の祖先について「福沢氏の先祖は信州福沢の人なり」と記しているなかで、福沢の地名は村上地区を含め長野県内で9か所存在し(実際は11か所)、全国を見渡せば13県18か所に及んでいる。これらから福沢諭吉の祖先発祥地を何処かに確定することは現状では難しい状況であるが、福澤氏が村上氏の分流であり、坂城を故地として居館を構えていたことが確実となった。
 
以上が講演の要旨です。
                      
 素晴らしい、驚きの講演を聞きました。
 坂城町としても引き続き研究を進めたいと思っております。
                              
          
 坂城町長 山村ひろし

ねずみ大根が 鎧塚さんのスイーツに

「味ロッジわくわくさかき」の高野美智子さんから連絡があり、明日(4月26日)渋谷でオープンする「渋谷ヒカリエ」内、「トシヨロイヅカ」さんのお店で坂城の食材を使ったスイートが準備されているそうです。(数点)

「トシヨロイヅカ」のホームページを見たら何と、坂城町のねずみ大根を使ったスイーツのケーキ、商品名は「坂城」が紹介されていました。

高野さんの説明によりますと、『カットされたねずみ大根のケーキの上に生クリームが乗って、その上になんと「切り干し大根」が2・3本トッピングされている。 味ロッジのケーキと云うより、坂城町のねずみ大根がスイーツになってる!と云う驚きを前面に押し出しているように感じます。』とのことです。

どんな味でしょうか、早く食べてみたい。

坂城町長 山村ひろし

「横吹八丁」を歩く

昨日(4月24日)、今までなかなか機会のなかった、旧北国街道横吹道跡を歩きました。

横吹道跡からの絶景 昔は下の国道まで千曲川

画面下は、横吹道跡踏破中の宮 教育長

旧北国街道横吹道跡:(坂城町教育委員会)

「坂木宿を抜けた所から苅屋原榎並木地籍までを結んで山腹の断崖を旧北国街道が通じていた、横吹八丁とも言われた所である、大部分当時の形跡を失い、坂城側からの登り道、それから山腹を西に進む横道の一部分が明らかな遺構として認められるだけである。 この道は中世においては極めて危険な細道であったが、慶長16年(1611年)北国街道全通に当たり道幅を広げて交通の便にした。 しかし十分な道幅がとれず往還の大名さえ籠からおりて通ったという北国街道最大の難所であった明治10年(1877年)1月山下の千曲川沿いに、新国道が開通し、以後往還の使用がなくなった。」

途中何箇所も道が崩落しており、大変な難所でした。  全通は難しいとして、部分的にでも開通できればと思っております。

「よこ吹や猪首に着なす蒲頭巾」(小林一茶)

「よこふきや駒もいななく雪あらし」(二夜庵 高桑蘭更)

「夏山やくたり終われは船わたし」(宮本虎杖)

坂城町長 山村ひろし