この章では、「天の道」のあり方について述べています。
老子の言う「天の道」はそれこそ、宇宙、大自然の合理性を説いています。
天はすべてのものを調和するということですね。
天之道其猶張弓乎。 者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者與之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。
天の道は其れ猶(な)ほ弓を張るがごときか。 高き者は之れを抑え、下(ひく)き者は之を擧(あ)ぐ。 餘り有る者は之を損(へら)し、足らざる者は之に與(あた)ふ。 天の道は餘り有るを損して足らざるを補ふ。 人の道は則(すなわ)ち然(しか)らず。 足らざるを損し以(も)って餘り有るに奉(ほう)ず。 孰(た)れか能(よ)く餘り有りて以って天下に奉ぜん。 唯(た)だ有道者のみ。 ここを以って聖人は、爲(な)して恃(たの)まず、功成りて處(お)らず。 其れ賢を見(しめ)すを欲(ほっ)せざるなり。
天の道の動き方はあたかも弓に弦を張って引っ張るようなものです。 つまり上の者を押さえ、下の者を持ち上げるようなものです。 あり余っている者から取り上げ、不足している者に分け与えます。 このように天の道は大きな自然の動きの中で余っているもの、足りないもののバランスを取っているのです。 しかしながら人の道ではそうではありません。 足らなくて困っている者から更に取り上げ、有り余っている者に差し出しているのです。 ありあまっているからと言って天下に差し出す人はいるのでしょうか。 それはただ、道を体得している人のみなのです。 それゆえに、聖人と言われる人は立派な業績をあげてもなにも要求せず、成果が上がっといってもいつまでもそこに留まっているわけでもありません。 ましてや自分の優れている点など人に見せようとはしないのです。
この調和のバランスが今の政治にも求められます。
また、後段の 「功成りて處(お)らず。」 というのもすごいですね。
成功までのプロセスが大切で、功成なり名遂げたならいつまでも居続けてはいけないということです。 出処進退の大切さも述べています。
坂城町長 山村ひろし