平成28年度坂城町PTA連合会研究集会

 先日(11月5日)、坂城町の坂城幼稚園、小学校、中学校のPTAの皆さんの研究集会が開催されました。

         

 

開会あいさつ 左:笠井PTA連合会会長、右:山村

              

 坂城町の素晴らしいところは、町民運動会にしろ、文化祭にしろ、防災訓練にしろ坂城町の方々全員が参加され心を一つにして開催されることです。

 今回の 「坂城町PTA連合会研究集会」 でも坂城町の坂城幼稚園、小学校、中学校全部の先生方、PTAの皆さんが一堂に会して子どもの育成について研究討議されました。

 今回のテーマは 「子育て、家庭が原点―坂城の子どもたちの健やかな育成を願って―」 です。

 また、特別講演として、稲荷山養護学校の教育相談専任 万年康男先生から、「ひとりひとりにあった 子どもへの接し方 ―みんなちがって みんないい―」というテーマで、実践的なきめの細かいお話をしていただきました。

 万年先生の全体講演会の後に、8つの分散会に分かれ各々テーマごとに熱心に議論をされていました。 素晴らしいですね。

            

講演される 万年康男先生

            

熱心にディスカッションされる参加者の皆さん

              

 坂城町長 山村ひろし

男谷燕斎の書 続き(西念寺 般若心経)

昨日(11月3日)、坂城町中之条の浄土宗 西念寺(若麻績実豊ご住職)で10回目となる「中之条だいこん祭り」が開催されました。

恒例のお茶、おしぼりだいこんのお振る舞いのほか、今回は、神田陽子、神田桜子さんによる講談を聞かせていただきました。

神田桜子さんは今年4月に陽子さんに弟子入りしたばかりの新人ですが、なかなかの才能をうかがわせるお話を聞かせていただきました。

神田陽子さんからは、「真田幸村 大坂出陣の巻」など大変迫力のある素晴らしい講談を演じていただきました。

そんな折に、若麻績住職にお願いし、かねてより拝見したかった、男谷燕斎の貴重な書を拝見させていただきました。

これは、文化11年 甲戌(1814年)に書かれたもので、男谷燕斎が中之条の陣屋に代官として赴任した年で、燕斎が西念寺さんに般若心経を奉納したものです。

男谷燕斎の書は今までにもいくつかご紹介してきましたが、このようにしっかりとした楷書で書かれているものも珍しく思います。 さすが、江戸幕府の正祐筆だなと感じました。

また、この書は、絹布に書かれており素晴らしい色彩でもあります。 

西念寺さんと男谷燕斎代官との関係の深さも感じられました。           

 

 

ご住職の若麻績実豊さん

 

坂城町長 山村ひろし

男谷燕斎の書

先日、私の友人から男谷燕斎の新たな書を二つ紹介されましたが、そのうちの一つに大変、趣のある書がありましたので以下、ご紹介します。

男谷思孝(燕斎)1777(安政6)年~1840(天保11)年、江戸後期、中之条代官をつとめた幕臣で能書家であり、名奉行といわれた人物です。(中之条代官の期間は1813年から1820年)

 今までにも何回かご紹介しましたので、ご興味があれば以下のサイトをご覧ください。

http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=30345
http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=40528
http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=40433
http://blog.valley.ne.jp/home/yamamura/?itemid=40721

さて、今回ご紹介するのは、男谷燕斎が中之条の代官を勤めた後に越後国水原の代官を務め、江戸に戻り、丸御留守居役に就任した1823年以降に書かれたものと推定されるものです。

 

「人情大密反成疎」

人情は本来、大変こまやかなものであるが、気をつけねば疎(あらい)ものになってしまう。

 

箱書きに「鍋島閑叟公御師範 男谷燕斎孝筆行書」とあり、軸の上部裏面には「貞丸殿御師範 男谷氏筆」とあります。

  

 貞丸は鍋島直正(閑叟)の幼名で、男谷燕斎が江戸に戻った1823年は8歳です。(直正はその後17歳で藩主となります。)

 

http://www.nabeshima.or.jp/main/40.html

        

 従って、この書は男谷燕斎が1823年以降、貞丸(鍋島直正)に書の指導をした時期に書かれたものと思われます。

 久米邦武著『鍋島直正公伝』によれば、『直正は書を幕府右筆の男谷燕斎(おだにえんさい/1777~1840)に学び、「九歳の時の揮毫を見るに、殆ど成人の筆の如く」であった。』そうです。

  

http://saga-museum.jp/museum/exhibition/limited/2010/12/000503.html

          

 従って、この書は男谷燕斎による書のなかで、年代が概ね想定できる貴重なものだと思います。

 如何でしょうか。

                

 ちなみに、1823年は男谷燕斎が46歳、婿養子で幕末の剣聖といわれた男谷信友(精一郎)が34歳、燕斎の弟の勝小吉が21歳、その息子の勝海舟が生まれた年です。

            

           

 坂城町長 山村ひろし