小松美羽さん 村上小学校で特別授業

私は参加できませんでしたが、昨日(12月20日)、坂城町特命大使でもある画家の小松美羽さんが、村上小学校で美術の特別授業をされました。

坂城町を愛する小松美羽さん、いつもいつも素晴らしい活動を行っていただいております。 感謝です。

以下、坂城町のホームページからご覧ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12月20日(金)小松美羽さん村上小で特別授業

小松美羽さん村小特別授業01

  12月20日(金)、町出身の画家小松美羽さんが、母校の村上小学校で6年生に特別授業を行いました。

  小松さんは、幼い頃から絵を描くのが大好きで、将来画家になることを夢見て小学生時代は何枚も絵を描き続けていたというエピソードや、画家になってからの苦悩、海外での経験の大切さなどを話されました。また、画家になってから「売れない、つらい時期」があったそうですが、そんな時でも自分を信じて描き続けていたことが、自然と個展の準備になっていたとのことで、「“好きなものを続けること”“プラスに勘違いすること”“何時間でも楽しく続けられる才能”を大切にして、信念を貫いてほしい」と、子どもたちにエールを送りました。

▼小松美羽さん

小松美羽さん村小特別授業02-03

  授業の後半は、卒業記念に制作するオルゴールの蓋の裏に入れる透明なプラスチック板に児童が絵を描き、それを小松さんに見てもらいました。また、児童のリクエストに応えて絵も描いてくださり、絵を描く際は、好きな部分を強調したり、絵を見る人の距離を考えて描くとよいなどのポイントも教えていただきました。

小松美羽さん村小特別授業04-05 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂城町長 山村ひろし

昭和7年 坂城町の風景展示

現在、坂城町 「ふるさと歴史館」 で昭和7年に発行された坂城町名勝絵葉書の展示と現風景との比較展を行っています。

展示としては小規模なものですが、先日、私がご紹介した昭和7年の絵葉書を拡大展示し、現在の風景と見比べながら81年前との違いをご覧になれます。

(以前、ご紹介した絵葉書 ブログより)

坂城町学芸員の詳しい解説もありますので是非ご覧ください。

坂城町長 山村ひろし

年末の交通安全運動

本日(12月20日)、年末の交通安全運動の一環として、朝7時から田町交差点で交通安全指導を行いました。

今年の年末交通安全運動は平成25年12月1日から31日まで実施されています。

右:挨拶する山村

ドライバーの皆さんへの交通安全のパンフレット等の配布

左から:町内巡回に出掛ける、中嶋交通指導員会長、山村、山下係長

坂城町では2年前、南条で死亡事故が発生し、その後、739日交通死亡ゼロが続いています。

無死亡事故1,000日を目標に、交通安全運動に注力してまいります。

なお、坂城町の各区域での無死亡事故期間は以下の通りです。

南条地区:739日、坂城地区:1,186日、中之条地区:2,976日、村上地区:4,065日

村上地区では11年以上、死亡事故が発生していません。

素晴らしいですね。

年末に向けて何かと気ぜわしくなります。

「交通安全」よろしくお願いいたします。

坂城町長 山村ひろし

中之条善光寺常夜灯の修復作業終了

今年の6月から実施していました、中之条善光寺常夜灯の修復が終了しました。

今回は、中之条善光寺常夜灯(万延元年 1860年)の他、中島銀右衛門筆塚(明治14年 1882年)などの修復作業もあわせて行っておりました。

 薬剤で石材の強化を行った後、約3か月間にわたって、ひび割れなどが発生しないか経過を観察していましたが、変化がなかったため、昨日(12月18日)、足場を撤去しました。

町民の皆様には約半年間にわたる作業期間中、ご迷惑をおかけしました。

ご協力ありがとうございました。

善光寺常夜灯01

左から:善光寺常夜燈(万延元年 1860年)、中島源蔵筆塚(嘉永2年 1850年)、中島銀右衛門筆塚(明治14年 1882年)

坂城町長 山村ひろし

「びんぐし湯さん館」の新しいお店

すでに1週間過ぎましたが、びんぐし湯さん館に新しいお店がオープンしています。

その名は、「コンフィチュール ミミ ジェラテリア」です。

オープン時の「コンフィチュール ミミ ジェラテリア」

店主:横山瑞歩(みずほ)さん

                     

 当店は、今年7月、坂城町 「けやき横丁」 に新しい店をオープンしましたが、このたび、冬場のお客さんにも、びんぐし湯さん館の温泉をご利用いただいた後に冷たいジェラートをたべていただこうと店を開店されました。

(7月オープン時の様子 「けやき横丁」)

/home/yamamura/?itemid=32734

 湯さん館の店でも、食材にこだわった手作りのジェラートが大変好評です。

 皆様もお風呂あがりにジェラートをお試しください。

                          

 坂城町長 山村ひろし

「玄古たばこ」追加資料 その2

「玄古たばこ」の続きです。

「玄古たばこ」 について、その後、いろいろな方からご連絡をいただきましたが、最大のものは、坂城町宮下副町長の情報です。

戸倉にある蕎麦料理の専門店で坂井銘醸が経営されている「萱」という店の展示室に 「玄古たばこ」 があったような気がするという話でした。

早速、お邪魔すると酒に関する展示室の片隅に 「玄古たばこ」 の現物と説明資料が展示されていました。

展示ケースを指さす宮下副町長

「葉たばこ」についての説明(以下、全文を掲載します)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

葉たばこ

明治八年南条村横尾小滝 吾より

買入れた 南条金井は有名な玄古

煙草の名産地 この品は日本最古

の葉たばこです

タバコは明治三七年専売制となる

明治八年(一八七五)戸倉村戸長 酒井賎雄

また小滝 吾も南条村戸長勤務

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和57年のニュース

坂井銘醸さん(代表取締役専務:村尾ふみさん)が戸倉で酒造りを止めるため土蔵の整理をしていたところ、中から100年前の玄古たばこが出てきたとのことで、それを展示することになったというニュースです。

130年前の「玄古たばこ」  しっかりと原型をとどめています。

このように、「玄古たばこ」の現物が展示されているのは他にないのでは。

坂城町のかつての特産品で南条では江戸期を通して主要産業であり、最近ではほとんど忘れ去られていた 「玄古たばこ」 の存在が急に身近なものになってきました。

大いに、往海玄古の再評価をしたいと思います。

今回、いろいろと情報を提供してくださった方に感謝いたします。

坂城町長 山村ひろし

「玄古たばこ」の追加資料

先日、往海玄古と「玄古たばこ」について書きました。

坂城の100人 第27回目は「往海玄古」

その後、関連する貴重な資料が坂城町文化財センターに保存されていることがわかりました。

昭和5年に編纂された「南條郷土研究」の61ページから74ページにわたり、詳細に「玄古たばこ」について記載されていました。

概ね先日ご紹介した内容と違いはありませんが、以下のように図入りで説明しています。

江戸末まで横尾村の村民の約半数が「玄古たばこ」の生産に関与していたそうです。

上図にもある、「玄古たばこ」 用の 「たばこ包丁」(約20cm)

最近まで南条小学校で保管されていました。

今後とも、坂城町内に残されている貴重な文化財の修復、保存、閲覧などできるよう整備をしてまいります。

坂城町長 山村ひろし

ダンスフェスティバル(ソシアル&車椅子)

一昨日(12月15日)、さかきテクノセンターでダンスフェスティバル(ソシアル&車椅子)が長野県スポーツダンス教師協会(会長:後藤敏一氏)とウェルフェアダンス資格認定委員会(委員長:水野総一郎氏)の共催で開催されました。

このダンスフェスティバルの素晴らしいことは、ソシアルダンスの素晴らしさもありますが、車椅子を使われておられる方のダンス指導ならびに披露があることです。

坂城町では後藤敏一さんが中心となって活発な活動をされています。

車椅子ダンスをされる佐々木さん(左側)、と村井さん(右側)

車椅子ダンスの指導と演技をする後藤敏一さん(右側)

坂城駅ではエレベータの設置工事が始まっています。ハンディキャップのある方もどんどん町中へ出て活動されるようになればと思っています。

車椅子ダンスも活発にしましょう。

坂城町長 山村ひろし

ワインブドウ用試験圃場の拡張

坂城町ワイナリー形成事業につきまして、さる11月29日に構造改革特区の認可がおりたことは既にご報告いたしましたが、今年、試験圃場を約20アール拡張いたしました。(計60アールに)

 本日(12月16日)は、試験圃場の土壌整備と棚の設置をされるということなので作業の様子を見に行きました。

 今日は3人での作業でしたが、ワイン担い手の一人、丸山さんが棚の設置作業を行っていました。

徐々に整備されてきた第一圃場

棚の設置作業中の「ワイン事業担い手」の一人、丸山さん

ワイン用苗の植え付けは来年を予定しているそうです。

来年以降が楽しみです。

坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 第27回目は「往海玄古」

往海玄古は埴科郡横尾村に 「玄古たばこ」 の種を持ち込み、近在の村々の名産物にしたお坊さんです。

ただし、この玄古和尚がなぜ横尾村に来たのかは諸説あって不明な面が多いようです。

江戸期を通して(幕末まで)、坂城で特産の煙草を普及させた、玄古和尚の功績についてもっと評価すべきだと思っています。

先日、「たばこと塩の博物館」に問い合わせをしたところ、いくつかの資料をご紹介いただきました。

まず、玄古和尚についてですが、明治30年ころの資料によると武蔵国児玉郡今井町(現埼玉県本庄市)の出身で、元和年間(1615年~1624年)、諸国を遍歴した後に埴科郡に到来し、南条に庵をくみ薩摩から持ち寄った煙草の種を移植したとされています。

以下、明治30年頃に集められた史料をもとに、全国で『煙草調査書』が作成された小出雲の『煙草調査書』の一部を掲載します。(「たばこと塩の博物館」 学芸員 湯浅淑子さんから提供いただきました。)

「沿革
日記ノ伝フル処ニヨルニ、元和年間秀忠公ノ将軍タルトキ、作洲津ノ山ノ城主森右近ノ所領タリシトキ、釈門玄古ナルモノ{武蔵国児玉郡今井町(方今共和村)高橋左京之助ノ男}幼少ノ頃ヨリ諸国ヲ遍歴シ、其帰路薩州国分ヨリ種子ヲ得、コレヲ埴科郡ニ携帯シ、南條村ニ庵ヲ立テ、コゝニ初メテ栽植セリ、{或説ニハ薩摩ノ僧ナリト云ヒ南條村ノ住職ナリトモ云フ}而シテ其当時ハ位置ハ今尚存スルカ、寺庵附近一町歩余ノ小丘ナリト{其一ニ設建セラレタル碑文アリ寛文三年四月二十八日遷化}之レ玄古煙草栽培ノ起原ニシテ、玄古葉ノ播種セラレテヨリ近郷漸次耕作スルニ至リ、七十四余年前頃迄ハ全盛ヲ極メケルモノノ如ニシテ、小県郡上田町ハコレカ集散ノ中心トナリ、其需用ノ区域ハ佐久平ヲ主トシ、関東諸国ニ至タリ」

これによると、江戸の末期でも上田を集積所として佐久平、関東に広く盛んに出荷していたことが分かります。

また、玄古については、「或説ニハ薩摩ノ僧ナリト云ヒ南條村ノ住職ナリトモ云フ」とあるように、薩摩の僧、あるいは南條村の住職であると言い、南條の寺庵近くの丘に1町歩ほど栽培をしていたとのことです。

                                  

また、これも湯浅さんからご紹介いただいたのですが、江戸のたばこ屋三河屋弥平次が文政頃(1818年~1830年)に記した記録 「煙草諸国名産」 (『狂歌煙草百首』という本の一部)には、『玄古煙草は(玄固煙草と記されている)、埴科郡横尾村の庵室に玄古坊という僧がおり、諸国を遍歴するうち、丹波から煙草の種を持ち帰った』と記されています。

西尾市岩瀬文庫ディジタル資料に 「煙草諸国名産」 が収録されていました。 (岩瀬文庫は愛知県西尾市の古書専門の博物館)

「煙草諸国名産」 (西尾市岩瀬文庫ディジタル資料より)

上段に玄古坊が横尾村に煙草を持ち込んだと書かれていますが、「丹波」から持ち帰ったと記されています。

私は喫煙者ではありませんので煙草の味は分かりませんが、「ふるさと探訪」(坂城町教育委員会)によると、『「玄古たばこ」は、味は辛いが香気があり、坂木五千石の代官長谷川安左衛門から領主高田松平氏へ献納された記録が残されている』 そうです。

玄古碑 (往海玄古 主庵)(町横尾)

玄古碑(裏面)(町横尾)

「たばこ元祖、埴科郡横尾村」

往海玄古の墓(寛文3年―1663年)(町横尾)

                  

中央の表記には 『右の自然石は他所にあったものを後に移したもので読み取ることは難しくなっているが、「この所に於いて往海玄古法師は玄古たばこ元祖者也」と思われる』 と記述されています。

* かつての特産物 「玄古たばこ」 について、あるいは往海玄古について資料をお持ちの方がおられましたらご教授下さい。

坂城町長 山村ひろし