平成25年第1回坂城町議会定例会招集挨拶(前半)

 本日(3月4日)、平成25年第1回坂城町議会定例会が招集されました。
                              
 以下、長文ですが招集のご挨拶を掲載させていただきます。
 前半、後半と二つに分けて掲載させていただきます。
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平成25年 第1回 坂城町議会定例会 招集あいさつ
 
 本日ここに、平成25年 第1回 坂城町議会定例会を招集いたしましたところ、議員の皆様全員のご出席をいただき開会できますことを心から御礼申し上げます。
 
さて、東筑摩郡内の5つの村で構成する東筑摩郡町村会が先月 16日に解散式を行ったとの報道がありました。
 過日、私もSBCの報道番組から「郡」というものの考え方についての取材を受け、その一部が既に放送されています。
 市町村合併により、各郡を構成する町村が大幅に減少したことで、郡というものに対する考え方にも変化が見られます。
 当町が属する埴科郡も、平成15年に旧戸倉町が千曲市へ合併したことにより、1郡1町という状態になっております。郵便の宛先には、埴科郡と記載しなくても相手方に届けることができるなど、郡のもつ現実的な意義というものが失われつつあるように感じております。
 しかしながら、これ以降について放送がされず、大変残念でしたが、郡というものは、伝統的な日本の土地分界の名称であり、その名称自体が貴重な歴史の資料でもあります。
 歴史を紐解きますと、奈良時代、埴科郡は、信濃国の10郡の1つに数えられ、最も小さな郡でありながら坂城を含む7つの郷を 有した人口密集地域でありました。開発が進み、人々の交流が行われ、高い文化を有した地域として、発展を続けてまいりました。
 明治から大正までの郡制、昭和35年の更級郡村上村との合併 そして昭和・平成の大合併を経て、埴科郡の形は、かつての埴科郡の地域から変わってしまいました。
しかし、私は、坂城町には埴科郡を構成する自律の町として、  埴科という地域がもつ風土・文化・歴史を、埴科というその名称とともに後世に受け継いでいく責務があると考えております。
 
 次に、坂城町を取り巻く経済状況でございますが、昨年12月の衆議院総選挙で自民党が圧勝、安倍政権が誕生し2ヶ月が過ぎました。安倍政権は、長引くデフレの脱却による経済の再生を最大、  喫緊の課題と位置付けました。
デフレ脱却の政策として、金融政策では、日銀が物価を2%上昇させることを政策目標に掲げ、責任をもって実行すること、財政  政策では、経済成長のために当面は政府の支出を大幅に増やすこと、成長戦略として、日本経済が名目GDPにして3%以上の成長を 続けられるように、予算、税制、金融などの手段を使って企業を  支援し、民間の活力を引き出す政策を打ち出しました。安倍政権は、この「大胆な金融緩和」、「起動的な財政政策」、「民間の投資を喚起する成長戦略」を経済再生の「3本の矢」として掲げました。この「3本の矢」の経済政策により日本が強い経済を取り戻すこと、  持続的な経済成長とこれに伴う安定した税収の増加、そして何よりも景気回復を強く期待いたすものであります。
 
 また、先月16日にモスクワで開催されました、20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議(G20)は、「通貨の競争的な切り下げを回避する。競争力のための為替レートを目的にしない。」とする 声明を採択して閉幕しました。
 一見すると日本の金融政策は、為替政策で制約を掛けられたようにみえなくもありませんが、日本への名指しの批判を回避することができました。声明には「金融政策は、経済の回復を引き続き支援するべきである。」との文言が盛り込まれ、日本のデフレ脱却の金融政策は「容認」されました。
G20の成果について評価するとともに、安倍政権下でのデフレ脱却の金融政策により、持続的な成長を可能とする為替ルートが維持され、輸出産業に活力がもたらさせることを期待いたします。
 
 世界経済におきまして、2013年の世界経済の見通しは、徐々に力強さを増すと予想されます。欧州債務危機の震源地のギリシャに対し、欧州連合(EU)が包括支援を行うことで合意したことなどから悲観論が一時後退しましたが、2月26日に開票されたイタリアの総選挙の結果、安定多数を確保する会派がない状態となり、再び政局が不安定となり、ユーロ圏の債務危機が深刻化する懸念があります。
 また、アメリカにおいては、大型減税の失効と歳出の強制削減が今年初めに重なった「財政の崖」を回避しましたが、いったん先延ばしされた歳出削減が今後始まる予定で「第2の財政の崖」が迫っております。オバマ大統領、そして、政府、議会の動向について、引き続き注視する必要があると考えます。
 
国内の状況につきましては、内閣府による2月の「月例経済報告」によりますと、「景気は、一部に弱さが残るものの、下げ止まっている。」とされ、先行きについては、「当面、一部に弱さが残るものの、輸出環境の改善や経済対策、金融政策の効果などを背景に、マインドの改善にも支えられ、次第に景気回復へ向かうことが期待される。ただし、海外景気の下振れが、引き続き我が国の景気を下押しするリスクとなっている。また、雇用・所得環境の先行き等にも注意が必要である。」としております。
 
また、日本銀行松本支店の2月発表の「長野県の金融経済動向」によりますと、総論で「長野県経済は、弱めの動きとなっている。」とし、「最終需要の動向をみると、
公共投資は低水準ながら下げ止まっている。
住宅投資は下げ止まっている。
設備投資は持ち直している。
個人消費は底堅く推移している。
輸出は減少している。
以上のような最終需要のもとで、生産は減少している。このほか、雇用・所得では、改善の動きに停滞感がみられる。」としております。
 
今年1月に実施いたしました町内企業の経済動向の調査結果では、昨年10月から12月までの3ヶ月間の生産量は、全体として増加傾向であるものの、海外の発注量の増減や円安傾向等の経済要因により減少傾向にある企業と増加傾向にある企業があるなど、まだら模様となっております。
また、売上げにつきましては、増加傾向であるものの、前年同期比では減少している状況となっております。今後3か月後の見込みについては、各種の政策効果による景気回復の期待が出てきていると思われますが、全体的に弱めの動きが続くと見込む企業が多い状況となっております。
雇用については、職員が減少した事業所が増加した事業所を大きく上回っております。この春の雇用については、多くの事業所が減少した職員分の補充、増員を予定しており、改善の動きがみられます。
 
 さて、商業関係では、新年早々の1月4日、坂城地区の個人経営スーパーが残念ながら閉店されました。
 坂城地区において、生鮮3品を扱う小売店舗が無くなるという 事態を受け、急遽、町内7か所で行ってまいりましたイトーヨーカドーの移動販売を毎週木曜日に立町の「ふるさと歴史館」前において行っていただくよう調整をいたしました。2月28日から「ふるさと歴史館」前において移動販売が開始されました。
 また、ベイシア坂城店も業態の変更を予定されているというお話を伺っております。
 町内の生鮮食品小売の縮小が、特に買物弱者と呼ばれる方に与える影響を最小限に食い止めるべく、商工会とも連携をとり、今後の対応策を検討してまいります。
 
次に、平成25年度の一般会計当初予算について申し上げます。私にとって2回目となる予算編成では、公約の大きな柱である「高齢者や障がい者にやさしいまちづくり」、「人創りによるまちづくり」を念頭に、限られた財源の中で、地域への経済効果や地域経済の活性化に配慮した新規事業の導入など、将来につながる予算編成を心がけ、総額で、前年度と比較して4.2%減となる        56億56,000千円といたしました。
まず、歳入でありますが、町の財政の根幹を担う町税については、経済情勢は依然厳しい状況にありますが、昨今の株価の推移や円安の傾向等も勘案する中で、税率改定の影響による法人町民税、   10,000千円の減額を除いては、今年度並みの税収が確保できるものと見込み、個人町民税については631,000千円(現年度)、法人町民税については190,000千円(現年度)を計上いたしております。
また、固定資産税につきましては、土地の下落等の影響により、前年対比2.2%減の12億35,000千円(現年度)を見込み、  町税全体では、0.5%減となる、22億20,923千円といたしております。
なお、24年度から実施いたしました、コンビニ収納につきましては、1月末現在で約6千件、68,000千円の納付をいただき、特に土日(2割)や金融機関の営業時間外(5割)の利用が多い傾向が見て取れ、納税者の利便の向上が税収確保の有効な手段として機能しているものと考えております。
地方交付税につきましては、前年同額の8億50、000千円を計上し、普通交付税の振り替え分となる臨時財政対策債を含めて、11億50、000千円を見込んでおります。
財政調整基金からの繰入金につきましては、前年対比63.2%の増となる5億13,830千円でありますが、減債基金や文教施設整備基金などからの繰入を含めた繰入金総額では、マイナス  5.3%、6億45,208千円を見込むところであります。
 
次に歳出ですが、坂城駅エレベーター設置工事負担金や南条小学校改修に係る実施設計等を含む投資的経費につきましては、   31.7%の減となる、4億65,785千円を計上いたしております。
義務的経費といたしましては、人件費が11億25,618千円、扶助費につきましては、6億34,119千円を計上いたしております。
 
なお、12月議会でお認めをいただいた、緊急経済対策に係る補正予算につきましては、迅速な執行に努め、道水路の改修等工事や各種補助等を中心に、2月末現在で、98.2%について、発注を完了し、町内企業や地域の活性化に一定の貢献ができたものと考えております。
 
 それでは、新年度の主要事業について申し上げます。
まず、坂城駅へのエレベーター設置につきましては、昨年6月に国庫補助事業での詳細設計業務の追加採択を受け、現在、工事実施に向けた設計、積算をしております。25年度は、引き続き国の補助金を受けて、いよいよエレベーターの設置工事に着手したいと考えております。
また、このエレベーター設置工事に併せ、駅舎内の段差解消や  改札口の拡張などのバリアフリー化工事を実施いたします。昨年 11月には、坂城高校JRCクラブの皆さんと坂城駅前バリアフリー観察会を実施し、駅トイレへの通路の段差解消や横町・立町通りを始めとする、駅周辺地域のバリアフリー化についての検討を行ってまいりました。
さらに、旧国鉄時代から、今日のしなの鉄道に至るまでの間、  坂城町民の大切な足となり、町の発展の一翼を担ってきた、今春  引退する169系車両をしなの鉄道より譲り受け、駅南側の広場に展示いたします。駅前の活性化、坂城駅利用促進の目玉施設として、  多くの皆さんからの提案もお寄せいただく中で、幅広く活用を図ってまいりたいと考えております。
 
新しい南条小学校の建設に向けて、より具体的に校舎等の建設を進めるため、1月30日に第1回の建設委員会を開催いたしました。
これまでの建設検討委員会のメンバーに、地域協働の専門的な分野から長野大学の安井 環境ツーリズム学部長、自然環境の専門的な分野から当町出身の信州大学の中村教授などにご参画をいただくことといたしました。
建設委員会では、これまでの建設検討委員会での検討結果を報告し、委員会として、基本的な設計などについて意見をまとめ、新校舎建設を順次進めてまいりたいと考えております。
25年度につきましては、まず基本設計を取りまとめ、その後実施設計行う予定をしております。
 
地域全体の電力使用や再生可能エネルギーの活用について、情報通信技術を用いて効率化を図る 「スマート・タウン坂城」 構想事業が、具体化してまいりました。
 今年度の信州大学との連携事業によりテクノさかき工業団地内の2社に協力をいただき、2月からそれぞれ25台のスマートメータを設置し、電力計測を始めました。
 電力需要やスマートメータの設置に当たっては、2月、企業、  信州大学、試作機のスマートメータを製造する企業、そして坂城町の4による秘密保持契約の締結を行い、製造ラインや作業工程など生産性の向上と使用電力の低減に向けたデータ収集・検証を進めております。
 また、25年度からはテクノさかき工業団地全体の電力需要を 把握するため、全ての立地企業のご協力をお願いし、工業団地全体の電力需給調整の最適化について調査研究を進めてまいります。
 住宅用太陽光発電設置事業補助金は、今年度当初予算計上の2倍強の需要となり、関心の高さが伺えるところであり、継続して導入実績の周知と合わせながら普及拡大に努めてまいります。
 また、再生可能エネルギー等導入推進基金事業(グリーンニューディール基金)による防災拠点への再生可能エネルギー等導入事業として、役場庁舎へのバイオマスボイラー導入について25年度事業化の見込みとなりました。
 当初予算において、まず実施設計経費を計上し、事業申請手続きと合わせて年内の設置導入を目指してまいります。
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 以上、前半部分です。
                       
 坂城町長 山村ひろし
  

春3月坂城町での種々の催し

寒い寒いと言いながらも、カレンダーを見るとはや3月4日、坂城町では早春の種々の催しが繰り広げられています。

以下、坂城町のホームページから

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古雛ガイドツアー01

3月3日(日)、「坂木宿とお雛さまをめぐるガイドツアー」が行われました。

このツアーは、坂木宿ふれあいガイドの皆さんが、坂木宿の史跡と「第8回坂城古雛まつり」を開催している坂木宿ふるさと歴史館と鉄の展示館を案内するもので、まつり期間中の毎週日曜日午前10時から開催されています。
行程は、まず坂木宿ふるさと歴史館で展示中の古雛を見学し、その歴史や当時の文化などについて説明を受けます。その後、外に出て旧北国街道沿いの宿場町であった坂木宿の旅籠の建物を見て、坂城駅前や横町通り、稲玉徳兵衛翁などの歴史に触れながら、最後に鉄の展示館で今回のまつりの目玉の一つでもある「長野県下最大級の双子の大型享保雛」などを見学しました。今日は約20名の方が参加され、皆さん坂木宿の歴史や古雛を楽しんでいらっしゃいました。

古雛まつりは、坂木宿ふるさと歴史館、鉄の展示館及び坂城駅前商店街で、4月21日(日)まで開催しています。期間中の毎週日曜日には、このガイドツアーの他に「抹茶無料接待(午前10時~午後3時)」も行っていますので、ぜひご来場ください!

古雛ガイドツアー02-05

3月2日(土)町内で「お茶」の催し

子ども茶の湯教室01

3月2日(土)、「お茶」の催しが町内で行われました。

文化の館では、「子ども茶の湯教室」が行われ、20名の子どもたちが参加しました。子どもたちは、まず挨拶、座り方、礼の仕方、歩き方、戸の開け閉めなどの礼儀作法を学び、お菓子の食べ方、抹茶の飲み方を習うと、先生の指導のもと実際に自分で抹茶を点ててみました。自分が点てた抹茶を飲んでみると「いっぱい混ぜると泡がたっておいしい!」などと喜び、伝統的な日本文化である「お茶」を身近に感じられたようでした。

▼子ども茶の湯教室

子ども茶の湯教室02-04

また、現在「第8回坂城古雛まつり」が開催されている坂木宿ふるさと歴史館では、江戸千家「内山宗市」による茶席「添釜席」が行われ、こちらでもたくさんのお客様が「お茶」を楽しんでいらっしゃいました。

▼添釜席

添釜席01-03

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坂城町長 山村ひろし

「アメリカは日本経済の復活を知っている」(浜田宏一さん)

先日、ノーベル経済学賞にもっとも近い人、といわれるイェール大学の浜田宏一さんが書いた 「アメリカは日本経済の復活を知っている」 という本を知人から紹介され読みました。

すごい本です。

私はこのような形で(一般の単行本で)、日本銀行、特に総裁の白川方明氏を真っ向から批判し、日本の長年にわたるデフレ状態が日銀の誤った金融政策にあることについて断言し、この状況を脱却するには 「充分な量的緩和によって、デフレ、需要不足。低成長から脱却する。」 ことについて明快に書かれています。

私は、以前、リーマンショック後、さらに震災後、何故、経済力の落ちた日本の円が急上昇するのかについて、当時まだご健在だった三重野元日銀総裁にお聞きしたことがありました。

その際に三重野さんは「日米欧を考えた場合、不適格な表現だが、それは『3不美人の戦い』であり、その中の日本は『比較的良い不美人』であって、そこにマネーが集まってくる」 とユーモアをこめて話されておられました。 つまりある意味ではやむを得ないと言われていました。(つまり、積極的な意味で通貨量などを増やす金融政策についてはあまり支持をしなかった)

しかしながら、浜田宏一さんによれば、「金融政策をもって対応しなかった日銀の無策に尽きる」 ということになります。

日本銀行のスタンスは一貫して反インフレであり、昨年来テーマにあがっているような「インフレ目標」という考えは排除してきたようです。

昨年、2月14日の「インフレ目標1%」も当時は画期的な取り組みだと市場が期待したのですが、その後は旧前たる施策に戻ってしまいました。

その当時、「2月14日の施策はバレンタイン・プレゼントと思われましたが、結果的には単なる 『義理チョコ』 だった。」 ことが判明しました。

浜田宏一さんの著作を読むといかにそれが必然であったと思われます。

新たな日銀総裁、副総裁が任命されようとしておりますが、新安倍政権により選ばれる人たちはすべて「脱デフレ」派のようです。

安倍首相に最も影響力を与えたと言われている浜田宏一さんの、ある意味では 「命がけ」 の著作とも読めます。

冒頭のまえがきに 「・・・教え子である日本銀行総裁、白川方明氏を正しく導くことができなかったからである。 結論からいおう。 20年もの間デフレに苦しむ日本の不況は、ほぼすべてが日銀の金融政策に由来するものである。・・」

今月半ばには日銀総裁、副総裁が任命されます。

ダイナミックな動きで我が国のデフレ脱却に期待したい。

坂城町長 山村ひろし

移動販売(イトーヨーカドー)の追加

本日(2月28日)から、移動販売 「イトーヨーカドーあんしんお届け便」 の場所が増えました。

今年に入ってから、坂城町立町の上野屋さんが閉店となりました。

そのため、買い物にご不自由な方のためイトーヨーカドーさんに移動販売の箇所を増やしていただけるようにお願いをしておりましたが、今日から、ふるさと歴史館前の駐車場を利用し、毎週木曜日午後2時半に開店していただくことになりました。

本日は2時半前から数十人の方々が来られました。

イトーヨーカドーさんの移動販売のスケジュールは以下のとおりです。

運行日程表

【平成25年2月28日以降】
イトーヨーカドーあんしんお届け便 日程表

時間 月曜日 木曜日
9:45~10:15 泉区公民館
10:30~10:50 入横尾公民館
11:15~11:45 四ツ屋公民館
12:15~12:45 御所沢区民広場
13:00~13:20 南日名公民館
14:30~15:00 坂木宿ふるさと
歴史館駐車場
15:00~15:20 月見区集会所
15:20~15:50 四ツ屋公民館
15:50~16:10 北日名公民館

坂城町長 山村ひろし

井原重之さんへ紺綬褒賞

昨日(2月27日)、千葉県佐倉市ご在住の井原重之さんにお出でいただき紺綬褒賞の伝達を行いました。

これは、昨年、井原さんから、坂城町鉄の展示館へ幕末の名工・細川正義作の刀一点、付属打刀拵(そろえ)一点、付属白鞘一点をご寄贈いただきましたことなどによりこのたび紺綬褒章を受けられることになりました。

宮入刀匠にもおいでいただき褒賞の伝達を行いました。

左から、宮入小左衛門行平刀匠、井原重之さん、山村

坂城町長 山村ひろし

うれしい話 (村上小学校)

本日(2月27日)、坂城町立村上小学校の子供たちからご招待を受け、「耐震工事感謝の会」 に参加しました。

村上小学校では平成24年4月から懸案であった耐震工事と大規模改修工事が行われ工事がほぼ終了しました。 (30kwの太陽光パネルなども併せて設置しました)

これで子供たちが安心して勉強のできる環境が整いました。(また、村上地区では一番大きな、災害時の避難場所ともなりました)

学期の終了を控えていることもあり、このタイミングで子供たちが坂城町と工事関係の方々を招待し感謝の会を行ってくれたのです。

子供たちに挨拶する山村、その右:宮 教育長と工事関係の方

この催しは児童会の自発的な取り組みだそうです。 嬉しいですね。

工事中は教室の移動など子供たちに大変な迷惑をおかけしたわけでこちらが御礼を言わなくてはなりません。

また、保護者の皆様には教室の移動の際に皆様でお手伝いをいただくなど大変なご足労をいただきました。 改めて感謝申し上げます。

左:子供たちにお話をされる神尾敦男校長

また、子供たちから以下のような感謝の寄せ書きをたくさんいただきました。 私共の方が感謝いっぱいです。

子供たちから寄せ書きの贈呈

坂城町長 山村ひろし

第8回坂城古雛まつり

坂城町では去る2月16日から4月21日まで 「坂木宿ふるさと歴史館」 ならびに 「鉄の展示館」 を中心にして37の会場で 「第8回坂城古雛まつり」 が開催されています。

この企画は遠山邦子さんはじめ駅前商店街のみなさんが、坂城駅前に賑わいをもたらしたいとの思いから始まりました。

第1回から5回まで ふるさと歴史館 のみで実施されてきました。

 古い雛人形だけに特化したこのイベントは、冬に来町される方がほとんどいなかったなかで、今では内外から多くの人々が訪れ、坂城の冬の定番イベントとして定着してきた感がります。

 また、第6回からは鉄の展示館や立町・横町の商店街や個人宅でも雛人形が飾られるようになり、イベントとしても大きく成長しました。

 今回は、ふるさと歴史館で坂城町や隣の千曲市・上田市からすばらしい古雛が集まり、鉄の展示館でも北信から東信地方のとびきり上等な雛人形が彩りを添え、特に、全国的にも珍しい双子のような超大型享保雛は見る人を圧倒しています。

広報さかき3月号表紙

 更に両施設には地元「さかき和布の会」の皆さんによって制作された「つるし飾り」が会場をより一層華やかに演出してくれています。

 今回、雛人形を飾っている会場は全部で37カ所あり、これらすべての会場に飾られた雛人形は1,000体をはるかに超えています。
 坂城古雛まつりは地元のみなさんが中心となって実施されている貴重な事業であります。

古雛まつりの取材に来られた 「3時は!ららら」 の生田明子アナウンサーと

坂城古雛まつりについて、明日(2月28日 午後3時)、SBC(信越放送)の 「3時は!ららら」 で放送される予定です。

坂城町長 山村ひろし

坂城千曲少年野球連盟鏡開き

本日(2月24日)、坂城千曲少年硬式野球連盟(会長:竹内次雄さん)の平成25年鏡開きがあり参加しました。

今日は朝から大雪でどうなることかと思いましたが、子供たちは早くから集まり会場になった中之条公民館の駐車場の雪かきなどを整然と行っていました。

式典の後、昨年と同様、リトルリーグ信越連盟副会長根津明人さんの講演がありました。

テーマは「親学と保護者の役割」という演題で約1時間お話を伺いました。

根津明人氏

同連盟関係者、保護者の方々、スポンサーの皆さん、ならびに約40名のリトルリーガー(坂城千曲リーグ)も出席し整然と式典が行われました。

小中学年の選手たちは約1時間の講演中、しっかりとメモをとっておりその真摯な態度に新たに感銘を受けました。

大雪の日でしたが、子どもたちと大変すばらしい時間を共有しました。

今年は連盟結成40周年になるそうです。

今後の「坂城千曲リーグ」チームの活躍をお祈りいたします。

坂城町長 山村ひろし

人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会

本日(2月23日)、坂城町文化センターにて、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会」 が開催されました。(主催:坂城町、坂城町教育委員会、坂城町社会福祉協議会、上田・佐久地域人権啓発活動ネットワーク協議会)

玉井先生には、昨年9月1日に開催された 「第54回更埴教育研究集会」(於:坂城中学校) でもお話をしていただきましたが、是非とも本町民集会でもお話をしていただこうと思いお願いをしてまいりました。

今回は 「発達障害などの家族への支援について」 と言うテーマでご講演をお願いしました。

玉井先生はご自身にもダウン症のお子さんがおられ、(財)日本ダウン症協会の理事長もされておられ具体事例もふんだんにお話しいただき大変分かり講演会となりました。

開会にあたり、挨拶

以下、坂城町のホームページから

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人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会

人権集会01

▲玉井邦夫さん(写真左)

2月23日(土)、文化センター大会議室で、「人権を尊重し豊かな福祉の心を育む町民集会」が開かれました。

この集会は、社会福祉、青少年、障害者、学校など各関係団体が連携を深め、町民一人ひとりが共に認め合い、共に支え合う人権感覚を養うとともに福祉に対する理解を深め、もって明るく住みよい人権・共生のまちづくりの実現をめざして開催されています。

最初に坂城町社会福祉協議会による社会福祉功労者表彰・社会福祉協助者表彰が行われ、続いて、大正大学人間学部教授の玉井邦夫さんを講師にお招きして、「発達障害などの家族への支援について」をテーマに、記念講演が行われました。講演では、発達障害児の就学前から成人期に至るまでの「こころとことばの育ちの課題」や、障害には、「個人としての障害」と「関係性としての障害」の二面性があること、「障害児を持つ保護者の気持ち」についてお話しいただきました。

人権集会02

▲社会福祉功労者
ボランティアグループ すみれ会(写真左)

人権集会03

▲社会福祉協助者
長野県労働金庫更埴支店運営委員会(写真左)

人権集会04

▲社会福祉協助者 小林恵美子さん(写真左)

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坂城町長 山村ひろし                                                    

「坂城の100人」第6回は 福沢諭吉です !

「坂城の100人」に福沢諭吉が登場とは、びっくりされる方が多いかもしれませんが、以前にも書いたように福沢諭吉は坂城に大いに関係があり、彼の祖先の地なのです。

ファイル:Yukichi Fukuzawa Berlin2.jpg

文久2年(1862)幕府使節として、ヨーロッパ歴訪の際ベルリンにて。原典:福沢研究センター

坂城町は戦国武将村上義清の地として有名ですが、最近の調査で福沢氏は、この村上氏から分派したのではないかという説が有力になっています。
 福沢諭吉の先祖がいつの時代に大分の中津に移ったかは諸説があり不明ですが、福沢氏そのものが村上氏の分流であり、福沢氏の故地が坂城であったということなのです。
まず、歴史的経緯を述べると、信濃村上氏の祖とされてきた「源盛清」は、寛治八年(1094年)の白河上皇呪詛事件により信濃国村上郷(坂城町)へ配流後、再び京へ戻り、康和5年(1103年)には後の鳥羽天皇となる第一皇子(宗仁)の宣旨で宗仁親王の庁を取り締まる「御監」の役を仰せつかっています。(第一回で記述した「源盛清」をご覧ください。)
(源盛清について。 以下をご参照下さい。)
平成25年 新年のご挨拶
この盛清の一族は、村上郷を本貫地として信濃村上氏の祖となり、中世には信濃国内で最も大きな勢力を有することとなりました。
村上氏は多くの一族を信濃国内に分派していますが、その中に15世紀から16世紀にかけて、村上氏の所領である広大な「塩田庄」(上田市)を支配した「福沢氏」がいました。
福沢氏は、村上郷の福沢を発祥とし、塩田庄の代官として、その力は信濃でも有数でした。
中世信濃の福沢氏といえば村上一族の福沢氏であることは明白です。(『諏訪御符礼之古書』や『蓮華定院文書』などの資料より)
この後、福沢氏は天文22年(1553年)8月の武田信玄の塩田城侵攻により敗れ、翌年3月にその健在が確認できるものの、それ以降、歴史上から消えてしまいます。
福沢諭吉は、自分の祖先について 「福沢氏の先祖は信州福沢の人なり」 と記しています。
その根拠は、福沢諭吉の父 「百助」 が纏めた「福澤家系図」に拠っています。
そして、この福澤家系図では、更に福沢氏は「小笠原氏」に仕えていたとも記しています。
小笠原氏は、中世、信濃守護職を代々勤めた名家で、武田信玄に信濃を追われた後、徳川家康に仕えたことで、再び信州の松本や飯田に本拠を置くこととなりました。
つまり、福沢氏は塩田城の敗戦後、その消息を絶つなかで、一族の何れかの人物が、信濃国内で領主となった小笠原氏に仕えることとなり、その後、小笠原氏が幾つかの転封を経て、豊前中津に国替えになったことにより、福沢氏も中津へ移ってきたものと推測出来るわけです。
信州には福沢の地名が村上地区を含め長野県内で11ヶ所存在し、全国を見渡せば13県18か所に及んでます。
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以上のように仮説ではありますが話を結びつけることで、最終的に福沢諭吉の先祖は中世、村上郷福沢に発祥し、塩田庄を支配していた村上氏一族の福沢氏に求めることが最も自然なのではないかと考えられるわけです。
慶應義塾福澤研究センターにも問い合わせを行なったところでありますが、本事実が確認されれば長野県坂城町は福沢諭吉の祖先発祥の地となり福沢諭吉研究のあらたな一歩となることが期待されるところです。
ほぼ同文の内容で、公益社団法人日本工学教育協会誌にも掲載されました。
 「工学教育」2012-11 vol.60 no.6? 231頁
坂城町長 山村ひろし