高橋是清の書

坂城町鉄の展示館は、現在、夏季通常展の展示中(9月8日まで)ですが、一階展示室に高橋是清の書 「丹心抱忠貞」(たんしんちゅうていをいだく・・真心を尽くしてこそ、忠実貞正となれる)が設置されました。 

  

             

安部首相が脱デフレ、いわゆるアベノミクスを提唱して以来、80年ぶりに脚光を浴びた高橋是清ですが、この書は、私が昔から懇意にさせていただいている香川県三豊市の大西正弘さんからお借りしました。  

高橋是清は1911年に日本銀行総裁に就任し、1913年(大正2年)第一次山本内閣の債権モラトリウム公布、1931年(昭和6年)犬養内閣の金輸出再禁止など大胆な財政政策をとりましたが、1936年(昭和11年)に二・二六事件で暗殺されます。

飾り気のない素晴らしい書ですね。

この時期に高橋是清の心に触れるのも意義深いものがあるかなと思っています。

なお、この書は大西家が高橋是清から生前に拝領したものだそうです。  

また、「丹心抱忠貞」の詩は中国南宋時代の高名な詩人・政治家・憂国の士である陸遊(陸放翁 1125年~1209年)の詩です。 

政治家としては中央政界に出ることはならず不遇な時代を多く過ごしたのですが、9000首以上の作品を残し85歳で亡くなっています。 

また、行事の木村正直さんの軍配にも代々「丹心抱忠貞」と書かれているそうです。(根間弘海:「十両以上の行事の軍配」)

是非、鉄の展示館へお出で下さい。     

坂城町長 山村ひろし

坂城の100人 18回目は 滝澤公庵です

今までに、江戸末期の坂城で高名だった文人として女流の歌人、藤澤雨虹や沓掛なか子をご紹介しましたが、今回は同じ時期に活躍した男性の登場です。

(以下の資料は鉄の展示館宮下学芸員から提供いただきました。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 滝澤公庵(こうあん) 1773(安永2)~1847(弘化4)年
                            
 滝澤公庵は江戸時代後期の医師で、本草学や国学・和歌(坂城の国学の先駆者)など多岐に亘って活躍した人物です。
                     
 鼠宿村に生まれた公庵は、若い頃江戸へ出て武田叔庵について医学を学ぶかたわら、詩歌と本草学を修め、帰郷して医業を開きました。
                         
 家に松の大木があったので松酒家と号し、名を木公庵と改め、後に略して公庵といいました。暇があれば山谷を歩いて本草学を研究し、一木一草名知らないものはなかったといいます。
 庭に多くの薬草を植え、薬種を作ったりしました。
                      
 天保の飢饉の時、藩命によって村を巡回し、救荒植物栽培を指導した功によって苗字帯刀を許されました。
                        
 国学者飯塚久敏や()荒木田久老(ひさおゆ)が北信濃を来遊した際、和歌の指導を受け、同門の沓掛なか子らと交わり、歌集『松のいほり』二巻を残しました。
            
  紀行の歌の中に
        
   みつくりの中山道は冴にけり 浅間おろしの雪の夕暮れ
            
 一重山のほとりに旅寝して
                   
   秋さむみ旅の衣のひとへやま 重ねまほしく嵐ふくなり
                         
                             
 

万葉防人歌碑(マンヨウサキモリカヒ)

 坂城南端の南条、会地早雄(おおちはやお)神社の境内にある万葉歌碑。

 滝沢公庵により天保年間に建立されました。

                    
           
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                       
                 
 以上、滝澤公庵のご紹介をしました。
                      
 現在、坂城町 「ふるさと歴史館」 の一階で 『パネル展 「坂城町の偉人」 ~近世の文人墨客~』 で 坂城町の偉人たちとして、文人墨客15名を紹介していますので、こちらもご覧ください。
                                  
            
 坂城町長 山村ひろし