竹内希さんから「ザンビア便り第11回」

 平成24年6月から、青年海外協力隊(JICA)の派遣教員としてザンビア共和国で教鞭をとられている、坂城町南条出身の竹内希さんから第11回目の便りがきました。

 なんと、昨年12月に、タンザニアのキリマンジャロ登山(標高5895m)に挑戦し、登頂に成功されたそうです。

 素晴らしいですね。 竹内さんの任期はあと半年、帰国されたらいろいろお話を伺いたいと思っています。

 以下、竹内さんからの便り、ご覧ください。

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ザンビアだより第11回 平成26年1月  竹内 希

ザンビアだより(11)01

▲キリマンジャロからの朝日

 

謹賀新年

  遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。私は2度目の年越しを海外で、大きな病気を患うことも無く過ごすことができました。

  去年の12月は、タンザニアのキリマンジャロ登山に挑戦し、なんとか登頂に成功しました!! 標高5895m。元々、大学時代から何回か日本の山を登った経験はありましたが、それでも3000mの世界です。その後の世界を私は経験したことが無かったので、緊張もしました。

  順応日を1日入れて6日間の行程。最初は屋久島のような緑が茂った場所から始まり、どんどん木々の高さが下がり、砂漠、雪へと変わっていきました。ガイドとポーターさんが一緒に登って下さり私たちのグループは総勢約21名。1人当たり2人のポーターさんが付いてくれました。宿泊の荷物、食事、水も代わりに運んでくれとても助かりました。1日目は雨に見舞われたものの、その後は山行を楽しみながら3720mで2泊。山から見下ろす景色も、星のダイヤモンドも、友人と囲む食事もとても綺麗で楽しかったです。それもつかの間、4200mを過ぎたあたりで一気に体が重くなり、頭痛も始まりました。気圧が下がったために脳みそや内臓が膨張し、頭がい骨を内側から圧迫して起こるそうです。まさに高山病の始まりです。寝ている間に人間は呼吸が浅くなるので、寝ることによって体内の酸素濃度がさらに下がり、体調が悪化するのが恐かったです。頭痛に効く薬をもらい3時間の睡眠をとるも、激しい腹痛に襲われ、1度はもう登れないかと思いました。それでもなんとしてでも頂上に登りたい、不安を抱えたままファイナルアタックへ挑んだのを覚えています。

  ファイナルアタックへ出発、23時。月明かりに背中を押されながら、みんなで励まし合い登って行きました。動いていても寒い、動かないと凍死する。高山病による睡魔も、吐き気も、息切れも、個人個人症状は様々でしたが自分との闘いでした。途中、激しい嘔吐に襲われた友人は大事をとり宿泊場所までガイドと共に下山しました。私も体内の酸素濃度が下がっているのを息切れで感じていました。「これ以上激しく動いたら倒れる。」私は誰よりもゆっくりゆっくりと登って行きました。もう、ほとんど余裕はありませんでした。それを12年のベテランの現地ガイドさんがずっと励まして「大丈夫。大丈夫。」と先導してくれました。登る途中で見た朝日、天空の世界、友の声、私にとってかけがえのない時間でした。登頂に成功した時、みんなと抱き合った後、涙が出てくるのをグッとこらえました。下山するまでが登山です。来た道を自分の足で戻らなければいけません。一刻も早く下山をした方が良いということで、私はガイドに連れられ誰よりも早く下山しました。後はひたすら下山を続け、全員が無事スタート地点まで戻ってくることができ、私たちのキリマンジャロ登山はこうして幕を閉じました。

ザンビアだより(11)02

▲キリマンジャロ登頂

 

  現地ガイドさんも仰っていましたが、キリマンジャロ登頂に一番大切なのは“諦めない気持ち”です。どんなに体力のある人も、高山病には太刀打ちできません。それは生まれ持った体質のようなもの、症状が出る人も出ない人も様々です。そして、周りの人との励まし合いによって、今までにないパワーが出ることがあります。これからも、目標に向かってがむしゃらに諦めずに打ち込んで行きたいものですね。

  酸素が十分に吸えるようになって一番感じたことは、笑えることは幸せということ。笑う余裕もないくらい、追い込まれていましたから。酸素を吸えるようになって私はめきめき回復し、酸素があると強いねって言われたくらいです。(笑)

  私の任期も残すところわずか6カ月となりました。まだまだ、やりたいこともやらなければいけないことも沢山あります。なるべく後悔を残さないように、2014年も走り続けて行きたいです。今年も、皆さんにとってより充実した1年になりますように。キリマンジャロの朝日と共に、皆さんのご健康をお祈り申し上げます。

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 坂城町長 山村ひろし

「ねずこん」あて年賀状

 坂城町役場宛にたくさんの年賀状をいただきましたが、昨年の「ねずこん」の頑張りのおかげで、「ねずこん」宛の年賀状もいただきました。

 県外の方々からの応援もいっぱいありました。

 「ねずこん」本人に渡しましたが、大変喜んでおりました。

 

坂城町長 山村ひろし

平成26年仕事始めと 「だるま」 の開眼式

 本日(1月6日)、仕事はじめと「だるま」の開眼式。

 坂城町役場では3年前から、仕事始めの際に私の新年の挨拶の後、役場職員全員で「だるま」に目を入れる「開眼式」を行っています。

 今年も数多くのプロジェクトが目白押しです。

 何よりも大切なのは役場職員が一丸となって町民の皆様により良いサービスができるかを工夫し、お互い協力して知恵を絞ることです。

 その第一歩として、全員で「だるま」の左目に願いを込めて大きな目を書き入れました。

全員で「開眼」

開眼の仕上げ

 

 

この「だるま」は坂城町商工会青年部の皆様からご提供いただいたものです。

左側に「地域発展」、右側に「産業振興」と書かれています。

                        

今年の「だるま」の裏面には、私のモットーまで入れていただいていました。

びっくりしました。内容は「他者のために最善を尽くす」「絶対逃げない」「ひたすら勉強・常に謙虚に」です。

              

 今年も、役場職員一丸となって頑張ります。

 よろしくお願いいたします。

                            

 坂城町長 山村ひろし

新年の行事いろいろ(1月4日)

 昨日(1月4日)もいろいろ新年の行事がありました。

 

「第47回の席書、書初め大会」で挨拶する山村、左は柳澤町議会議長

「新春賀詞交歓会」であいさつする山村

                  

 以下、坂城町のホームページよりご覧ください

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1月4日(土)一本の筆に思いを込めて 席書大会

席書大会01

  1月4日(土)、文化センター体育館で、第47回席書大会・書初展が開催されました。

  今年も大勢の参加者が集まり、それぞれ新年の抱負や願いなどを込めて、書き初めを行いました。出品作品は、町書道協会役員が審査を行い、金賞、銀賞、銅賞、努力賞又は奨励賞に分けられます。なお、この出品作品を見られる書初展は、本日から6日(月)まで、文化センター大会議室で行われます。ぜひご覧ください。

H26席書大会02-04 

1月4日(土)2014年 新春賀詞交歓会

H26賀詞交歓会01

   1月4日(土)、坂城テクノセンターで、公益財団法人さかきテクノセンター・テクノハート坂城協同組合主催による「2014年新春賀詞交歓会」が開催されました。

  この賀詞交歓会は、町内外から企業・大学・各種団体の代表者・関係者の皆さんが一堂に会して新年を祝い、新年の挨拶を交わすもので、毎年1月4日に開かれています。オープニングでは、南条小学校金管バンド部が新春にふさわしい元気な演奏を会場中に響かせたほか、こども能楽教室の皆さんが仕舞を披露されました。

▼南条小学校金管バンド部の演奏

H26賀詞交歓会02-04

▼こども能楽教室の仕舞

H26賀詞交歓会05-07 

第43回目の坂城町 元旦マラソン

 昨日、今年で第43回目となる坂城町元旦マラソンが行われました。

 絶好のマラソン日和に恵まれ、約500名の方が参加されました。

挨拶する山村

 以下、坂城町ホームページからご覧ください。

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1月1日(水)新春の風を浴びて 元旦マラソン

H26元旦マラソン01

  1月1日(水)、新年最初のイベントとなる、恒例の元旦マラソン大会が開催されました。

  今年で43回目となった坂城町伝統の行事は、町内外から452名もの方が参加し、小学生の部と一般の部は6km、3km、1.5kmのコースを、親子ペアの部は1.5kmのコースを走り、参加者全員が完走することができました。今年の元旦も天気がよく、参加された方は気持ち良い風を体いっぱいに浴びながら、新年最初のゴールに向かってそれぞれが思い思いに走っていました。

部門別入賞者(敬称略)

  • 6km  一般男子
      1位:宮島幸太郎
      2位:高木航志
      3位:山 健太
      
  • 6km  一般女子
      1位:鈴木賀子
      2位:岡村未歩
      3位:酒井菜々美
      
  • 6km  小学生男子
      1位:真田稜生
      2位:中村将也
      3位:大塚創太
      
  • 6km  小学生女子
      1位:高木更紗
      2位:竹内ほのか
      3位:柳澤夏帆
      
  • 3km  一般
      1位:堀内克彦
      2位:山岸和真
      3位:西澤賢信
      
  • 3km  小学生
      1位:桜井花道
      2位:永井  陸
      3位:小松  蓮
      
  • 1.5km  小学生
      1位:宮下このみ
      2位:小河原駿
      3位:丹治悠真

H26元旦マラソン02-04 

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 坂城町長 山村ひろし

平成甲午二十六年 年頭のごあいさつ

    伊達八重子さん作(切り絵) 「午」
                      
                       
新年にあたりまして年頭のご挨拶を申し上げます。
            
坂城町長 山村弘
            
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明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、健やかに新春を迎えられましたこととお喜び申し上げます。
 
今年は、甲午(きのえ・うま こうご)の年です。 甲、午ともに堅い甲羅あるいは地表を草木が下から突き破る事を意味しています。
したがって、今年は、今までの殻を打ち破って新たな展開にチャレンジをすることが切望されます。
 
さて、昨年夏の参議院選挙の結果、自民党、公明党の与党が過半数を超え、衆参のねじれが解消されました。経済政策を中心に力強い政策が実行されることが期待したいと思います。
一方、世界に目を向けますと、アメリカの債務に対する問題が一旦決着し、減速していた中国の景気が持ち直し、世界経済の不安材料はひとまず取り除かれたと思われますが、アメリカの債務問題の再燃の懸念もあり、今後も注視していく必要があります。 
また、経済では、アベノミクスの効果もあり、自動車、電機の大手企業では業績の回復が伺え、多くの上場企業でリストラなどコスト削減頼みでなく、増収・増益による業績回復に転ずる動きが見られます。今後の経済政策により、本年4月の消費税増税の影響を回避し、実感を伴う成長が拡大することを期待いたします。
 
 当町におきましても、主だった企業にアンケート調査を実施するなど、町内企業の状況を注視しているところですが、最新の結果を見ると、ばらつきは見られますが、売り上げにおいては前年同期の増減比が1年ぶりにプラスに転じておりますし、今春の雇用についても調査企業全体で50人の増員を予定しており、改善の動きが見られます。昨年スタートしました「坂城町コトづくりイノベーション補助金」など今後も企業支援を図ってまいります。
 
 昨年の「ゆるキャラグランプリ2013」では坂城町のマスコットキャラクター「ねずこん」が全国1580のゆるキャラ中95位、県内では「アルクマ」に続いて2位ということで、県内市町村中トップに輝きました。二匹となった「ねずこん」は今年も町のためのさまざまなイベントに参加して坂城町をPRしてまいります。「ねずこん」の更なる活躍を期待いたします。
 
今後進めていく主な施策としましては、関係機関のご協力により現在工事が進められております坂城駅へのエレベーター設置事業につきましては、5月末の完成を目指しております。併せて、坂城駅周辺のバリフリー化につきましても、観光案内所前歩道への手すり設置や通学路の水路改修など、できるところから取り組み「笑顔のまち」に向けて障害のある方やお年寄りにやさしいまちづくりを進めてまいります。
 
「福祉と健康のまちづくり」におきましては、新たに「不妊治療費の助成」の創設や、「多子世帯の保育料軽減」の拡大など、安心して産み育てる、住みよいまちづくりをめざし、子育て世代の定住促進にも結び付けてまいりたいと考えております。
 
「ワイナリー形成事業」につきましては、昨年ワイン醸造に関わる構造改革特区の申請をし、県内では東御市、高山村に次いで3例目の認定がなされました。今後は、ワイナリー形成事業の担い手2名を中心に、ワイナリー開設に向けたビジネスプランづくりを進め、町内企業にも参画いただく中で6次産業化を目指してまいります。
 
 南条小学校の改築につきましては、建設委員会での検討を経て、昨年基本設計がまとまり、埋蔵文化財調査と併せながら、現在、詳細設計を進めております。平成26年度からは建築工事に着手し、平成27年度の竣工を目指して進めてまいります。
 
今年も、明るい坂城町を創るべく努力をしてまいります。
 町民の皆様におかれましても、本年が良き年となりますようお祈りし新年のごあいさつとさせていただきます。    
                    
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 坂城町長 山村ひろし                     

坂城の100人 第29回目は西澤正太郎さん

年が明け、平成甲午二十六年となりました。 本年もよろしくお願いいたします。

今年も坂城の「100人」を続けます。

昨年の1月1日から始めましたので今まで、大体、毎月二人をご紹介してまいりました。

今年の一人目として、西澤正太郎さんを取り上げます。 今回で29人目となりました。

西澤正太郎さんについては、以前、孫にあたられる西澤眞澄さん他から書、絵画などを寄託された際にご紹介したのですが、その当時は「坂城の100人」の記載を始めていませんでした。

ここに改めて 「坂城の100人」 の一人としてご紹介します。

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坂城町、鼠宿出身の西澤正太郎さんという方がおられます。 文久3年(1863年)に生まれ明治43年(1910年)に亡くなられました。

 明治23年3月に東京大学政治科卒業、法学士となり、直ちに同年4月から内務省へ入省。 宮崎県・新潟県参事官を歴任し、香川・滋賀・兵庫・大阪・京都の書記官を経て、明治37年に官選知事として青森県知事を明治41年まで勤め、明治41年からは福島県知事となるも在任中の明治43年に急逝されました。
性格は豪放磊落、風貌颯爽、漢詩・和歌の趣味深く、床次竹次郎(内務官僚、政治家)、白仁武(元栃木県知事)、池上秀畝(日本画家)、大森鐘一(内務官僚、京都府知事)、村上寿夫と親交。 青森県知事在任中、東北地方の飢饉に際し、米や麦を購入して、窮民に施し、福島県知事在任中は、不毛の土地を開拓、整理したことから群民により頌徳碑が建てられました。墓地は耕雲寺にあります。
 おそらく、坂城町の歴史上、初めての東京大学出身者であり、知事としても初めてであろうと考えられています。 ちなみに正太郎氏の16歳下には、同じ鼠宿の出身で、東京帝国大学法律学科を卒業し、内務官僚となって静岡県知事になり、警視総監を経て貴族院勅選議員になった赤池濃(あつし)氏がおられます。 町内で都道府県知事になったのはこの両名だけだと思われ、いずれも鼠宿の出身者です。
 
 生前は伊藤博文とも親交が深く、上記の書は伊藤博文が西澤正太郎氏に贈ったもので、孫の真澄氏によると、明治42年(1909)10月、博文が中国ハルビンで暗殺される直前に贈ったものだといわれています。
 書は 「形在江海之上、心在魏闕之下」 〈形は江海の上(ほとり)に在(あ)り、心は魏闕(ぎけつ)の下(もと)にある〉 これは5世紀末中国・南朝「梁」の「劉勰(りゅうきょう)」が著した文学理論書『文心雕龍(ぶんしんちょうりゅう)』の第六巻【神思】第二十六の一文です。
意としては 「身は紅海のほとりに隠遁しながら、心では魏の宮門のことが忘れられない」ということのようです。 (伊藤博文の心境を語っているものと思われます)
平成23年10月14日に、西澤正太郎氏の孫にあたられる、西澤眞澄さん、康代ご夫妻、正太郎氏の実家におられた、西澤澄人氏。正太郎氏の生家ご当主の西澤哲雄さんの妹のご主人である石井健一氏が坂城町役場に来られ、伊藤博文の書と西澤正太郎の書簡、西澤正太郎の肖像画、正太郎が福島県知事時代に福島に大正天皇(当時は皇太子)をお迎えした時のことを讃えて建立した石碑の拓本をお預かりいたしました。 (これらはいずれも鉄の展示館で保存し、適宜展示させていただいております。)
左から、西澤真澄さん、山村、西澤康代さん、西澤澄人さん、石井健一さん
この肖像画は正太郎死後8年後に制作されたもの
坂城町に、明治期に活躍されたこのような傑物がおられたことに驚くとともに大変名誉なことだと思います。
坂城町長  山村ひろし

坂城町消防団歳末特別警戒

坂城町では、昨日(12月27日)から30日まで消防団による歳末特別警戒を実施しています。

昨日は午後8時から、各消防団分団の巡視、激励を致しました。

この巡視には、保坂千曲坂城消防長、宮城坂城消防署長、清水坂城町交番所長、ならびに、手塚坂城町消防団長、大井副団長にご同行いただき12分団をそれぞれ訪問いたしました。

時々雪の降る中、午後8時から午後10時までの2時間でしたが各消防団の活躍ぶりをしっかり確認いたしました。

今年は全国的に火災の発生件数が増加しているようですが、坂城町では消防署ならびに消防団の皆さんのご活躍により昨年より減少傾向にあり、大きな火災事故も発生しておりません。 ありがたく感謝しております。

年末に向け何かと忙しくなる中、火の元にはご用心ください。

坂城町長 山村ひろし 

坂城中学校の生徒さんから募金を預かりました

昨日(12月26日)、坂城中学校の生徒さん二人が、先の震災で被害を受けられた方々への募金を持って来られました。 (紙袋に入ったズッシリと重い、心のこもった募金です。)

坂城中学校の「ふる里ボランティア委員会」の皆さんは、継続してこのような活動をされています。 素晴らしいですね。

以下、坂城町ホームページからご覧ください。

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坂城中生が募金活動

坂城中募金

▲左から、依田和真さん、山村町長、中沢広野さん

  12月26日(木)、坂城中学校ふる里ボランティア委員会の中沢広野さん(委員長)、依田和真さん(副委員長)と平林悠子先生が、今年の活動で集めた募金を持って山村町長を表敬訪問されました。

  同委員会では、今年の9月末に開催された同校の大峰祭期間中に募金を呼び掛け、地域や保護者の皆さんに協力していただいたほか、牛乳パックを回収してお金に換えました。この募金は、町から日本赤十字社を通じて東日本大震災の被災地へ贈らせていただきます。

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坂城町長 山村ひろし            

坂城の100人 第28回目は中島仲重校長先生

坂城の100人、今までは歴史上の人物を中心に取り上げてきましたが、さる、12月22日の日本経済新聞全国版、「熱風の日本史」の中の「御真影 守護に重圧」というテーマで中島仲重校長が取り上げられたということもあり、今回は「坂城の100人」28人目として、南条小学校の校長で大正10年1月6日に同校の火災の際に天皇陛下の御真影を取り出そうとし殉死した中島仲重氏を取り上げます。

平成25年12月22日付日経の記事

中島仲重校長の顕彰碑は南条小学校にあります。

中島仲重校長は明治17年(1884年)中之条村に生まれました。

明治39年に長野県師範学校を卒業、戸倉小学校に勤務、大正2年(1913年)、29歳で南条小学校の校長となりました。

若くして校長になり、全身全霊で教育に打ち込み、大変人望のあった方だったそうです。

今でも、南条小学校のホームページには中島校長が当時力をいれて行った教育活動を以下のように伝えています。

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(南条小学校ホームページより。 中島校長の努力されたこと)

1.社会をよくし、本当に人生を切り開くことのできる実力ある人間をつくる

2.高等科の設置を復活させ、自ら生徒募集に村内を廻り、特に女子生徒の入学をすすめ、教育の実を挙げる。

3.研究の裏づけがあって教育は発展するとし、自身はもちろん職員の研究に大いに熱意を傾ける。

4.同僚職員に対する親身の指導信頼、そして全責任をもって守る。

5.自ら積極的に村民の中に入り込んで教育する。あるときは、婦人会長まで行う。

6.高い見識をもって努力する。

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 そんな中での火災。

大正10年1月6日、午後6時半頃、南条尋常高等小学校で火災が発生。

東校舎2階南側から発した火は、2時間にわたって燃え続け、東校舎、南北両袖校舎および小使室など校舎の大半を焼きつくし、教室1棟、雨天体操場1棟、便所1棟を残して、午後8時半ころようやく鎮火した。

火災の状況は以下の通りです。(「坂城町誌」より)

「当日、中島校長が火災警報を聞いて山金井の居宅から学校に駆けつけた時、御真影奉安室にあてられていた東校舎2階の宿直室は、すでに猛煙に包まれていた。南条小学校へは大正4年に大正天皇、翌5年に皇后の御真影が下賜され、厳格な奉護既定のもとにおかれていたが、中島校長はその御真影を守ろうと、階段をのぼり奉安室に達したまま脱出できず焼死したのである。」(享年38歳)

中島校長の焼死は殉職として全国的に社会的な大反響を呼び、全国から弔慰金が集められその金額は総額21,137円に達したという。(「岩本務『「御真影に」殉じた教師たち』)

岩本務『「御真影に」殉じた教師たち』

その当時の時代背景により、中島校長の殉死は「御真影」の扱いについて大きな影響を与えることになり、「御真影の安全管理は命を賭してでも守る絶対的な義務」となっていきます。

ただし、中島校長の焼死が伝えられる中で、「人と物とは何時の場合も換(か)ゆ可きものではない。畏れ多いことではあるが御真影は物であって中島校長は人である」というような意見もあったそうです。(当時はまだ大正デモクラシーの時代でもあった)

来年度から南条小学校の改築工事が始まりますが、中島校長の顕彰碑のある箇所は「中島公園」として大切に保存されます。

中島校長の殉死の後、各学校には堅牢な奉安殿が作られるようになったのですが、中島校長が生前、村の委員会に切望していたものがまさにそれで、以下の提案文章が残されています。

(中島校長の提言)           

設備ヲ要スベキ建物及其内容

一、御真影奉安殿・・・・何モノヨリ先ニ完全の設備ヲ

(「南条小学校百年誌」より)

坂城町長 山村ひろし