「坂城の100人」 8人目は鼠宿出身の力士 万力和蔵 です。


坂城町 「輝く未来を奏でるまち」 Create the Bright Future !
「坂城の100人」 8人目は鼠宿出身の力士 万力和蔵 です。
昨日(3月14日)、坂城中学校3年生の代表の方から、小水力発電に関して提案書をいただきました。
坂城中学校3年1組では水力でモーターを回し発電するミニ水力発電についてクラス全員(36名)で各々研究・実験を行いその成果を「エネルギーの地産地消」として報告書を纏めていただきました。
左から:鳥居拓未さん、染野美咲さん、山村、 澤直樹さん、栗林穂実さん
再生可能エネルギーを考える際にどうしても大規模なものばかりを考えがちですが、今回の提案のように小規模でもいろいろと工夫が出来ると思います。
4月以降、坂城中学校の後輩の生徒さんたちともいろいろ考えて行きたいと思います。
坂城町長 山村ひろし
JAICAの青年海外協力隊としてザンビアで理数科教師をしておられる竹内希さんから5回目の「ザンビアだより」が来ました。
アフリカ中南部のザンビア共和国へただ一人旅立たれ約9ヶ月が経ちました。
以下、坂城町ホームページの記事からご覧ください。
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「3月8日は何の日?」
3月3日は、日本はひな祭りの日ですね。女の子がいる家庭では、雛人形が飾られたのでしょうか?私もこの日は少しでも日本の雰囲気を感じたく、海苔巻を食べました。ザンビアでは、なかなか日本の食材が手に入らないので、海苔も醤油もわさびも貴重です。日本食ブームにより、醤油やわさびなどはザンビアのスーパーにも売られていますが、やっぱり日本の物が美味しいですね!!(笑)
話がそれましたが、みなさんは3月8日が何の日か知っていますか?私は日本に居た時はあまり意識をしたことがなかったのですが、Women’s Day(国際女性の日)です。国連では1975年より3月8日を「国際女性の日」と定め、女性たちが、平等、安全、開発、組織への参加のための努力により、どこまで可能性を広げてきたかを確認すると同時に、今後のさらなる前進に向けて話し合う場として設けられた記念日としてきました(引用:国際連合広報センター)。
そのため、ザンビアでは3月8日は祝日です。女性たちが、色とりどりのチテンゲドレスやスーツをまとって街を行進します。色々な団体が、この日のために同じ柄の服を仕立屋さんに頼むので、この時期になると仕立屋さんは大忙しです。私の学校は、去年チテンゲドレスを着たので、今年はスーツを着ることにしました。私も同僚と同じスーツを学校から頂き、行進に参加しました!!街を行進した後は、大きなグランドに集まり、女性の日を祝う式典が行われ、伝統的なダンス、女性生徒からの詩の発表、劇、様々な人からお言葉をもらいました。
ザンビアは、管理職についている女性の割合が日本より多いような印象です。私の学校の校長先生も女性ですし、出産をしても仕事を続けている人が多いと思います。これはおそらく、ある程度の収入がある人は、ベビーシッターやメイドを雇う習慣があるからなのかなと思います。また、親戚、兄妹、近所の人などが一緒に育児を行います。特に、まだ幼い小学生くらいの子が自分より小さい子を抱っこしている姿を良く見ます。男尊女卑のザンビアでは、子供たちは家庭の労働力なのです。そして、仕事は日本と比べると厳しくありません。良く言うと、融通が利きます。このような社会環境が、女性の社会進出を促しているのかもしれません。
日本は、まだまだ女性が一生働き続けるには難しい環境だと思います。昔に比べたら、少しずつ意識の変化がなされてきていると思いますが、欧米に比べると仕事を続けている女性の割合は低いです。もっと、ライフイベントを楽しめる社会になっていったら良いですね。また、女性自身も育児を一人で抱え込まなくて良いと思います。育児は、大勢の人と一緒にやる方が楽しいですよね。そして、子供のためにもなります。ベビーシッターや他の人に手を借りながら育児をするのも、私は良いと思います。ただ忘れてはいけないのは、子供はあっという間に親の傍から離れてしまうということ。それを心に留めて、日々の成長を一緒に楽しんでいけたら良いですね!!
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坂城町長 山村ひろし
本日(3月11日)、坂城町特命大使の 小松美羽 さんが来られました。
久しぶりにいろいろとお話しさせていただきました。
また、「しなの鉄道」の2013年3月16日ダイヤ改正号の表紙に小松美羽さんの絵が掲載されています。
電車に飛び乗っているのは長野県獣の かもしか だそうです。
また、左上には坂城町のエネルギー(太陽?)の象徴だそうです。
絵の上に書かれている小松さんのメッセージは以下の通りです。
「私は今も昔もしなの鉄道に乗っている。坂城からトンネルを抜ける瞬間が好きで、山々と電車と乗客とがノスタルジックに混じり合ったような感覚を覚えている。今回描かせて頂いたのはその記憶の断片だ。」
小松さんは昨日トルコから戻られたとのこと、また、もうすぐドバイへ行かれたり、パリへ行かれたりするそうで、まさに世界をまたにかけて活躍されています。
また、来年にはニューヨークへ2~3年移住されることも計画されておられるようです。
「坂城町特命大使」の小松美羽さんの益々のご活躍をお祈りします。
坂城町長 山村ひろし
「坂城の百人」 第7回目は、中島武氏です。
坂城町では、昨年度から小中学生がICT(情報通信技術)に触れる機会をつくると共に、これからの社会を生きるうえで重要となるICTを身につけ、活用できるような学習を行なっています。
子供たちの勉強の成果をご覧頂くように坂城町ホームページの右端にバナーをつけました。
坂城町ホームページから入っていただくか、以下のサイトをクリックしてください。
子供たちの学習の様子や子供たちの作ったウェブサイトで坂城町の紹介を見ていただけます。
(ICT教育紹介のサイト)
http://www.town.sakaki.nagano.jp/lifestudy/W019H0000004.html
坂城町長 山村ひろし
寒い寒いと言いながらも、カレンダーを見るとはや3月4日、坂城町では早春の種々の催しが繰り広げられています。
以下、坂城町のホームページから
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3月3日(日)、「坂木宿とお雛さまをめぐるガイドツアー」が行われました。
このツアーは、坂木宿ふれあいガイドの皆さんが、坂木宿の史跡と「第8回坂城古雛まつり」を開催している坂木宿ふるさと歴史館と鉄の展示館を案内するもので、まつり期間中の毎週日曜日午前10時から開催されています。
行程は、まず坂木宿ふるさと歴史館で展示中の古雛を見学し、その歴史や当時の文化などについて説明を受けます。その後、外に出て旧北国街道沿いの宿場町であった坂木宿の旅籠の建物を見て、坂城駅前や横町通り、稲玉徳兵衛翁などの歴史に触れながら、最後に鉄の展示館で今回のまつりの目玉の一つでもある「長野県下最大級の双子の大型享保雛」などを見学しました。今日は約20名の方が参加され、皆さん坂木宿の歴史や古雛を楽しんでいらっしゃいました。
古雛まつりは、坂木宿ふるさと歴史館、鉄の展示館及び坂城駅前商店街で、4月21日(日)まで開催しています。期間中の毎週日曜日には、このガイドツアーの他に「抹茶無料接待(午前10時~午後3時)」も行っていますので、ぜひご来場ください!
3月2日(土)、「お茶」の催しが町内で行われました。
文化の館では、「子ども茶の湯教室」が行われ、20名の子どもたちが参加しました。子どもたちは、まず挨拶、座り方、礼の仕方、歩き方、戸の開け閉めなどの礼儀作法を学び、お菓子の食べ方、抹茶の飲み方を習うと、先生の指導のもと実際に自分で抹茶を点ててみました。自分が点てた抹茶を飲んでみると「いっぱい混ぜると泡がたっておいしい!」などと喜び、伝統的な日本文化である「お茶」を身近に感じられたようでした。
▼子ども茶の湯教室
また、現在「第8回坂城古雛まつり」が開催されている坂木宿ふるさと歴史館では、江戸千家「内山宗市」による茶席「添釜席」が行われ、こちらでもたくさんのお客様が「お茶」を楽しんでいらっしゃいました。
▼添釜席
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坂城町長 山村ひろし
先日、ノーベル経済学賞にもっとも近い人、といわれるイェール大学の浜田宏一さんが書いた 「アメリカは日本経済の復活を知っている」 という本を知人から紹介され読みました。
すごい本です。
私はこのような形で(一般の単行本で)、日本銀行、特に総裁の白川方明氏を真っ向から批判し、日本の長年にわたるデフレ状態が日銀の誤った金融政策にあることについて断言し、この状況を脱却するには 「充分な量的緩和によって、デフレ、需要不足。低成長から脱却する。」 ことについて明快に書かれています。
私は、以前、リーマンショック後、さらに震災後、何故、経済力の落ちた日本の円が急上昇するのかについて、当時まだご健在だった三重野元日銀総裁にお聞きしたことがありました。
その際に三重野さんは「日米欧を考えた場合、不適格な表現だが、それは『3不美人の戦い』であり、その中の日本は『比較的良い不美人』であって、そこにマネーが集まってくる」 とユーモアをこめて話されておられました。 つまりある意味ではやむを得ないと言われていました。(つまり、積極的な意味で通貨量などを増やす金融政策についてはあまり支持をしなかった)
しかしながら、浜田宏一さんによれば、「金融政策をもって対応しなかった日銀の無策に尽きる」 ということになります。
日本銀行のスタンスは一貫して反インフレであり、昨年来テーマにあがっているような「インフレ目標」という考えは排除してきたようです。
昨年、2月14日の「インフレ目標1%」も当時は画期的な取り組みだと市場が期待したのですが、その後は旧前たる施策に戻ってしまいました。
その当時、「2月14日の施策はバレンタイン・プレゼントと思われましたが、結果的には単なる 『義理チョコ』 だった。」 ことが判明しました。
浜田宏一さんの著作を読むといかにそれが必然であったと思われます。
新たな日銀総裁、副総裁が任命されようとしておりますが、新安倍政権により選ばれる人たちはすべて「脱デフレ」派のようです。
安倍首相に最も影響力を与えたと言われている浜田宏一さんの、ある意味では 「命がけ」 の著作とも読めます。
冒頭のまえがきに 「・・・教え子である日本銀行総裁、白川方明氏を正しく導くことができなかったからである。 結論からいおう。 20年もの間デフレに苦しむ日本の不況は、ほぼすべてが日銀の金融政策に由来するものである。・・」
今月半ばには日銀総裁、副総裁が任命されます。
ダイナミックな動きで我が国のデフレ脱却に期待したい。
坂城町長 山村ひろし