瀬口清之さんの講演会

先日(11月15日)、長野信用金庫さん主催の講演会が上山田ホテルで開催され、私も共催者として参加しました。 瀬口さんは元々は日銀マンですが、米国ランド研究所、北京事務所長などを歴任されたあと、現在は キヤノングローバル戦略研究所の 研究主幹として活躍されています。 しばしば、テレビ討論会で田原総一郎さんと議論したり、世界を股にかけて活躍されておられる、中国問題に関しての第一人者です。

  

  

   

 私とは、以前、杉並師範館で一緒に教育問題に取り組んだことがあり、このたび、「中国経済の構造変化と日本企業のビジネスチャンス」というテーマで講演をしていただきました。

 相変わらずエネルギッシュな語り口で、中国を脅威と考えるのではなく、日本の経済パートナーとして如何に大切なものであるかについて実に明快に語られました。

 瀬口さんのご経歴、最近の論文、レポートについては以下のサイトをご覧ください。

http://www.canon-igs.org/fellows/kiyoyuki_seguchi.html

 

  坂城町長 山村ひろし

 

老子の続き(第22章)

この章も、通俗の価値基準を真っ向から否定する鋭い言葉が続きます。 出だしの「曲なれば即ち全く」もすごい文ですね。 つまり 「まっすぐに伸びた木」は、一見素晴らしいようであるが、あっという間に伐採されてしまう。 だが、「多少曲がって生えた木」 の方は伐採されてしまうことなく一生健やかに生きられる、ということです。 これもなかなかすごいことではないでしょうか。

    曲則全。枉則直。窪則盈、弊則新。少則得、多則惑。是以聖人抱一、爲天下式。不自見、故明。不自是、故彰。不自伐、故有功。不自矜、故長。夫唯不爭、故天下莫能與之爭。古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而歸之。

  

    曲(きょく)なれば即ち全(まった)く、枉(わう)なれば即ち直(なお)し。 窪(わ)なれば即ち盈(み)ち、敝(へい)なれば即ち新なり。 少(しょう)なれば即ち得、多なれば即ち惑ふ。 是(ここ)を以って聖人は一(いつ)を抱き、天下の式(しき)と為る。 自ら見(あらわ)さず、故(ゆえ)に明らかなり。 自ら是(ぜ)とせず、故に彰(あきら)かなり。 自ら伐(ほこ)らず、故に功有り。 自ら矜(ほこ)らず、故に長(ちょう)たり。 それ唯(た)だ争わず、故に天下能(よ)くこれと争う莫(な)し。 古(いにし)えの所謂(いわゆる)曲(きょく)なれば即ち全しとは、豈(あ)に虚言(きょげん)ならんや。 誠に全(まった)くして之を 歸(かへ)すなり。

  

  曲がりくねった木のほうが伐採されることもなく長生きすることができるのです。 尺取り虫のように曲がっていれば伸ばすこともできます。 窪みがあるからこそ水がたまることができるのです。 古着のようにぼろぼろになれば新しくなることもできます。財産が少なければこれからさらに得ることができますが、財産が多いとかえって困ることも多くなります。 このようなことからも聖人と言われる人は、道の考え方をもって人々の手本となっているのです。 つまり、自分を目立たせるようなことはしないのに、かえって人々にとって大きな存在となり、みずからその正当性を主張するわけでもないのに人々から認められ、自ら自慢するわけではないのに皆から功ありと認められ、みずから偉そうにしないのにリーダー役を頼まれ、人々と争うことが無いので誰からも争いを挑まれることもありません。 昔から曲がりくねった木は長寿を全うできるというのは本当のことです。 まことに身を全うしてわが身を大自然に戻すことができるのです。
  
  
   どうですか。 通俗的な社会常識の中で汲々として生きるのか、大自然の「道」とともに堂々と生きるのか。 問われています。
  
     坂城町長 山村ひろし
 

東京坂城会

昨日(11月13日)、東京坂城会に参加しました。

東京坂城会は坂城町ご出身の方々で、東京中心に、関東地区にお住まいの方々の会です。 (会長:玉井修治氏)

    (東京坂城会 玉井修治会長)

会場は小石川後楽園内の「涵徳亭」で、今回は第16回目の開催となりました。

ご高齢の方もいらっしゃいましたが、皆様お元気で約40名ご参加いただきました。

坂城町を東京から支えていただいている誠に頼もしい皆様です。

私は、小石川後楽園のすぐ近くの湯島天神の近くで生まれ育ちましたので、今回の東京坂城会にご招待いただき、誠に感無量でした。

今後とも、皆様方の益々のご活躍を祈念いたします。

坂城町長 山村ひろし

「南条小学校金管バンド」の活躍

坂城の子供たちが頑張っています。

今日、ご紹介するのは南条小学校金管バンド部です。 8年ほど前に結成されたそうですが、依田先生のご指導もあり、メキメキ腕を上げ、金管バンドのコンクールでは常連となって全国的に活躍しています。

先日(10月29日)、岐阜県飛騨高山ビッグアリーナで開催された、第15回東海小学校バンドフェスティバル(第30回全日本小学校バンドフェスティバル〔予選〕)に出場し、銀賞を獲得しました。 惜しくも全国大会への出場権は逃したものの、素晴らしい結果に部員の皆さんは喜んでいます。

同部はこれまでも、3度の全国大会最高賞を受賞しているほか、その他にも様々な賞を獲得するなど、輝かしい成績をおさめてきています。

本日(11月10日)、坂城町役場へ報告に来ていただきました。

左から、南条小学校・山田利幸校長、依田吉志子先生(金管バンド部顧問)、三井智子さん(同部部長・アルトホルン)、坂元愛梨さん(副部長・ドラムス)、山村町長

今後、ますますのご活躍をお祈りします。

(本ニュースの詳細は、町のホームページ、広報誌にも掲載される予定です。)

坂城町長 山村ひろし

スマート タウン 坂城を目指して

最近、「スマートコミュニティー」 という言葉が使われるようになりました。

特に、3月11日の大震災に伴う原発の事故、各地での原発の停止などを契機に自治体で様々な新エネルギーへの取り組み、あるいは効率的なエネルギー使用のあり方について検討を始めています。

坂城町では、このたび、経済産業省の  「スマートコミュニティー構想普及支援事業」  に応募し、採択されました。 (平成23年度事業 金額約800万円)

このスマートコミュニテイーというのは、電力需給両面での変化に対応し、情報通信技術を活用して効率的に受給バランスをとったり、熱や未利用エネルギーを含めたエネルギーを地域単位で総合的に管理し、融通するためのシステムです。

今回の事業は、このスマートコミュニティーを坂城町で実施するための状況調査を行うものです。

この事業は大変競争率の高い、厳しいものでしたが、幸いにも事業採択となりました。 自治体、企業から応募のあった中、全国で48事業が採択されましたが、町村では北海道のニセコ町と当町のみ採択、県内では当町と須坂市のみの採択となりました。

坂城町には約260社の多くの工場群があります。 エネルギーの安定的供給は必須であります。 是非とも、この事業を通して坂城町での 「スマートコミュニティー」 を実現し、スマートコミュニティならぬ、「スマート タウン 坂城」 を実現したいと思っております。

なお、本事業を実施するために昨日(11月8日)、坂城町臨時議会を招集させていただき、関連補正予算をご承認いただきました。

本事業は24年3月までに終了させる必要がありますので、坂城町の皆様の絶大なるご協力をお願いいたします。

坂城町長 山村ひろし

老子の続き(第21章)

この章では、徳を持った人はどんなふるまいをしているのか、また、「道」とはどんなものなのかを説明しています。 抽象的なものを老子流の言い回しで解説をしています。

  孔徳之容、唯道是從。道之爲物、唯怳唯忽。忽兮怳兮、其中有像。怳兮忽兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚眞、其中有信。自古及今、其名不去。以閲衆甫。吾何以知衆甫之然哉。以此。

  

孔徳の容(よう)は唯(ただ)道に是れ従う。 道の物たる、唯怳(こう)、唯忽(こつ)。  忽たり怳たり、其の中(うち)像有り。怳たり忽たり、其の中物有り。  窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中精有り。其の精甚(はなは)だ眞にして、其の中信有り。  古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名去らず、以て衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。  吾れ何を以て衆甫の然るを知るや、これを以てなり。

  本当の徳を備えた人はひたすら道のありように従っています。 ただし、道はまことにおぼろげでとらえにくいものなのです。 そのおぼろげな中にもなにかの形があり、そのぼんやりした中になにかの物があります。 影のように暗い中に何かの精のようなものがあります。 その精はまことの真でありその真の中に確かなものが存します。 大昔より現代にいたるまで道は絶えることなく続いています。 すべての万物を統括しているのです。 私が何をもってその事実を知るかと言えばこの道のありようを見ているからなのです。
  
    ここでは、「道のありよう」を述べていますが、何と言っても大自然を営々と総べている 「存在自体が説得力」 ということでしょうか。
   
  坂城町長 山村ひろし
 

坂城中学校の授業に参加

昨日(10月31日)、坂城中学校の授業に参加しました。 この授業は実践的な 「ものづくり」 の授業で、テーマは 「鈴木文庫用の本立を作ろう」 というテーマです。

坂城町出身でセブン&アイ・ホールディングの会長をされておられる鈴木敏文さんは坂城町の小学校、中学校に多くの図書を寄付され、各学校では「鈴木文庫」と呼ばれ、多くの子供たちに利用されています。

坂城中学校ではこの 「鈴木文庫」 をもっと使いやすくするために自分たちで専用の本立てを作ろう、ということになり、図書委員会で特別に外部の先生(E クリエイト 河野先生)を招いて、本立て作りの実践的な 「ものづくり」 教室を開始しました。 (指導教諭:窪田啓三先生)

昨日は、その第一日目で、皆でどんな本立てができるかディスカションをしました。

この図書委員会は全員で28名で、1年生から3年生までが一緒になり4班に別れ学習を開始しました。 先輩が後輩を助けながら活発な授業が行われています。

生徒の皆さんには、本立てが完成したら鈴木さんに見ていただくか、少なくとも写真を送ってくださいと激励しましたので、立派な作品ができるものと期待しています。

坂城町長 山村ひろし

「おとわの会」さん 長野県地方事務所より表彰

広報「さかき」などの音訳版を作成していただいているボランティアグループ 「おとわの会」さんは、このたび平成22年度長野県「地域発元気づくり支援金」を活用した事業のうち 「既存施設を利用した福祉拠点施設整備事業」 の優良事例として長野県地方事務所より表彰を受けられました。(10月20日)

本日(10月31日)会長の 野口 美恵子さん、副会長の 柳沢ヒロ子さんにわざわざ役場までお出でいただきました。

音訳に興味のある方、また読み方の勉強をしたい方などおられましたら 「おとわの会」 までご連絡ください。 (連絡先:坂城町社会福祉協議会 ☎・有線82−2551)

 左側から会長の野口美恵子さん、山村町長、副会長の柳沢ヒロ子さん

坂城町長 山村ひろし

平成23年度坂城町表彰

昨日(10月29日)、文化祭開会式に先立ち、文化センターにおいて、平成23年度坂城町表彰式が執り行われました。 (ご経歴の詳細等は坂城町公報をご覧ください)

表彰は、長年坂城町に貢献された、「坂城町表彰」と坂城町で培われた高度な技能・技術の継承者に対する「坂城WAZAパワーアップ事業表彰」について行われました。 今年の表彰者は前町長の中沢一さんはじめ、以下の方々です。(敬称略)

坂城町を支えてこられた皆さまに、心よりお祝い申し上げるとともに、衷心より感謝申し上げます。

坂城町表彰・功労表彰(敬称略)

  • 中沢 一、池田 博武、圓尾 美津子、春日 武、林 春江、三井 幸雄

坂城町表彰・功績表彰(敬称略)

  • 山城 賢一、 澤 哲

坂城町表彰・職員功労表彰(敬称略)

  • 赤池 利博、西沢 良一、富山 一郎

坂城町表彰_表彰者

▲坂城町表彰(写真前列左から、林さん、春日さん、中沢さん、山村町長、宮下副町長、池田さん、圓尾さん、三井さん。後列左から、赤池さん、 澤さん、山城さん、西沢さん、富山さん)。

WAZAパワーアップ事業表彰

町に培われてきた高度な技能・技術の継承と修得、子どもたちへの「ものづくり教育」支援、新技術・新産業の創出や発明に対する支援などを行う「坂城WAZAパワーアップ事業(平成22年度開始)」の一環として、ものづくり分野における、優秀な技能者及び新技術の創出などをされた方々を表彰するものです。

卓越技能者賞(敬称略)

  • (株)ウインテック  寺島 利勝 、力石化工(株)  森 昭雄

優秀技能者賞(敬称略)

  • 日精樹脂工業(株)  竹内 昌枝

新技術・発明賞(敬称略)

  • (有)小山牛肉店  小山 政仁

WAZAパワーアップ表彰_表彰者

▲WAZAパワーアップ事業表彰(写真左から、竹内さん、寺島さん、山村町長、宮下副町長、森さん、小山さん)。

今回受賞された皆さまの益々のご活躍をお祈りいたします。

坂城町長 山村ひろし

老子の続き(第20章)

これまた、ショッキングな章ですね。 いきなり、「学を捨てれば憂いなし」 で始まります。 私たちが無意識に溺れている社会常識に真っ向から反撃を加えています。

絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。我獨怕兮、其未兆、如孾兒之未孩、乘乘兮、若無所歸。衆人皆有餘。而我獨若遺。我愚人之心也哉、沌沌兮、俗人昭昭、我獨若昬。俗人察察、我獨閔閔。忽兮若海、漂兮若無所止。衆人皆有以、而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。

 学を絶てば憂いなし。 唯(い)の阿(あ)と、相い去る幾何(いくばく)ぞ。 善の悪と、相去る何若(いかん)。 人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。」 衆人煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春、臺(うてな)に登るが如し。 我獨り怕(はく)として、それ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(がい)せざるが如し。 乗乗(じょうじょう)として、帰(き)する所なきが如し。 衆人皆餘(あまり)有り、而(しか)るに我獨り遺(わすれ)たるが如し。 我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。 俗人昭昭(しょうしょう)たるも、我獨り昏(くらき)が如し。 俗人察察(さつさつ)たるも、我獨り閔閔(びんびん)たり。 忽(こつ)として海の如く、漂(ひょう)として止(とど)まる所無きが如し。 衆人皆以(な)す有り、而るに我獨り頑(がん)として鄙(ひ)なるに似たり。 我れは獨り人に異なりて、母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。

 

 知識偏重の学問などやめてしまえば何の憂いも無くなります。 「はい」というのと「ああ」というこの差などどれだけのものでしょうか。 「善」と「悪」の差などもどれだけのものでしょうか。 人が憚らねばならないことも、どの程度そうしなければならないのかわかりません。 
 人々が浮き浮きとして、まるで大変なごちそうをいただくような様子だったり、春の日に高台に上り楽しんでいるようなときも、私だけはひっそりとして動く気配もなくまるでまだ笑いを知らない赤子のようにしています。 ふわふわとして身の置き所もなくまるでホームレスのような具合なのです。 人々はみな生き生きとしているが私一人忘れ去られた状態です。 私はまるで愚か者のようです。 普通の人々は賢く輝いているのに私一人は何かぼんやりとしている。 人々はみなきびきびとしているのに私一人はぐずぐずしている。 海に漂い拠り所もないようです。 人々は皆なにかすべきものを持っているのに私だけがまるで愚か者のようで何もすることがありません。 私一人はほかの人々と異なり母なる道に自然に養われることを大切にしているのです。
  
 どうですか、絶対自由の極致で「道」とともに生きる。 常に「道」とあれば「不孤」ではない、ということです。 このように自分の基軸をしっかりと持って生きていけるか、大変厳しい考え方ですね。
 
 坂城町長 山村ひろし