卒園式・卒業式

昨日(3月22日)、坂城保育園の卒園式に出席させていただきました。

これで坂城高校の卒業式(3月9日)、に始まり、上田女子短大(3月15日)、坂城中学校(3月18日)、村上小学校(3月19日)、坂城幼稚園(3月20日)、坂城保育園(3月22日)、の各卒業式、卒園式に出席させていただきました。                 

残りは明日(3月24日)の信州大学繊維学部卒業式です。

卒業式の日程が重なりすべてに出席させていただくことが難しいのですが、今年は上記の7か所となりました。

卒業式、卒園式は各々の学校、園のいわば集大成、特徴があらわれ、どのように教育がなされてきたのか良くわかり大変興味があります。

皆さんのキラキラしたまなざし心を打たれます。

保護者の皆さま、指導された先生方、子供たちに感謝です。

坂城幼稚園卒園式

坂城保育園卒園式

村上小学校卒業式

坂城中学校卒業式

坂城町立小学校、中学校を転退職される先生方との懇談

坂城町長 山村ひろし

坂城町平成25年第1回議会定例会閉会挨拶

本日(3月21日)、坂城町平成25年第1回議会定例会が閉会し以下の閉会のご挨拶を述べさせていただきました。

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平成25年第1回議会定例会 閉会あいさつ

 平成25年第1回坂城町議会定例会の閉会にあたり、一言ごあいさつを申し上げます。
 3月4日に開会されました本定例会は、本日までの18日間の長きにわたりご審議をいただきました。提案いたしました専決報告、規約の変更、条例の制定、一部改正、一般会計・特別会計25年度当初予算、さらに、追加議案でお願いいたしました条例の一部改正、24年度の補正予算など、全ての議案に対して原案どおりご決定を賜り、ありがとうございました。
 
 さて、先週15日に、安倍首相がTPPの交渉への参加を決定いたしました。日本の政治も、ようやく決められない政治から、決める政治へと変化してまいりました。
 TPP交渉への参加にあたっては、「聖域なき関税撤廃」を掲げてきたアメリカに対し、農業について、首相自身、日本の農業を守るために全力を尽くすと強調しております。安倍政権が今後どのように考え、強く主張することができるかを注視してまいりたいと思います。
 
 先月12日、経団連、経済同友会、日本商工会議所のいわゆる経済3団体のトップに対し、安倍首相が賃金引上げを要請したとの報道がございました。
 企業では、安倍首相の要請に呼応して、賃金のベースアップを実施する動きも見られ、更に広がっていくことを強く望むものであります。
 また、この15日、黒田東彦(はるひこ))アジア開発銀行総裁が、日銀の次期総裁に就く政府の国会同意人事案が正式に承認されました。政府の任命を経て20日に日銀の新体制がスタートいたしました経済団体トップからも新体制に期待する声が相次いでおります。
 いよいよ安倍政権のいわゆる「3本の矢」の金融・財政政策が具体性をもってまいります。日本経済がデフレを脱却し、力強く、持続的な成長をしていくことを期待しております。
 
耐震改修工事を進めてまいりました村上小学校につきましては、12月議会で承認をいただきました変更工事を含め、校舎棟の工事を終了いたしました。耐震補強を図る耐震壁を設置し、トイレを始め内部の改修、保健室の校門付近への移行、屋上への太陽光発電設備の設置などを行いました。
また、外壁の塗装も終了し、朝日に照らされた時の昇降口と校舎の色合いが大変綺麗であると、子供たち、保護者の方から喜ばれております。
先月27日には、町と工事関係者が、子供たちが自発的に計画した「耐震工事感謝の会」に招待され、私も大変感激いたしました。
工事の実施に当たっては、教室の移動等子ども達にも負担をかけました。また、保護者の皆さんには、教室の移動の際にご協力をいただき、無事に終了することができました。ここに改めて感謝申し上げます。
明日(3月22日)、新校舎の竣工式を行います。
町民の皆さんにも、ぜひ、綺麗になった校舎をご覧になっていただければと存じます。
 
坂城町地域防災計画につきましては、原子力災害への対応と過去の風水害等を教訓として活用するよう、国や県の防災計画改定の動きに合わせた見直しを進め、この18日に防災会議を開催し、原子力災害対策編の新設等の改正を行いました。
東日本大震災及び長野県北部地震から2年が経過し、防災意識が薄れつつあるとの新聞報道があります。折に触れて、常時災害への備えを呼び掛けていくとともに、国、県の情報等を得ながら、今後も防災計画を見直し、災害に強いまちづくりを進めてまいります。
 
役場庁舎の防災対策につきましては、「役場消防計画」により、保健センターを含めた庁舎の防火管理者や、自衛消防隊、庁舎内の各火元責任者、避難誘導などを包括的に定めております。
 この計画に基づき、庁舎内の職員で自衛消防隊を組織し、災害時には、消火等の活動を行うと共に、来庁された方の避難誘導、救護活動、また、非常用持ち出し物品等の搬出を行うようにしております。
 また、万が一避難が必要となった場合の避難場所は、役場北側の駐車場を指定しております。
 今後も引き続き、来庁された方の安全確保を第一に、更には庁舎の被害を最小限にできるよう、訓練を実施して参りたいと考えております。
 
昨年8月に坂城町特命大使をお引き受けいただきました、画家小松美羽さんのご活躍は目を見張るものがあります。先週ドバイから帰国され、翌11日には、近況報告のため、役場にお越しいただきました。
 小松さんは、この3月16日のダイヤ改正により新しくなりました「しなの鉄道時刻表ポケット版」の表紙絵も描いていらっしゃいます。
 ニューヨークへの進出を目指し、日本各地での個展、展覧会を開催される中、郷土をモチーフにした作品を手掛けられ、「ふるさとに誇りを持って世界を目指そう」と志高く、意欲的に活動される彼女にエールを送りたいと思います。
 
3月29日(金)午後3時から坂城テクノセンターにおいて、坂城敬学会の主催による公開講座が開催されます。
 講師には、長野県塩尻市ご出身で~三越の相談役の中村(たね)夫氏をお迎えし、「日本橋の町おこし ~坂城町に期待すること~」と題してご講演をいただきます。
 中村先生は、長野県マーケティング支援センター特別顧問もお務めで、流通や産業界の第一線でご活躍されたご自身の経営理念や戦略、展望について有意義なお話を拝聴できるものと期待しております。
 
4月2日には、各保育園の入園式、4日には小中学校、坂城高校の入学式が行われます。坂城町の未来を担う子供たちの晴れの姿をご覧いただくとともに、祝福をしていただければと思います。
 
4月6日から15日は、「春の全国交通安全運動」が、21日から30日には、「春の地域安全運動」が実施されます。町民の皆さんにおかれましては、暖かな春を迎え、何かと外出する機会が多くなる時期でもあります。交通事故や犯罪に遭わないよう、また、巻き込まれないよう、より一層のご注意をいただきますようお願いいたします。
 
4月21日(日)には、14回目の千曲川クリーンキャンペーンを予定しています。貴重な水資源である千曲川の自然環境を守るため、大勢の町民の皆さんのご参加をお待ちしております。
 
 春は、三寒四温と申しますが、今年は特に寒い日が多くありました。暖かい春の日差しが待ち遠しく感じられます。
議員各位におかれましても、健康に留意され、新年度を迎えていただきたくお願い申し上げ、閉会のご挨拶とさせていただきます。
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坂城町長 山村ひろし

桜が満開?

いよいよ春爛漫に近づいてきたのでしょうか。 

本日(3月19日)、村上小学校の卒業式の後、校庭を見たら、2本の桜の木がまさに満開となっていました。 びっくりしました。

彼岸桜でしょうか?

村上小学校の満開の桜?

*村上小学校の神尾校長先生からのご連絡では、この花は 「魯桃桜(ろとうざくら)」 ということでした。

調べてみますと、、「日露戦争に行った軍人が凱旋記念に持ち帰って植えたものらしい」との言い伝えがあるそうです。

ソ満国境かシベリアの原産であろうと推測し、名前に魯(露)西亜(ロシア)の「魯」の字と、桃に近い植物なので「桃」の字も入れることにして「魯桃桜」と命名し、天然記念物の申請をしたそうです。(※ただ実際の魯桃桜の原産地については諸説あり、はっきりとはわかっていません。) (長野県立図書館資料による)

ようするに、これは「桃」のようです。

*落合照雄氏、久保田英夫氏による論文が昭和37(1962)年に発表されており、その中で魯桃桜は「モモ亜属Amygdalusに属する学名Prunus Davidiana(CARR.)FRANCHET
   和名:ノモモ、ハヤザキモモ 英名:David peach」
であるとの調査結果があります。(長野県立図書館資料による)

村上小学校で現物をご覧になって下さい。

谷川沿いの桜(ソメイヨシノ)も見ましたがこちらはまだまだ蕾の状況ででした。

一方、びんぐし湯さん館 駐車場脇にある「河津桜」は 二分咲から三分咲というところでしょうか。

湯さん館駐車場横の「河津桜」

4月初旬に杏と桜が一斉に咲くのを楽しみにしています。

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坂城町長 山村ひろし

坂城町消防団員任命式

一昨日(3月15日)、坂城町役場講堂で、坂城町の安全・安心を第一線で守っていただいている 「坂城町消防団員任命式」 が行われました。


                   

任命式で訓示を行う山村

以下、坂城町のホームページから

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3月15日(金)地域を守る!消防団任命式

任命式01

3月15日(金)、役場講堂で、平成25年度消防団任命式が行われました。

新しい分団長、副分団長、班長、新入団員の皆さんが手塚消防団長から任命を受け、今後は新体制のもと、町の安心・安全な生活を守るため活動を進めていきます。地域のために頑張る消防団を地域で応援しましょう。

新分団長

任命式02

(敬称略)

  • 第1分団 柳沢雄太
  • 第2分団 三井 武
  • 第3分団 小林拓也
  • 第4分団 竹内春樹
  • 第5分団 小林優樹
  • 第6分団 鎌倉 賢
  • 第7分団 吉池昌志
  • 第8分団 黒岩千尋
  • 第9分団 赤羽貴志
  • 第10分団 塚田泰斗
  • 第11分団 岡田治樹
  • ラッパ分団 三橋優介

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坂城町消防団の皆様の献身的なご活躍に敬意を表します。

坂城町長 山村ひろし

坂城町文化の春

桜の開花宣言があちこちで聞かれるようになりました。

長野の桜は今しばらくのようです。

我が家の杏の蕾もだいぶ大きくなってきました。(開花予想は4月第1週)

昨日(3月16日)から文化協会主催の美術展が文化センター体育館で開催されています。

美術展01

美術展02-05

「第20回美術展」(文化協会主催より)

また、本日は文化センター大会議室で第41回坂城町謡曲大会が開催されました。 

今回の謡曲大会は宝生会の皆さんが当番ですが、宝生、観世両流の方々が20以上の演目を上演されておられました。

また、坂城町子供能楽教室の皆さんが「鶴亀」「紅葉狩」「猩々」の仕舞を行いました。 年々レパートリーが増え頼もしい限りです。

来年、8月末には「第2回薪能」も予定されています。

松木千俊先生、野村萬斎さん他の出演も決まっています。

楽しみです。

坂城町長 山村ひろし

「坂城の100人」 8人目は 万力和蔵 です

「坂城の100人」 8人目は鼠宿出身の力士  万力和蔵 です。

 
 力士 万力和蔵(中村和蔵)
 1823(文政6)~1858(安政5)年
 
 江戸時代の信州の力士というと、東御市(旧東部町)出身の雷電為右衛門を思い出しますが、鼠宿出身で、江戸後期、十両まで昇進した力士、万力和蔵がいます。
 
 和蔵は鼠宿中村与七の次男として生まれ、小さい時から大力の持ち主で、21歳の時に志を立てて江戸に上り、行司の木村庄之助の門下に入り、相撲道に励みました。
 弘化2年(1845年)の11月場所で 「矢車和介」 として初土俵を踏み、安政3年(1856年)の11月場所で十両格に昇進し、番付は西幕下5枚目になりました。
                        
 矢車和介に始まった四股名は、その後、矢車和蔵、東車和蔵、幕下となった嘉永3年に(1850年)に八十島和蔵と改め、安政3年から 「万力和蔵」 と改名しています。
                 
 安政3年(1856年)十両に昇進後、同5年(1858年)には松代藩のお抱え力士となりました。
 しかし、十両格になってからは体調不良により成績は振るわず、十両格での出場は3場所だけとなりました。 (残念ながら1勝もできぬまま急逝してしまう。)
 この間、和蔵は故郷に錦を飾り、嘉永7年(1854年)に産土神(うぶすながみ)の会地早雄神社(おおち はやお じんじゃ)に江戸大相撲を奉納しましたが、その後、36歳の若さで急逝しました。
                       
 以下は万力和蔵が八十島を名乗っていた頃に木村庄之助より相撲免許を得て会地早雄神社で江戸大相撲奉納を許された時の文書です。
 
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  奉献証状之事
             
     信濃国埴科郡鼠宿村・新地村産神
                  
会地早雄神社
                     
  此度八十島和蔵心願ニ付御取次太鼓櫓奉納仕候
  依之神事祭礼之砌幾久敷可被相用候 依而如件
               
       嘉永七年寅年七月
      
  本朝相撲司御行司             
    吉田豊後守追風      二十一代    
           
  従二位左中将殿家                
    木村若狭守正規      十三代   
 
  五篠殿家 日本角力行司目付   
               木村庄之助
 
                    正輝花押
 
         赤池勧解由介殿
 
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会地早雄神社(おおぢはやおじんじゃ)
                 
 
 
                 
 
万力和蔵の墓 南条鼡
 
万力和蔵の墓の裏面
万延元年8月(1860年)とあります
                   
 
 
  
万力和蔵の肖像(芳春画)
(写真:山崎仁さん提供)
                    
                
 
八十島(万力)和蔵の略歴(久保草賢書)
(写真:山崎仁さん提供)
                  
                     
                 
 ちなみに、昨年、第34代木村庄之助さん(在位2007年5月〜2008年4月)が坂城にお出でになりましたが、三井袈裟喜さん経由でこの色紙をいただきました。
                    
 
    第34代木村庄之助さんの書
         「力心一途」
 
                       
                   
 力強くて、力まず、素直な、素晴らしい書ですね。
                        
                       
 尚、現役の坂城町出身のお相撲さんは三段目西46枚目の旭鵬山(本名:山崎英旗)です。 こちらの踏ん張りにも期待します。
                
                     
向こう側:旭鵬山 昨年の金井地区相撲大会での見本相撲
                                              
 
                       
 以上、参考資料:「ふるさと探訪」(坂城町教育委員会)
        「北国往還ねずみ宿」(山崎仁編) 他
                 
                   
 *会地早雄神社の近くの墓地を見ていたら「力士目代 小車幸太郎碑」と書いてありました。 裏面には 松代真田領 とありました。
              
  山崎仁さんのお話では、当時の地元相撲愛好家の小山さんの碑とのことです。
  とにかく、相撲の盛んな土地柄ですね。
               
 
                        
                     
                             
                     
 坂城町長 山村ひろし

坂城中学校3年生から提案(水力発電)

昨日(3月14日)、坂城中学校3年生の代表の方から、小水力発電に関して提案書をいただきました。

坂城中学校3年1組では水力でモーターを回し発電するミニ水力発電についてクラス全員(36名)で各々研究・実験を行いその成果を「エネルギーの地産地消」として報告書を纏めていただきました。

左から:鳥居拓未さん、染野美咲さん、山村、 澤直樹さん、栗林穂実さん

再生可能エネルギーを考える際にどうしても大規模なものばかりを考えがちですが、今回の提案のように小規模でもいろいろと工夫が出来ると思います。

4月以降、坂城中学校の後輩の生徒さんたちともいろいろ考えて行きたいと思います。

坂城町長 山村ひろし

竹内希さんのザンビアだより(第5回)

JAICAの青年海外協力隊としてザンビアで理数科教師をしておられる竹内希さんから5回目の「ザンビアだより」が来ました。

アフリカ中南部のザンビア共和国へただ一人旅立たれ約9ヶ月が経ちました。

以下、坂城町ホームページの記事からご覧ください。

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ザンビアだより~ 平成25年3月 竹内希

Women\'s Day01

「3月8日は何の日?」

3月3日は、日本はひな祭りの日ですね。女の子がいる家庭では、雛人形が飾られたのでしょうか?私もこの日は少しでも日本の雰囲気を感じたく、海苔巻を食べました。ザンビアでは、なかなか日本の食材が手に入らないので、海苔も醤油もわさびも貴重です。日本食ブームにより、醤油やわさびなどはザンビアのスーパーにも売られていますが、やっぱり日本の物が美味しいですね!!(笑)

話がそれましたが、みなさんは3月8日が何の日か知っていますか?私は日本に居た時はあまり意識をしたことがなかったのですが、Women’s Day(国際女性の日)です。国連では1975年より3月8日を「国際女性の日」と定め、女性たちが、平等、安全、開発、組織への参加のための努力により、どこまで可能性を広げてきたかを確認すると同時に、今後のさらなる前進に向けて話し合う場として設けられた記念日としてきました(引用:国際連合広報センター)。

そのため、ザンビアでは3月8日は祝日です。女性たちが、色とりどりのチテンゲドレスやスーツをまとって街を行進します。色々な団体が、この日のために同じ柄の服を仕立屋さんに頼むので、この時期になると仕立屋さんは大忙しです。私の学校は、去年チテンゲドレスを着たので、今年はスーツを着ることにしました。私も同僚と同じスーツを学校から頂き、行進に参加しました!!街を行進した後は、大きなグランドに集まり、女性の日を祝う式典が行われ、伝統的なダンス、女性生徒からの詩の発表、劇、様々な人からお言葉をもらいました。

Women\'s Day02

ザンビアは、管理職についている女性の割合が日本より多いような印象です。私の学校の校長先生も女性ですし、出産をしても仕事を続けている人が多いと思います。これはおそらく、ある程度の収入がある人は、ベビーシッターやメイドを雇う習慣があるからなのかなと思います。また、親戚、兄妹、近所の人などが一緒に育児を行います。特に、まだ幼い小学生くらいの子が自分より小さい子を抱っこしている姿を良く見ます。男尊女卑のザンビアでは、子供たちは家庭の労働力なのです。そして、仕事は日本と比べると厳しくありません。良く言うと、融通が利きます。このような社会環境が、女性の社会進出を促しているのかもしれません。

日本は、まだまだ女性が一生働き続けるには難しい環境だと思います。昔に比べたら、少しずつ意識の変化がなされてきていると思いますが、欧米に比べると仕事を続けている女性の割合は低いです。もっと、ライフイベントを楽しめる社会になっていったら良いですね。また、女性自身も育児を一人で抱え込まなくて良いと思います。育児は、大勢の人と一緒にやる方が楽しいですよね。そして、子供のためにもなります。ベビーシッターや他の人に手を借りながら育児をするのも、私は良いと思います。ただ忘れてはいけないのは、子供はあっという間に親の傍から離れてしまうということ。それを心に留めて、日々の成長を一緒に楽しんでいけたら良いですね!!

Women\'s Day03

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坂城町長 山村ひろし

小松美羽さんの絵が 「しなの鉄道」 の表紙に

本日(3月11日)、坂城町特命大使の 小松美羽 さんが来られました。

久しぶりにいろいろとお話しさせていただきました。 

また、「しなの鉄道」の2013年3月16日ダイヤ改正号の表紙に小松美羽さんの絵が掲載されています。

電車に飛び乗っているのは長野県獣の かもしか だそうです。

また、左上には坂城町のエネルギー(太陽?)の象徴だそうです。

絵の上に書かれている小松さんのメッセージは以下の通りです。

「私は今も昔もしなの鉄道に乗っている。坂城からトンネルを抜ける瞬間が好きで、山々と電車と乗客とがノスタルジックに混じり合ったような感覚を覚えている。今回描かせて頂いたのはその記憶の断片だ。」

小松さんは昨日トルコから戻られたとのこと、また、もうすぐドバイへ行かれたり、パリへ行かれたりするそうで、まさに世界をまたにかけて活躍されています。

また、来年にはニューヨークへ2~3年移住されることも計画されておられるようです。

「坂城町特命大使」の小松美羽さんの益々のご活躍をお祈りします。

坂城町長 山村ひろし

「坂城の100人」第7回は昭和橋を設計した中島武さんです。

「坂城の百人」 第7回目は、中島武氏です。            

 中島氏は坂城町生まれの方ではありませんが、もはや歴史的遺産といえる、昭和橋の設計者です。
 坂城町には159の橋がありますがその中でも 「土木遺産」 に認定された特別な橋です。
 坂城町では来年度より橋梁の補強工事を計画的に実施してまいりますがその中でもこの昭和橋の長寿命化は大切な事業だと考えております。
                           
 以下、この昭和橋ならびに設計をされた中島武さんについて、坂城町で2005年に編纂した 「ふるさと探訪」 から元教育長の大橋幸文さんの文章をお借りし記述させていただきます。
                        
 昭和橋を設計していただいた、中島武さんと昭和橋の物語です。
                       
土木遺産としての認定書
                      
昭和橋に架けられている認定盤
                    
                      
昭和橋近影        
   
昭和橋と自在山      
                     
                             
以前ご紹介した牧忠男さんの水墨画による「昭和橋」
                   
(牧忠男さんの昭和橋研究は以下のサイト)
                            
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(「ふるさと探訪」 2005年 より)
            
・鉄筋コンクリートローゼ橋の生い立ち
                       
 鉄筋コンクリートのローゼ橋は、戦争のため鋼材が不足したとき、昭和8年(1933年)から、長野県の道路技師を務めた中島武技師が設計した世界初の技術です。
 長野県内では、戦前に6橋10連、戦後昭和44年(1969年)までに28橋67連が建造されました。
 美しい放射線を描くアーチが特徴で、印象的な景観をつくっています。
 鋼材が自由に手に入るようになってからは、コンクリートローゼ橋の時代は終え、鋼橋となっています。
・中島武道路技師のこと
                     
 昭和8年(1933年)から昭和12年(1937年)までの4年間、長野県道路技師・土木技師を務めた中島武は、明治39年(1906年)札幌市に生まれました。
 昭和6年(1931年)北海道大学工学部土木工学科を卒業しました。
 卒業後、茨城県道路技手、岐阜県道路技手を経て、弱冠27歳で、長野県道路技師・土木技師となり、その時に鉄筋コンクリートローゼ橋を設計したのです。
 その後、国の内務省土木局に務め、戦後は建設省中部建設局長、関東建設局長などを経て、首都高速道路公団理事となり、昭和38年(1963年)に退職しました。
 昭和55年に亡くなられています。道路事業一筋に歩まれた生涯でありました。
・昭和橋の歴史
                     
 坂城と村上を結ぶ交通は、昭和3年(1928年)まで渡し船(渡船)でありました。船着き場までの道も、畦道程度のものでした。
 橋を架けたいという住民の願いは、年を追って高まり、たまたま上五明経営の渡し船が傷んで新調が迫られたのを契機に、昭和2年に坂城町と村上村両町村で更埴南道路組合を設立しました。組合は、翌年3年に木橋(板橋)を架け「昭和橋」と名付けました。
 昭和橋は、馬車も通れましたが、板橋のガタガタ橋で、下駄の歯が板の隙間に挟まるので、下駄を脱いで渡った人もいたということです。
 年々この道路の利用者が増大し、昭和10年(1935年)には室賀村(現上田市室賀)が加わり、坂城・室賀道路組合となり、永久橋架橋の計画が立てられました。しかし、町村道であるため、三か町村では永久橋にする経費が捻出できず、県の補助をあおぎました。
 少しでも多くの補助を受けるために、交通量の調査には、籾がらを俵やかますに詰めたり、子どもまで炭俵に入れて、荷車やリヤカーで何回も坂城駅まで運んだと、昨年亡くなられた田島清蔵元老人クラブ会長も炭俵に入れられて運ばれた経験を語っていました。
 昭和12年(1937年)、ようやく県の補助を得て、坂城側から3連を鉄筋コンクリートローゼ橋とし、その先を木橋として架設されました。
 しかし、木橋部は洪水のたびに流出したので全部を永久橋にしたいという住民の要望は年々高まりました。昭和22年(1947年)この路線が県道に編入され、県道上室賀坂城停車場線となり、昭和橋の維持管理も坂城・室賀道路組合から県に移管されました。
 昭和24年(1949年)のキティ台風で木橋部が流出した時は、上流の鼠橋も下流の笄橋も流出し、村上と坂城間の交通は上田橋を渡らなければなりませんでした。
 翌25年、既設の鉄筋コンクリートローゼ橋と同様のローゼ橋が災害復旧工事として着工され、27年(1952年)6連のローゼ橋が竣工し、現在の9連のローゼ橋となりました。この竣工を伝える「坂城町公民館報」には、「流れては直し、直しては流れと賽の河原を繰り返し今日に至った。故人となられた人々を始め先輩の努力が漸く実を結んだもので、感謝に堪えないところである」と記されています。
 しかし、9連の永久橋は完成しましたが、西端120m は架橋されず河川敷から斜めに木橋をかけて上り下りしました。ここに鋼橋の2連が架橋されたのは昭和39年(1964年)でありました。この鋼橋は国道19号線の改良工事によって生坂村で不要となった犀川の橋梁です。
 こうして全長460mの昭和橋が永久橋となったのは、最初の工事が始められて27年、県道になってから17年の年月を要しました。
 車時代になると昭和橋は交通のネックとなり、新たな橋が求められました。昭和62年(1987年)、坂城大橋が竣工しました。坂城大橋が、県道上室賀~坂城停車場線となり、今まで県道であった昭和橋ルートは再び町道に移管されました。
                                
(以上、「ふるさと探訪」 (2005年) より、元教育長 大橋幸文さんの文章から)
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 坂城町長 山村ひろし