稲玉徳兵衞翁生誕190年を偲ぶ

本日(5月19日)、稲玉徳兵衛翁を偲ぶ会(生誕190年)に参加しました。

江戸時代末から明治の初めの混乱期に、坂城町から出た偉人といえば稲玉徳兵衛翁(1822-1872)です。

徳兵衛翁の偉業を偲ぶ会「稲玉徳兵衛翁頌徳伝承会」(柳沢一男会長)がご遺族の市川信七氏をお招きして、平沢の昌言(まさのぶ)神社にて執り行われました。

挨拶される、柳沢会長

稲玉徳兵衛翁は文政5年(1822年)坂城立町油屋に生まれ坂城の開墾に生涯をかけ218ヘクタールの開墾に成功をおさめ、生きながらにして神様(昌言神社)として祀られた人物です。また、横吹街道の掘削工事も手がける。(完成は没後。初めての有料道路になる。)など坂城の重要施策に大きく貢献した方です。

本年は徳兵衛翁の生誕190年、没後140年の節目の年です。

徳兵衛翁の偉業を偲びつつ現代の坂城の抱える耕作放棄地など農業問題を考える良いきっかけになればと思います。

本日は昌言(まさのぶ)神社での神事の後、心光寺で徳兵衛翁の偉業を後世に伝えるべく、稲玉徳兵衛翁頌徳伝承会の皆さんで新たにつくられた 「頌徳碑」 の除幕式が執り行われました。

また、新たな取り組みとして、碑の横にタイムカプセルを埋めました。今日の催しなども含めて埋め、「20年後」にオープンします。 

稲玉徳兵衛翁 頌徳碑 (心光寺)

また、徳兵衛翁のお墓も修理され素晴らしい姿が披露されました。

稲玉徳兵衛翁の墓(心光寺)

除幕式の後、心光寺で前副町長の柳澤哲氏により「稲玉徳兵衛翁の業績について」というテーマで講演が行われました。

坂城町長 山村ひろし

【稲玉徳兵衛昌言命】
 文久年間(1861~)の創建。稲玉徳兵衛昌言は文政五年(1822)に生まれ明治五年(1872)に没した。当時の平沢地区は荒れ果てた原野で人民も貧しかった。宿場役人であった稲玉徳兵衛昌言は、桑林による開墾を進めた。多額の私財を投じ多くの苦労と反対にあいながらも桑林試作に成功。村民の生活向上に寄与した。
 村民は稲玉徳兵衛昌言に感謝し、文久年中小祠を建立して、稲玉徳兵衛昌言を生祠に祀った。

参考:「郷土を救った人びと~義人を祀る神社~」