坂城の100人 第45回目は池田知硯(ちせき)

 坂城の百人、第45回目は前回に続き、坂城町の寺子屋の師匠として多くの弟子を育てた、池田知硯(ちせき)(生年、没年は不明。江戸末期から明治初頭の人物。)について記述します。    

 内容については、坂城町の寺子屋について精力的に調査、研究を進められておられる、前坂城町図書館長の大橋昌人先生にご提供いただきました。代表的な寺子屋の師匠5名を選んで掲載しています。(今回で4人目です。)

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坂城町の寺子屋師匠(4)池田知碩(いけだちせき)(中之条村)>

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明治四十二年に刊行された『埴科郡誌全』の人物編に寺子屋師匠であった池田知碩が載せられている。

              

「池田知碩は通称彦三郎三省堂と號す。埴科郡中之條村の人、家世々農を業とす。知碩幼より好みて書を読み、古今百家の書に通ず。性恬淡・寡言にして、能く人を愛し、栄利を求めず、仁慈にして施を好む。郷党学を好む者就て、書を借らんとすれば、欣然として之に応じ復其返納を責めず、若し所蔵なき時は購求して、之を貸與す。 (中略) 明治九年悉く其所蔵の書籍を出して、隣里郷党に頒つ。北は長野・松代より南上田に至る読書を好む者多く、其恵に浴す。親疎に論なく、毎人壱部合四百十六部二千九百九十四冊なり。十年五月飄然として家を出で、終に其所在を失ふ。譽世之を奇なりとす。知碩嘗て俳句を詠じて曰く、

                

六月の隙貝付たり野の木影(蔭)

               

遠近贈与を受けし者思慕して止まず。然れども、今に至るまで其終る所を知らずと言ふ。」

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 平成二十四年十月、格致学校で行った寺子屋展において、知碩から譲り受け、「知碩」の印を押した地図と刊本を展示した。今年になって知碩の弟子になる堀内周 (しゅうてい)が明治五年(一八七二)五月に知碩が弟子たちに蔵書を配る前の蔵書目録「池田氏蔵書録」をまとめていたことがわかった。蔵書録によると六〇三部、一九八一冊となっている。>

 知碩の句碑が村入口に建っているとなっているが、所在がわからない。

                       

 以下の写真は池田知硯が寄贈した本の一部で、「鳩翁道話」と「靖献遺言」               

池田知硯蔵書「鳩翁道話」

「鳩翁道話」:江戸時代後期の石門心学者柴田鳩翁の心学道話          

          

池田知硯蔵書「靖献遺言」

「靖献遺言」:浅見絅斎が1680年代に書いた尊王思想の書

          

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 坂城町長 山村ひろし >