十六夜観月フェスティバル

先日(9月2日)、十六夜観月殿(いざよいかんげつでん)と網掛公民館を使って 「十六夜観月フェスティバル」 が開催されました。(実行委員長:宮入宗乗網掛区長)

坂城町網掛にある、「十六夜観月殿」は月見堂ともいわれ、千曲川を眼下に望み、坂城町全域を一望におさめることのできるまさに景勝の地に建っています。

この観月殿は元中年間(1384~1392)に村上満清が建立をしたと言われていますが、その後、戦火に会って焼失し、寛永年間(1624~1645)、郷人によって再建されました。

貞亨5年(1688年)8月16日、芭蕉が十六夜の月を詠んでいます。

「いざよひもまだ更科の郡かな」(更科紀行)

                                                    

何百年に亘って続けられている句会ですが、今年から小学生も参加し、名も新たに 「十六夜観月フェスティバル」 として開催されました。

このような形で坂城の文化・伝統を継承されておられることに敬意を表します。

   

観月殿を取り囲んで子供たちも参加 

    

網掛公民館でのパーティー(私はパーティのみ参加)

今年はオリンピックが開催されたこともあり、賞は「金、銀、銅」になりました。

いずれも優秀句ばかりで感服しました。

以下、受賞句をご紹介します。

兼題:(金賞句のみ)

「秋の暮」・・・震災の 傷跡残し 秋の暮 (塚田正平)

「十六夜」・・・母の手を とり十六夜の 月を待つ (大山翠風)

「案山子」・・・案山子立て 豊穣祈り 旅に立つ (宮 郁子) 

席題:(金賞句のみ)

「蜩(ひぐらし)」・・・蜩や 夕餉の支度 せかされて (藤本貞子)

「敬老の日」 ・・・・・親不孝 心に刻む 敬老日 (宮 義也)

選者吟:

十六夜や 里連綿と 詩を詠む (大井宗斉)

去り際の 言葉は温し 秋の暮 (宮入照雲)

物いわず 案山子世情の 今映す (宮入透玄)

こどもの部: 兼題・・・「流れ星」「あきまつり」

   「優秀賞」

空の下 みんなでねがう 流れ星 (児玉陽菜乃)

夕暮れに 今年もいわう 秋祭り (児玉陽菜乃)

流れ星 願いを言う間に 消えていく (宮嵜春花)

流れ星 みんなつぶやく 願い事 (宮嵜優花)

子供たちの作品への講評と表彰  

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8月30日に俳人の朝吹英和さんが十六夜観月殿に来られました。

宮入宗乗ご住職にご案内いただきました。 

   

左から:宮入宗乗さん、山村、朝吹英和さん、奥様

後日、朝吹さんから十六夜観月殿に因んだ句を送っていただきました。             

 以下、3句です
                                
 十六夜の 月の兎と 酌み交す
 
 はせをの碑 観月殿に 月巡る
 
 雨匂ふ 狐落(きつねおとし)の 無月かな
                           
                      英和
                             
 坂城の伝統文化に対する皆さんの熱い思いに敬意を表します。
 来年は句会から参加したいと思っています。
                                 
            
 坂城町長 山村ひろし

老子の続き(第65章)

この章は、一見、「愚民政治」を推奨しているかのようですが、そうではなく、老子が一貫して主張している 「小利口な」 「小賢しい」 人間ばっかり増やしてはいけないということです。

古之善爲道者、非以明民。將以愚之。民之難治、以其智多。故以智治國、國之賊、不以智治國、國之福。知此兩者、亦楷式。常知楷式、是謂玄徳。玄徳深矣遠矣、與物反矣。乃至於大順。

                                           

 古えの善く道を爲(をさ)むる者は、以(も)って民を明らかにするに非ず。 將に以ってこれを愚(ぐ)にせんとす。 民の治め難(がた)きは、その智の多きを以ってなり。 智を以って國を治むれば、國を之れ賊(ぞく)し、智を以って國を治めざれば、國を之れ福す。 此の兩者を知るも、亦(また)楷式(かいしき)なり。 常に楷式を知る、是(これ)れを玄徳(げんとく)と謂(い)ふ。 玄徳は深く遠し。 物と反(はん)す。乃(すなわ)ち大順(たいじゅん)に至る。

                                    

 

昔の、道を極めた人は人々を智にたけた人民にしようとはしませんでした。むしろ素朴な心をもった人々を育てようとしたのです。 知識偏重の国民ばかりでは統治をすることは甚だ困難になってしまいます。 才知をもって国を治めようとするのは害を増やすことになってしまいます。 その反対を行えばかえって問題が少なくなります。 この両者の関係を知ることは大事な原則です。 常に原則に則っていく、これを玄徳と言って奥深く深遠な考え方なのです。 常に根本的な原則に戻る。 これが大きな自然の大原則である大順(大きな自然の流れ)に行きつくことになります。
                                
                                     
かつて良寛は自らの号を大愚とし「大愚良寛」としています。 「愚」とはまさに無爲に生きるということですね。 今の政治、教育のあり方を老子先生は何と見ているのでしょう。
                                        
                 
坂城町長 山村ひろし