「信上當時人名録」

 「信上當時人名録」は文政十年(1827)に発行された信州と上州の文化人を記録した書物(人名録)です。

 当寺の有名文化人を紹介した本です。

 「坂城の100人」を進めていくうえで、江戸文化の中で一時期をつくった「狂歌師」が坂木でどのように活躍していたかを調べようと、この本の原本を探していたのですが、何と、長野県のディジタルアーカイブ(「信州デジくら」)に登録されていました。

             

 この本の序文は当時、江戸の著名な文化人であった狂歌師の蜀山人(太田南畝)が記しています。

                  

             

 この人名録には345名の名が記されていますが、坂木からは20名もの人物が名を連ねています。 坂木の文化人も大活躍ですね。

 俳人では、以前にもご紹介した、藤沢雨紅や沓掛仲子などのほか小林一茶などがあり、狂歌師としては、3名記されていました。

                       

中ほどに小林一茶、右端に沓掛仲子

中央左に:藤澤秀子(雨紅)

                  

一番左に:藤澤清助(貞雅。雨紅の主人の名も。主人の清助も俳人として有名人だったのですね。)

              

左から3番目に、前澤茂左衛門(狂歌師)

              

 当時、坂木を代表する狂歌師は次の3名です。

 船海堂潮来(前澤茂左衛門)、北国同雪高(荒井得三郎)、扇池亭雪高(縁阿弥萬誉上人)

                   

 狂歌は、諧謔、滑稽、機智を詠んだ短歌ですが、江戸時代、天明期(1781~1789)に大流行しました。

 その中でも有名な狂歌師が蜀山人(太田南畝)です。

 上記の坂木の狂歌師も蜀山人の影響を強く受けています。

 北国街道、坂木宿に往来する江戸文化の香りが素晴らしいものです。

 次回以降の「坂城の100人」ではこの狂歌師の作品を一人づつご紹介したいと思っております。

                      

 坂城町長 山村ひろし