前に、第8章で 「上善は水の若(ごと)し」 というのが出てきましたが、この章でも水を引用し、「堅強」に比した「柔弱」の強さを述べています。 ここも大切な章ですね。
天下柔弱、莫過於水。 而攻堅強者、莫知能勝。 其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。 故聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國之不祥、是謂天下王。正言若反。
天下の柔弱なるもの、水に過(す)ぐるは莫(な)し。 而(しか)も堅強(けんきょう)を攻むる者、能(よ)く勝るあるを知る莫し。 其れ以(も)って之に易(かは)るもの無し。 弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざるもの莫きも、能く行なうは莫し。 故に聖人云(い)ふ、國の垢(あか)を受くる、是を社稷(しゃしょく)の主と謂(い)ひ、國の不祥(ふしょう)を受くる、是を天下の王と謂ふ、と。 正言(せいげん)は反(はん)するが若(ごと)し。
この世の中で水ほど柔弱なものはありません。 しかもいざとなると頑強なものを攻めるのに、水ほど強いものはありません。 水に代わるものもありません。 弱いものが強いものに勝つことがあることはだれでも知っていますがそれを実践できる人はいません。 そこで聖人は 「国の汚辱を自ら引き受けることの出来る人が本当の王であり、国の禍を一身に引き受けることのできるのが天下の王である」(本当に強い王がまるで弱者のように汚辱や禍を引き受けるのだ) と言っています。 このように、正しい言葉というのはあたかも反対のことを言っているように聞こえるものです。
老子と付き合うの第八章、易性争わず「上善若水」頭に叩き込みました。日本酒の銘柄にも使わていると知りました飲んだ事のないお酒ですが、よくTVのコマーシャルでサントリーが「水と生きるSUNTORY]とやはり日本人はコンビニでお金を出してでもこだわりも口にするくらい関わりのある人が生きる上で「水」当たり前なんですが、宮崎駿監督の風の谷のナウシカの世界のように自然と向き合い生きる大切な事だと思いましたがしかしあの大震災は一体なんだたんだと未だに解釈できません。老子の思想では上善若水とされていますがこれは我々人間社会でのごく普通の生活においてもけして忘れられない「試練」とおきかえればいいでしょうか?まだまだ学びたりません。