本日(3月12日)、坂城町中之条にある西念寺の若麻績(わかおみ)実豊さんと奥様の節子さんがお見えになりました。
左から:若麻績節子さん、山村、若麻績実豊さん
お二人は、3月4日、オーストラリア南東部カウラ市の日本人墓地に埋葬されている、叔父の坂城町(元中之条村)出身、元陸軍准尉若麻績通明さん(1918年―45年)の墓を訪問されました。
元陸軍准尉の若麻績通明さんが、昭和19年にニューギニアで戦死したと伝えられておりましたが、実は捕虜となった後、オーストラリアに移送され、死後、カウラの日本人墓地に埋葬されていたことが分かりました。
若麻績通明さん
昨年、明治学院大特命教授の山田真美さんがカウラの墓地のリストに若麻績通明さんの名前を発見し、知人の若麻績姓の男性に連絡したことなどから、通明さんであることが判明しました。
昨年8月に若麻績節子さんの妹さんの林康子さんとご主人の誠さんがカウラを訪問し墓地を確認されたそうです。
今回のカウラ訪問でオーストラリア国立大学研究員の田村恵子(日豪関係史の研究者)さんともいろいろお話もしカウラ市のビル・ウェスト市長とも会い、分骨などのお願いをされたそうです。
若麻績さんによりますとこの日本人墓地は大変大切に管理されており、戦没者以外でも、戦時中強制キャンプに収容された人々(抑留民間人)も含めてオーストラリア各地で亡くなった方々、500人がこの墓地に収容され埋葬されているとのことです。
昭和30年ころに、この事実が日本政府に伝えられたのですが、遺族への連絡等は一切なかったそうです。
カウラの日本人墓地
日本人墓地の献花台と墓標
カウラ、ビル・ウェスト市長
カウラ市は大変親日的で桜の植樹なども積極的に行っていただいているようです。
戦時中、海外で無くなった方々のお墓をこのように丁重に維持管理していただいていることに心から感謝したいと思います。
また、若麻績通明さんの分骨の話などが進展しましたら改めてご紹介したいと思います。
まだまだ戦後は終わっていないのだなと思いました。 また、本件についての日本政府のいままでの対応についてはいささか残念ですが、オーストラリア、カウラ市の大変、心温まるお話を伺い胸を打たれました。
坂城町長 山村ひろし