令和7年 来年はどんな年

 今年も残り少なくなってきました。 

 令和6年甲辰もいろいろな出来事がありました。

 何よりも1月1日の石川県の能登地方を震源とするM7.6の大地震が発生し、さらには、翌日の羽田空港での日本航空と海上保安庁機の衝突という大惨事から年が始りました。多大の被害を受けられた皆さまに心より哀悼の誠を捧げます。

 世界の状況では、1月13日の台湾総統選挙では与党・民進党の頼清徳氏が勝利し、ロシアでは2月16日にプーチン大統領が再選される。(任期は2030年まで) 7月4日のイギリスで総選挙では野党の労働党が単独過半数を獲得し、14年ぶりに政権復帰し、ギア・スターマー氏が新首相に。 7月26日パリで第33回夏期オリンピック(パリでは100年ぶり3回目) 9月27日自民党総裁選挙で石破氏が第28代自由民主党総裁に就任し、臨時国会において第102代内閣総理大臣に就任。 10月11日、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞に。 10月27日、第50回衆議院選挙で与党の過半数割れ(与党215議席、野党250議席) 同日、千曲市長選挙で小川修一氏が再選(2期目) 11月5日の米国大統領選挙で共和党トランプ氏が圧勝。 などなどがありました。

 さて、来年の令和7年は乙巳(いつし きのと・み)の年です。
 来年も大変厳しい重要な年となります。 

 まず、字の形からみると、「乙」は草木の芽が曲がりくねっている象形文字だそうです。昨年の甲辰の「甲」はよろいをつけた草木の芽が、その殻を破って頭を少し出したという象形文字で、言わば、新たな体制を造らんという動きを意味しており、革新への厳しい道への覚悟が要求されていました。
 また、「巳」は動物の象形文字で、今まで冬眠をしていた動物が新しい地上活動を始めると言うことで、従来の因習的生活に終わりを告げるという意味だそうです。その意味で已む(い やむ)と言うことだそうです。
 従って、乙巳という年はいろいろな抵抗勢力に対して従来の関係にこだわらず、けりを付ける年にしなければならないと言うことです。

 ここ数年は、「大転換の時代」と言われて来ましたが、未だに物事の解決が進まずますます混迷を極めています。

 各々の立場で決然と新たな取組みを開始しなければなりません。

 前回の乙巳の年、1965年 (昭和40年)も重要な事々が起きました。

 2月には、米国による北ベトナム爆撃が開始されました。 4月には初の国産旅客機YS-11が就航。8月には、松代町で地震が発生。約5年続く松代群発地震が始りました。10月には朝永振一郎氏のノーベル物理学賞が決定。また、中国では文化大革命が始りました。 

 その前の乙巳の年は1905年(明治38年)です。この年は前年に始った日露戦争の2年目に当たり、見事に勝ち戦として決着を付けた年です。 ずるずると決着をずらしていたら、第二次世界大戦のように悲惨な結果になったかも知れません。そういう意味では、素晴らしい決断をしたと言わざるを得ません。

 また、なんといっても大変革で有名なのは、「乙巳の変」、飛鳥時代645年(大化元年)に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。その後、中大兄皇子は体制を刷新し大化の改新と呼ばれる改革を断行しました。蘇我入鹿が殺された事件を「大化の改新」と言うことがありますが、厳密には乙巳の変に始まる一連の政治制度改革を大化の改新と言い、乙巳の変は大化の改新の第一段階を言いいます。

参考資料:「字統」白川静、「干支の活学」安岡正篤、ウィキペディア他

坂城町長 山村ひろし

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