「杜こなて」は、御夫婦で作曲家の吉田耕一さん+長与恵子さんの共用の名前ですが、このたび、『「君が代」日本文化史から読み解く』 という大変興味ある、チャレンジングな本を出版されました。(平凡社新書)
杜こなて(♂)(吉田耕一)さんは、慶応義塾大学経済学部を卒業し、CBSソニーレコードのディレクターを経て音楽評論家、作曲家活動をされていますが、私と慶応の同年で、同じクラブ(MRK:三田レコード鑑賞会というちょっと変わったクラブ)の代表をしていました。 当時から、ユニークな論評を数多く書いていましたが、最近では、 「チャップリンと音楽狂時代」 など素晴らしい作品を書いています。
その彼が、思いもよらず、「君が代」に挑戦したのでどんな本なのかと興味深く拝見しましたが、なかなか奥深く、幅広く研究していて今までになかった「君が代論」になっています。
何よりも、我々は日常的に歌っている 「国家:君が代」 について多くを知りません。
「君が代」は古今和歌集の詠み人知らずの短歌として紹介され、皇室の永続性の象徴としてとらえられることが一般的のようです。
しかしながら、今回の杜こなてさんの本では、日本人が「君が代」をどのように扱い、どのように「愛し」、どのように、「日常的」に歌い続けてきたかについて論じています。
古今和歌集以来、どのように歌い継がれてきたか、庶民のなかで、宴席や、祝い事、謡い、浄瑠璃、長唄、歌舞伎、などなどあらゆる場面で歌われてきたようです。
従って、日本の近世までは 「君が代」 は決して「大君」や「天皇」のみを直接的に表現するのではなく、祝い唄の全国的なポピュラーソングであったというのです。
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(平凡社解説から)
古くから謡い、唄われつづけ、明治になって新しい旋律が付け加えられた「君が代」を、日本文化の伝統のなかに位置づけつつ、社会や政治との関わりとともに考察する。「君が代」を不幸な固定観点から開放し、新しい視点のもとに見直す画期的な試み。平安を寿ぐ歌であった「君が代」を文化史の流れに位置づける。
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大変、興味ある本です。 是非、ご一読をおすすめします。
坂城町長 山村ひろし