令和5年 来年はどんな年

 今年も残り少なくなってきました。

 令和5年は癸卯(きぼう みずのと・う)の年です。

 「癸卯」の年は、今年の「壬寅」に起きた事々を反省し、もう一度原点に返り、万事・正しく筋道を通して進めば栄えるが、これを怠り、誤ると、ことごとく、物事が紛糾し混乱が起きることになりそうです。 以下、ご覧ください。

 今年の、令和4年「壬寅」(じんいん みずのえ・とら)は「五黄の寅」であり、最強のパワーを持っている年でありました。

 「五黄の寅」のもつ最強のパワーを使い、十干十二支での「壬寅」の意を踏まえて、昨年から続く新型コロナ禍のなか、いよいよ課題をしっかりと把握し、問題解決に向け一致団結し、新たな時代を築いていくという年になるものが、とんでもない、「ロシアの寅」が登場しいまだに戦いが続いています。とんでもない時代になってしまいました。

 さて、来年は「癸卯」(きぼう みずのと・う)の年であります。

 「癸」は揆であり、物事を「はかる」意味があります。

 また、物事を取り仕切る官職を「揆」と言い、特に大臣宰相を意味します。

 かつて、愛知揆一さんという方がいましたが、良い名前です。

 愛知揆一さんは、当時、外務大臣や大蔵大臣など要職を歴任した人物で日本を背負って立つ人物でしたが、大蔵大臣現職中に急死、当時の田中総理大臣が、「巨星墜つ、この時期に愛知君を喪ったのは痛い・・」と呟くのがやっとだったと言われています。まさに、「揆一」の人物と言われています。

 愛知揆一さんは私の実家と近い、文京区湯島に住まわれていたのでよく記憶しています。

 癸、揆、は、しっかりと物事を取り仕切ることが求められているわけです。

 さて、一方、「卯」は、「牲肉」を両分する形で、生贄など犠牲を卯(ころ)す意があります。

 また、冒(おかす)、陽気の衝動、茂ることも意味しています。

 「説文解字」(中国 後漢の字書)でも、字形からして、卯を門を開いた形とし、天門が開いて万物が繁茂すると解している。

 このことから、安岡正篤氏は、「癸卯の年は、万事・正しく筋を通してゆけば繁栄に向かうが、これを誤ると紛糾し動乱する意を含んでいる。」としています。

 政治が道を失って自然に起こる騒動を「一揆」と言いますが、これも特定の人物が策動して起こる反乱とは違い、自然発生的なものであると言えます。

 前回の癸卯は昭和38年(1963年)、東京オリンピックを次年に控え、池田勇人総理大臣が所得倍増論を唱え、経済的には右肩上がりの時代。

 日米間のテレビ中継が実現し、その第一報が、ケネディー大統領の暗殺事件でありました。

 また、プロレスラーの力道山が殺害されたり、吉展ちゃん事件(誘拐事件)が発生したり不穏な事件が多発しました。

 その前の癸卯は明治36年(1903年)で、日露戦争の前年にあたり、その前の癸卯は天保14年(1843年)で大塩中斎(平八郎)の騒動などの後にあたり物情騒然であり、そのまま明治維新に突入する時代でありました。

 従って、先ほどありましたように、令和5年、癸卯の年、万事・正しく筋を通し、揆一のごとく物事の根本、原則をしっかりと認識し、実践し、着実な発展、繁栄に向かう努力を続けることが大切であります。

 これを怠れば、昨年来のコロナ、国際秩序がますますおかしくなり、拡大し、大混乱、大紛糾、大動乱が継続して起こることになります。

 来年がそれこそ、癸卯(きぼう)・希望の叶う良き年になるよう全員で努力・実践することが求められているようです。

*参考資料:「字統」白川静、「干支の活学」安岡正篤

坂城町長 山村ひろし

 

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