昨日(11月8日)、坂城町文化センターで 「信濃村上氏フォーラム」 が開催されました。 10年ぶりの開催です。
(本フォーラムの資料は以下のサイトをクリックしてください。)
http://www.town.sakaki.nagano.jp/lifestudy/murakamishiforum/shinanomurakamishiforum_h27.pdf
挨拶する山村
「葛尾大尽物語」を人形劇で上演していただいた、「元気なかつらおプロジェクトの皆さん」と。(湯さん館にて)
詳細は以下の坂城町ニュースよりご覧ください。
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信濃村上氏フォーラム ~ふるさとの村上氏をめぐって~
平成17年に開催された「信濃村上氏フォーラム」から10年。その後の研究をもとに、信濃村上氏など坂城町に関する事柄を学び、次世代への歴史・文化の継承を願い、再び「信濃村上氏フォーラム ~ふるさとの村上氏をめぐって~」が、11月8日(日)、文化センターで開催されました。
今回は、村上氏などについて研究されている3名の方による講演会と、福島県葛尾村の皆さんの人形劇、信州大学地域戦略センター長で村上義清関係の著書が多い笹本正治先生がコーディネーターとなりパネルディスカッションが行われました。
講演会
▲宮澤崇士さん
講演会では、まず、長野市立博物館専門員の宮澤崇士さんが、「江戸時代の村上義清像」と題し、村上義清が江戸時代にどのように語られていたか、その研究成果を発表してくださいました。宮澤さんによると、義清は、甲斐国の戦国大名である武田氏の軍学書『甲陽軍鑑』に度々登場しており、その内容が後世の書物にも色濃く影響していることから、義清は武田家に敗れ、武田家と上杉家の戦の発端となったキーパーソンであったと、甲陽軍鑑に記された義清像が江戸時代では語られていたのではないかと話されました。
▲花岡康隆さん
次に、長野県伊奈弥生ケ丘高等学校教諭の花岡康隆さんは、「発祥から鎌倉期までの村上氏」を演題に、院政期から鎌倉幕府成立期、承久の乱から鎌倉後期、鎌倉末期にわたり、都で活動する京武者であったが、その後鎌倉幕府に仕えた村上氏が、信濃以外のさまざまな地域で活躍していたことを話されました。
▲西澤直子さん
3人目、慶應義塾福澤研究センターの西澤直子さんには、かの有名な福澤諭吉の先祖と信州の関わりについて、「信州と福澤氏 ~今までの研究成果を踏まえて~」を演題に、福澤氏記念之碑に「福澤氏の先祖は信州福澤地名の人なり」と記されており、義清の旧臣福澤氏が網掛字福澤に住んでいたことから、福澤諭吉の祖先が坂城町である可能性についてお話いただきました。
人形劇
▲猪狩省造さん
福島県葛尾村教育委員会教育長の猪狩省造さんと「元気なかつらおプロジェクトの皆さんには、坂城の葛尾城から福島県へ落ち延びた松本勘ヶ由助とその一族の「葛尾大尽物語」を、人形劇で上演していただきました。
パネルディスカッション
フォーラムの最後には、コーディネーターに笹本正治先生、ご講演いただいた宮澤崇士さんと花岡康隆さんのほか、来島村上氏18代当主の久留島通則さんと坂城町上平出身で坂城町子育て支援センター所長の平林博子さんをパネリストにお迎えし、「ふるさとの村上氏をめぐって」をテーマにパネルディスカッションを行い、村上氏を含めた地域の歴史や文化を学ぶことの重要性や子どもたちの未来が期待できるような環境をつくることが坂城町のよりよい未来につながると意見が出されていました。
▲笹本正治さん
▲久留島通則さん
▲平林博子さん
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** 今回の村上氏フォーラムにご出席されませんでしたが、福沢氏とのゆかりがある、網掛の福泉寺ご住職 宮入宗乗様から以下のメッセージもいただきました。 ご紹介させていただきます。
山村町長様
網掛福泉寺の住職 宮入宗乗です。ご無沙汰いたしております。早速ですが、来る8日の「信濃村上氏フォーラム」を楽しみにしており、特に福澤氏のコーナーにつきましては、今回初めて公式に取り上げていただきましたこと感謝に耐えなく、ぜひとも出席いたしたいと願っておりました。にもかかわらず、本日6日から9日まで、宮城県の朋友寺院にて、一代盛儀があるため不在でどうしても聴講できません。
副住職も私の代理で上平のお檀家の法事を代行するためこの時間都合がつかない状況です。後日ご挨拶かたがた資料を頂戴いたしたくお許しください。 宮入宗乗
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坂城町長 山村ひろし