この第18章は大変短い章ですが、いわば老子の真骨頂、最大の見せ場でもあるような章です。
老子の同時代の代表人物、孔子の掲げる「仁義」を真っ向から否定しているのですから、すごいものです。
大道廢有仁義。慧惠出有大僞。六親不和有孝慈。國家昬亂有忠臣。
大道廃(すた)れて、仁義有り。 智恵出でて、大偽(たいぎ)有り。 六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。
仁、義の大切さをよく言われますが、そもそも「道」の大切さが忘れられたためにこの仁義などが説かれているのです。さかしらな知識だけが尊重されるために大変な偽り社会がはびこってしまうのです。
考とか慈愛についても、親類、家族がまとまらずもめ事が多いため必要とされるのです。
忠臣の大切さが言われますが、これも国家が混乱しているからこそ、このようなことが大切だと言われるのです。従って、根本に戻り、道のありようを大切にしなくてはなりません。
この章はすごいですね。
そもそも、仁義などの大切さを説くのが間違っているのであって、「道」の大切さが十分浸透していれば「仁義」などと言うことの意味がないのだと、言い切ってしまうことのすごさがあります。
現存の社会、制度、風土、風潮など一切を否定して見直してみる。 つまり原点に立ち返り物事の本質を考えることが必要だということです。 別の言葉で言えば、「絶対自由の境地」で物事を考えることであると思います。
さる10月5日に56歳で亡くなった、アップルのスティーブ・ジョブは「Stay hungry, Stay foolish」と言っていますが、まさに現状を否定し、「愚直」に、「素朴」に朴(あらき)の状態で本質を見極めることの大切さを説いていたと、私は考えます。 如何でしょうか。
坂城町長 山村ひろし