いよいよ最後の章になりました。
このブログに書き始めて1年半、あっという間だったような気がします。
この章も老子の神髄を語っています。
信言不美、美言不信。 善者不辯、辯者不善。 知者不博、博者不知。 聖人不積、既以爲人、己愈有、既以與人、己愈多。天之道、利而不害。 聖人之道、爲而不爭。
信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。 善者は辯(べん)ぜず、辯ずる者は善(よ)からず。 知者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。 聖人は積まず。 既(ことごと)く以(も)って人の爲にして、己(おのれ)愈々(いよいよ)有す。 既く以って人に與へて、己愈々多し。 天の道は、利して害せず。 聖人の道は、爲(な)して爭はず。
本当の言葉には飾りなどありません。 逆に飾られた言葉には本質はありません。 本当に優れている人は多くを語りません。 多く語る者は優れているとは言えません。 本当の知識家はその博識を見せびらかしたりはしません。 その逆に自分の知識をひけらかす者は本質的なことを理解していないのです。 聖人と言われる人は自分のためにため込むようなことはしません。 ことごとく人のために尽くし、結果として充実してくるのです。 もっぱら人に与えたとしても、自らますます豊かになってくるのです。 自然の道理である「天の道」は、すべてのものに利益を与え決して害することはありまあせん。 一方、「聖人の道」といわれるような道を実践して行けば、何を行っても決して争うようなことにはなりません。
これでひとまず、老子を終わります。
「信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。」
この章に付けられるタイトルは「顕質」です。
これからも、物事の本質を見極め、「無為自然」を実践していきたいと思います。
来年、この老子をもう少し整理し、新たに一冊の本に纏めたいと思っています。
乞うご期待!
坂城町長 山村ひろし
「老子と付き合う」を読みおいてここ数日日たったですが、感想としまして「虚無」の境地に入りました。「楽しい」とか「嬉しい」、「喜び」がなくなりました。別にそれがマイナスだと言う事ではありません。その代わり「悲しい」、「辛い」、「苦しい」という感情も消え失せました。頭の中が「かっらぽ」になったんです。人は人生において、映画、小説、TVのドラマなど時にはものすごい「出会い」というものがあるとおもいます。時事的に朝ドラの「あまちゃん」のように社会現象を起こすものそれが国民的なものから個人的なものまでいろいろなレベルだと思いますが、私にとって「老子と付き合う」はとても読んで有儀な本でした。ありがとうございました。今度、友人にも読みたがっていたので貸してあげようと思っています。