9月中旬に私が坂城小学校、村上小学校、坂城中学校の子供たちに、「トルコの軍艦エルトゥールル号遭難」の話をしました。 その後にトルコで大地震があり約1,000名の方々が被災されたというニュースがありましたが、坂城の子供たちがトルコの人々に素晴らしい、激励のメッセージを書いてくれました。(ポスター 10枚も)
そこで、以前から懇意の日本トルコ友好協会の会長さん(ユジェル・ウルルグさん)にお話したところ、是非坂城へ来て子供たちとお話をしたい。そしてそのメッセージをトルコ政府に渡したいということでした。
本日の坂城町定例議会でもお話しましたが、子供たちの心意気に大変感銘を受けると共に敬意を表します。
以下、一部ですが掲載します。
(以下、坂城小学校)
(以下、村上小学校)
(以下、坂城中学校)
(以下、エルトゥールル号にまつわる物語です。 外務省資料より)
1887年、小松宮彰仁殿下及び同妃殿下がトルコを訪問し、皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見しました。1889年7月、これに対する答礼として、同皇帝はオスマン・パシャ提督(海軍少将)率いる総勢650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本に派遣します。1890年6月、同使節団は横浜港に到着、オスマン・パシャ提督は明治天皇に拝謁しオスマン帝国の最高勲章を奉呈しました。
同年9月、同使節団はトルコへの帰路に就いたのですが、エルトゥールル号は神戸を目指して航行中、和歌山県紀州沖にさしかかったところで台風に遭遇してしまいました。強風と高波の中、エルトゥールル号は樫野崎灯台を目指して航行しましたが、運悪く、沖合約40メートルで座礁し、沈没しました。
この海難事故により、オスマン提督以下乗組員587名が死亡するという大惨事となりました。そのような中、付近の住民の献身的な救助により、69名の乗組員が救出され、後に日本海軍の巡洋艦「金剛」及び「比叡」により丁重にトルコに送還されました。また、日本国内でも犠牲者に対する義援金の募集が広く行われました。
このように、エルトゥールル号の海難事故自体は極めて痛ましい事件ではありましたが、その際の日本官民あげての手厚い事後対応はトルコ人の心を打ったとされます。現在では、エルトゥールル号の日本訪問とその後の遭難事件は、両国の友好の原点の出来事とされています。
また、この120年間の友好の歴史の中には、1985年3月に、イラン・イラク戦争下のテヘランで、イラクがイラン領空の全航空機を攻撃対象にすると発表したために、テヘラン在留の日本人が孤立した状況に陥った際、トルコ政府が日本側の要請に基づいてトルコ航空機をイランに派遣してくれた結果、イラクの攻撃設定期限のぎりぎりで多くの日本人がこれに搭乗してイランを無事に脱出することができた、というトルコの方々の友情に日本国民が助けられた出来事もありました。
坂城町長 山村ひろし