老子の続き(第73章)

「勇敢」という言葉がありますが、果たしてそれで良いのだろうか。 老子の問いかけです。 

 勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。

                                   

 敢(かん)に勇なれば則(すなわ)ち殺(さつ)、不敢に勇なれば則ち活(くわつ)。 此の兩者、或(ある)いは利或いは害。 天の惡(にく)む所、孰(たれ)か其の故を知らん。 是(ここ)を以て聖人も猶(な)ほ之を難(かた)しとす。 天の道は、爭わずして善く勝ち、言わずして善く應じ、召さずして自(おのずか)ら來たり、繟然(せんぜん)として善く謀る。 天網(てんもう)恢恢(くわいくわい)、疏(そ)にして失はず。

                                      

 あまりにも果敢に行動する者は死に至り、慎重な態度をとっている者は生きながらえることが出来ます。 この両者の生き方にはそれぞれ利害があります。 しかし天の判断するところを誰が知ることが出来るのでしょうか。 この点から、聖人と言われる人にとってもその判断は難しいのです。 天の道は争わずして勝ち、言わずとも応答し、呼ばないのに到来したり、ゆったりと物事を最善の方法で裁くのです。 天の法網といわれているものは大変大きく、目も粗いのですがしっかりと見ていて、何事も捉えられないことは無いのです。

                                

 「 天網(てんもう)恢恢(くわいくわい)、疏(そ)にして失はず。」

 これも有名な言葉ですね。

 最近、何十年も指名手配だった逃亡犯が捕まっていますが、正に、「天網恢恢、疏にして失はず」ですね。 政治の悪いところも御目こぼしなく矯正してもらいたいものです。

                            

 坂城町長 山村ひろし

 

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